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14.迷惑な思惑(二)
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正直に言うと、相馬さんに会うのは体力的にキツい。道具を使ってイカされ続けるし、中で受け入れるのも一苦労。だから、彼とは土曜日に会い、一泊して日曜日に帰る。
当の本人は私の疲労度には全く気づいていないけど。それが相馬さんらしい。
相馬さんの住むマンションを出て、放ったらかしだったスマートフォンを確認する。着信履歴に並ぶ名前は湯川先生を想像していたけれど、違った。
「翔吾くん?」
余程の用事だったのか、不在着信もあったし、メッセージアプリにも不在着信の履歴がある。
建物の日陰に入り、アプリの画面をスクロールして翔吾くんからのメッセージを読む。
『あかり、ごめん。健吾が興奮してて』
『迷惑かけるかも』
『今どこ? 会える?』
『健吾に何か言われても気にしないで』
……健吾くん? どうかした?
切羽詰まったメッセージに、何があったのか全く想像がつかない。慌てて通話ボタンをタップすると、すぐに翔吾くんが出た。
『あかり! 大丈夫!?』
「え、何が? 大丈夫だよ?」
『今どこ? 迎えに行くから住所教えて』
だいぶ慌てているなぁと苦笑して、わかりやすい店はないかなとあたりをきょろきょろと見回す。
「あー……いいや、翔吾くん。またあとで電話する」
『え、でも、あかり――』
ごめんね、翔吾くん。
私は、角のところでこちらを睨みつけている見覚えのある顔に、笑みを浮かべて近寄っていく。
「健吾くん、こんなところでどうしたの?」
努めて明るく。何も知らないふりをして。
「私に何か用?」
さて、話を聞こうじゃないの。
◆◇◆◇◆
「あんた、翔吾以外にも大勢オトモダチがいるんだな」
ブレンドコーヒーを二つ注文してすぐ、健吾くんは私のほうにファイルを押しやってきた。すぐ本題に入ってくれるとはありがたい。
手に取ったファイルには「調査報告書」と明朝体でタイトルが振られており、中をめくると、私の名前が調査対象者の欄に記載されていた。
私の本籍や略歴とともに、ここ何週間かの行動記録もある。つまりは、相馬さんや宮野さん、水森さんと写っている写真、彼らの素性と略歴が記載されていたわけだ。
……なるほど。興信所に頼んで、身辺調査がされていたのか。写真を撮られていたのは知らなかった。案外綺麗に撮ってもらえるみたいだ。宮野さんの自然な笑顔が懐かしい。
「……お金持ちって、よくわからないお金の使い方をするんだね」
「なっ」
「この相馬さんはセックスフレンド。宮野さんは元セックスフレンド。水森さんは、もう一人のセックスフレンドの友達で、体の関係はないよ。翔吾くんを含めて、今は三人セックスフレンドがいるけど、それがどうかした?」
本当に、知りたい。
それがどうかした? 何が悪いの? 私、何か悪いことをしている?
だって、皆、私が「こう」だって知っていて、体の関係だけを続けてくれている。
「セッ、クス、フレ……て」
「セックスするだけのオトモダチ。もちろん、お金はもらっていないよ。援助交際でも、デリヘルの本番でもない。本当に、ただセックスをするだけの関係」
「……それ、翔吾も知っ」
「私に複数のセフレがいることは翔吾くんも知っているし、了承してくれていることだよ。問題ある?」
「……」
「聞いてくれたら教えてあげたのに。興信所に頼まなくても、別に隠しているわけじゃないんだから」
セックスを連呼して童貞くんを動揺させる作戦は、成功だ。……性交だけに。あ、ちょっとオッサンぽい言い回しだなぁ、これ。湯川先生にならウケるかな。
「……モラルの問題だろ」
「特定のパートナーがいるのにセフレを作ったら、倫理的にどうかと思うけど、残念ながら私には恋人はいないし、結婚もしていないのよね」
「毎週、違う男とヤッてんじゃねえか」
「必要なんだもん。それが何か? あ、体の心配してくれるの?」
「ちがっ……!」
真っ赤になった健吾くんの前に白いコーヒーカップが置かれる。いい匂いだ。
「ごめんなさいね、今日うるさくて」
マスターの奥様だろうか、ウエイトレスのおばちゃんが店の奥を示す。そういえば、確かに喫茶店にしては騒がしい。大勢の若い子の声が聞こえる。
「担任の先生が来月結婚するから、近くの高校生たちがその打ち合わせをしているの。ご迷惑をおかけした分、お代はちょっとだけ割引いたしますね」
「あ、いえ、そんな、お気遣いなく」
むしろ、騒がしいほうが気兼ねなくこういう話ができるので、ありがたいのだけど。
しかし、顔をパッと上げたのは、健吾くんだ。
「誠南学園ですか?」
「あら、ご存知? そう、誠南の先生が結婚するの」
「俺の出身なんです。え、どの先生だろ? ご存知ですか?」
「ええ。篠宮先生と里見先生よ」
「っあー、しのちゃんかぁ!」
健吾くんは嬉しそうに笑って、すぐに口元を隠す。いや、バレてるし。隠す意味ないし。
というか、そんなふうに笑うんだ、健吾くん。初めて見たけど、翔吾くんそっくり。二人とも、笑顔はそっくりなんだ。さすが双子。
奥様が去ったあと、健吾くんは「結婚かぁ」と呟く。
「知ってる先生?」
「あ、うん。美人なのにガードが固くて、告白した男子は全滅。翔吾も好きだったと思う」
「へぇ……」
翔吾くんがねぇ。今度からかってあげなくちゃ。あ、でも、思った以上にヘコんでいたら、慰めてあげようかな。
「誠南学園と誠南大学は何か関係あるの?」
「経営者が同じ、だったかな。学園から大学までほぼエスカレーターで行けるよ。俺たちもそうだし」
「……え。二人とも、誠南大学?」
健吾くんは一瞬の間のあと、呆れたような視線と声を私に寄越してきた。
「それ、マジで言ってんの? 誠南大学だよ、俺ら」
「へぇ、そうなんだ? 知らなかった」
「覚える気がなかった、の間違いだろ?」
「……面目ありません」
そういえば、「好きな人を悦ばせたいから手ほどきしてくれ」と言ってきた童貞の男の子も、誠南大学の学生だった気がする。名前、何だったっけ。彼の本懐は遂げられたのだろうか。
「……翔吾のことは、遊びなんだろ?」
砂糖とミルクたっぷりのブレンドコーヒーを一口飲んだあと、健吾くんが消え入りそうな声で尋ねてくる。
遊び、かぁ。
セックスをするだけなのは「遊び」なのだろうか。
あぁ、違う。セックスという行為そのものが、健吾くんには「遊び」だと思われているのかもしれない。未経験ゆえに、行為の気持ちよさと行為の意義がわからなくて。そのあたりは「生殖行為ではないセックスは不要」だと言い切った、淡白な荒木さんに似ているのかもしれない。
だとすると、私の「セックスは食事だ」という性質は、彼に伝えてもおそらくは理解されないだろう。「セックス依存症なの」と嘘をつくほうが信じてもらいやすいのかもしれない。
健吾くんに関しては「かもしれない」ばかりだ。彼の本心がわからないのが、一番困る。
そもそも、私が「翔吾くんとは遊びだ」と肯定したところで、彼に何のメリットがあるのだろうか。
……やはり、兄思いな弟、だということか?
「翔吾くんが心配なの? 遊びなら身を引けってこと?」
「そうじゃない。本気じゃないならそれでも構わない。本気にさせない程度にしろよ」
「最初からそのつもりだけど」
それは最初から言っている。皆割り切った関係なのだと。
えーと。健吾くんの、言いたいことは、何? 何なの?
「だっ、だから、セッ……オトモダチには平等に会うなら、翔吾にもちゃんと会ってやれよ」
「翔吾くん、今、前期の試験期間中だから会っていないだけだけど」
「はあっ?」
素っ頓狂な声をあげて、立ち上がって、目を真ん丸にして、健吾くんは珍獣でも見るかのような目で、私を見下ろした。
「あ、あんた、翔吾の学業を優先させてやってんの!?」
「え、うん」
「で、性欲は他の男で発散してんの!?」
「うん」
「なん――」
ぷつんと緊張の糸が切れたのか、健吾くんは椅子に座って、手足をだらんとさせ、空を仰ぐ。
魂、入っていますか?
ていうか、健吾くんも試験期間中だよね? こんなことしていて大丈夫?
「何っっだよ、それ」
「冬の後期も同じだったよ。確か、試験以外にレポートも多いんでしょ? そのときはこっちの宮野さんに何回も会っていたんだけど、この間彼の結婚が決まって関係を解消したんだよね。それにしても、この写真、よく撮れているね。ちょっと欲しいかも」
「ほんと、何だよっ」
空を仰いだまま、健吾くんは呟く。
何だと言われても。性欲に溺れて学業を疎かにしてもらいたくないだけなんだけど。セフレらしからぬ理由がそんなにマズかった?
まぁ、若干、健吾くんのことは念頭にはあったけど。でも、一番の理由は学業だ。セックスのしすぎで留年しました、なんて洒落にならない。笑えないのだ。
「俺のせいじゃないのかよ……」
両手で顔を覆い、健吾くんは呟いた。その言葉にきょとんとしたのは、私のほうだ。
――あぁ、それが、本音か。
「っ、あ、今の聞こえた!?」
「うん」
「聞かなかったことにしてくれ!」
真っ赤になった健吾くんは、さっきまでの剣幕はどこへやら、慌ててアタフタしている。ただの不器用な男の子だ。
悪くない。
そんなふうに、表情豊かになれば、本当に、いい感じになるのに。
「自分のせいで私が翔吾くんに会わなくなったと勘違いしてこんな暴挙に出てしまった自分が恥ずかしいので……聞かなかったことにしてください、お願いします、だよね?」
「……お願いします」
健吾くんが素直に頭を下げる。その行動にまた驚いたのだけど、彼は、元はとても素直な子なんだろう。たぶん。
「大丈夫。翔吾くんには言わないし、試験が終わったら会いに行くよ」
「……翔吾とどこで会うの」
「どこかのラブホ」
待ち合わせてラブホテル、が一番多いパターンかなぁ。今までと同じなら。健吾くんのいるマンションでは会いづらいし、彼も私には会いたくないだろうし。
「うちに来てもいいよ。あんた……月野さんなら」
彼は、今日何度私を驚かせたら気がすむのだ?
私は何度も瞬きをする。けれど、何度見ても、やはり顔を真っ赤にした健吾くんが座っている。幻でも聞き間違いでもないみたいだ。
「あかり、でいいよ」
「じゃあ、あかりさん。翔吾に会うのはうちでもいい。部屋でいちゃつくのも許可する。でも、下着は……はいてくれ」
「あ、はい、すみません」
その節は本当にすみませんでした。
これは私が頭を下げる他ないわけだ。ほんと申し訳ありませんでした。
「今日は翔吾に会うの?」
「もう家に帰るよ」
「会ってやれば? 翔吾、会いたがっていたから」
と言われましても、相馬さんから「商品開発」と称して容赦なく攻められたので、結構体はつらいんですけど。
「じゃあ、近いうちに行くよ」
「……わかった。伝えておく」
いやいや、そこは健吾くんが寂しそうにするところじゃないですよね。恨みがましい視線を寄越さないでください。
何? 今日来て欲しかったの? わかりづらいよ!
「……あのさ、最後に聞いていい?」
「うん? 何?」
疑うような、迷っているような視線で健吾くんは私を見つめて。
「あんた……肩の下にほくろある?」
……お前もか。
健吾くんが村上叡心を知っているわけではないだろう。叡心先生は私が言うのもどうかと思うけど、かなりマイナーな画家だったから。
彼が溺れたときに助けてくれた、私にそっくりな恩人のことだろうか? それとも、また何か思い当たることが?
どちらにしろ、翔吾くんに聞けばすぐわかることを私に聞くあたり、セフレの体のことなどは兄には聞けないのだろう。
私は精一杯の笑顔を浮かべて、応えた。
「そういうのは私を裸にしたときに確認してよ」
健吾くんの顔がさらに真っ赤になっていくのを横目でチラと見て、ブレンドコーヒーを飲む。
あとで、翔吾くんをフォローしておこう。問題は解決したよと。
それから、玉置珈琲館……相馬さんに会ったあとはここでコーヒーを飲もう。結構美味しかったから。
特に、セックスをしたあとは、最高だ。
当の本人は私の疲労度には全く気づいていないけど。それが相馬さんらしい。
相馬さんの住むマンションを出て、放ったらかしだったスマートフォンを確認する。着信履歴に並ぶ名前は湯川先生を想像していたけれど、違った。
「翔吾くん?」
余程の用事だったのか、不在着信もあったし、メッセージアプリにも不在着信の履歴がある。
建物の日陰に入り、アプリの画面をスクロールして翔吾くんからのメッセージを読む。
『あかり、ごめん。健吾が興奮してて』
『迷惑かけるかも』
『今どこ? 会える?』
『健吾に何か言われても気にしないで』
……健吾くん? どうかした?
切羽詰まったメッセージに、何があったのか全く想像がつかない。慌てて通話ボタンをタップすると、すぐに翔吾くんが出た。
『あかり! 大丈夫!?』
「え、何が? 大丈夫だよ?」
『今どこ? 迎えに行くから住所教えて』
だいぶ慌てているなぁと苦笑して、わかりやすい店はないかなとあたりをきょろきょろと見回す。
「あー……いいや、翔吾くん。またあとで電話する」
『え、でも、あかり――』
ごめんね、翔吾くん。
私は、角のところでこちらを睨みつけている見覚えのある顔に、笑みを浮かべて近寄っていく。
「健吾くん、こんなところでどうしたの?」
努めて明るく。何も知らないふりをして。
「私に何か用?」
さて、話を聞こうじゃないの。
◆◇◆◇◆
「あんた、翔吾以外にも大勢オトモダチがいるんだな」
ブレンドコーヒーを二つ注文してすぐ、健吾くんは私のほうにファイルを押しやってきた。すぐ本題に入ってくれるとはありがたい。
手に取ったファイルには「調査報告書」と明朝体でタイトルが振られており、中をめくると、私の名前が調査対象者の欄に記載されていた。
私の本籍や略歴とともに、ここ何週間かの行動記録もある。つまりは、相馬さんや宮野さん、水森さんと写っている写真、彼らの素性と略歴が記載されていたわけだ。
……なるほど。興信所に頼んで、身辺調査がされていたのか。写真を撮られていたのは知らなかった。案外綺麗に撮ってもらえるみたいだ。宮野さんの自然な笑顔が懐かしい。
「……お金持ちって、よくわからないお金の使い方をするんだね」
「なっ」
「この相馬さんはセックスフレンド。宮野さんは元セックスフレンド。水森さんは、もう一人のセックスフレンドの友達で、体の関係はないよ。翔吾くんを含めて、今は三人セックスフレンドがいるけど、それがどうかした?」
本当に、知りたい。
それがどうかした? 何が悪いの? 私、何か悪いことをしている?
だって、皆、私が「こう」だって知っていて、体の関係だけを続けてくれている。
「セッ、クス、フレ……て」
「セックスするだけのオトモダチ。もちろん、お金はもらっていないよ。援助交際でも、デリヘルの本番でもない。本当に、ただセックスをするだけの関係」
「……それ、翔吾も知っ」
「私に複数のセフレがいることは翔吾くんも知っているし、了承してくれていることだよ。問題ある?」
「……」
「聞いてくれたら教えてあげたのに。興信所に頼まなくても、別に隠しているわけじゃないんだから」
セックスを連呼して童貞くんを動揺させる作戦は、成功だ。……性交だけに。あ、ちょっとオッサンぽい言い回しだなぁ、これ。湯川先生にならウケるかな。
「……モラルの問題だろ」
「特定のパートナーがいるのにセフレを作ったら、倫理的にどうかと思うけど、残念ながら私には恋人はいないし、結婚もしていないのよね」
「毎週、違う男とヤッてんじゃねえか」
「必要なんだもん。それが何か? あ、体の心配してくれるの?」
「ちがっ……!」
真っ赤になった健吾くんの前に白いコーヒーカップが置かれる。いい匂いだ。
「ごめんなさいね、今日うるさくて」
マスターの奥様だろうか、ウエイトレスのおばちゃんが店の奥を示す。そういえば、確かに喫茶店にしては騒がしい。大勢の若い子の声が聞こえる。
「担任の先生が来月結婚するから、近くの高校生たちがその打ち合わせをしているの。ご迷惑をおかけした分、お代はちょっとだけ割引いたしますね」
「あ、いえ、そんな、お気遣いなく」
むしろ、騒がしいほうが気兼ねなくこういう話ができるので、ありがたいのだけど。
しかし、顔をパッと上げたのは、健吾くんだ。
「誠南学園ですか?」
「あら、ご存知? そう、誠南の先生が結婚するの」
「俺の出身なんです。え、どの先生だろ? ご存知ですか?」
「ええ。篠宮先生と里見先生よ」
「っあー、しのちゃんかぁ!」
健吾くんは嬉しそうに笑って、すぐに口元を隠す。いや、バレてるし。隠す意味ないし。
というか、そんなふうに笑うんだ、健吾くん。初めて見たけど、翔吾くんそっくり。二人とも、笑顔はそっくりなんだ。さすが双子。
奥様が去ったあと、健吾くんは「結婚かぁ」と呟く。
「知ってる先生?」
「あ、うん。美人なのにガードが固くて、告白した男子は全滅。翔吾も好きだったと思う」
「へぇ……」
翔吾くんがねぇ。今度からかってあげなくちゃ。あ、でも、思った以上にヘコんでいたら、慰めてあげようかな。
「誠南学園と誠南大学は何か関係あるの?」
「経営者が同じ、だったかな。学園から大学までほぼエスカレーターで行けるよ。俺たちもそうだし」
「……え。二人とも、誠南大学?」
健吾くんは一瞬の間のあと、呆れたような視線と声を私に寄越してきた。
「それ、マジで言ってんの? 誠南大学だよ、俺ら」
「へぇ、そうなんだ? 知らなかった」
「覚える気がなかった、の間違いだろ?」
「……面目ありません」
そういえば、「好きな人を悦ばせたいから手ほどきしてくれ」と言ってきた童貞の男の子も、誠南大学の学生だった気がする。名前、何だったっけ。彼の本懐は遂げられたのだろうか。
「……翔吾のことは、遊びなんだろ?」
砂糖とミルクたっぷりのブレンドコーヒーを一口飲んだあと、健吾くんが消え入りそうな声で尋ねてくる。
遊び、かぁ。
セックスをするだけなのは「遊び」なのだろうか。
あぁ、違う。セックスという行為そのものが、健吾くんには「遊び」だと思われているのかもしれない。未経験ゆえに、行為の気持ちよさと行為の意義がわからなくて。そのあたりは「生殖行為ではないセックスは不要」だと言い切った、淡白な荒木さんに似ているのかもしれない。
だとすると、私の「セックスは食事だ」という性質は、彼に伝えてもおそらくは理解されないだろう。「セックス依存症なの」と嘘をつくほうが信じてもらいやすいのかもしれない。
健吾くんに関しては「かもしれない」ばかりだ。彼の本心がわからないのが、一番困る。
そもそも、私が「翔吾くんとは遊びだ」と肯定したところで、彼に何のメリットがあるのだろうか。
……やはり、兄思いな弟、だということか?
「翔吾くんが心配なの? 遊びなら身を引けってこと?」
「そうじゃない。本気じゃないならそれでも構わない。本気にさせない程度にしろよ」
「最初からそのつもりだけど」
それは最初から言っている。皆割り切った関係なのだと。
えーと。健吾くんの、言いたいことは、何? 何なの?
「だっ、だから、セッ……オトモダチには平等に会うなら、翔吾にもちゃんと会ってやれよ」
「翔吾くん、今、前期の試験期間中だから会っていないだけだけど」
「はあっ?」
素っ頓狂な声をあげて、立ち上がって、目を真ん丸にして、健吾くんは珍獣でも見るかのような目で、私を見下ろした。
「あ、あんた、翔吾の学業を優先させてやってんの!?」
「え、うん」
「で、性欲は他の男で発散してんの!?」
「うん」
「なん――」
ぷつんと緊張の糸が切れたのか、健吾くんは椅子に座って、手足をだらんとさせ、空を仰ぐ。
魂、入っていますか?
ていうか、健吾くんも試験期間中だよね? こんなことしていて大丈夫?
「何っっだよ、それ」
「冬の後期も同じだったよ。確か、試験以外にレポートも多いんでしょ? そのときはこっちの宮野さんに何回も会っていたんだけど、この間彼の結婚が決まって関係を解消したんだよね。それにしても、この写真、よく撮れているね。ちょっと欲しいかも」
「ほんと、何だよっ」
空を仰いだまま、健吾くんは呟く。
何だと言われても。性欲に溺れて学業を疎かにしてもらいたくないだけなんだけど。セフレらしからぬ理由がそんなにマズかった?
まぁ、若干、健吾くんのことは念頭にはあったけど。でも、一番の理由は学業だ。セックスのしすぎで留年しました、なんて洒落にならない。笑えないのだ。
「俺のせいじゃないのかよ……」
両手で顔を覆い、健吾くんは呟いた。その言葉にきょとんとしたのは、私のほうだ。
――あぁ、それが、本音か。
「っ、あ、今の聞こえた!?」
「うん」
「聞かなかったことにしてくれ!」
真っ赤になった健吾くんは、さっきまでの剣幕はどこへやら、慌ててアタフタしている。ただの不器用な男の子だ。
悪くない。
そんなふうに、表情豊かになれば、本当に、いい感じになるのに。
「自分のせいで私が翔吾くんに会わなくなったと勘違いしてこんな暴挙に出てしまった自分が恥ずかしいので……聞かなかったことにしてください、お願いします、だよね?」
「……お願いします」
健吾くんが素直に頭を下げる。その行動にまた驚いたのだけど、彼は、元はとても素直な子なんだろう。たぶん。
「大丈夫。翔吾くんには言わないし、試験が終わったら会いに行くよ」
「……翔吾とどこで会うの」
「どこかのラブホ」
待ち合わせてラブホテル、が一番多いパターンかなぁ。今までと同じなら。健吾くんのいるマンションでは会いづらいし、彼も私には会いたくないだろうし。
「うちに来てもいいよ。あんた……月野さんなら」
彼は、今日何度私を驚かせたら気がすむのだ?
私は何度も瞬きをする。けれど、何度見ても、やはり顔を真っ赤にした健吾くんが座っている。幻でも聞き間違いでもないみたいだ。
「あかり、でいいよ」
「じゃあ、あかりさん。翔吾に会うのはうちでもいい。部屋でいちゃつくのも許可する。でも、下着は……はいてくれ」
「あ、はい、すみません」
その節は本当にすみませんでした。
これは私が頭を下げる他ないわけだ。ほんと申し訳ありませんでした。
「今日は翔吾に会うの?」
「もう家に帰るよ」
「会ってやれば? 翔吾、会いたがっていたから」
と言われましても、相馬さんから「商品開発」と称して容赦なく攻められたので、結構体はつらいんですけど。
「じゃあ、近いうちに行くよ」
「……わかった。伝えておく」
いやいや、そこは健吾くんが寂しそうにするところじゃないですよね。恨みがましい視線を寄越さないでください。
何? 今日来て欲しかったの? わかりづらいよ!
「……あのさ、最後に聞いていい?」
「うん? 何?」
疑うような、迷っているような視線で健吾くんは私を見つめて。
「あんた……肩の下にほくろある?」
……お前もか。
健吾くんが村上叡心を知っているわけではないだろう。叡心先生は私が言うのもどうかと思うけど、かなりマイナーな画家だったから。
彼が溺れたときに助けてくれた、私にそっくりな恩人のことだろうか? それとも、また何か思い当たることが?
どちらにしろ、翔吾くんに聞けばすぐわかることを私に聞くあたり、セフレの体のことなどは兄には聞けないのだろう。
私は精一杯の笑顔を浮かべて、応えた。
「そういうのは私を裸にしたときに確認してよ」
健吾くんの顔がさらに真っ赤になっていくのを横目でチラと見て、ブレンドコーヒーを飲む。
あとで、翔吾くんをフォローしておこう。問題は解決したよと。
それから、玉置珈琲館……相馬さんに会ったあとはここでコーヒーを飲もう。結構美味しかったから。
特に、セックスをしたあとは、最高だ。
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