【R18】サキュバスちゃんの純情

千咲

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15.迷惑な思惑(三)

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 翔吾くんは試験期間中、湯川先生に会うのは気が進まない、となると、宮野さんに会えなくなった今、相馬さんに会うしかないのだけれど。

『ごめん、今週末は無理! 休日出勤になっちゃってさぁ』
「あ……そうなんだ」
『ごめんね、あかり。でも、今ちょうど、あかりにアドバイスしてもらったバイブの試作品を作ってて。ほんとごめんね』
「ん、いいよ。仕事だもん。私こそ、二週も行ってごめんね。仕事頑張って」

 スマートフォンをトレイのそばにおいて、溜め息をつく。
 ……湯川先生か? それとも、ナンパする? ナンパ待ち? ネットで探す? んーっ、どうしよう?
 相馬さんの精液量でも二週間は持たない。せいぜい十日。空腹になる前……週末には精液を確保しておきたい。

 あぁ、ほんと、必要なときに素早く精液を出してくれる都合のいい男が欲しい。
 ……世の中ではそれを「恋人」というのだろうか。いや、それこそ「セフレ」って言うんじゃないのかな。

「確保……かぁ」

 一夜限りの相手はいたけれど、余程のことがない限り連絡先は交換しない。そして、セフレであっても関係が解消されたら、連絡先は消すことにしている。
 三ヶ月前のサラリーマン、半年前の土木作業員、名刺くらいもらっておけばよかった、と思うけれど後の祭りだ。
 仕事帰りに立ち寄ったチェーン店のカフェで、リプトン紅茶とチョコクロワッサンを飲食しながら溜め息をつく。何度幸せが逃げていったか、もう数えていない。

「じゃあまた明日なー!」
「おー!」

 制服を着た男の子たちが、部活帰りなのかそれぞれ飲み物を手に帰っていく。ペットボトルのほうが安上がりなのに、最近の子はカフェのコーヒーを飲んだりするんだなぁとぼんやりカウンター席から彼らを見つめる。
 私もそろそろ帰ろうかなと、チョコクロワッサンの最後の一口を頬張った瞬間だった。男の子の中の一人と目が合ったのは。

「わー、美少年」

 くしゃっとした色素の薄い髪に茶色い瞳。ハーフなのだろうか、思わず声が漏れてしまうくらい、造作の美しい少年がこちらを見て微笑んでいた。
 宮野さん、天使はここにいるよ!

 私の後ろにでも知り合いがいるのだろう、彼は小さく手を振る。私は微動だにせずその様子を見つめる。後ろを振り向くと自意識過剰すぎる人だと思われるかもしれないから。
 美少年は友人たちに何事か話しかけ、手を振って別れの挨拶をして、知り合いと話すためか、再度店内へと戻ってきた。そして、私の後ろを通り――隣に座った。

「お姉さん、何で無視するの?」
「へっ?」
「僕、手を振ったのに、無視したでしょ?」
「え、あれ、私に振っていたの?」

 頷く少年は、近くで見るとますます美しい。長い睫毛に、発色の良い唇。絹のようにシミも凹凸もない白い肌。モデルをやっていると言われても不思議ではない。
 少年は手に持っていたメロンソーダを飲む。それにしても、彼とは初対面のはずだ。初対面だ。なぜ、私に手を振ったのか、理解できない。

「お姉さん、何飲んでるの?」
「紅茶」
「こんなに暑いのに紅茶?」

 笑う少年は、暑いのかかなり制服を着崩している。ネクタイは緩いし、ボタンも上から二つほど外している。若さ溢れる鎖骨が羨ましい。

「カフェでメロンソーダ頼むのも変だよ」
「アイスクリーム入りのメロンソーダは自販機で売っていないからね」
「部活の帰り?」
「うん。お姉さんは仕事帰り?」
「そうだよ」

 人懐っこい笑顔を浮かべながら、美少年は話しかけてくる。
 これは……何? ナンパ? 中学生か高校生が、私を? まさかね?

「あ、僕、日下部ケント。ケントは漢字だと賢い人で賢人ね。お姉さんは?」
「月野あかり、だよ」
「あかりちゃん、ね」

 ちゃん!? あかりちゃん!?
 私の動揺を知ってか知らずか、ケントくんはニコニコしたまま私のスマートフォンを取って、操作を始めた。

「え? こら、ちょっと」
「あかりちゃんのスマホに僕の連絡先入れてるから、ちょーっと待ってね。メッセージアプリやってる? 同期したら友達になるようにしてある?」
「え、あ、ちょっと」
「あ、大丈夫そう。僕のほうに通知来たよ」

 自分のスマートフォンを確認して、ケントくんはようやくアタフタしていた私にスマートフォンを返してくれる。メッセージアプリの連絡先に「ケント」が増えている。なんてことだ。

「消さないでね」

 ケントくんは笑顔のままだ。

「あかりちゃん、僕に連絡したくなるから」
「大人をからかわないでよ、もう」
「僕は大人だよ。確かめてみる?」
「……確かめません」
「そう? あかりちゃんがセックスしたそうにしていたの、僕の勘違いだった?」

 あっけらかんと笑う少年に、大人であるはずの私が言葉に詰まってしまう。
 確かにセックスしたそうにしていたかもしれませんけど! 確かに週末の精液のことを考えていましたけど! でも、そんな物欲しそうな顔で君を見たんじゃない!

「否定しないんだね?」
「あ、いや、だから」
「あかりちゃんとなら今からでもできるけど、する? この先にラブホあるよ」
「……制服の子は連れ込めません」
「じゃあ、週末ね。部活は土日はほとんどないし、そろそろ夏休みだから、いつでも呼んで」

 待ってるから、と笑ってケントくんはメロンソーダ片手に颯爽と去っていった。窓の外で大きく手を振る彼に小さく手を振り返して、何度目かの溜め息を吐き出した。

 もう次から、カフェではカウンター席に座るの、やめよう。
 水森さんといい、ケントくんといい、ここは――私にとっては鬼門だ。


◆◇◆◇◆


『体調良くなった? 今週末会える? 連れていきたいところがあるんだ』

 湯川先生のメッセージに、嫌な予感がする。今週の土曜日は七月十六日。村上叡心展が始まっている期間だ。
 うぅぅ、どんな顔をして先生に会えばいいのかわからない。
 何もないような顔をして? いつも通り? いつも通りってどんなだった?
「実はあかりにそっくりな絵を知っているんだ」と切り出されて「絵よりもあかりをそばにおいておきたい」なんて言われたら、もう逃げ出すしかないじゃないの。逃げ出すしか。
 ……あぁ、東京に来てまだ五年だったのに。
 何もかも捨てて逃げ出すことの難しさを、湯川先生は知らない。「月野あかり」の身分証はまだ使えるけど、違う土地でセフレを探すのは大変なのに。

「何か悩み事? 難しい案件?」

 朝から溜め息ばかりの私に、隣の佐々木先輩が心配して声をかけてくれる。優しい人だ。

「いえ、大丈夫です。何とかします」

 パソコンに向かい、エクセルと資料を睨みつけ数字に間違いがないか確認する。データベースから持ってきたデータだけれど、たまに入力ミスで違う部署のものや違う月のものが混在していることがあるから、チェックは怠らない。
 あとはこれを集計して、二軸グラフにまとめ、荒木さんにメールで添付するだけの簡単な仕事だ。
 文明の利器が誕生して生活も仕事も楽にはなったけれど、使いこなすまでには時間がかかるし、人為的ミスも多い。二重のチェックをするのは非効率だけれど、確実な数字を出して営業部に伝えるのが、私たちの仕事なのだ。

『荒木さん、お疲れ様です。頼まれていた集計、できました。ご確認ください。』

 パスワードをつけたエクセルファイルを添付して、送信ボタンを押そうとして……やめる。キーボードに手を置き、続きを入力する。

『レアチーズケーキ、来週の日曜日はどうですか? 二十四日です。もし都合が良ければ、連絡ください。月野あかり』

 荒木さんを誘ったのは来週。今週末は――湯川先生と向き合おう。逃げていたって、何も始まらない。ならば、向き合おう。
 ドキドキしながら送信ボタンを押して、溜め息をつく。佐々木先輩がまた心配してこちらを見つめてきたので、「大丈夫です」と笑う。

「月野さん、これ、行く?」

 佐々木先輩が示したのは、イントラネットの業務掲示板だ。月末に行われる花火大会の観覧会場が確保できたので、正社員・派遣社員・契約社員にかかわらず参加してください、という総務部からの連絡。

「淡白荒木さんは行くみたいだよ」
「……佐々木先輩は行くんですか?」

 荒木さんがいたとしても、先輩がいないとつまらない。日向さんが徹底的に荒木さんをガードするだろうし。でも、先輩が行くなら私も行こうかな。
 けれど、先輩は首を左右に振った。

「私は行かないわ。人混み苦手だし、子どももまだ小さいし」
「へ? 佐々木先輩、お子さんいるんですかっ!?」
「え、知らなかった? 私バツイチ子持ちよ?」

 えええええ! 今日一番のショッキングな話題なんですけど!

「知りませんでしたよ!」
「じゃあ、言うの忘れていたのね」

 佐々木先輩は軽く「ごめんね」と笑って、自分の作業に戻る。
 まぁ、美人で仕事もできて人望もある彼女がなぜ正社員ではなく派遣社員をしているのか、疑問に思ったことはあるのだけれど、小さな子どもがいたら、いざというときに休みやすい雇用形態を選ぶのも当然かもしれない。
 そうか、それで正社員への登用を断っていたのか。そっかぁ。

「先輩、お子さんの写真、見せてくださいね」
「休憩時間にね」

 そのあたりをキッチリさせているのも先輩らしい。けれど、横顔は何となく嬉しそうだ。
 新着メールあり、とパソコンの右下にポップが出てきたので、クリックしてメールソフトを起動する。差出人は、荒木さん。ドキドキしながらメールを開く。

『月野さん、資料どうもありがとう。助かりました。レアチーズケーキの件は、二十四日で大丈夫です。詳しくはまた後で連絡します。』

 スマートフォンのカレンダーにすぐ登録したくなる気持ちを抑えて、メールの続きを読む。

『花火大会は参加しますか? 都合が良ければ一緒に花火を見たいですね。荒木雄一』

 私は無言で業務掲示板を開き、「参加希望の方は」の一文を見つけて必死で続きを読んだ。
 日向さんに邪魔されるかもしれない? 佐々木先輩がいない? いいよ、それでも。荒木さんと一緒に花火を見上げて「綺麗だね」と笑い合うことができるなら、幸せな時間を一瞬でも過ごすことができるなら――それで構わない。

 頑張って、みようじゃないの!

 そのテンションのまま、総務部に参加希望のメールを送り、カレンダーに二件の予定を登録をして、さらに、湯川先生にメッセージを送る。

『私は月曜日まで休みだけど、どうする? 連れていきたいところは、ちゃんとした服が必要かな?』

 海の日を含めて三連休。病院はたぶん休み。先生が三日間一緒に過ごしたいと言うなら、とことん付き合おう。

『三連休、一緒にいてくれる? ありがとう。ちゃんとした服は必要ないから、いつも通りでいいよ。待ち合わせ場所はまた連絡するね』

 大丈夫。きっと大丈夫。
 湯川先生にはあの裸婦のモデルが私だとはバレていないし、彼が私にプロポーズすることもない。先生は約束を破らない。
 きっと、大丈夫。

 きっと。

 信じよう。
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