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63.幸福な降伏(二)
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とりあえず、年末まで恋人として私をシェアすると決めた二人は、さらに細かいことを確認していく。
「俺と望さんが恋人、健吾ともう二人がセフレ、ね」
「あ、一人減ったの。健吾くんとあと一人がセフレ」
「……ケンゴ?」
「俺の双子の弟」
湯川先生の目が丸くなる。驚いている。私だって、最初は驚いたよ。でも、そうなっちゃったんだもん。
「え、翔吾は双子で、あかりは双子の両方と関係を持っていたわけ?」
「ほんと、妬けるよね」
「スミマセン……」
「いや、うん、なんか、すごい世界だな……兄弟と、かぁ」
「面目ないです……」
湯川先生がめちゃくちゃ引いている。「うわぁ」って顔をしている。双子の穴兄弟とか、あまり聞かない、よね。気持ちはよくわかる。
「前にも言ったけど、俺は、恋人二人、セフレ二人から増やして欲しくない」
「……はい」
「俺はほぼ土日祝日しかあかりには会えないけど、出張も多いから、月に二回くらいしか機会がないんだよね。できれば早めに休みを伝えるから、そこはあかりを独占させてもらえると嬉しい」
「あ、じゃあ、俺は平日中心で。前期と後期の試験期間中とかサッカーの遠征があるときとかは会えないから、そういうときは望さんに任せる。できれば、俺はセフレもなくして欲しいんだよね」
自分のデザートは食べ終えて、湯川先生のデザートにも隣から手を伸ばす。先生は甘いものが苦手だから、羊羹は食べない。ブドウやメロンのフルーツは食べるかな、どうかな。とりあえず、羊羹はもらおう。
「翔吾は案外独占欲強いなぁ」
「望さんもでしょ? あかりのこと、心配になるでしょ?」
「ま、確かに。すぐフラフラするしなぁ」
「本当に、ね」
二人に睨まれている気がする。
え、あ、ごめんなさい。羊羹、金魚とか浮かんでいてかわいいよね。夏っぽくて。涼しげで。どうやって作っているのか興味あるなぁ。
ええと……なんか、私の悪口言ってるでしょ?
「ところで、今、あかりを口説こうとしている男はいる?」
翔吾くんの言葉にドキリとする。
私を口説こうとしている男――それは、君のはとこだよ。
荒木さんのことで嘘をついたところでメリットはない。彼が双子にバラさないとも限らない。そのとき、責められるのは私だ。
ここは素直に頷いておこう。
「……一人、会社の人が」
「食事に行ったり?」
「何度か……うん」
「告白された?」
「……はい」
湯川先生と翔吾くんは、顔を見合わせたあと盛大に溜め息を吐き出した。
「これだから、ほんと、あかりは」
「ほんと、ほっとけない」
「でもね、でもね、彼氏がいるからって断ったんだよ、私! ちゃんと断ったの!」
「でも、口説かれてる」
「……う」
「隙があることを見抜かれているわけだ」
「……うぅ」
二人から交互に責められ、私は肩身が狭い思いをする。
隙だらけで、そこに目をつけられているのは事実。悔しいけれど、荒木さんのほうが、ずっとずっと上手(うわて)なのだ。
「……ごめんなさい」
上手に断れるなら、断りたい。湯川先生や翔吾くんを深く傷つける前に、断ってしまいたい。
でも、上手にできなかった。私は、本当に愚かだと思う。バカだと思う。
結局、二人に心配ばかりかけている。
「はいはい、泣かない、あかり」
隣の湯川先生が頭を撫でて、そのまま抱き寄せてくれる。翔吾くんはハンカチを差し出してくれる。
「大丈夫。怒ったりしていないから」
「そう。望さんも俺も、心配しているだけだから」
「あかりが傷つくのが、一番嫌なんだよ、俺たちは」
わかっている。
二人が優しいことも、私を甘やかしてくれていることも。ちゃんと信頼してくれていることも。私が二人を傷つけたくないと思う以上に、二人が私を傷つけたくないと思っていることも。
十分、わかっている。
わかっているのに、涙が止まらない。
わかっているから、止められない。
「じゃあ、彼氏と結婚することになった、って嘘をつこう」
「望さん、早めにリング買ってあげて」
「わかった。明日買いに行こう。職場の人なら無下にできないもんな。あかりはよく頑張ってるよ」
湯川先生、それじゃダメなの。翔吾くんのはとこなの。
荒木さんは私と翔吾くんが付き合っているって思っているから、嘘だってすぐバレてしまう。そして、違う人と結婚することを怪しんで、絶対に何か言ってくる。
何で、翔吾と結婚しないの? どういう関係? 二股してたの? じゃあ、結婚してからでもできるよね? 不倫くらい、簡単にできるよね? ね、月野さん?
私は、うまく回避できると思えない。
「荒木さん、なの。翔吾くん」
「……え?」
「荒木雄一さん」
翔吾くんの顔色が一瞬で変わる。あぁ、厄介な相手なんだな、と私もすぐに理解する。わかってはいたけれど。
「え、翔吾の知り合い?」
「……望さん、場所を移そう。ここじゃダメだ」
「え? あ、ホテル、部屋取ってあるから、そこでいい? チェックインにはちょっと早いけど……ま、いいか」
「うん、お願い」
赤い金魚と黒い金魚が、食べかけの水色の羊羹の中を泳ぐ。楽しそうに。
君たちは溺れなくていいよね。私は窒息寸前だよ。
結局、海にもプールにも行っていないことに、今気づいた。せっかく翔吾くんに水着を買ってもらったのに。
湯川先生が会計を済ませに席を立ってから、翔吾くんは溜め息を吐き出しながら、怖い顔で呟いた。
「……作戦会議だ」
私は、二人に迷惑をかけ続けてしまう未来しか思い浮かばなくて――本当に情けなくなった。
◆◇◆◇◆
「荒木雄一は俺のはとこ。まさかあかりの会社にいるとは思わなかった……俺としたことが。勤めている会社の名前に気づかなかったなんて」
翔吾くんは部屋の窓際のソファに座って、長々と溜め息を吐き出した。何度目の溜め息だろう。
湯川先生はネクタイを緩めて抜いたあと、二人のジャケットとネクタイをハンガーにかける。翔吾くんはネクタイをソファにかける。
部屋はツイン。だけど、ソファが簡易ベッドになるらしい。三人が泊まれる部屋のようだ。
とりあえず、私はパンプスを脱いでベッドに腰掛ける。湯川先生は缶ビールを翔吾くんに渡し、二人して無言で乾杯したあとグイとそれを飲んだ。
……昼間から飲まないのではありませんでした、お二人さん?
「雄兄(ゆうにい)かー……よりによって雄兄かよ……最悪だ」
最悪。
健吾くんとのことがあっても、そんな言葉は口にしなかった翔吾くんがそこまで言うのだ。本当に最悪なんだろう。
ただ、ご両親が別荘に現れたときにも言っていたから、単なる口癖なのかもしれないけど。
「雄兄、俺とあかりのこと知ってるだろ?」
「うん、バレてる。軽井沢から戻るときの新幹線が同じだったみたい」
「あー……そうか、金沢からの帰りか。しまったなぁ」
湯川先生は、翔吾くんと私の会話を壁にもたれてビールを飲みながら聞いている。「軽井沢?」「金沢?」と少し疑問に思う点もあるようだけど、口は挟まない。
翔吾くんが混乱している、とわかっているみたいだ。
「望さん、相手はものすごく手強いんだ」
「……そんなに?」
「俺とあかりが付き合ってることも、健吾と関係があることも、たぶん知ってる。それでも引かずにあかりを口説いてくるような男だからね。手強いよ」
ついでに、ケントくんとのこともバレています。他にも男がいると疑っています。ものすごく手強いです。
「雄兄は……根っからのサディストなんだ。その被害者は、小さい頃は主に俺や健吾、他の親戚だったんだけど」
翔吾くんの口から話された荒木さんの悪行は――彼の裏の顔を知った今では、だいぶ納得できるものだった。
親戚の子にたくさん水を飲ませて、トイレに行かせず失禁させたり。土地勘のない山中や電車の中で親戚の子を置き去りにしたり。アレルギーの原因になるものを食べさせたり。
犯罪スレスレのことも「親戚のしたことだから」と片付けられていたという。しかも、荒木さんは「相手のことを思って」それらを実行していたというのだというから、始末に負えない。
そして、翔吾くんと健吾くんは高校大学と成長するにつれ荒木さんとは疎遠になっていったというが、幼少期のそういう事情から、荒木さんとは関わり合いたくない、と思うようになったようだ。
「高校大学と、女癖も悪かったみたいだしね。おばさんが参っていたくらいに、相手に酷いことをしていたみたいだし」
たぶん、縛るのは序の口で、ハードなこともさせていたんだと思う。野外プレイとか首絞めプレイとか。想像でしかないけれど、ありえそうだ。
「なるほど。じゃあ、あかりはマゾだと思われているのかな」
「あんなに上になるの好きなのになぁ」
二人して頷くことじゃないよね、やっぱり、それ。……確かに、騎乗位は好きだけど。
「それだけじゃなくて、単純に俺の彼女を奪いたいと思っている可能性もあるかも。そういうのも好きな人だから、雄兄は」
「略奪かぁ……そういう趣味は理解できないな」
「シェアはできるけどね」
どちらも健全な関係ではないような。どちらかと言うと、略奪愛よりシェアのほうが少数派だと思う。二人は全く気づいていないみたいだけど。
「あかりが翔吾の彼女だと思われているなら、結婚するっていう手はしばらくは使えないもんな」
「さすがに学生結婚はね……あと五年くらいは先の話になりそうだし」
「でも、俺と結婚するって話も急すぎるわけか」
「あかりが節操ナシに見えるのはどうかと思うし、たぶんそれも雄兄にとっては許容範囲内」
……そうだね。私の相手が複数いても気にしない人だからね。困ったことに。
「あかりも厄介な人に好かれたなぁ」
「……だから、困っていたんだけど……どうしようもなくて」
「雄兄はお気に入りは徹底的にいじめるからなぁ。身の安全を最優先にして、あかりの派遣の契約を年末で終わらせるにしても、あと四ヶ月……長いな」
「四ヶ月あかりがきちんと断り続けても、逃げ切れるかどうか、だろ」
ヒィ、と呟いて肩を抱く。ありえそうなところが怖い。
もう、絶対、荒木さんと二人きりにはならないようにしなければ。エレベーターも、飲み会のあとも。
私は性的には奔放で、貞淑な女ではないけれど、これは明らかに貞操の危機だ。
湯川先生も翔吾くんも心配そうに私を見つめる。
「逃げ切れそう?」
「善処する、としか言いようがなくて」
「ま、そうだよねぇ」
家が知られている以上、帰り道にも気をつけなければ。
でも、正直に「私はマゾではありません」と宣言してしまえば、荒木さんが私にそこまで執着することもないかな、とも思えてしまう。サディストはマゾヒストを求める、んだよね? 私はマゾヒストではないんだもんなぁ。
……と、気楽に考えるのが、私の「隙」なのかもしれない。用心しなければ。
「翔吾ははとこがセフレになるのは反対?」
「絶対、反対。弟ならいいけど、雄兄はダメ。あかりが傷つくってわかっているのに、そんな男に彼女を委ねたくない」
「じゃあ、俺も反対。あかり、逃げ切って」
「……が、頑張る」
案外、湯川先生と翔吾くんはウマが合うのかもしれない。まだお互いに信頼はしていないだろうけど、私のことに関して言えば、考え方や価値観は似ている。
それがいいことなのか、悪いことなのか、まだ判断はできないけれど、幸せなことに変わりはない。
「あ、ビール飲んじゃった。望さん、もうビールない?」
「もうないかな。飲みたい……よな? 飲まないとやってらんないよな? ルームサービス頼むか?」
「いいね! ツマミも欲しいな。あ、メニューはこれか」
テーブルの上にあったメニューを見ながら、ビールやワインの名前を挙げていく翔吾くん。湯川先生は「まぁ、いいか」という顔をしてリクエストを聞いている。
私はノンアルコールカクテルがいいなぁ。あと、甘いものがあれば欲しいな。先生の分の羊羹、食べ損ねちゃったし。
とにかく、荒木さんには「マゾではありません」と伝えて、逃げよう。逃げ回ろう。追ってこなくなるまで。
それしか、ない。
フロントにルームサービスの注文を入れる湯川先生を見ながら、私は一つ、覚悟をする。
……この酒盛りは、夜まで続くかもしれない、と。
「俺と望さんが恋人、健吾ともう二人がセフレ、ね」
「あ、一人減ったの。健吾くんとあと一人がセフレ」
「……ケンゴ?」
「俺の双子の弟」
湯川先生の目が丸くなる。驚いている。私だって、最初は驚いたよ。でも、そうなっちゃったんだもん。
「え、翔吾は双子で、あかりは双子の両方と関係を持っていたわけ?」
「ほんと、妬けるよね」
「スミマセン……」
「いや、うん、なんか、すごい世界だな……兄弟と、かぁ」
「面目ないです……」
湯川先生がめちゃくちゃ引いている。「うわぁ」って顔をしている。双子の穴兄弟とか、あまり聞かない、よね。気持ちはよくわかる。
「前にも言ったけど、俺は、恋人二人、セフレ二人から増やして欲しくない」
「……はい」
「俺はほぼ土日祝日しかあかりには会えないけど、出張も多いから、月に二回くらいしか機会がないんだよね。できれば早めに休みを伝えるから、そこはあかりを独占させてもらえると嬉しい」
「あ、じゃあ、俺は平日中心で。前期と後期の試験期間中とかサッカーの遠征があるときとかは会えないから、そういうときは望さんに任せる。できれば、俺はセフレもなくして欲しいんだよね」
自分のデザートは食べ終えて、湯川先生のデザートにも隣から手を伸ばす。先生は甘いものが苦手だから、羊羹は食べない。ブドウやメロンのフルーツは食べるかな、どうかな。とりあえず、羊羹はもらおう。
「翔吾は案外独占欲強いなぁ」
「望さんもでしょ? あかりのこと、心配になるでしょ?」
「ま、確かに。すぐフラフラするしなぁ」
「本当に、ね」
二人に睨まれている気がする。
え、あ、ごめんなさい。羊羹、金魚とか浮かんでいてかわいいよね。夏っぽくて。涼しげで。どうやって作っているのか興味あるなぁ。
ええと……なんか、私の悪口言ってるでしょ?
「ところで、今、あかりを口説こうとしている男はいる?」
翔吾くんの言葉にドキリとする。
私を口説こうとしている男――それは、君のはとこだよ。
荒木さんのことで嘘をついたところでメリットはない。彼が双子にバラさないとも限らない。そのとき、責められるのは私だ。
ここは素直に頷いておこう。
「……一人、会社の人が」
「食事に行ったり?」
「何度か……うん」
「告白された?」
「……はい」
湯川先生と翔吾くんは、顔を見合わせたあと盛大に溜め息を吐き出した。
「これだから、ほんと、あかりは」
「ほんと、ほっとけない」
「でもね、でもね、彼氏がいるからって断ったんだよ、私! ちゃんと断ったの!」
「でも、口説かれてる」
「……う」
「隙があることを見抜かれているわけだ」
「……うぅ」
二人から交互に責められ、私は肩身が狭い思いをする。
隙だらけで、そこに目をつけられているのは事実。悔しいけれど、荒木さんのほうが、ずっとずっと上手(うわて)なのだ。
「……ごめんなさい」
上手に断れるなら、断りたい。湯川先生や翔吾くんを深く傷つける前に、断ってしまいたい。
でも、上手にできなかった。私は、本当に愚かだと思う。バカだと思う。
結局、二人に心配ばかりかけている。
「はいはい、泣かない、あかり」
隣の湯川先生が頭を撫でて、そのまま抱き寄せてくれる。翔吾くんはハンカチを差し出してくれる。
「大丈夫。怒ったりしていないから」
「そう。望さんも俺も、心配しているだけだから」
「あかりが傷つくのが、一番嫌なんだよ、俺たちは」
わかっている。
二人が優しいことも、私を甘やかしてくれていることも。ちゃんと信頼してくれていることも。私が二人を傷つけたくないと思う以上に、二人が私を傷つけたくないと思っていることも。
十分、わかっている。
わかっているのに、涙が止まらない。
わかっているから、止められない。
「じゃあ、彼氏と結婚することになった、って嘘をつこう」
「望さん、早めにリング買ってあげて」
「わかった。明日買いに行こう。職場の人なら無下にできないもんな。あかりはよく頑張ってるよ」
湯川先生、それじゃダメなの。翔吾くんのはとこなの。
荒木さんは私と翔吾くんが付き合っているって思っているから、嘘だってすぐバレてしまう。そして、違う人と結婚することを怪しんで、絶対に何か言ってくる。
何で、翔吾と結婚しないの? どういう関係? 二股してたの? じゃあ、結婚してからでもできるよね? 不倫くらい、簡単にできるよね? ね、月野さん?
私は、うまく回避できると思えない。
「荒木さん、なの。翔吾くん」
「……え?」
「荒木雄一さん」
翔吾くんの顔色が一瞬で変わる。あぁ、厄介な相手なんだな、と私もすぐに理解する。わかってはいたけれど。
「え、翔吾の知り合い?」
「……望さん、場所を移そう。ここじゃダメだ」
「え? あ、ホテル、部屋取ってあるから、そこでいい? チェックインにはちょっと早いけど……ま、いいか」
「うん、お願い」
赤い金魚と黒い金魚が、食べかけの水色の羊羹の中を泳ぐ。楽しそうに。
君たちは溺れなくていいよね。私は窒息寸前だよ。
結局、海にもプールにも行っていないことに、今気づいた。せっかく翔吾くんに水着を買ってもらったのに。
湯川先生が会計を済ませに席を立ってから、翔吾くんは溜め息を吐き出しながら、怖い顔で呟いた。
「……作戦会議だ」
私は、二人に迷惑をかけ続けてしまう未来しか思い浮かばなくて――本当に情けなくなった。
◆◇◆◇◆
「荒木雄一は俺のはとこ。まさかあかりの会社にいるとは思わなかった……俺としたことが。勤めている会社の名前に気づかなかったなんて」
翔吾くんは部屋の窓際のソファに座って、長々と溜め息を吐き出した。何度目の溜め息だろう。
湯川先生はネクタイを緩めて抜いたあと、二人のジャケットとネクタイをハンガーにかける。翔吾くんはネクタイをソファにかける。
部屋はツイン。だけど、ソファが簡易ベッドになるらしい。三人が泊まれる部屋のようだ。
とりあえず、私はパンプスを脱いでベッドに腰掛ける。湯川先生は缶ビールを翔吾くんに渡し、二人して無言で乾杯したあとグイとそれを飲んだ。
……昼間から飲まないのではありませんでした、お二人さん?
「雄兄(ゆうにい)かー……よりによって雄兄かよ……最悪だ」
最悪。
健吾くんとのことがあっても、そんな言葉は口にしなかった翔吾くんがそこまで言うのだ。本当に最悪なんだろう。
ただ、ご両親が別荘に現れたときにも言っていたから、単なる口癖なのかもしれないけど。
「雄兄、俺とあかりのこと知ってるだろ?」
「うん、バレてる。軽井沢から戻るときの新幹線が同じだったみたい」
「あー……そうか、金沢からの帰りか。しまったなぁ」
湯川先生は、翔吾くんと私の会話を壁にもたれてビールを飲みながら聞いている。「軽井沢?」「金沢?」と少し疑問に思う点もあるようだけど、口は挟まない。
翔吾くんが混乱している、とわかっているみたいだ。
「望さん、相手はものすごく手強いんだ」
「……そんなに?」
「俺とあかりが付き合ってることも、健吾と関係があることも、たぶん知ってる。それでも引かずにあかりを口説いてくるような男だからね。手強いよ」
ついでに、ケントくんとのこともバレています。他にも男がいると疑っています。ものすごく手強いです。
「雄兄は……根っからのサディストなんだ。その被害者は、小さい頃は主に俺や健吾、他の親戚だったんだけど」
翔吾くんの口から話された荒木さんの悪行は――彼の裏の顔を知った今では、だいぶ納得できるものだった。
親戚の子にたくさん水を飲ませて、トイレに行かせず失禁させたり。土地勘のない山中や電車の中で親戚の子を置き去りにしたり。アレルギーの原因になるものを食べさせたり。
犯罪スレスレのことも「親戚のしたことだから」と片付けられていたという。しかも、荒木さんは「相手のことを思って」それらを実行していたというのだというから、始末に負えない。
そして、翔吾くんと健吾くんは高校大学と成長するにつれ荒木さんとは疎遠になっていったというが、幼少期のそういう事情から、荒木さんとは関わり合いたくない、と思うようになったようだ。
「高校大学と、女癖も悪かったみたいだしね。おばさんが参っていたくらいに、相手に酷いことをしていたみたいだし」
たぶん、縛るのは序の口で、ハードなこともさせていたんだと思う。野外プレイとか首絞めプレイとか。想像でしかないけれど、ありえそうだ。
「なるほど。じゃあ、あかりはマゾだと思われているのかな」
「あんなに上になるの好きなのになぁ」
二人して頷くことじゃないよね、やっぱり、それ。……確かに、騎乗位は好きだけど。
「それだけじゃなくて、単純に俺の彼女を奪いたいと思っている可能性もあるかも。そういうのも好きな人だから、雄兄は」
「略奪かぁ……そういう趣味は理解できないな」
「シェアはできるけどね」
どちらも健全な関係ではないような。どちらかと言うと、略奪愛よりシェアのほうが少数派だと思う。二人は全く気づいていないみたいだけど。
「あかりが翔吾の彼女だと思われているなら、結婚するっていう手はしばらくは使えないもんな」
「さすがに学生結婚はね……あと五年くらいは先の話になりそうだし」
「でも、俺と結婚するって話も急すぎるわけか」
「あかりが節操ナシに見えるのはどうかと思うし、たぶんそれも雄兄にとっては許容範囲内」
……そうだね。私の相手が複数いても気にしない人だからね。困ったことに。
「あかりも厄介な人に好かれたなぁ」
「……だから、困っていたんだけど……どうしようもなくて」
「雄兄はお気に入りは徹底的にいじめるからなぁ。身の安全を最優先にして、あかりの派遣の契約を年末で終わらせるにしても、あと四ヶ月……長いな」
「四ヶ月あかりがきちんと断り続けても、逃げ切れるかどうか、だろ」
ヒィ、と呟いて肩を抱く。ありえそうなところが怖い。
もう、絶対、荒木さんと二人きりにはならないようにしなければ。エレベーターも、飲み会のあとも。
私は性的には奔放で、貞淑な女ではないけれど、これは明らかに貞操の危機だ。
湯川先生も翔吾くんも心配そうに私を見つめる。
「逃げ切れそう?」
「善処する、としか言いようがなくて」
「ま、そうだよねぇ」
家が知られている以上、帰り道にも気をつけなければ。
でも、正直に「私はマゾではありません」と宣言してしまえば、荒木さんが私にそこまで執着することもないかな、とも思えてしまう。サディストはマゾヒストを求める、んだよね? 私はマゾヒストではないんだもんなぁ。
……と、気楽に考えるのが、私の「隙」なのかもしれない。用心しなければ。
「翔吾ははとこがセフレになるのは反対?」
「絶対、反対。弟ならいいけど、雄兄はダメ。あかりが傷つくってわかっているのに、そんな男に彼女を委ねたくない」
「じゃあ、俺も反対。あかり、逃げ切って」
「……が、頑張る」
案外、湯川先生と翔吾くんはウマが合うのかもしれない。まだお互いに信頼はしていないだろうけど、私のことに関して言えば、考え方や価値観は似ている。
それがいいことなのか、悪いことなのか、まだ判断はできないけれど、幸せなことに変わりはない。
「あ、ビール飲んじゃった。望さん、もうビールない?」
「もうないかな。飲みたい……よな? 飲まないとやってらんないよな? ルームサービス頼むか?」
「いいね! ツマミも欲しいな。あ、メニューはこれか」
テーブルの上にあったメニューを見ながら、ビールやワインの名前を挙げていく翔吾くん。湯川先生は「まぁ、いいか」という顔をしてリクエストを聞いている。
私はノンアルコールカクテルがいいなぁ。あと、甘いものがあれば欲しいな。先生の分の羊羹、食べ損ねちゃったし。
とにかく、荒木さんには「マゾではありません」と伝えて、逃げよう。逃げ回ろう。追ってこなくなるまで。
それしか、ない。
フロントにルームサービスの注文を入れる湯川先生を見ながら、私は一つ、覚悟をする。
……この酒盛りは、夜まで続くかもしれない、と。
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