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52.黒白の告白(一)
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基本的に、私はどこかへ出かけても職場にお土産は買わない。「誰と行ったの?」と聞かれて答えるのが面倒だからだ。その相手はたいていセフレの誰かなので、「友達と」と嘘をつくのが心苦しいからだ。
だから、「夏休みは家でゴロゴロしていました」が私の夏休みの過ごし方ゆえに、手ぶらで営業部へと向かう。
「あ、おはよう、月野さん」
途中、紙袋を持った荒木さんに出会う。朝から彼に会えるなんてついてる。
「おはようございます、荒木さん。お土産ですか?」
「うん。ちょっと父方の実家まで墓参りにね」
夏休みとは言っても、お盆だ。墓参りをして先祖を供養するのは、日本人として普通のことだ。驚きはしない。
一緒に並んで営業部へと向かう。
「そうだ、月野さん。今晩、仕事終わりに時間ある?」
「ありますけど、残業ですか?」
「いや、ちょっと話がしたくて。ご飯食べに行かない?」
これは、驚いた。めちゃくちゃ驚いた。
荒木さんから夕飯に誘われるなんて、初めてだ。驚きすぎて、思わず立ち止まってしまう。
「月野さん?」
「あ、いえ、大丈夫です、暇です!」
「なら、良かった。仕事の進み具合にもよるけど、今日は残業はしたくないから、なるべく早めに上がるようにするよ」
「わかりました。遅くなるようなら終わるまでスターカフェで待っています」
会社の目の前のカフェを指定すると、荒木さんは微笑んで「ありがとう」と礼を言ってくれる。ありがたいのは私のほうなので、と喉元まで出かかった言葉は飲み込んで、笑う。
これはもしや、チャンス到来!?
……なんて思ったけれど、現実はきっとそう甘くはないだろう。ただ、飲みに誘われただけだ。期待はしないでおこう。
だって、相手は淡白荒木さんだもの。何かあるかも、なんて期待するだけ無駄なのだ。
◆◇◆◇◆
荒木さんのお土産は甘納豆。甘いもの好きな荒木さんらしいチョイスで、律儀にも全員分買ってきてくれていた。
他にも社員さんや派遣さんからたくさんお土産をもらってしまい、デスクの上や引き出しの中はお菓子だらけだ。長期休みのあとの風物詩だ。
佐々木先輩は「話はお昼にね」と言ったきり、黙々と社内通達に目を通し始めた。
私も何も言うことなく、与えられた仕事をこなし始める。夏休みボケで、少し回転数の鈍い頭を駆使しながら。
「夏休みに旅行に行こうって連れて行かれたのが、私の実家だったのよ」
お弁当を作る元気がなかった私は、コンビニで買ったパン。佐々木先輩はきっちりお弁当。
佐々木先輩は、サラリと大変なことを口にした。
「相手の方、佐々木先輩の実家、ご存知だったんですか?」
「連絡先交換したときに、たまたま私の実家の住所が登録されていたみたいで……私が知らない間に、向こうが親と連絡取っていたのよ」
「外堀、埋められましたね?」
「まさに! うちの両親なんか大喜びで……本当にトントン拍子に話が進んじゃって」
こんなはずではなかった、と先輩は肩を落とす。
「先輩は、結婚したくないんですか?」
「どちらでもいいのよ。子どもさえ育てられる環境があれば」
「じゃあ、いいじゃないですか。二馬力になるんですから、経済的には安泰ですよ」
「そうなんだけどね……子どもも懐いてるし、悪くはないと思うんだけどね」
何をそんなに迷っているのだろう?
私たちみたいに、おかしな関係ではないはずだ。佐々木先輩が少し歳上で、バツイチで、子どもがいる、それくらいしか問題になるような点はないと思う。
「そのあと、彼のご実家にも挨拶に行ったんだけど……彼、その場で私の実家の養子になるって宣言しちゃったのよ」
「え?」
「しかも、彼のご両親からは賛成されたのよ」
「……ダメなんですか?」
「バツイチ子持ちの歳上女なのに、養子になりたいだなんておかしくない?」
どこがおかしいのか、よくわからない。財産目当てを気にしているのだろうか? 佐々木先輩の実家って、何をしているんだろう? 自営業? 他に兄弟は? 養子になる、だなんて、それなりの状況と覚悟がないと言えないセリフだ。
先輩、情報が少なすぎます!
私のクエスチョンを察して、先輩は苦笑する。
「うちの実家は静岡で大手企業の孫請け会社をしているの。小さい会社で、一人娘の私が継がないなら、会社を畳んで他の会社に従業員を頼むか、誰かに譲るしかないんだけど。彼、自分の会社を辞めて、うちの会社を継ぐ気なのよ」
それは、佐々木先輩と結婚したいのか、それとも会社が欲しいのか、という疑問でしょうか?
それなら、先輩が戸惑うのも理解できる。
先輩は、会社を辞めてまで実家を継いでほしいなんて思っていないはずだ。元ご主人がそうではなかったように、今の彼氏にもそれは望んでいない。
だから、彼の真意が何なのか、理解できない。
「……それって、かなり、先輩のことを愛している証拠じゃないですか?」
「あっ、い!?」
先輩、お箸からご飯が落ちましたよ。
真っ赤になっている先輩を放っておいて、ティッシュで床に落ちたご飯をつかむ。
「先輩のご両親と連絡を取っていたなら、ご実家の情報は把握しているんじゃないですか? その上で、会社を継ぐにはどうすればいいのか考えたのでは? 先輩を実家にいさせたほうが、暴力男から守ることができるって考えたのかもしれませんよ。目の届く範囲にいて欲しいんじゃないですか?」
外堀から埋めるような人だ。たぶん、きちんと準備はしてあるのだと思う。佐々木先輩を逃さないように。
それは、先輩のことが心配だから。愛しているから。そうだと思う。思いたい。
「……本当に、そう思う?」
「思いたいです」
「孫請けの製造業なんて本当に儲からないのに、何を考えたのかしら」
「先輩とお子様のことじゃないですか? 第一に考えたのは。いいじゃないですか、船に乗っかっちゃえば」
他人事だと思って、と佐々木先輩が睨んでくる。他人事ですから、と私は笑う。
でも、話を聞く限りでは幸せにしてくれそうな人ではある。一人娘が婿を連れて戻ってくればご両親も嬉しいだろうし、佐々木先輩の事務能力があれば即戦力にはなるだろうし。
「でも、彼氏さん、製造業の方なんですか?」
「まさか。営業とか企画とか、そういうのしかやったことがないはずよ。だから、仕事を辞めて、結婚の前にうちに転職して現場に馴染んでおきたいって……ほんと、どうしろと……」
どう、って。
今の気弱な佐々木先輩には、助言というよりは背中を押す言葉が有効な気がする。たぶん、先輩もそれを望んでいる気がする。
答えはすぐ目の前にある。素直にそれにしがみつけばいいだけ。
……水森さんも、そんな気持ちだったのだろうか。ウジウジ悩む私に対して、呆れていただろう、なぁ。
「結婚したらいいんじゃないですか?」
「でもね、月野さん」
「息子さんは懐いている、会社を継ぐ気でいる、向こうの両親も納得してくれている……何の問題もないじゃないですか。あとは、先輩の気持ち一つだと思いますよ?」
「けど」
「強いて問題をあげるなら、先輩の職がなくなることくらいですけど、実家を継ぐなら問題ないですよね。ご両親がそばにいる環境なら息子さんを育てやすいし、先輩も息子さんとの時間も作りやすいんじゃないですか?」
子どもを一人で育てるよりは、ずっと楽ができるはずだ。私は子どもを育てたことはないけれど、見守る人は、一人より二人、二人より四人のほうがずっといい。
「息子さんのためにも、新しいお父さんができるのはいいことだと思いますよ」
秘技「子どものため」は、シングルマザーには効果てきめんだ。佐々木先輩は「うぅん」と唸って、箸を噛んだ。
「先輩が静岡に戻っちゃうのは寂しいですけど、先輩の幸せのためなら我慢します。寂しいですけど」
「……私も寂しいわ。月野さんが淡白荒木さんとどうなるか、知りたかったのに」
「ハハハ。報告しますよ。玉砕だと思いますけど」
乾いた笑いしか出ない。
どこの世界に、「あなたのことが好きだけど、他にも恋人とセフレがいます」と告白してくる女を受け入れてくれる人がいるだろうか。普通はアウトだ。もちろん、翔吾くんは特殊な例なのだけど。
「陽子ちゃんの相手に比べると脈がありそうだと思っているんだけどね、私は」
「……日向さん、ですか?」
「あの子、仕事はできるのに、男の趣味は本当に悪いのよねぇ……あ、淡白荒木さんに惚れてる月野さんも同じか」
佐々木先輩のしたり顔。くそー、私への報復だな、絶対。
これはもう、是が非でも結婚してもらわねば! どこの誰だかわからないけど、私は彼氏さんの味方です!
「荒木さん、金沢に行ってたんだねぇ」
お弁当を食べ終えた佐々木先輩が、甘納豆の製造元を見て呟いた。
今年の夏休みは金沢にちょっと縁があるみたいだと思いながら、甘い豆を口に放り込んだ。荒木さんらしい、甘い甘いお土産だった。
◆◇◆◇◆
派遣社員は基本的には定時で仕事が終わる。佐々木先輩が息子さんを保育園に迎えに行くために、脱兎のごとく駆け出すのはいつものこと。
『あと一時間くらいで終わらせるから、悪いんだけどスターカフェで待ってて』と、荒木さんからメッセージを受け取り、帰り支度をして「お疲れ様でした」と営業部を出る。
横断歩道を渡り、星のマークが特長のカフェに入り、アイスカフェオレを頼む。苦い思い出ばかりのカウンターではなく、通りから見えない二人がけの席に座る。
ヴヴとスマートフォンが鳴り、メッセージの受信を知らせてくれる。荒木さんかな、と思って見てみると、意外な人からだった。
『久しぶり。今週か来週会える? 平日の夜でもいいよ』
……相馬さんと平日の夜にセックスするのは結構疲れるからなぁ。できれば、金曜か土曜かなぁ。
そう思いながら、スケジュールを確認する。今朝『今週か来週お暇ですか?』と湯川先生に送ったメッセージに返信はない。今週末は翔吾くんは合宿で会えない。
さて、どうしようかなぁと悩んでいると、さらにメッセージが増える。
『あ、お土産渡したいだけなんだ。一緒にご飯食べよう』
相馬さんからそう誘われるのは珍しい。今日は荒木さんと言い、珍しいことばかり起きている。
でも、セックスなしで会うにしても、今週末の精液確保も考えなければならないし……そうすると、都合がいいのは相馬さんとセックスすることなんだけどなぁ。
ここは、相馬さんに判断を委ねよう。
『明日から日曜まで暇ですよ』
『じゃあ、明日。場所はあとで連絡するね』
返信早いなぁ、よほど日持ちしないお土産なんだなぁ、なんて思いながら、今週末の精液確保に思いを馳せる。
できれば湯川先生に会いたいけど、先生が無理なら、健吾くんかケントくん? ケントくんよりは健吾くんのほうが誘いやすい、かなぁ。でも、翔吾くんとのこともあるし、ちょっとだけ気後れしてしまう。ケントくんも、結構がっついてくるからハードだし。
やっぱり、湯川先生に会いたいなぁ。
そう思いながら、湯川先生とのメッセージ画面を見る。朝送ったメッセージが既読にすらならないから、きっと忙しいのだろう。ちょっと寂しい。
私、案外寂しがり屋なんだなぁ。
湯川先生になんて言おう?
好きです? 愛しています? 付き合ってください? 結婚してください?
でも、あなた以外の人ともセックスさせてください?
「それは無理だ」と言われたら、どうしよう。いや、その可能性のほうが大きい。無理なら……無理なら、セフレのままでいてください、は私に都合が良すぎる話。
たぶん、「付き合いきれない」とフラれてしまうだろう。その可能性が高い。
……湯川先生を失うのかぁ……好きなんだけどなぁ。
私がセフレさんたちに強いてきた感情が、私に跳ね返ってきている。
失うのが怖いから、本音を言わないような関係にしてしまったのは、私。宮野さんは、その最たる例だった。彼は別れる直前まで、本音を隠してきた。「好きだからこそ失いたくない」という気持ちが、今ならよくわかる。
だから、セフレさんたちの本音を引き出すためにも、私が本音でぶつからなきゃ。逃げるのも隠れるのもやめにしないと、私はこれから先、後悔ばかりするようになってしまう。
「お待たせ。遅くなってごめん」
顔を上げると、荒木さんが笑っている。仕事が終わったようだ。
「ごめんね、飲んでいたのに。場所、移そうか」
「はい」
少し残っていたアイスカフェオレを飲み干して、片付ける。店の前で待ってくれていた荒木さんに合流して、ついていく。
「デザートが美味しいイタリアンがあるんだ。そこでいい?」
「はい、楽しみです」
職場の最寄り駅から三駅離れた駅の近くに、緑白赤の旗が掲げられた店があった。トラットリア、と書いてあったからそのまま店に入る。荒木さんが予約をしてあったのか、すんなりと席に通される。
オレンジ色の照明の、カジュアルな感じの店。スーツを着た男女だけでなく、家族連れもいる。メニューも、目玉が飛び出るほど高いわけじゃない。これでデザートが美味しいのなら、いいかもしれない。
二人でお腹の空き具合と相談をして、コース料理を頼む。とは言っても、本格的なものではない。二人でシェアしてね、という感じのコースだ。ワインは二人して苦手なようなので、それぞれソフトドリンクを頼む。
「あの、お話って?」
電車内や移動中は無難に仕事の話しかしなかった。店に着いてから話すのかなと思って、乾杯をしたあとに切り出す。そうしないと、舞い上がって話を聞くどころではなくなってしまいそうだったから。
荒木さんは少し思案したあと、話し始める。
「父方の実家が、金沢にあるんだ。そこで、面白いものを見つけて、ね」
「面白いもの、ですか?」
「そう。これなんだけどね」
スマートフォンを操作して、荒木さんが私に一枚の古い写真を見せてくれる。青い花柄のワンピースを着た、顔の見えない女性が、何かの写真をこちらに向けている。
その写真の中の人物に、見覚えがある。
花壇のそばにしゃがんで、仲睦まじそうに話をしているかのような男女。男性の名前は、沖野旭。女性は、私、だ。
「俺、前に『月野さんにどこかで会ったことがある気がする』って言ったでしょ? 昔、この写真を見たことがあったんだなぁって、思い出したんだ」
「……なるほど。よく似ていますね、私に」
精一杯、笑顔を作る。まぁ、さすがに「同一人物だよね?」とは聞かれないだろう。
「写真の男性は若いときの俺の曽祖父で、女の人は使用人だったらしいんだけど、月野さんに本当によく似ているよね」
……旭さんが、曽祖父?
あれ? 翔吾くんのお母様が孫で、翔吾くんが曾孫、だったよね?
写真に写る青い花柄のワンピースに見覚えがある。これは、初めて会ったとき、お母様が着ていたもの、では?
『あ、でも、ユウちゃんも似ている人が会社にいるって言っていたから、失礼だけど、よくある顔なのかもしれないわね』
『問い詰めたら、翔吾の彼女だって白状したのよ』
お母様の言葉が思い出される。
荒木さんの下の名前は、雄一。ユウ、ちゃん?
そして、その場で「月野あかりが翔吾の彼女である」と、健吾くんがお母に白状したんだよね?
……え?
ちょっと、待って。
まさか。まさかとは、思うけど。
「桜井翔吾と健吾は俺のはとこ、だよ」
荒木さんの笑顔。
あの、ちょっと、理解が追いつかないのですが。
「軽井沢で、新幹線に乗ってきたよね、翔吾と」
サァ、と血の気が引く。
見られて、いた? 手を繋いでホームで待っていたあの姿を、見られていた?
「月野さんが翔吾と付き合っていたなんて、知らなかったよ。世間は本当に狭いね」
佐々木先輩、ごめんなさい。
私、告白できなくなってしまいました。日向さんと同じ土俵にすら立てませんでした。
明日にでも、結果をお伝えすることができそうです。
見事に玉砕です、と。
「翔吾とは結婚するの? 良いやつだよね、あいつ」
笑顔で聞いてくる荒木さんに、私は曖昧な笑みを浮かべるしかできない。既に荒木さんのスマートフォンの画面は真っ暗。私の気持ちも真っ暗だ。
誤解です、とも言えない関係になってしまったのだ。翔吾くんとは。
どうしようもない。こんな状況で「あなたのことも好きです」なんて言えない。
本当に……どうしようもないよ……。
だから、「夏休みは家でゴロゴロしていました」が私の夏休みの過ごし方ゆえに、手ぶらで営業部へと向かう。
「あ、おはよう、月野さん」
途中、紙袋を持った荒木さんに出会う。朝から彼に会えるなんてついてる。
「おはようございます、荒木さん。お土産ですか?」
「うん。ちょっと父方の実家まで墓参りにね」
夏休みとは言っても、お盆だ。墓参りをして先祖を供養するのは、日本人として普通のことだ。驚きはしない。
一緒に並んで営業部へと向かう。
「そうだ、月野さん。今晩、仕事終わりに時間ある?」
「ありますけど、残業ですか?」
「いや、ちょっと話がしたくて。ご飯食べに行かない?」
これは、驚いた。めちゃくちゃ驚いた。
荒木さんから夕飯に誘われるなんて、初めてだ。驚きすぎて、思わず立ち止まってしまう。
「月野さん?」
「あ、いえ、大丈夫です、暇です!」
「なら、良かった。仕事の進み具合にもよるけど、今日は残業はしたくないから、なるべく早めに上がるようにするよ」
「わかりました。遅くなるようなら終わるまでスターカフェで待っています」
会社の目の前のカフェを指定すると、荒木さんは微笑んで「ありがとう」と礼を言ってくれる。ありがたいのは私のほうなので、と喉元まで出かかった言葉は飲み込んで、笑う。
これはもしや、チャンス到来!?
……なんて思ったけれど、現実はきっとそう甘くはないだろう。ただ、飲みに誘われただけだ。期待はしないでおこう。
だって、相手は淡白荒木さんだもの。何かあるかも、なんて期待するだけ無駄なのだ。
◆◇◆◇◆
荒木さんのお土産は甘納豆。甘いもの好きな荒木さんらしいチョイスで、律儀にも全員分買ってきてくれていた。
他にも社員さんや派遣さんからたくさんお土産をもらってしまい、デスクの上や引き出しの中はお菓子だらけだ。長期休みのあとの風物詩だ。
佐々木先輩は「話はお昼にね」と言ったきり、黙々と社内通達に目を通し始めた。
私も何も言うことなく、与えられた仕事をこなし始める。夏休みボケで、少し回転数の鈍い頭を駆使しながら。
「夏休みに旅行に行こうって連れて行かれたのが、私の実家だったのよ」
お弁当を作る元気がなかった私は、コンビニで買ったパン。佐々木先輩はきっちりお弁当。
佐々木先輩は、サラリと大変なことを口にした。
「相手の方、佐々木先輩の実家、ご存知だったんですか?」
「連絡先交換したときに、たまたま私の実家の住所が登録されていたみたいで……私が知らない間に、向こうが親と連絡取っていたのよ」
「外堀、埋められましたね?」
「まさに! うちの両親なんか大喜びで……本当にトントン拍子に話が進んじゃって」
こんなはずではなかった、と先輩は肩を落とす。
「先輩は、結婚したくないんですか?」
「どちらでもいいのよ。子どもさえ育てられる環境があれば」
「じゃあ、いいじゃないですか。二馬力になるんですから、経済的には安泰ですよ」
「そうなんだけどね……子どもも懐いてるし、悪くはないと思うんだけどね」
何をそんなに迷っているのだろう?
私たちみたいに、おかしな関係ではないはずだ。佐々木先輩が少し歳上で、バツイチで、子どもがいる、それくらいしか問題になるような点はないと思う。
「そのあと、彼のご実家にも挨拶に行ったんだけど……彼、その場で私の実家の養子になるって宣言しちゃったのよ」
「え?」
「しかも、彼のご両親からは賛成されたのよ」
「……ダメなんですか?」
「バツイチ子持ちの歳上女なのに、養子になりたいだなんておかしくない?」
どこがおかしいのか、よくわからない。財産目当てを気にしているのだろうか? 佐々木先輩の実家って、何をしているんだろう? 自営業? 他に兄弟は? 養子になる、だなんて、それなりの状況と覚悟がないと言えないセリフだ。
先輩、情報が少なすぎます!
私のクエスチョンを察して、先輩は苦笑する。
「うちの実家は静岡で大手企業の孫請け会社をしているの。小さい会社で、一人娘の私が継がないなら、会社を畳んで他の会社に従業員を頼むか、誰かに譲るしかないんだけど。彼、自分の会社を辞めて、うちの会社を継ぐ気なのよ」
それは、佐々木先輩と結婚したいのか、それとも会社が欲しいのか、という疑問でしょうか?
それなら、先輩が戸惑うのも理解できる。
先輩は、会社を辞めてまで実家を継いでほしいなんて思っていないはずだ。元ご主人がそうではなかったように、今の彼氏にもそれは望んでいない。
だから、彼の真意が何なのか、理解できない。
「……それって、かなり、先輩のことを愛している証拠じゃないですか?」
「あっ、い!?」
先輩、お箸からご飯が落ちましたよ。
真っ赤になっている先輩を放っておいて、ティッシュで床に落ちたご飯をつかむ。
「先輩のご両親と連絡を取っていたなら、ご実家の情報は把握しているんじゃないですか? その上で、会社を継ぐにはどうすればいいのか考えたのでは? 先輩を実家にいさせたほうが、暴力男から守ることができるって考えたのかもしれませんよ。目の届く範囲にいて欲しいんじゃないですか?」
外堀から埋めるような人だ。たぶん、きちんと準備はしてあるのだと思う。佐々木先輩を逃さないように。
それは、先輩のことが心配だから。愛しているから。そうだと思う。思いたい。
「……本当に、そう思う?」
「思いたいです」
「孫請けの製造業なんて本当に儲からないのに、何を考えたのかしら」
「先輩とお子様のことじゃないですか? 第一に考えたのは。いいじゃないですか、船に乗っかっちゃえば」
他人事だと思って、と佐々木先輩が睨んでくる。他人事ですから、と私は笑う。
でも、話を聞く限りでは幸せにしてくれそうな人ではある。一人娘が婿を連れて戻ってくればご両親も嬉しいだろうし、佐々木先輩の事務能力があれば即戦力にはなるだろうし。
「でも、彼氏さん、製造業の方なんですか?」
「まさか。営業とか企画とか、そういうのしかやったことがないはずよ。だから、仕事を辞めて、結婚の前にうちに転職して現場に馴染んでおきたいって……ほんと、どうしろと……」
どう、って。
今の気弱な佐々木先輩には、助言というよりは背中を押す言葉が有効な気がする。たぶん、先輩もそれを望んでいる気がする。
答えはすぐ目の前にある。素直にそれにしがみつけばいいだけ。
……水森さんも、そんな気持ちだったのだろうか。ウジウジ悩む私に対して、呆れていただろう、なぁ。
「結婚したらいいんじゃないですか?」
「でもね、月野さん」
「息子さんは懐いている、会社を継ぐ気でいる、向こうの両親も納得してくれている……何の問題もないじゃないですか。あとは、先輩の気持ち一つだと思いますよ?」
「けど」
「強いて問題をあげるなら、先輩の職がなくなることくらいですけど、実家を継ぐなら問題ないですよね。ご両親がそばにいる環境なら息子さんを育てやすいし、先輩も息子さんとの時間も作りやすいんじゃないですか?」
子どもを一人で育てるよりは、ずっと楽ができるはずだ。私は子どもを育てたことはないけれど、見守る人は、一人より二人、二人より四人のほうがずっといい。
「息子さんのためにも、新しいお父さんができるのはいいことだと思いますよ」
秘技「子どものため」は、シングルマザーには効果てきめんだ。佐々木先輩は「うぅん」と唸って、箸を噛んだ。
「先輩が静岡に戻っちゃうのは寂しいですけど、先輩の幸せのためなら我慢します。寂しいですけど」
「……私も寂しいわ。月野さんが淡白荒木さんとどうなるか、知りたかったのに」
「ハハハ。報告しますよ。玉砕だと思いますけど」
乾いた笑いしか出ない。
どこの世界に、「あなたのことが好きだけど、他にも恋人とセフレがいます」と告白してくる女を受け入れてくれる人がいるだろうか。普通はアウトだ。もちろん、翔吾くんは特殊な例なのだけど。
「陽子ちゃんの相手に比べると脈がありそうだと思っているんだけどね、私は」
「……日向さん、ですか?」
「あの子、仕事はできるのに、男の趣味は本当に悪いのよねぇ……あ、淡白荒木さんに惚れてる月野さんも同じか」
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これはもう、是が非でも結婚してもらわねば! どこの誰だかわからないけど、私は彼氏さんの味方です!
「荒木さん、金沢に行ってたんだねぇ」
お弁当を食べ終えた佐々木先輩が、甘納豆の製造元を見て呟いた。
今年の夏休みは金沢にちょっと縁があるみたいだと思いながら、甘い豆を口に放り込んだ。荒木さんらしい、甘い甘いお土産だった。
◆◇◆◇◆
派遣社員は基本的には定時で仕事が終わる。佐々木先輩が息子さんを保育園に迎えに行くために、脱兎のごとく駆け出すのはいつものこと。
『あと一時間くらいで終わらせるから、悪いんだけどスターカフェで待ってて』と、荒木さんからメッセージを受け取り、帰り支度をして「お疲れ様でした」と営業部を出る。
横断歩道を渡り、星のマークが特長のカフェに入り、アイスカフェオレを頼む。苦い思い出ばかりのカウンターではなく、通りから見えない二人がけの席に座る。
ヴヴとスマートフォンが鳴り、メッセージの受信を知らせてくれる。荒木さんかな、と思って見てみると、意外な人からだった。
『久しぶり。今週か来週会える? 平日の夜でもいいよ』
……相馬さんと平日の夜にセックスするのは結構疲れるからなぁ。できれば、金曜か土曜かなぁ。
そう思いながら、スケジュールを確認する。今朝『今週か来週お暇ですか?』と湯川先生に送ったメッセージに返信はない。今週末は翔吾くんは合宿で会えない。
さて、どうしようかなぁと悩んでいると、さらにメッセージが増える。
『あ、お土産渡したいだけなんだ。一緒にご飯食べよう』
相馬さんからそう誘われるのは珍しい。今日は荒木さんと言い、珍しいことばかり起きている。
でも、セックスなしで会うにしても、今週末の精液確保も考えなければならないし……そうすると、都合がいいのは相馬さんとセックスすることなんだけどなぁ。
ここは、相馬さんに判断を委ねよう。
『明日から日曜まで暇ですよ』
『じゃあ、明日。場所はあとで連絡するね』
返信早いなぁ、よほど日持ちしないお土産なんだなぁ、なんて思いながら、今週末の精液確保に思いを馳せる。
できれば湯川先生に会いたいけど、先生が無理なら、健吾くんかケントくん? ケントくんよりは健吾くんのほうが誘いやすい、かなぁ。でも、翔吾くんとのこともあるし、ちょっとだけ気後れしてしまう。ケントくんも、結構がっついてくるからハードだし。
やっぱり、湯川先生に会いたいなぁ。
そう思いながら、湯川先生とのメッセージ画面を見る。朝送ったメッセージが既読にすらならないから、きっと忙しいのだろう。ちょっと寂しい。
私、案外寂しがり屋なんだなぁ。
湯川先生になんて言おう?
好きです? 愛しています? 付き合ってください? 結婚してください?
でも、あなた以外の人ともセックスさせてください?
「それは無理だ」と言われたら、どうしよう。いや、その可能性のほうが大きい。無理なら……無理なら、セフレのままでいてください、は私に都合が良すぎる話。
たぶん、「付き合いきれない」とフラれてしまうだろう。その可能性が高い。
……湯川先生を失うのかぁ……好きなんだけどなぁ。
私がセフレさんたちに強いてきた感情が、私に跳ね返ってきている。
失うのが怖いから、本音を言わないような関係にしてしまったのは、私。宮野さんは、その最たる例だった。彼は別れる直前まで、本音を隠してきた。「好きだからこそ失いたくない」という気持ちが、今ならよくわかる。
だから、セフレさんたちの本音を引き出すためにも、私が本音でぶつからなきゃ。逃げるのも隠れるのもやめにしないと、私はこれから先、後悔ばかりするようになってしまう。
「お待たせ。遅くなってごめん」
顔を上げると、荒木さんが笑っている。仕事が終わったようだ。
「ごめんね、飲んでいたのに。場所、移そうか」
「はい」
少し残っていたアイスカフェオレを飲み干して、片付ける。店の前で待ってくれていた荒木さんに合流して、ついていく。
「デザートが美味しいイタリアンがあるんだ。そこでいい?」
「はい、楽しみです」
職場の最寄り駅から三駅離れた駅の近くに、緑白赤の旗が掲げられた店があった。トラットリア、と書いてあったからそのまま店に入る。荒木さんが予約をしてあったのか、すんなりと席に通される。
オレンジ色の照明の、カジュアルな感じの店。スーツを着た男女だけでなく、家族連れもいる。メニューも、目玉が飛び出るほど高いわけじゃない。これでデザートが美味しいのなら、いいかもしれない。
二人でお腹の空き具合と相談をして、コース料理を頼む。とは言っても、本格的なものではない。二人でシェアしてね、という感じのコースだ。ワインは二人して苦手なようなので、それぞれソフトドリンクを頼む。
「あの、お話って?」
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荒木さんは少し思案したあと、話し始める。
「父方の実家が、金沢にあるんだ。そこで、面白いものを見つけて、ね」
「面白いもの、ですか?」
「そう。これなんだけどね」
スマートフォンを操作して、荒木さんが私に一枚の古い写真を見せてくれる。青い花柄のワンピースを着た、顔の見えない女性が、何かの写真をこちらに向けている。
その写真の中の人物に、見覚えがある。
花壇のそばにしゃがんで、仲睦まじそうに話をしているかのような男女。男性の名前は、沖野旭。女性は、私、だ。
「俺、前に『月野さんにどこかで会ったことがある気がする』って言ったでしょ? 昔、この写真を見たことがあったんだなぁって、思い出したんだ」
「……なるほど。よく似ていますね、私に」
精一杯、笑顔を作る。まぁ、さすがに「同一人物だよね?」とは聞かれないだろう。
「写真の男性は若いときの俺の曽祖父で、女の人は使用人だったらしいんだけど、月野さんに本当によく似ているよね」
……旭さんが、曽祖父?
あれ? 翔吾くんのお母様が孫で、翔吾くんが曾孫、だったよね?
写真に写る青い花柄のワンピースに見覚えがある。これは、初めて会ったとき、お母様が着ていたもの、では?
『あ、でも、ユウちゃんも似ている人が会社にいるって言っていたから、失礼だけど、よくある顔なのかもしれないわね』
『問い詰めたら、翔吾の彼女だって白状したのよ』
お母様の言葉が思い出される。
荒木さんの下の名前は、雄一。ユウ、ちゃん?
そして、その場で「月野あかりが翔吾の彼女である」と、健吾くんがお母に白状したんだよね?
……え?
ちょっと、待って。
まさか。まさかとは、思うけど。
「桜井翔吾と健吾は俺のはとこ、だよ」
荒木さんの笑顔。
あの、ちょっと、理解が追いつかないのですが。
「軽井沢で、新幹線に乗ってきたよね、翔吾と」
サァ、と血の気が引く。
見られて、いた? 手を繋いでホームで待っていたあの姿を、見られていた?
「月野さんが翔吾と付き合っていたなんて、知らなかったよ。世間は本当に狭いね」
佐々木先輩、ごめんなさい。
私、告白できなくなってしまいました。日向さんと同じ土俵にすら立てませんでした。
明日にでも、結果をお伝えすることができそうです。
見事に玉砕です、と。
「翔吾とは結婚するの? 良いやつだよね、あいつ」
笑顔で聞いてくる荒木さんに、私は曖昧な笑みを浮かべるしかできない。既に荒木さんのスマートフォンの画面は真っ暗。私の気持ちも真っ暗だ。
誤解です、とも言えない関係になってしまったのだ。翔吾くんとは。
どうしようもない。こんな状況で「あなたのことも好きです」なんて言えない。
本当に……どうしようもないよ……。
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感想募集中。更新中は励みになりますし、完結後は次回作への糧になります。
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末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

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