【R18】サキュバスちゃんの純情

千咲

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53.黒白の告白(二)

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 魚介類がたくさん入ったクリームスパゲティも、ベーコンやサラミがたくさん乗っかったピザも、野菜たっぷりのミネストローネも、きっと美味しいのだろうけれど、味がしない。
 告白する前にフラれてしまった。
 これは、フラれたと考えるべきだろう。
 考えるべきだ。
 消沈した気持ちが浮上することはない。

「月野さんて、不思議だよね」
「……?」
「あ、いや、不思議って言うか、隙がありすぎるって言うか」

 荒木さんはピザを食べた指をおしぼりで拭きながら、笑顔で私を見つめる。
 その笑顔。叡心先生に似ているんだと思ってドキドキして好きになってしまったけど、旭さんもそうだったんだ、と思い出す。困ったような笑顔は、旭さんも同じだった。だから、私は旭さんの世話をするのが苦ではなかったのだ。
 そりゃ、曾孫だもん、旭さんと荒木さんが多少似ていたって不思議ではない。翔吾くんや健吾くんは似なかっただけなのだ。

「……隙がありすぎ、ますか?」
「うん。誤解を与えやすい、とでも言うのかな。飲み会で酔い潰れちゃうし、花火大会のときにしても、彼氏がいるのに言い寄られていたし、俺も昨日まで月野さんに彼氏がいないと勘違いしていたし」

 一昨日まで、彼氏はいなかったんです。あと、妹尾さんは彼氏がいようがいまいが関係なく、不倫を迫ってきた最低野郎なんです。
 誤解を与えやすいように隙を作っているのは、精液確保のためなのか、私の本来の性格なのか、もはやわからなくなってきた。
 意図的に隙を作るのは簡単で、それをずっと今まで活用してきた。隙があったほうが、男の人は食いつきやすい。つまりは、セックスに持ち込みやすい。私にとっては必要な戦術だ。
 けれど、それが身に沁みているからこそ、故意なのか過失なのか、人工なのか天然なのか、私にもわからなくなってきている。
 荒木さんにそう見られていたということは、きっと意図せずに隙を作り出していたということだ。気をつけなければ、今後もそういう女だと思われてしまいそうだ。荒木さん以外の人からも、危なっかしい女だなぁ、と呆れられるに違いない。

「俺も誤解していたんだよね、きっと」
「……え?」
「月野さんは俺に気があるのかな、なんて」

 世界が止まった。と思った。
 クラシックBGMも聞こえない。周りの人の声も聞こえない。ただ、困ったような笑みを浮かべる荒木さんだけが、私の目の中に、いる。
 あの、荒木さん、あの、今、なんて?

「手を、取ってくれたでしょ? 花火大会のとき」
「あ、はい、はぐれないように、と」
「あれは、賭けだったんだよね。月野さんが、俺にどんな気持ちを抱いているか、知りたかった」

 手を繋ぐという行為がどういう意味か、私は十分知っている。
 翔吾くんと手を繋げなくて心細かったのは、私が彼に好意を抱いていたからに他ならないわけで。
 荒木さんと手を繋ぐという意味を、私は「それだけは絶対にない」と思い込もうとしていた。荒木さんが、私に好意を抱いているかも、だなんて、絶対にありえないと。

「あぁ、嫌われてはいないんだなと思って、安心したんだ。あのとき」

 荒木さんは自分の左手を見て、笑う。私と繋いだ手は、彼の左手だった。

「でも、実際は月野さんは翔吾の彼女だもんね。俺、月野さんに好かれているかもと思い込んでいたから、違って、本当に恥ずかしい」
「……」
「それから、すごくショックだった」

 その言葉の意味に気づかないほど、荒木さんの表情の理由に気づかないほど、私は鈍感じゃない。
 荒木さんは、私のこと……。
 私がフラれたんじゃなくて、私が彼を――。

「……荒木さんは、私の初恋の人に似ているんです」
「うん、そうだよね。それだけ、だよね」
「……はい」

 だから、荒木さんを好きになりました。
 でも、ずっとわかっていました。この恋が報われることはないと。絶対に、ないと。
 それで、いいんだと。
 それで、いいんです。

 荒木さんはデザートを頼んでいる。メニューの中から二つ選べるらしい。私はイチゴのタルトとアップルパイを選び、メニューを閉じる。

「私、荒木さんのことは尊敬しています。私が手がけた資料だと必ず契約取ってきてくれるので、本当に嬉しいです」
「好きな人には格好いいところ見せたくてね」
「甘いものの情報教えてくれるのも嬉しくて」
「うん、好きな人と好きなものが同じだと嬉しいよね」

 荒木さんは私を見つめている。じぃっと、私だけを見つめている。微笑みながら、動揺している私の様子を観察している。
 彼が「好きな人」を連呼する意味はわかっている。「引くつもりはない」という意思表示だ。
 このときをどれほど待ち焦がれたことか。どれほど望んだことか。
 なのに。
 嬉しいはずなのに、ちっとも嬉しくない。ドキドキはしているけど、冷や汗のほうがずっと多い。

 荒木さん、これ以上は、お願いだから、やめてください。
 あなたは、サキュバスの甘い匂いに騙されているだけなんです。私の体が美味しそうだと勘違いをしているだけなんです。
 だって、あなたは、本当に甘いものが好きだから。だから、勘違いを。

「翔吾より先に出会えていたら良かったのに」

 ……爆弾を、落とさないでください。
 私は、荒木さんの好意を受け入れちゃダメなんです。
 本当は受け入れたいけど。ベッドの上で押し倒されたいけど。精液を搾り取りたいけど。貪って欲しいけど。抱き合いながら、「ミチ」と呼んで欲しいけど。
 それだけは、それだけは、ダメなんです。

「月野あかりさん」

 置かれたプレートの上の、かわいらしいデザートの、味さえきっとわからないに違いない。甘いのか、苦いのか、酸っぱいのか、美味しいのか、不味いのか。

「翔吾と別れて俺と付き合ってくれる?」

 誰が、淡白荒木、なんてあだ名をつけたの? 彼は立派な肉食獣だ。淡白どころか、自分のはとこの恋人を奪おうとするような、積極的な人だ。
 草食獣の毛皮をかぶった肉食獣のこと、なんて言うんだったっけ? アレだ、アレ。

「返事はいつでもいいよ。待ってるから」
「あ、あの、でも、わた」
「待ってるから」

 言葉を遮られて、にっこり微笑まれると、どうしようもない。どうしようもなくて、困ってしまう。
 仕方がないので、砂利を食べているかのような心境で、タルトを口に運ぶ。あぁ、やっぱり、イチゴの味がしない。口の中がザラザラしている。

「翔吾と健吾に感謝しなきゃ。月野さんが翔吾の彼女だと知って、本当にショックで……俺、月野さんのことが好きなんだなって、自分の気持ちがようやくわかったんだ」

 シフォンケーキにたっぷりホイップクリームを乗せて、荒木さんは笑う。

「月野あかりさんのことが好きだよ」

 叡心先生に似た顔で、それは反則です。荒木さん、それは反則です。
 気持ちが、グラグラします。ダメです。
 ちょっとくらいならつまみ食いしても良いかな、なんて思ってしまうから、ダメです。

「返事は明日以降で待ってる」

 さっきは「いつでも」と言ったのに、いつの間にか「明日以降で」に変わっている。口が上手な営業マンめ!
 今すぐ断ろうと思ったのに、できなくなってしまった。これは、先延ばしにしていい問題じゃないのに。絶対に早く断らなきゃいけないのに。

「……考えさせてください」

 ようやく絞り出せた答えに、荒木さんは満足そうに笑って。

「良い返事を期待しているね」

 シフォンケーキの最後の一口を頬張った。


◆◇◆◇◆


 翌日、ドキドキしながら出社したら、何もかもが普通だった。
 佐々木先輩はいつも通り仕事には厳しく、テキパキ資料に目を通していたし、荒木さんは朝の会議のあとにすぐアポを取ってあった営業先へと出かけていった。拍子抜けするくらい、いつも通りだった。
 違うのは、佐々木先輩のネックレストップにシンプルな指輪が増えていたことと、出先から荒木さんのメッセージが届いたくらい、だ。

『おはよう。今朝渡した資料は明後日までにお願い』

 そんなの、出かける前に一言言ってくれたらいいのに。「伝えるのを忘れていた」と装って送られてきたメッセージに、返事を催促されているようでドキドキしてしまう。
 こんなのが毎日続いたら、心臓が保たない。早く決着をつけなければ!

 ……と、思ったのに、こういう日に限って、荒木さんは定時まで帰ってこないし、佐々木先輩も昼休みはどこかへ行ってしまうし、定時になったらすぐ帰ってしまう。
 唯一の救いは、今日待ち合わせをしている相馬さんからのメッセージだ。

『おつかれー! 居酒屋予約したから、行こう!』

 この気楽さ、である。
 こういうときに、気取らずに接することができる人は貴重だ。大変ありがたい。

 指定された駅に着くと、大きな紙袋を持った相馬さんがスーツ姿で立っていた。彼は私を見つけると、二ヘラと笑う。その屈託のない笑顔が好きだ。

「ごめんねー、平日なのに呼び出しちゃって」
「大丈夫だよ。お土産、日持ちしないんでしょ?」
「あ、そうじゃないんだけどさー」

 駅の近くのチェーン店の居酒屋は、平日の比較的早い時間ということもあってか、そこまで混んでいない。個室に座り、ビールとツマミを注文する。だし巻きはどうやら店で作っているのではなさそうだから、注文するのはやめておく。たぶん、美味しくないやつだ。

「あ、そうだ、あかり。俺、引っ越すんだ」
「へぇ。どこに?」
「静岡」

 口に含んだビールを吹き出しそうになった。
 静岡!?

「ようやくリョーコちゃんと結婚できそうなんだよね。で、せっかくだからリョーコちゃんちの実家で働かせてもらおうと思って」
「わ、おめでとう!」
「ん、ありがとー! だから、来月には静岡に引っ越すよ。今日、会社にも話をつけてきた。あ、これ、静岡のお土産ね」

 かわいらしいパッケージのお土産がテーブルの上に置かれる。なるほど、日持ちはしそうだけど、来月に静岡に引っ越すなら、確かに挨拶する時間はない。
 それにしても、相変わらず、スゴい行動力。
 あれ、でも、結婚で引っ越すということは、セフレ解消、ってこと?

「相馬さん、それって」
「そ。セフレ、続けられなくなってごめんね」

 宮野さんみたいにしんみりとした別れではない。あっけらかんと相馬さんは笑う。そうだ、相馬さんはそうでなくちゃ。
 私も、結婚なら仕方ないかぁと笑うだけだ。

「だから、あかりにコレあげようと思って」

 紙袋の中身をバーンと出されて、私は「ひあぁ」と変な声を出してしまう。
 透明な箱に入れられた、黒光りする極太くん。相馬さんのよりは小さいけど、十分太い憎いやつ。
 パステルブルーのかわいらしいブルブルちゃん。いや、名前はかわいいけど、凶悪なモーター回転数なんだよね、これ。
 匂い付きのローションに、手錠に。あの、男性向けのやつまでありますけど。

「あ、これは俺が開発途中のやつで」
「相馬さん、しまって! しまって!」

 いくら未使用のものでも、居酒屋のテーブルの上に広げていいものじゃないから!
 店員さんが食べ物を運んでくる前に紙袋の中に放り込む。

「あのね、相馬さん。それ、いらない」
「ええー! せっかくあかりのために見繕ってきたのに! 職質されたらヤバイからスーツのまま持ってきたのに!」
「……気持ちだけもらっておきます」

 それにしても、相馬さんが結婚かぁ。何だか、一番現実味がないと言うか、何と言うか。

「良かったね、結婚できて」
「んー、リョーコちゃんの元旦那に感謝かな」
「仲を取り持ってくれたの?」
「あ、殴られて怪我したの、俺。だから、会えなかったんだよね。ごめんね。リョーコちゃんも殴られちゃったんだけど、被害届も出せたし、結果的にリョーコちゃんと仲良くなれたから、元旦那のおかげかなって」

 ……なんか、どこかで聞いたような話だなぁ。うん、似たような話をどこかで聞いた。

「相馬さん、リョーコさんは息子さんがいるんだよね?」
「そう、二歳の。ちょーかわいいよ。俺のことリョーちゃんって呼ぶんだよ。早く父ちゃんって呼んでもらいたいよね」
「リョーコさんの実家は製造業?」
「うん。静岡の企業の孫請け会社だよ」
「リョーコさんは、風俗嬢、なんだよね?」
「そそ。デリヘル嬢。でも、昼は普通に仕事してるよ。週末に時間があるときだけ、嬢をしているんじゃないかな」
「リョーコ、って、源氏名だよね?」
「うん、本名は違うよ」

 いや、もう、よほどのことでは驚かない私だけど、こればかりは言わせて欲しい。

 嘘でしょ?
 先輩、お金が必要だからって、夜の仕事もしていたんですか? いや、お金が必要だっていう気持ちはよくわかりますよ? 私も最初はそうでしたから。
 でも、やっぱり、信じられない。
 嘘、ですよね?

「……佐々木良子さん?」
「あれ、あかり、リョーコちゃんの知り合い? 良い子、と書いてヨシコちゃん。源氏名はリョーコちゃん」

 知り合いも何も、職場の先輩です。
 佐々木先輩……結婚相手って、相馬さんなんですね。確かに彼はちょっと変わっていますけど、コミュニケーション能力は高いし、行動力も洞察力もあるし、悪い人ではないですよ。信頼はできる人です。……だいぶ巨根ですが。
 これは、もう、例の「抗いようのない運命」だということですよね?

「全力で応援するから、佐々木先輩を幸せにしてあげて、相馬さん!」
「え、よくわかんないけど、わかった、任せておいて!」

 笑顔で言い切る相馬さんになら、佐々木先輩は任せられる気がする。任せていい、気がする。

「いやぁ、リョーコちゃんちの実家なら、いろいろイイ感じのパーツを作れそうで、今の会社の部品も作れるかなーとか、夢が広がっちゃってさぁ。社長と話して円満退社だよ」

 ……任せていいんだよね?

「事業拡大はできそうだから、俺頑張ってみるよ。新しい玩具に期待してて!」

 えーと、佐々木先輩、いろいろと、その、頑張ってください。
 私は、応援していますので!

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