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47.兄弟の提携(十一)
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「すみません、お邪魔しております!」
リビングの木製のベンチに座っている男性と、台所で何かをしている女性が、同時にこちらを向いた。双子のご両親、だ。
青い花柄のワンピースを着た女性と、白のポロシャツにベージュのパンツの男性。二人とも派手ではないものの、アクセサリーや時計はキラキラしている。お金持ち、だ。
双子は、どちらかと言えば、お母様似なんだなとすぐわかった。目元がそっくり。鼻はお父様に似ているのかも。
「あら、あなたが月野さん?」
「はい、月野あかりです。でも、どうして私の名前」
「健吾から聞いたよ。翔吾の彼女だと」
なるほど、健吾くんはそう二人に伝えたわけか。翔吾が軽井沢の別荘に女を連れ込んでいるぞと口を滑らせて、二人をこちらに向かわせたんだな。
翔吾くんがいないのにここで「彼女です」と宣言するのも憚られて言い淀んでいると、思わぬところから助け舟がやってきた。
「あ、ねぇ、あかりちゃん」
「はい」
「これ、めちゃくちゃ美味しそうなんだけど、食べてもいいかしら?」
台所でどうやら昨日のご飯の残りを見つけたらしいお母様が、目をキラキラさせて私を見つめてくる。
「豚汁ですね、いいですよ。温めます。あ、でも、コーヒーをお出ししようと思っていたのですが」
「コーヒーよりこっちを食べたいわ、私。ご飯もあるかしら? 私たち、お昼食べていないのよ」
「あ、じゃあ、昼食の準備をしますね。少し待っていただければ」
「作ってくれるの? わぁ、嬉しい!」
お母様は嬉しそうにお父様のベンチへ駆け寄り、何か報告している。
翔吾くんと二人だと思ってそんなに多く作らなかったから、今あるものをお出しするとして。ご飯も四人分くらいはある。昨日準備してあった鮭とキノコのホイル焼きと鯛の昆布締めを四人で分けよう。それだけだと少ないから、サラダに、だし巻き玉子に、小松菜とベーコンとコーンのバター醤油炒めに……まぁ、何とかなるでしょ。
「……なんで、来たの」
Tシャツにハーフパンツというラフな出で立ちの翔吾くんが、ベンチに座る両親の前に仁王立ちしている。二人は顔を見合わせて、「健吾に聞いたから」と笑う。
「だって、翔吾ったら一度も彼女を紹介してくれないじゃない?」
「そしたら、軽井沢にいるって健吾が言うからさ」
「久しぶりに息子に会いに来たんだけど、お邪魔だったかしら?」
「すっげー、邪魔」
リビングのテーブルに三人分のジュースを置いて、私は台所に引っ込む。桜井家の家族会議の中に割って入る勇気はない。それより、ご飯だ、ご飯。
「両親に酷いこと言うのね、邪魔だなんて」
「実際、邪魔なんだから仕方ないだろ」
健吾くんと話すときもそうだけど、翔吾くんは家族と話すときは案外口が悪い。いや、遠慮がないのかな。私にはすごく優しいのに、そのギャップが面白い。
「あかりちゃんとは結構長いでしょ? そろそろ紹介してくれたっていいじゃない」
「は? それも健吾から?」
「カードの明細見ればわかるわよ。去年の年末からでしょ? お金の使い方、変わったもの」
お母様がカードの明細をチェックしていたとは驚きだ。お金持ちはそういうのを気にしないと思っていた。あ、でも、お母様が経理や経営に携わっているなら、ありえるのかもしれない。内情は知らないけれど。
翔吾くんは硬直している。図星だからだ。プレゼントも外食もほとんどカード支払いだったから、すべて筒抜けだったというわけだ。
詰めが甘いのは、翔吾くんがまだ若いからだろう。お母様のほうが一枚上手だ。
「あちらは月野あかりさん。去年の十二月から付き合って……います」
お母様の追求に観念したのか、翔吾くんは渋々私を両親に紹介し始める。彼にとっては、計算外のことだっただろうに、冷静さを装って。
まぁ、付き合っている期間を捏造するくらいは、仕方ない。ついさっきまでセフレでした、なんて口が避けても言えない。
「先程もご挨拶いたしましたが、月野あかりです。二十五歳で、派遣社員をしています」
「あら、歳上なのね。あかりちゃんは翔吾のどこが気に入ったの?」
「どっ」
「優しいところ、ですね」
「なんっ」
「この子、誰に似たのか口も態度も悪いでしょ?」
「はっ?」
「いえ、そんなことないですよ。すごく優しくしてくれます」
翔吾くんは真っ赤になり挙動不審になっている。お父様から「少しは落ち着け」と言われて、ようやく椅子に座るくらい動揺している。
「あかりちゃんは東京生まれ?」
「はい。生まれも育ちも東京です」
「ご両親は?」
「残念ながら、両親も親戚も亡くなっておりまして」
「え、そうなの?」
翔吾くんは驚いてこちらを見る。彼には話していなかっただろうか。まぁ、部屋に仏壇も位牌もないから、知らなくても当然か。両親のことを話すような間柄でもなかったし、そもそも両親のことなんて覚えていないのだから話す話題もなかった。
「あら。じゃあ、親戚の方が石川にいたかどうか、わからないわねぇ」
「石川県、ですか?」
「そう。金沢なんだけどね、私の故郷。親戚みんなで昔の写真を見ていたら、健吾が『知り合いに似てる』って言うじゃない。問い詰めたら、翔吾の彼女だって白状したのよ」
なるほど、そういう経緯で私の存在が確定されたわけか。きっと、健吾くんは「白状させられた」のだろう、と簡単に想像できる。このお母様には逆らえないだろう。
「金沢に親戚がいたかどうかはわかりません、ねぇ」
「あら、残念。すごくそっくりなのよ。あ、でも、ユウちゃんも似ている人が会社にいるって言っていたから、失礼だけど、よくある顔なのかもしれないわね。世の中には似た人が三人いるって言うし。ねえ、お父さん」
「僕は写真より実物のあかりさんのほうがかわいいと思うけど」
「親父、鼻の下伸びすぎ」
翔吾くんの空気が少し丸くなった気がしてホッとする。両親と健吾くんに対する怒りが収まったのだろう。いいことだ。
「あかり、手伝うことある?」
「食器出してくれると助かるかな」
「翔吾ったら、私が台所に立っていても手伝うことなんてなかったのに、優しいのねぇ」
「……母さんはあんまりご飯作ってなかっただろ」
「まぁ、ねー」
お母様の悪びれることのない笑顔に、翔吾くんが苦笑する。
あぁ、だから、和食なのか。だから、和食が好きなのか。翔吾くんは、母親の味に飢えているのかもしれない。
「あ、だし巻き。俺、多めにもらっていい?」
「いいよ。私のお皿から持っていって」
「やったー」
翔吾くんは嬉しそうに盛り付けている。ウキウキしている彼を見るのは、好きだ。
翔吾くんにテーブルに配膳してもらっている間、両親は今後の予定を確認している。二人の仲は良さそうだ。
「はい、できたよ」
翔吾くんの号令に素早く従ったのは、お母様だ。椅子に座って、早くも手を合わせている。
目、めちゃくちゃキラキラしているんだけど。同じような目を、さっき見た。親子なんだなぁと笑みが零れる。
「わぁ、美味しそう! あんな短時間でこれだけできちゃうの? すごいわねぇ、あかりちゃん!」
「昨日から準備してあったものもあるので」
「ほんとだ、美味しそう」
「美味しいよ。すぐわかるよ」
翔吾くん、あまりハードル上げないでくれるとありがたいなぁ。
私が着席してから、桜井家の人々とのお昼ご飯が始まったのだけれど……お母様が翔吾くん以上に絶賛してくれるので、私はとても恥ずかしい。ありがたいんだけど、恥ずかしい。
「豚汁美味しい! だし巻き美味しい! 鯛も美味しい! だし巻きなんて、料亭の味みたい!」
料亭仕込みの味、ではありますね。と言うのも恥ずかしいので、私は照れながら箸を進めるだけだ。
「あかりちゃん、いい奥さんになれるわよー!」
「あ、うん、そのつもり」
「んぐ」
翔吾くんがサラリと肯定するので、私はサラダを吹き出してしまいそうになった。お母様にコーンが命中するところだった。危ない、危ない。
「しょ、翔吾く」
「ま、遅かれ早かれ言うつもりだったし。さっきそういう話、してたでしょ。何、驚いてんの」
勝ち誇ったような横顔に腹が立つ。
息子の言葉に、俄然身を乗り出してきたのは、お父様のほうだ。
「あ、結婚するの? そういう予定?」
「そういう予定」
「いつにする? 学生結婚か?」
「いや、ちゃんと就職してから」
「何年もお待たせするのは失礼だから、期限は決めておけよ」
……あれ、反対、していない?
翔吾くんは「会社の利益になるような女性との結婚しか許されていない」ので、私とセフレ関係を続けていたのではなかったか? 都合がいいから、と。
やっぱり、健吾くんが言っていたことが正しいのかな? 「親の会社を継がなければならない、親の決めた人と結婚しなければならない、自分の人生には……自由がない」と考えているのは、すべては翔吾くんの思い込みだと。
「……反対しないの?」
翔吾くんも驚いたようだ。目を丸くしている。ご両親は顔を見合わせたあとで、「しないわよ」「するわけがない」と二人して頷く。
「だって、昔から『有益な女性と結婚しろ』って、言っていたじゃないか。会社を大きくするために、俺、どっかの令嬢とやらと結婚しないといけないんじゃなかった?」
「翔吾、お前、『有益』が会社の利益だと思っていたのか?」
「え、違うの?」
「違うわよ。会社のことなんてどうでもいいわよ。翔吾が幸せになるのが私たちの『有益』なことだもの」
……なるほど、そういう誤解だったわけか。
翔吾くんが誤解するのも頷けるような言葉ではある。会社経営者から「有益な」という言葉が出たら、真っ先に利益のことだと思うだろう。経営者の息子なのだから、それが普通の反応のように思える。
ご両親とも、説明を省きすぎです。
翔吾くんは「嘘だろ」「マジか」「俺の青春が」とぶつぶつ呟いていたけれど、何とか自分で落としどころを見つけたみたいだ。満面の笑みを浮かべている。
君はもう少し人の話を聞いたほうがいいと思うよ。
「私、あかりちゃんが翔吾のお嫁さんになってくれるなら嬉しいわ。毎日ご飯食べに行ってもいいかしら?」
「ダメ。あかりは家政婦じゃないから」
「え、私は構わないけど」
「ダメ。絶対にイヤ。親が入り浸る家には帰りたくない」
翔吾くんにとっては、そういうもの、なんだろう。邪魔されたくないんだなぁ。私は別に気にしないのに。
「とにかく、私たちは結婚には反対しないわよ。いつでも、好きなように、好きな相手としてちょうだい」
「あ……あの、私、子どもが」
「え、もうデキちゃったの?」
「いえ、逆です。子どもができないんです」
子どもができないどころか、そもそも入籍はしないし、歳も取らないし、他にも夫やセフレを作るかもしれないし、もしかしたらいきなり失踪するかもしれないのですが……なんてカミングアウトはできない。どう考えても、私は結婚には向かない女だし、反対されるに決まっている。
「子どもがいない夫婦なんていくらでもいるじゃない。別に構わないんじゃない?」
あっけらかんとしているのはお母様。お父様は「そうか……」と呟き少し寂しそうな顔をする。す、すみません。お父様はお孫さん欲しかったようですね。
「まぁ、どういう事情があろうと、結局は息子を幸せにさえしてくれたら、それでいいの。ね、あなた?」
「……そうだな。翔吾さえ良ければ」
「何年先かわからないけど、あなたが私の娘になってくれるなら、私も幸せよ」
「胃袋がね……いたたたた」
お母様は無言でお父様の頬をつねり上げる。なるほど、私はお母様の胃袋を掴むことができたようだ。あれだけ喜んで、きれいに食べてくれるなら、たまにはお母様に作ってあげるのもいいかもしれない。
……なんて、トントン拍子に話が進むのが、何となく恐ろしい。これで本当にいいのか、悪いのか、私にはわからない。さっぱりわからない。
「まぁ、色々決まったら、また報告するよ」
「ええ、そうしてちょうだい。桜井にも沖野にも話をしておかなくちゃいけないからね」
……沖野?
石川県金沢市の、沖野?
「あの、沖野というのは、お母様の旧姓ですか?」
「ええ、そうよ。元は地主だったのだけど、祖父がやたら商売が上手で、戦後起ち上げた会社を大きくしてねぇ」
沖野……まさか?
「目が見えなくて戦争に行かなくて済んだ分、地域と国に貢献するんだと言っていたそうよ」
……あぁ、やっぱり。
『目が見えなくてもわかる。情勢は悪化している。戦争には、負けてしまうだろう』
『そのとき、蔵にある米でどれだけの民を救うことができるだろうか』
何の因果か……本当に、不思議な縁だ。
私、どうやら、あなたの曾孫たちにも抱かれたみたいですよ、坊っちゃん……いえ、旭さん。
翔吾くんはお茶を飲みながら、「その昔話は何度も聞いたよ」と苦笑している。旭さんの面影は、お母様にも翔吾くんにも見ることはできない、けれど。
そっか……旭さん、生きて、血を繋ぐことができたんだ……良かった。
良かったなぁ。
戦時中にお世話になった人を想いつつ、その人の曾孫にも出会って同じように精液を提供してもらっているという世間の狭さに、驚愕するしかない私だった。
リビングの木製のベンチに座っている男性と、台所で何かをしている女性が、同時にこちらを向いた。双子のご両親、だ。
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双子は、どちらかと言えば、お母様似なんだなとすぐわかった。目元がそっくり。鼻はお父様に似ているのかも。
「あら、あなたが月野さん?」
「はい、月野あかりです。でも、どうして私の名前」
「健吾から聞いたよ。翔吾の彼女だと」
なるほど、健吾くんはそう二人に伝えたわけか。翔吾が軽井沢の別荘に女を連れ込んでいるぞと口を滑らせて、二人をこちらに向かわせたんだな。
翔吾くんがいないのにここで「彼女です」と宣言するのも憚られて言い淀んでいると、思わぬところから助け舟がやってきた。
「あ、ねぇ、あかりちゃん」
「はい」
「これ、めちゃくちゃ美味しそうなんだけど、食べてもいいかしら?」
台所でどうやら昨日のご飯の残りを見つけたらしいお母様が、目をキラキラさせて私を見つめてくる。
「豚汁ですね、いいですよ。温めます。あ、でも、コーヒーをお出ししようと思っていたのですが」
「コーヒーよりこっちを食べたいわ、私。ご飯もあるかしら? 私たち、お昼食べていないのよ」
「あ、じゃあ、昼食の準備をしますね。少し待っていただければ」
「作ってくれるの? わぁ、嬉しい!」
お母様は嬉しそうにお父様のベンチへ駆け寄り、何か報告している。
翔吾くんと二人だと思ってそんなに多く作らなかったから、今あるものをお出しするとして。ご飯も四人分くらいはある。昨日準備してあった鮭とキノコのホイル焼きと鯛の昆布締めを四人で分けよう。それだけだと少ないから、サラダに、だし巻き玉子に、小松菜とベーコンとコーンのバター醤油炒めに……まぁ、何とかなるでしょ。
「……なんで、来たの」
Tシャツにハーフパンツというラフな出で立ちの翔吾くんが、ベンチに座る両親の前に仁王立ちしている。二人は顔を見合わせて、「健吾に聞いたから」と笑う。
「だって、翔吾ったら一度も彼女を紹介してくれないじゃない?」
「そしたら、軽井沢にいるって健吾が言うからさ」
「久しぶりに息子に会いに来たんだけど、お邪魔だったかしら?」
「すっげー、邪魔」
リビングのテーブルに三人分のジュースを置いて、私は台所に引っ込む。桜井家の家族会議の中に割って入る勇気はない。それより、ご飯だ、ご飯。
「両親に酷いこと言うのね、邪魔だなんて」
「実際、邪魔なんだから仕方ないだろ」
健吾くんと話すときもそうだけど、翔吾くんは家族と話すときは案外口が悪い。いや、遠慮がないのかな。私にはすごく優しいのに、そのギャップが面白い。
「あかりちゃんとは結構長いでしょ? そろそろ紹介してくれたっていいじゃない」
「は? それも健吾から?」
「カードの明細見ればわかるわよ。去年の年末からでしょ? お金の使い方、変わったもの」
お母様がカードの明細をチェックしていたとは驚きだ。お金持ちはそういうのを気にしないと思っていた。あ、でも、お母様が経理や経営に携わっているなら、ありえるのかもしれない。内情は知らないけれど。
翔吾くんは硬直している。図星だからだ。プレゼントも外食もほとんどカード支払いだったから、すべて筒抜けだったというわけだ。
詰めが甘いのは、翔吾くんがまだ若いからだろう。お母様のほうが一枚上手だ。
「あちらは月野あかりさん。去年の十二月から付き合って……います」
お母様の追求に観念したのか、翔吾くんは渋々私を両親に紹介し始める。彼にとっては、計算外のことだっただろうに、冷静さを装って。
まぁ、付き合っている期間を捏造するくらいは、仕方ない。ついさっきまでセフレでした、なんて口が避けても言えない。
「先程もご挨拶いたしましたが、月野あかりです。二十五歳で、派遣社員をしています」
「あら、歳上なのね。あかりちゃんは翔吾のどこが気に入ったの?」
「どっ」
「優しいところ、ですね」
「なんっ」
「この子、誰に似たのか口も態度も悪いでしょ?」
「はっ?」
「いえ、そんなことないですよ。すごく優しくしてくれます」
翔吾くんは真っ赤になり挙動不審になっている。お父様から「少しは落ち着け」と言われて、ようやく椅子に座るくらい動揺している。
「あかりちゃんは東京生まれ?」
「はい。生まれも育ちも東京です」
「ご両親は?」
「残念ながら、両親も親戚も亡くなっておりまして」
「え、そうなの?」
翔吾くんは驚いてこちらを見る。彼には話していなかっただろうか。まぁ、部屋に仏壇も位牌もないから、知らなくても当然か。両親のことを話すような間柄でもなかったし、そもそも両親のことなんて覚えていないのだから話す話題もなかった。
「あら。じゃあ、親戚の方が石川にいたかどうか、わからないわねぇ」
「石川県、ですか?」
「そう。金沢なんだけどね、私の故郷。親戚みんなで昔の写真を見ていたら、健吾が『知り合いに似てる』って言うじゃない。問い詰めたら、翔吾の彼女だって白状したのよ」
なるほど、そういう経緯で私の存在が確定されたわけか。きっと、健吾くんは「白状させられた」のだろう、と簡単に想像できる。このお母様には逆らえないだろう。
「金沢に親戚がいたかどうかはわかりません、ねぇ」
「あら、残念。すごくそっくりなのよ。あ、でも、ユウちゃんも似ている人が会社にいるって言っていたから、失礼だけど、よくある顔なのかもしれないわね。世の中には似た人が三人いるって言うし。ねえ、お父さん」
「僕は写真より実物のあかりさんのほうがかわいいと思うけど」
「親父、鼻の下伸びすぎ」
翔吾くんの空気が少し丸くなった気がしてホッとする。両親と健吾くんに対する怒りが収まったのだろう。いいことだ。
「あかり、手伝うことある?」
「食器出してくれると助かるかな」
「翔吾ったら、私が台所に立っていても手伝うことなんてなかったのに、優しいのねぇ」
「……母さんはあんまりご飯作ってなかっただろ」
「まぁ、ねー」
お母様の悪びれることのない笑顔に、翔吾くんが苦笑する。
あぁ、だから、和食なのか。だから、和食が好きなのか。翔吾くんは、母親の味に飢えているのかもしれない。
「あ、だし巻き。俺、多めにもらっていい?」
「いいよ。私のお皿から持っていって」
「やったー」
翔吾くんは嬉しそうに盛り付けている。ウキウキしている彼を見るのは、好きだ。
翔吾くんにテーブルに配膳してもらっている間、両親は今後の予定を確認している。二人の仲は良さそうだ。
「はい、できたよ」
翔吾くんの号令に素早く従ったのは、お母様だ。椅子に座って、早くも手を合わせている。
目、めちゃくちゃキラキラしているんだけど。同じような目を、さっき見た。親子なんだなぁと笑みが零れる。
「わぁ、美味しそう! あんな短時間でこれだけできちゃうの? すごいわねぇ、あかりちゃん!」
「昨日から準備してあったものもあるので」
「ほんとだ、美味しそう」
「美味しいよ。すぐわかるよ」
翔吾くん、あまりハードル上げないでくれるとありがたいなぁ。
私が着席してから、桜井家の人々とのお昼ご飯が始まったのだけれど……お母様が翔吾くん以上に絶賛してくれるので、私はとても恥ずかしい。ありがたいんだけど、恥ずかしい。
「豚汁美味しい! だし巻き美味しい! 鯛も美味しい! だし巻きなんて、料亭の味みたい!」
料亭仕込みの味、ではありますね。と言うのも恥ずかしいので、私は照れながら箸を進めるだけだ。
「あかりちゃん、いい奥さんになれるわよー!」
「あ、うん、そのつもり」
「んぐ」
翔吾くんがサラリと肯定するので、私はサラダを吹き出してしまいそうになった。お母様にコーンが命中するところだった。危ない、危ない。
「しょ、翔吾く」
「ま、遅かれ早かれ言うつもりだったし。さっきそういう話、してたでしょ。何、驚いてんの」
勝ち誇ったような横顔に腹が立つ。
息子の言葉に、俄然身を乗り出してきたのは、お父様のほうだ。
「あ、結婚するの? そういう予定?」
「そういう予定」
「いつにする? 学生結婚か?」
「いや、ちゃんと就職してから」
「何年もお待たせするのは失礼だから、期限は決めておけよ」
……あれ、反対、していない?
翔吾くんは「会社の利益になるような女性との結婚しか許されていない」ので、私とセフレ関係を続けていたのではなかったか? 都合がいいから、と。
やっぱり、健吾くんが言っていたことが正しいのかな? 「親の会社を継がなければならない、親の決めた人と結婚しなければならない、自分の人生には……自由がない」と考えているのは、すべては翔吾くんの思い込みだと。
「……反対しないの?」
翔吾くんも驚いたようだ。目を丸くしている。ご両親は顔を見合わせたあとで、「しないわよ」「するわけがない」と二人して頷く。
「だって、昔から『有益な女性と結婚しろ』って、言っていたじゃないか。会社を大きくするために、俺、どっかの令嬢とやらと結婚しないといけないんじゃなかった?」
「翔吾、お前、『有益』が会社の利益だと思っていたのか?」
「え、違うの?」
「違うわよ。会社のことなんてどうでもいいわよ。翔吾が幸せになるのが私たちの『有益』なことだもの」
……なるほど、そういう誤解だったわけか。
翔吾くんが誤解するのも頷けるような言葉ではある。会社経営者から「有益な」という言葉が出たら、真っ先に利益のことだと思うだろう。経営者の息子なのだから、それが普通の反応のように思える。
ご両親とも、説明を省きすぎです。
翔吾くんは「嘘だろ」「マジか」「俺の青春が」とぶつぶつ呟いていたけれど、何とか自分で落としどころを見つけたみたいだ。満面の笑みを浮かべている。
君はもう少し人の話を聞いたほうがいいと思うよ。
「私、あかりちゃんが翔吾のお嫁さんになってくれるなら嬉しいわ。毎日ご飯食べに行ってもいいかしら?」
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「え、私は構わないけど」
「ダメ。絶対にイヤ。親が入り浸る家には帰りたくない」
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「とにかく、私たちは結婚には反対しないわよ。いつでも、好きなように、好きな相手としてちょうだい」
「あ……あの、私、子どもが」
「え、もうデキちゃったの?」
「いえ、逆です。子どもができないんです」
子どもができないどころか、そもそも入籍はしないし、歳も取らないし、他にも夫やセフレを作るかもしれないし、もしかしたらいきなり失踪するかもしれないのですが……なんてカミングアウトはできない。どう考えても、私は結婚には向かない女だし、反対されるに決まっている。
「子どもがいない夫婦なんていくらでもいるじゃない。別に構わないんじゃない?」
あっけらかんとしているのはお母様。お父様は「そうか……」と呟き少し寂しそうな顔をする。す、すみません。お父様はお孫さん欲しかったようですね。
「まぁ、どういう事情があろうと、結局は息子を幸せにさえしてくれたら、それでいいの。ね、あなた?」
「……そうだな。翔吾さえ良ければ」
「何年先かわからないけど、あなたが私の娘になってくれるなら、私も幸せよ」
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「まぁ、色々決まったら、また報告するよ」
「ええ、そうしてちょうだい。桜井にも沖野にも話をしておかなくちゃいけないからね」
……沖野?
石川県金沢市の、沖野?
「あの、沖野というのは、お母様の旧姓ですか?」
「ええ、そうよ。元は地主だったのだけど、祖父がやたら商売が上手で、戦後起ち上げた会社を大きくしてねぇ」
沖野……まさか?
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『そのとき、蔵にある米でどれだけの民を救うことができるだろうか』
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私、どうやら、あなたの曾孫たちにも抱かれたみたいですよ、坊っちゃん……いえ、旭さん。
翔吾くんはお茶を飲みながら、「その昔話は何度も聞いたよ」と苦笑している。旭さんの面影は、お母様にも翔吾くんにも見ることはできない、けれど。
そっか……旭さん、生きて、血を繋ぐことができたんだ……良かった。
良かったなぁ。
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