【R18】サキュバスちゃんの純情

千咲

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55.黒白の告白(四)

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 波風立てない断り方、なんて難しい。波風立てない別れ方ですら少ない。相馬さんとの別れ方は稀有なのだから。
 結局、悩みながら寝てしまったらしく、目が覚めたときには金曜日の朝だった。

「彼氏と別れて俺と付き合え、っていう告白をどうすればいいか? 月野さんの友達はモテるのねぇ」

 佐々木先輩は肉じゃがのじゃがいもを頬張りながら思案する。あの、その肉じゃが、色からしてめちゃくちゃ美味しそうです。一口欲しいです。一口……! あ、食べ……ちゃったぁ。
 私は自分のきんぴらゴボウで我慢する。佐々木先輩が辞めてしまったら、こんな楽しくて美味しい時間もなくなってしまうんだなぁと思うと寂しい。やっぱり寂しい。

「そりゃ、彼氏と天秤にかけるしかないわけだけど、何が決め手になるかしら。結婚するならまだしも、付き合うだけなら、好きだと思ったほうと付き合えばいいんじゃない?」
「あの、両方好きだったら?」
「月野さんの友達は泥沼が好きなの? 上手に二股できるなら、二人と付き合ってもいいんじゃないかしら。難しいでしょうけど」

 私もそう思います。
 しかも、湯川先生まで参戦したら、三股です。ハードです。関係が複雑です。難しすぎます。

「でも、強引な男は私は好きじゃないわ。信頼関係が成り立っていれば別だけど。慣れ親しんだ彼氏と、未知の部分が多すぎる人なら、私は彼氏を選ぶわねぇ」

 信頼関係があったから、相馬さんの強引さにもついていけたんですね、よくわかります。
 結婚には勢いが必要ですもんね。それを相馬さんが生み出してくれたんですよね。

「何よ、ニヤニヤしちゃって。変な月野さん」
「い、いえ、そんなにニヤニヤしてましたかね? すみません」

 危ない、危ない。
 相馬さんと佐々木先輩のことを考えると、自然とニヤニヤしてしまう。とても危険だ。でも、本当に幸せになってもらいたい。

「まぁ、彼氏に不満がないなら、未知の男はやめておいたほうがいいと思うわよ」
「友達、彼氏に対しての不満は言ったことがない気がします」
「じゃあ、告白は回避したほうがいいわね」
「どう断ればいいですか? 職場の人みたいなんですけど」

 どう断れば、角が立ちませんか?
 本当に、そこが知りたい。

「同僚かぁ……え、まさか、荒木さん?」
「ブハッ」
「やだ、ちょっと、月野さん、図星?」
「ち、ちが……っ」

 テーブルに散らばったご飯粒をティッシュで拭き取りながら、佐々木先輩はニヤニヤ笑う。私もさっきまでこんな顔をしていたのか……。
 ペットボトルのお茶を飲みながら、気持ちを落ち着ける。

「営業成績のいい営業マンは口が達者だから、断るのは至難の業ね。かなり頑張らないと、押しに負けてしまうわよ、月野さん」
「だから、違いますって」
「荒木さんは底が見えない人だから、どうなるかわからないわね」
「ですから」
「友達の話、が本当に友達の話なわけないじゃない。月野さんたら」

 ほんと、佐々木先輩には敵わない。
 箸を置いて、深呼吸する。佐々木先輩は、笑っている。
 ……本当に、敵わないなぁ。

「……彼氏も大事だし、荒木さんも大切な人なんです。本当に、困ってしまって」
「断ったとしても、荒木さんはそれを仕事には持ち込まないと思うわよ? そこまで子どもじゃないでしょ」
「そうだといいんですけど……」
「まぁ、嫌がらせされるなら、そこまでの男と割り切って、年末の更新をやめちゃえばいいだけでしょ? 月野さんならどこへ行っても、どこの会社へ派遣されても、大丈夫よ」

 佐々木先輩からそう言ってもらえると心強い。サキタは働きやすかったから、あまり辞めたくはないんだけど、私のスキルがどこへ行っても通用するのなら、それも考えておかなければならないということか。
 荒木さんから離れるために。

「彼氏が好きです、荒木さんとは付き合えません、で貫くことね。下手に説明や言い訳なんかしちゃダメよ。相手は営業マンなの」
「は、はい」
「こう言われたらこう切り返す、と頭の中でシミュレーションしておきなさいね。丸め込むのだけは上手なんだから、隙は見せないように」
「わかりました!」

 勉強になります、と頭を下げた私だったけれど、たぶん、どこかで「まぁ、大丈夫だろう」と考えていた。翔吾くんのことが好きだと必死で伝えれば、荒木さんもきっとわかってくれる、と。

 私は、まだまだ、甘かったのだ。


◆◇◆◇◆


 前菜とデザートがビュッフェ形式になっているレストランは、荒木さんが喜ぶほどにデザートが豊富で、美味しそうだった。ケースの中のケーキを見ながら、ご飯はあまり食べすぎないでおこうと決意するくらいには。
 プレートにサラダや魚のマリネなどを載せて席に戻ると、前菜を上機嫌で見下ろしている荒木さんの姿が目に入る。

「先に食べてくださいよ」
「一緒に食べようよ」

 荒木さんの笑顔に、苦笑する。そして、二人で「いただきます」とフォークを取った。
 アパートの最寄り駅の近くにこんな店があったなんて、知らなかった。駅の裏手側におしゃれな店がたくさんあるのは知っていたけれど、一人でもセフレさんとも行ったことがない。誰かを誘って行くのもいいかもしれない。

「生パスタはもっちりしていていいんだけど、俺は乾麺のほうが好きなんだ。ここは種類が選べるから気に入ってて」

 キノコとベーコンのトマトソーススパゲティをシェアしながら、「私はどちらも好きですよ」と無難に応じておく。
 実際、そうだ。家で作るのは圧倒的に乾麺からのほうが多いから、外食するときくらいは別の種類のものを食べてもいいかなと考えるくらいのこだわりのなさだ。

「荒木さんはイタリアン好きなんですね」
「デザートの種類がたくさんあるからね。和食や中華だと、数が限られちゃうから」

 なるほど。何を食べるにも甘いものが基準だということか。清々しいくらいに甘党なわけだ。

「でも、洋菓子だけじゃなくて、和菓子も好きだよ。大福とかわらび餅とか」
「荒木さんは甘いものが好きなんですね」
「辛いものも好きだし、食べられるけど、やっぱり甘いもののほうが好きかな」

 デザートのプレートに全種類のケーキを載せて、荒木さんは笑う。東京タワーの近くのケーキバイキングに誘ったら、やっぱり喜んだだろうなと思う。水森さんと出会ったホテルのケーキバイキング、また行ってみたい。水森さんに邪魔されてちゃんと食べられなかったから。

「洋梨のタルト美味しいですね」
「リンゴのタルトも美味しいよ。ブルーベリーケーキも好きなんだ。スポンジにブルーベリージャムが練り込まれているから、それだけで美味しいんだ」
「あ、じゃあ、次食べてみます」
「是非」

 こうして話をしているだけなら、とても居心地が良い。やっぱり、好きだなぁと思う。笑顔とか、食べ方とか、話し方とか。
 でも、それだけじゃダメなんだということもわかっている。普通の人間ならそれでいい。好きだなぁという気持ちに素直に従えばいい。
 残念ながら、私はサキュバスで、どうしたって精液が必要なのだ。週に一回は精液が欲しいのだ。

「あの、荒木さん」

 意を決して、ストレートの紅茶を飲む荒木さんを見つめる。彼は真っ直ぐ私を見つめていた。
 その目、やっぱり叡心先生にも、旭さんにも似ている。困ったように笑うのも、そっくり。
 私は、その顔が好きなんだ。顔だけが。

「私、翔吾くんとは別れられません。彼のことが好きです。荒木さんを尊敬はしていますが、やっぱりどうしても、尊敬以上の感情は抱けなくて……その、荒木さんのお気持ちはありがたいんですけど」

 ――お断りいたします。
 ティーカップを置いて、荒木さんは笑う。

「うん、そうだね。そうだと思ってた。初恋の人に似てるとは言っても、俺はその人じゃない。翔吾は良いやつだし、イケメンでお金も持ってる。最初から、勝ち目はないってわかっていたよ」

 じゃあ、諦めてくれるんだ……良かった。
 私はホッとするけれど、荒木さんの表情が変わっていないのに気づく。笑顔のまま。寂しいとか、悔しいとか、そういう顔じゃない。
 笑って、いる。

「でも、どうしても、諦められないんだよね、月野さんのこと」

 笑っている、はずなのに、笑ってはいない。ただ、じいっと私を見つめ、捕食の機会を窺っている。そんな、目。
 叡心先生も旭さんも、そんな目をしたことがない。だから、初めて見る表情に私は戸惑うしかない。

「あ、あの」
「尊敬しているっていうのは本当なんだろうけど、たぶん、月野さんは俺のこと好きでしょう?」
「……嫌いでは、ないです、もちろん」
「花火大会のとき、異性として意識してくれたよね?」
「……荒木さん、その」
「あのときの月野さんの表情、かわいくて忘れられないんだけどな」

 どうしよう。
 断っても諦めない、諦めてくれないなんて、予想外だ。想定の範囲外だ。
 どうすれば、いい? どうすれば諦めてくれる? 私の頭の中は真っ白。パニックだ。

「……ごめんなさい」
「んー、俺が月野さんから聞きたいのはその言葉じゃない。じゃあ、一つ質問するね」

 だって、もう、謝るしかない。どうしたって諦めてくれないなら、何度も謝るしかない。
 ごめんなさい、付き合えません。荒木さんとは付き合えません。本当にごめんなさい。

「健吾とイトイの妹尾さんは良くて、俺がダメな理由は何?」

 さっきまで真っ白だった頭の中が、真っ黒に塗り潰されていく感覚。目の前に闇が広がっていくこの感覚を、私はよく知っている。

 私の目の前にいるのは、誰?
 あなた、本当に、荒木さん?

「俺、月野さんの匂いならすぐわかるんだよ。甘くて美味しそうな匂い。俺と一緒にいると強くなるよね。今もそう。気づいていないと思うけど」

 ねぇ、あなた、誰?

「キスをした妹尾さんからは少しだったけど、健吾からはすごく匂ってきたから、一緒にいたんだなとすぐわかったよ。ビックリしたけど」

 荒木さんは笑う。私の知らない顔で。

「翔吾は知っているの? 健吾とも肉体関係があるってこと。それとも、三人で楽しんだ?」

 悪魔のような笑顔だと、思った。


◆◇◆◇◆


 荒木さんは、営業部でも結構成績がいいほうだ。彼の先輩である美山さんがきちんと目をかけているという点もあるだろうけれど、それを抜きにしても、入社四年目の同期の中のトップであり、五年目六年目の先輩方の成績なんて簡単に抜いてしまうほどの営業力の持ち主だ。
 イトイから仕事をもらうようになったのは、彼の手腕があったおかげだと聞いているし、イトイと馴染みのある会社や子会社からも仕事を受注するようになったのも、彼がルートを開拓したおかげだと聞いている。
 そんな荒木さんに憧れる後輩から「営業のコツは何ですか?」と聞かれたときの彼の回答を、私はずっと覚えている。

「俺、三回はしつこく食い下がるから。覚悟しておいて」

 ――三回は押せ。諦めるな。しかし、三回ダメなら四回目には繋がらない。手を変えるか、潔く諦めろ。
 それが、荒木さんの助言だった。

「……これは、営業ですか?」
「俺の将来のための、ね」

 隣を歩く荒木さんは、いつも通りの表情だ。けれど、横顔は少し意地悪く見える。

「驚いた?」
「……はい」

 意地悪そうな顔に見下ろされて、頷く。
 驚いた、どころじゃない。本当に、何のスイッチが入ったのかと思った。だって、いきなり豹変するんだもの。
 けれど、荒木さんは、妹尾さんとは違い、強引にどこかへ連れ込んで……ということは考えていないようだった。どうしようもない性欲に煽られているわけではなさそうなのだ。

 でも、既に狼の顔をしている荒木さんに、家まで送ってもらうのは、やっぱり辞退しておけば良かったかもしれない。
 ……そのあたりが「隙」なんだろう、私の。
「送らせて」を三回言われる前に折れてしまって、「月野さんは押しに弱すぎる」と荒木さんに笑われてしまったくらいの迂闊さだ。

「隠しているからね、普段は。どうにも、俺はやりすぎてしまう傾向があるらしくて」
「やりすぎ、ですか」
「だから彼女と長続きしないんだよね。みんな逃げちゃう」

 ……逃げられるくらいの付き合い方って、何なんだろう。いや、想像しないほうがいいかもしれない。想像したらダメな部類のものだ。

「淡白だから……だと思っていました。そうじゃ、ないんですか?」
「飲み会ではああ言うようにしているんだよ。じゃないと、美山さんや他の会社の営業部の人にどこに連れて行かれるかわからないからね。まぁ、行ってもいいんだけど、誰を相手にしてもやりすぎてしまうから」

 どこへ、とは聞かない。営業部の社員や美山さんが好きなところ、接待によく使うところくらいは知っている。佐々木先輩がデリバリーだったのは、店だと同僚と鉢合わせしてしまったら気まずいからなんだろうなと思うくらいには、知っている。

「……なぜ、私には話したんですか?」
「月野さんは会社の誰にも言わないでしょ。佐々木さんにも。それから、翔吾にも、健吾にも」

 おっしゃる通り、誰にも相談できないですね、これは。

「信頼関係も大事。相手を信頼していないと、プレイはできないから」
「……なるほど」
「付き合うからには知っておいてもらいたい部分でもあるし、ね」

 相馬さん、ビンゴ。大当たりです。隠さなければならない癖(へき)、ありましたよ。それを突きつけられるとは思いませんでしたけど。

「そうそう、月野さんの甘くて美味しそうな匂いの正体が気になるんだよね。それはフェロモンなの? 金曜日は特に強いよね。花火大会の日なんて、妹尾さんが気の毒になるくらい、美味しそうな匂いだったよ」
「そんなに匂いますか?」
「うん、かなり。気づいていない人が多いけど、今日も……今も」

 サキュバスの匂い、なんだろう。甘い匂いで男を誘惑しているらしいけど、私に自覚はない。
 金曜日、というのは、精液が欲しくてたまらない時期だ。精液が欲しい週末になると匂いが強くなるのかもしれない。無自覚だったけど。
 今度ケントくんに確認しなきゃ。

「香水じゃないよね、これ。すごくいい匂い。俺は好きなんだよね、月野さんの匂い」

 斜め上から頭の匂いをスンと嗅がれて、恥ずかしさと驚きのあまり硬直してしまう。荒木さんの行動と言動が、いちいち心臓に悪い。めちゃくちゃドキドキしてしまう。

「……今、興奮したでしょ? 月野さんはわかりやすいね。ほんと、かわいい」
「……」
「あ、怯えないで。俺が興奮しちゃう」

 暗闇の中に浮かび上がる荒木さんの笑顔は、妖艶だ。
 あの、荒木さん、色気、ダダ漏れです。ちょっと抑えてください……!

「そ、んな、こと言われましても」
「怯えている子は、もっといじめたくなるんだけど、俺」
「……あの、つかぬことをお伺いしますが、それはソフトなほうですか? それとも、ハードな?」

 荒木さんの目が細くなる。
 あ、それ、地雷でした? 何かのスイッチでした? 私、余計なこと言いました?

「察しが早くて嬉しいな。俺はどちらも好きだけど、月野さんはどっちが好き?」
「いや、あの、私、別にそういうプレイが好きというわけでは」
「へぇ。3Pはできるのに?」
「さんっ……!?」

 ……いや、ほんと、怖いです、荒木さん!
 見透かされるのが怖すぎて、荒木さんの顔を見ることができない。でも、何を言っても何をしても、きっと匂いでバレてしまうのだろう。
 困った。金曜日は、翔吾くんから奪った香水をつけなくちゃいけない。多少は誤魔化せるだろうか。
 アパートまであと少し。私の精神力がもつかどうかの瀬戸際だ。

「俺は、縛るのが一番好きかな」
「……」
「ギリギリまで追い詰めるのも、かなり好き。たいていやりすぎて気絶させちゃって、『もう付き合えない』と言われてフラれるんだけど」

 聞いてません! 荒木さんの好きなプレイとか!
 あ、ソフトかハードか聞いたのは私か!? しまった! 聞かなければ良かった!!
 そんな話をされて、平静でいられるわけがない。

「月野さんは、そういうの、受け入れてくれるでしょ?」
「いや、それは、どうでしょう……自信ないです」

 手錠も縛られるのも目隠しも、ソフトなものは経験済みですけどね? 相馬さんだけじゃなくて、いろんな人と経験していますけどね?
 荒木さんとはそういうことは想像したことなかったから、本当に、困惑してしまっている。
 しかも、その口ぶりだと……なんていうか、「翔吾くんと別れて荒木さんと付き合う」ことが前提のような。私が翔吾くんと別れることを疑っていないような。
 それは、本っっ当に、困るんだけど。

 アパートの前、立ち止まる。この話は、もうここで終わりにしたい。終わりにして欲しいです。切実です。
 アパートを見上げ、荒木さんが大きく溜め息を吐き出す。そして。

「月野あかりさん」
「は、はいっ」
「翔吾と別れて」
「無理ですっ」

 我ながら、清々しいほどの拒絶の言葉だった。にも関わらず、荒木さんは苦笑するだけだ。絶対、本気だと思われていない。
 好きな人がセックス嫌いではなかったと聞いて、確かに嬉しくは思ったけれど、毎回SMプレイがメインになるセックスは、ちょっと勘弁してほしいです! 月イチくらいなら何とかなるかもしれませんが、毎週はちょっとつらいです! 相馬さんと同じかそれ以上のプレイを要求されたら、本当にしんどいです!

「どうしても?」
「どうしても、です」
「俺のこと嫌い?」
「嫌い、では、ない、です、けど」

 ジリジリと距離が近くなる。私は後ずさるしかない。とは言っても、駐車場のないアパートだ。すぐ近くに壁が迫っている。

「こうやって迫られるのも、本当は嫌いじゃないでしょ?」
「……あ、あの」
「ほんと、煽るの得意だよね、月野さん。怯えたら俺が喜ぶだけだって言ってるのに」

 背中に冷たい感触。背後の壁が、逃げることを許さない。
 荒木さんでなければ、殴って、蹴って、逃げ出してしまっているところなのに。
 荒木さんだから、それができない。たかが派遣社員が正社員に暴力を振るったりしたら、それこそ終わり。アウト。佐々木先輩より先に退職する羽目になる。

 それに、やっぱり、好きな人に性的に求められると――サキュバスとしての本能が、囁くのだ。
 受け入れろ、流されてしまえ、と。
 それが、妹尾さんとの決定的な違いだ。

「あかりさん」

 耳元で聞こえた艶のある声に、体が強張る。緊張が走る。
 顔を上げることができない。絶対真っ赤だ。なのに、体は「顔を上げろ」と命令する。頭ではダメだとわかっているのに、体は本能に忠実すぎる。
 ……キス、したい。
 それだけは、それ以上は、絶対、ダメなのに。

「ねぇ、あかりさん。翔吾と別れて」
「ダ、ダメです」
「強情だね。妬けるなぁ。んー、じゃあ、俺とも付き合う?」

 驚きすぎて、思わず顔を上げてしまった。
 ……今、なんて?
 俺とも、付き合う? 付き合う?
 それは、セフレになりたいって、こと?

「あ、いいね、その顔」

 荒木さんが笑っている。私の目の前で、笑っている。少し背伸びすればキスできてしまう距離で。

「今、俺のこと、求めたでしょ? ねぇ、あかりさん」

 求めていない、なんて言えない。嘘をつけばつくほど、彼から逃れられない気がする。
 体が求めるのだ。
 お腹が空いた、キスをしろ、精液が欲しい、セフレを増やせ――荒木さんを手に入れろ。

「荒木、さん」

 私の唇にそっと触れる荒木さんの指先は熱い。あの日、繋いだ手よりも熱い。

「もっとその顔を見せてよ、俺に――」

 ぐらり、心が揺れる。

「――俺だけに」

 近づいてくる唇に、私は思わずぎゅっと目を閉じた。


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