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31.花火と火花(七)
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無遠慮に隘路に侵入した健吾くんは、私が思いきり顔をしかめたのを見て、慌てた。
「あ、ごめん、痛かった?」
「イッ、たばかり、だから……敏感、なの」
「ごめん。我慢できなくて」
謝ってすむ問題ではないけれど、知らないのだから、私が教えるべきだった。それは私の落ち度だ。
イッたばかりの中に挿入るときは、ゆっくりにしてください、と息も絶え絶えに健吾くんに懇願する。
「わかった。でも、中、熱くて、すごい吸いついてくる。これは、イッたから?」
「……うん」
「これは……我慢できないな、あかり。すぐイケそう」
腰をしっかりと押しつけながら、健吾くんは困ったように私を見下ろす。私が「我慢しなくていい」と言えば、きっと彼は喜んで腰を振るだろう。
健吾くんに揺さぶられながら、ソファから足が落ちそうになるのを心配する。けれど、健吾くんのほうが先にそれに気づいて、グッと右足を引き寄せてくれる。
「足、肩に乗せてもいい?」
「ん、大丈夫」
右の足首が持ち上げられて、健吾くんの肩に乗せられる。それだけでも少し角度が変わるのに気づいて、健吾くんは緩く抽挿を開始する。
寄せては返す波のように、ゆっくりじわりとした律動。達したばかりの中が解されて、かき混ぜられて、また脈打ち始める。
左足も肩に乗せられると、奥に当たりすぎて思わず声が漏れ出てしまう。
「っあぁ」
「奥に当たってる……痛い?」
「だいじょぶ、我慢でき――っんん!」
その体勢でキスは難しいっ!
健吾くんが上体を倒そうとしたのを、私が足で押し止める。不満そうな視線を寄越す彼に、「体、そんなに柔らかくないから!」と苦笑する。
「キスしながらイキたい」
「じゃあ、足下ろす?」
「でも、奥にも出したい。これ、奥に当たってるだろ? 気持ちいい」
無理なものは無理です、と伝えると、健吾くんは不服そうに腰を強く押しつけてくる。亀頭が子宮口を抉るような強さに、悲鳴が上がる。
「ストップ! 健吾くん、ダメ! 痛い!」
「痛い?」
「痛い。奥は気持ちいいけど、当たりすぎると痛いから」
「……」
「優しく、ね?」
「……わかった」
わからないことだらけだな、と小さく健吾くんは呟いて、緩やかに腰を動かす。足をそのままにするということは、奥で出すことは諦めなかったみたいだ。
「痛いのは、どれくらいなら我慢できる?」
「十数秒なら、何とか」
「じゃあ、速く出すから、イッてもいい?」
「イキたい?」
「結構、限界、だな」
その割には余裕そうな表情なんだけどなぁ。そう見えないだけなのだろうか。
手を伸ばして、頬に触れる。健吾くんが目を細めて、手のひらにキスをしてくれる。柔らかな唇の感触。じわり、熱が上がる。
「健吾」
「あかり?」
「……奥に、欲しい」
息を呑む音すら聞こえる距離で、一番奥深くで繋がって。もっと満ち足りたいと、願う。
健吾くんが体重をかけながら、私の表情を気にしながら、甘い痛みの伴う抽挿を開始する。ぐちゅぐちゅとはしたない音が聞こえるたび、羞恥心が煽られる。刺激を歓迎している襞が肉棒を締めつけ、健吾くんの射精を促す。
深く繋がっているのだと、その痛みすらも刻み込むように、健吾くんが激しく腰を打ちつけてくる。
「んっ、ん、あっ、っ」
「……あかり、イク」
健吾くんが顔をしかめた瞬間に、甘やかな痛みとともに最奥で熱が弾けた。出された精液を搾り取ると、それを吐き出すたびに健吾くんの体がふるりと震える。何度も、何度も。
ずるりと足を滑らせると、右足だけソファから落ちてしまう。気にせず、健吾くんの名前を呼ぶ。
「健吾」
「ん?」
「キスして」
笑顔の健吾くんが上体を倒し、唇が触れる。健吾くんの体は汗びっしょりで、唇も熱い。涼を求めるように、健吾くんは私の体に密着してくる。
「あかりの体、冷たくて気持ちいい」
「ん、ありがと」
「冬は……一緒に寝たら寒そうだけど」
「そう、だね」
冬は暖を求めて騎乗位が多くなるのだけど、健吾くんには言わない。それはまた冬になってからの話だ。
「ブラウス、汗ついた? 着替えはあるから気にしないで」
「……何着買ったの?」
「三? 四? 少ない?」
「多い! せめて二着までにして! しなさい!」
「えー」
不服を訴えても、無駄。今後は受取拒否だ。ほんと、翔吾くんも健吾くんもプレゼント魔で困る。
中で急速に小さく萎えていく肉棒に苦笑して、シャワーを浴びたらさっさと帰ろうと決意する。脱童貞を達成したセフレは、きっとまたすぐに会いたいと言ってくるに違いない。今週分の精液の確保はできた。今日の食事はこれでおしまいだ。
……なんて決意したのに、シャワーを浴びている最中に健吾くんにまた挿れられてしまうのだけど。
童貞も精液も、ご馳走様でした。
◆◇◆◇◆
月曜日、出社した私を待ち構えていたのは、荒木さんでも、佐々木先輩でもなくて、総務部の日向さんだった。
「月野さん!」
花火大会でのことだろうと予想はついたので、あまり話したくはないけど覚悟を決めて彼女の前に立つ。日向さんは人の少ない非常階段まで私を誘導する。
妹尾さんとはどういう関係なのか、そういうゴシップ的なことを面白おかしく聞かれるのだろうと思っていた。
けれど――。
「月野さん、ごめんなさい!」
緩く巻いた髪の毛が揺れて視界から消えた。見ると、深々と頭を下げる日向さんの姿が目に入る。
「イトイの営業部の人には注意するように、もっとしっかり私が伝えておけばよかったのに、本当にごめんなさい! 荒木くんが伝えたって言葉を鵜呑みにしなければ、月野さんに怖い思いをさせずにすんだのに、本当に申し訳なくて」
「えっ、あの、大丈夫でした、ので……」
思わぬ謝罪に、戸惑ってしまう。妹尾さんのことを根掘り葉掘り聞かれるものだと思い込んでいたから、拍子抜けしてしまう。
「イトイの人事部の人から聞いて、もう、本当にビックリして……最悪の花火大会にしてしまって、ごめんなさい」
「だ、大丈夫、ですよ」
「本当に? しんどかったら、私に教えてね。病院にかかるなら、それも慰謝料に含めましょ。あ、病院には行った? 先方から質問があったときにはまた話を聞くと思うけど、それでもいい? 大丈夫?」
「あ、はい、それは大丈夫です。病院には行っていません」
ホッと胸を撫で下ろすような仕草のあと、日向さんは、ようやく笑顔になった。そう、最初から、彼女は笑ってなどいなかった。心配そうな顔だけだった。
「良かった……じゃあ、何かあったら私に言ってね。荒木くんは頼りになりそうでならないから」
何だろう、この違和感。周りの派遣さんたちは皆「日向陽子は要注意人物」というような口調だったのに、今の彼女からはそんな悪い感じは受けない。これが演技なら、大したものだと思うけど、そうじゃない気がする。
佐々木先輩は、日向さんのことをどう評価していただろうか。先輩なら、日向さんのことを正当に評価してくれるはず。
「あ、あの、日向さん」
「はい」
「ご迷惑をおかけいたしまして、こちらこそ申し訳ありません」
ペコリ頭を下げると、日向さんは「月野さんは悪くないわよ」と朗らかに笑った。
「酔った勢いでセクハラするなんて、最低の男がすることよ! 月野さんには何の落ち度もないんだから、気に病まないで」
「はい、ありがとうございます」
それにしても、日向さんの荒木さんに対する「頼りない」が気にかかる。日向さんは荒木さんのすべてを受け入れているのだと思っていたけど、そうではないのだろうか。
「日向さんは、荒木さんを頼りないって思います?」
「え、むしろ、月野さんは荒木くんが頼りになると思う?」
質問返しされるとは思わなかった。
それは……まだそんなに荒木さんを知らないので……まぁ、でも、頼りになるとは、思わない、かな。
「月野さんの件だって、気づいた瞬間に自分が対処すれば良かったのに、わざわざイトイの人事の子に相談しに行ったのよ? 彼女たちがすぐ対応してくれたから良かったものの、そうじゃなかったら、どうするつもりだったのかしら、荒木くん」
あ、結構辛辣な評価だ。日向さんが荒木さんをそんなふうに思っているなんて、知らなかった。
頼りにならない男を私が支えようというような恋、なのだろうか。それにはとても大きな覚悟と広い心が必要だ。叡心先生と一緒に生きると決めたときに、それは身に沁みてわかっている。
日向さんを見送ったあと、私の職場――営業部へ向かう。ちらほらいる営業部社員と派遣さんの中に、佐々木先輩の姿はない。いつもならとっくに仕事を始めているはずなのに。
荒木さんもまだ来ていないみたいだ。
「佐々木先輩はまだ来ていないんですか?」
他の派遣さんに尋ねてみると、「今日は忙しいのにお休みだって」と冷たい言葉が返ってきた。
「子どもが熱出したから来られないなんて、どういう体調の管理をしているのかしら。いい迷惑よ」
そうブツクサ言っているけど、佐々木先輩がいないと彼女は適当な資料を作ってしまうのだから、仕方ない。佐々木先輩の仕事量は私たちより遥かに多いので、彼女が欠けると大変だ。
……今日は残業かな。心配だから、昼休憩にメッセージを送っておこう。
パソコンを起動して、ログインして。さぁ今日も一日元気に働こう、と伸びをした瞬間に、暖かく柔らかい何かに当たる。
「……月野さん、おはよう」
「あっ、荒木さん……! すみません、殴っちゃいました!?」
「大丈夫だよ。優しいパンチだったから」
「すみませんっ!」
伸びをした拳が荒木さんの頬にヒットしてしまったらしく、頬を押さえながら笑う荒木さんにきゅんとする。
日向さんはああ言ったけど、角が立たないようにすぐにイトイの人事部の人に知らせてくれたのは彼だ。妹尾さんやその先輩に絡まれているところをどれだけ静観していたのかはわからないけれど、助け舟を出してくれたことに変わりはない。
それはとてもありがたいことだ。
「先日はご心配をおかけいたしまして……」
「あ、うん、大丈夫だったなら、いいんだ。俺ももっと早くに気づけたら良かったんだけど」
「いえいえ、十分でした」
そう、十分だ。
荒木さんが私を気にかけてくれていたということがわかっただけでも、十分嬉しい。
「あれ、佐々木さん今日休み? 珍しいね」
「はい、そうなんです。もし佐々木先輩に頼んでいる仕事で今日必要なものがあれば、私に回してください」
「うん、わかった。ちょっと確認してみるね」
それぞれデスクのパソコンに向かう。
先日佐々木先輩が見せてくれた息子さんの写真は、めちゃくちゃかわいらしかった。佐々木先輩はめちゃくちゃデレデレしていた。あれこそ、母の顔。そんな、溺愛している息子さんが熱を出したなら、さぞかし心配だろう。ついていてあげてほしい。
子どもが熱を出したので休みます、なんて今までなかった。それだけ、周囲に気を遣って、二人分の体調管理をしていたのだから、やっぱり先輩を責める気持ちにはならない。
他の派遣さんはそうではないのかもしれないけど、私だけは佐々木先輩の味方でいよう。
子どもが産めない私には、きっと母性なんてないんだろうけど……小さな子どもはかわいいし、頑張って育てている人にはただ敬意を抱くだけ。
ただ、少しだけ、うらやましいと思うだけだ。
「あ、ごめん、痛かった?」
「イッ、たばかり、だから……敏感、なの」
「ごめん。我慢できなくて」
謝ってすむ問題ではないけれど、知らないのだから、私が教えるべきだった。それは私の落ち度だ。
イッたばかりの中に挿入るときは、ゆっくりにしてください、と息も絶え絶えに健吾くんに懇願する。
「わかった。でも、中、熱くて、すごい吸いついてくる。これは、イッたから?」
「……うん」
「これは……我慢できないな、あかり。すぐイケそう」
腰をしっかりと押しつけながら、健吾くんは困ったように私を見下ろす。私が「我慢しなくていい」と言えば、きっと彼は喜んで腰を振るだろう。
健吾くんに揺さぶられながら、ソファから足が落ちそうになるのを心配する。けれど、健吾くんのほうが先にそれに気づいて、グッと右足を引き寄せてくれる。
「足、肩に乗せてもいい?」
「ん、大丈夫」
右の足首が持ち上げられて、健吾くんの肩に乗せられる。それだけでも少し角度が変わるのに気づいて、健吾くんは緩く抽挿を開始する。
寄せては返す波のように、ゆっくりじわりとした律動。達したばかりの中が解されて、かき混ぜられて、また脈打ち始める。
左足も肩に乗せられると、奥に当たりすぎて思わず声が漏れ出てしまう。
「っあぁ」
「奥に当たってる……痛い?」
「だいじょぶ、我慢でき――っんん!」
その体勢でキスは難しいっ!
健吾くんが上体を倒そうとしたのを、私が足で押し止める。不満そうな視線を寄越す彼に、「体、そんなに柔らかくないから!」と苦笑する。
「キスしながらイキたい」
「じゃあ、足下ろす?」
「でも、奥にも出したい。これ、奥に当たってるだろ? 気持ちいい」
無理なものは無理です、と伝えると、健吾くんは不服そうに腰を強く押しつけてくる。亀頭が子宮口を抉るような強さに、悲鳴が上がる。
「ストップ! 健吾くん、ダメ! 痛い!」
「痛い?」
「痛い。奥は気持ちいいけど、当たりすぎると痛いから」
「……」
「優しく、ね?」
「……わかった」
わからないことだらけだな、と小さく健吾くんは呟いて、緩やかに腰を動かす。足をそのままにするということは、奥で出すことは諦めなかったみたいだ。
「痛いのは、どれくらいなら我慢できる?」
「十数秒なら、何とか」
「じゃあ、速く出すから、イッてもいい?」
「イキたい?」
「結構、限界、だな」
その割には余裕そうな表情なんだけどなぁ。そう見えないだけなのだろうか。
手を伸ばして、頬に触れる。健吾くんが目を細めて、手のひらにキスをしてくれる。柔らかな唇の感触。じわり、熱が上がる。
「健吾」
「あかり?」
「……奥に、欲しい」
息を呑む音すら聞こえる距離で、一番奥深くで繋がって。もっと満ち足りたいと、願う。
健吾くんが体重をかけながら、私の表情を気にしながら、甘い痛みの伴う抽挿を開始する。ぐちゅぐちゅとはしたない音が聞こえるたび、羞恥心が煽られる。刺激を歓迎している襞が肉棒を締めつけ、健吾くんの射精を促す。
深く繋がっているのだと、その痛みすらも刻み込むように、健吾くんが激しく腰を打ちつけてくる。
「んっ、ん、あっ、っ」
「……あかり、イク」
健吾くんが顔をしかめた瞬間に、甘やかな痛みとともに最奥で熱が弾けた。出された精液を搾り取ると、それを吐き出すたびに健吾くんの体がふるりと震える。何度も、何度も。
ずるりと足を滑らせると、右足だけソファから落ちてしまう。気にせず、健吾くんの名前を呼ぶ。
「健吾」
「ん?」
「キスして」
笑顔の健吾くんが上体を倒し、唇が触れる。健吾くんの体は汗びっしょりで、唇も熱い。涼を求めるように、健吾くんは私の体に密着してくる。
「あかりの体、冷たくて気持ちいい」
「ん、ありがと」
「冬は……一緒に寝たら寒そうだけど」
「そう、だね」
冬は暖を求めて騎乗位が多くなるのだけど、健吾くんには言わない。それはまた冬になってからの話だ。
「ブラウス、汗ついた? 着替えはあるから気にしないで」
「……何着買ったの?」
「三? 四? 少ない?」
「多い! せめて二着までにして! しなさい!」
「えー」
不服を訴えても、無駄。今後は受取拒否だ。ほんと、翔吾くんも健吾くんもプレゼント魔で困る。
中で急速に小さく萎えていく肉棒に苦笑して、シャワーを浴びたらさっさと帰ろうと決意する。脱童貞を達成したセフレは、きっとまたすぐに会いたいと言ってくるに違いない。今週分の精液の確保はできた。今日の食事はこれでおしまいだ。
……なんて決意したのに、シャワーを浴びている最中に健吾くんにまた挿れられてしまうのだけど。
童貞も精液も、ご馳走様でした。
◆◇◆◇◆
月曜日、出社した私を待ち構えていたのは、荒木さんでも、佐々木先輩でもなくて、総務部の日向さんだった。
「月野さん!」
花火大会でのことだろうと予想はついたので、あまり話したくはないけど覚悟を決めて彼女の前に立つ。日向さんは人の少ない非常階段まで私を誘導する。
妹尾さんとはどういう関係なのか、そういうゴシップ的なことを面白おかしく聞かれるのだろうと思っていた。
けれど――。
「月野さん、ごめんなさい!」
緩く巻いた髪の毛が揺れて視界から消えた。見ると、深々と頭を下げる日向さんの姿が目に入る。
「イトイの営業部の人には注意するように、もっとしっかり私が伝えておけばよかったのに、本当にごめんなさい! 荒木くんが伝えたって言葉を鵜呑みにしなければ、月野さんに怖い思いをさせずにすんだのに、本当に申し訳なくて」
「えっ、あの、大丈夫でした、ので……」
思わぬ謝罪に、戸惑ってしまう。妹尾さんのことを根掘り葉掘り聞かれるものだと思い込んでいたから、拍子抜けしてしまう。
「イトイの人事部の人から聞いて、もう、本当にビックリして……最悪の花火大会にしてしまって、ごめんなさい」
「だ、大丈夫、ですよ」
「本当に? しんどかったら、私に教えてね。病院にかかるなら、それも慰謝料に含めましょ。あ、病院には行った? 先方から質問があったときにはまた話を聞くと思うけど、それでもいい? 大丈夫?」
「あ、はい、それは大丈夫です。病院には行っていません」
ホッと胸を撫で下ろすような仕草のあと、日向さんは、ようやく笑顔になった。そう、最初から、彼女は笑ってなどいなかった。心配そうな顔だけだった。
「良かった……じゃあ、何かあったら私に言ってね。荒木くんは頼りになりそうでならないから」
何だろう、この違和感。周りの派遣さんたちは皆「日向陽子は要注意人物」というような口調だったのに、今の彼女からはそんな悪い感じは受けない。これが演技なら、大したものだと思うけど、そうじゃない気がする。
佐々木先輩は、日向さんのことをどう評価していただろうか。先輩なら、日向さんのことを正当に評価してくれるはず。
「あ、あの、日向さん」
「はい」
「ご迷惑をおかけいたしまして、こちらこそ申し訳ありません」
ペコリ頭を下げると、日向さんは「月野さんは悪くないわよ」と朗らかに笑った。
「酔った勢いでセクハラするなんて、最低の男がすることよ! 月野さんには何の落ち度もないんだから、気に病まないで」
「はい、ありがとうございます」
それにしても、日向さんの荒木さんに対する「頼りない」が気にかかる。日向さんは荒木さんのすべてを受け入れているのだと思っていたけど、そうではないのだろうか。
「日向さんは、荒木さんを頼りないって思います?」
「え、むしろ、月野さんは荒木くんが頼りになると思う?」
質問返しされるとは思わなかった。
それは……まだそんなに荒木さんを知らないので……まぁ、でも、頼りになるとは、思わない、かな。
「月野さんの件だって、気づいた瞬間に自分が対処すれば良かったのに、わざわざイトイの人事の子に相談しに行ったのよ? 彼女たちがすぐ対応してくれたから良かったものの、そうじゃなかったら、どうするつもりだったのかしら、荒木くん」
あ、結構辛辣な評価だ。日向さんが荒木さんをそんなふうに思っているなんて、知らなかった。
頼りにならない男を私が支えようというような恋、なのだろうか。それにはとても大きな覚悟と広い心が必要だ。叡心先生と一緒に生きると決めたときに、それは身に沁みてわかっている。
日向さんを見送ったあと、私の職場――営業部へ向かう。ちらほらいる営業部社員と派遣さんの中に、佐々木先輩の姿はない。いつもならとっくに仕事を始めているはずなのに。
荒木さんもまだ来ていないみたいだ。
「佐々木先輩はまだ来ていないんですか?」
他の派遣さんに尋ねてみると、「今日は忙しいのにお休みだって」と冷たい言葉が返ってきた。
「子どもが熱出したから来られないなんて、どういう体調の管理をしているのかしら。いい迷惑よ」
そうブツクサ言っているけど、佐々木先輩がいないと彼女は適当な資料を作ってしまうのだから、仕方ない。佐々木先輩の仕事量は私たちより遥かに多いので、彼女が欠けると大変だ。
……今日は残業かな。心配だから、昼休憩にメッセージを送っておこう。
パソコンを起動して、ログインして。さぁ今日も一日元気に働こう、と伸びをした瞬間に、暖かく柔らかい何かに当たる。
「……月野さん、おはよう」
「あっ、荒木さん……! すみません、殴っちゃいました!?」
「大丈夫だよ。優しいパンチだったから」
「すみませんっ!」
伸びをした拳が荒木さんの頬にヒットしてしまったらしく、頬を押さえながら笑う荒木さんにきゅんとする。
日向さんはああ言ったけど、角が立たないようにすぐにイトイの人事部の人に知らせてくれたのは彼だ。妹尾さんやその先輩に絡まれているところをどれだけ静観していたのかはわからないけれど、助け舟を出してくれたことに変わりはない。
それはとてもありがたいことだ。
「先日はご心配をおかけいたしまして……」
「あ、うん、大丈夫だったなら、いいんだ。俺ももっと早くに気づけたら良かったんだけど」
「いえいえ、十分でした」
そう、十分だ。
荒木さんが私を気にかけてくれていたということがわかっただけでも、十分嬉しい。
「あれ、佐々木さん今日休み? 珍しいね」
「はい、そうなんです。もし佐々木先輩に頼んでいる仕事で今日必要なものがあれば、私に回してください」
「うん、わかった。ちょっと確認してみるね」
それぞれデスクのパソコンに向かう。
先日佐々木先輩が見せてくれた息子さんの写真は、めちゃくちゃかわいらしかった。佐々木先輩はめちゃくちゃデレデレしていた。あれこそ、母の顔。そんな、溺愛している息子さんが熱を出したなら、さぞかし心配だろう。ついていてあげてほしい。
子どもが熱を出したので休みます、なんて今までなかった。それだけ、周囲に気を遣って、二人分の体調管理をしていたのだから、やっぱり先輩を責める気持ちにはならない。
他の派遣さんはそうではないのかもしれないけど、私だけは佐々木先輩の味方でいよう。
子どもが産めない私には、きっと母性なんてないんだろうけど……小さな子どもはかわいいし、頑張って育てている人にはただ敬意を抱くだけ。
ただ、少しだけ、うらやましいと思うだけだ。
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感想募集中。更新中は励みになりますし、完結後は次回作への糧になります。
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