【R18】サキュバスちゃんの純情

千咲

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11.週末の終末(五)

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 昨日降っていた雨は、いつの間にか上がっていた。道路には水たまりもないくらい。
 それにしても、暑い。早朝なのに、汗が噴き出そうだ。
 抹茶ラテにバウムクーヘンをトレイに載せて、窓際のカウンター席に座る。日曜の朝、サラリーマンの姿はほとんどなく、デート中のカップルか幸せそうな家族がよく歩いている。
 こんな朝早くから開いているチェーン店のカフェは本当にありがたい。宮野さんがよく連れて行ってくれた古い……レトロな感じの喫茶店は、朝七時には開いていない。本当はそういう店で飲める濃いコーヒーが欲しかったのだけど、たくさん種類のあるメニューを見ていたら目移りしてしまって、ブレンドからはほど遠い抹茶ラテなんかを頼んでしまった。

「……ふぅ」

 ……甘い。嫌いな味ではないけど、甘い。飲み切ったら、ブレンドを頼み直そう。
 バウムクーヘンをもそもそと食べながら、窓の外をぼんやり見つめる。

 一人、減ってしまった。
 月に一度か二度しか会えない湯川先生、少しずつ私に執着心を見せ始めた翔吾くん、気まぐれな相馬さん。連絡をすれば必ず応えてくれていた宮野さんがいなくなってしまったのは、かなりの痛手だ。
 私の思い通りの――都合の良いセックスフレンドを探すのは容易なことではない。出会い系サイトで探すのは楽だけれど、生理的に無理な人もいるし、妻帯者も多い。体の相性も大事だ。合わない人もいる。いいなと思っても、二度三度で関係が終わることもある。
「割り切った関係」を確立し継続させるのは、思った以上に難しいのだ。
 何事も、継続させるのは難しい。

 AVは偽物の精液を使うし、風俗店は本番行為が禁止されている。今の世の中、新鮮な精液を手に入れる手段が限られてきている。昔みたいに、立っているだけで男が寄ってきた時代ではない。
 サキュバスにとって、性に奔放な日本は居心地がいい場所ではあるけれど、選択肢はそう多くないのが困るところだ。
 昔が良かった、なんて思ってしまうあたり、私も歳を取りすぎた。

 ヴヴ、とスマートフォンのバイブが鳴る。見てみると、湯川先生からメッセージが届いている。

『カニ、買って帰る?』

 市場らしき風景と、足が揃えられたカニの写真。湯川先生の指が一緒に写っているけど、カニはかなり大きい。
 ……鍋の季節ではないし、どう料理すればいいのか迷うものをお土産でもらうのはどうかと思う。

『おはよう。やっぱりカニはいらない』
『美味しそうだよ。来週末は鍋でもしようか?』

 来週末は会えるんだとホッとする。でも、鍋かぁ。そろそろ梅雨も明ける時期に鍋……そもそも、どこで? ホテルに鍋と具材を持ち込むの? それは難しいのでは?

『鍋ってどこでやるの?』
『俺の部屋じゃダメ?』

 先生の部屋? 家? 鍋は夕飯? え、泊まるの?
 疑問符だらけ浮かんでくる。でも、私が考えていることは間違ってはいないはずだ。

『土曜の夜に鍋をして、泊まっていく?』

 嫌な流れだな。それが正直な感想だ。
 宮野さんと同じパターンだ。いつもホテルで会っていたのに、最後だけ、部屋に呼ばれた。
 最後だけ。
 ……先生も、最後? 北海道で何かあった? 偉い人からお見合いでも勧められた?
 先生も、私から離れていくの?

『暑いし、鍋はいいや。来週の土曜は予定あけておくよ』

 怖くなった。
 立て続けにセフレを失うのは、怖い。特別なことなんて必要ない。ただ、いつも通り、が欲しい。いつも通り、でいい。いつも通りホテルで会いたい。

『わかった。じゃあカニはなしで。今から帰るけど、ランチどう?』

 さっき宮野さんに出してもらったから、お腹はいっぱいだ。今すぐ先生に会う理由はない。
 というか、北海道ってそんなに近いんだ? そんな距離感にびっくりしてしまう。

『来週末まで会いたい気持ちは取っておくね。気をつけて』

 結構体はしんどいから、今から先生に抱かれたら大変なことになりそうだ。来週まで我慢、我慢。

『残念。また連絡するよ』

 バウムクーヘンを食べ終えて、ひと息。バウムクーヘンは甘すぎないものが好きだ。さすがにチェーン店のカフェにケーキは置いていなくて、仕方なくチョイスしたけど、これは正解だった。美味しかった。
 抹茶ラテに口をつけて、ブレンドをここで飲むか、帰りながら飲むか、どちらにしようか悩む。
 というか、今日は何をしよう。何も考えていなかった。

 ヴヴヴ、とスマートフォンが鳴る。私のものではなく、隣の人のものだ。カウンターに置かれた青いスマートフォンを、無骨な指がすくい上げる。窓ガラスに光が反射して顔が見えなかったけど、隣は男性のようだ。そして、メッセージを確認したあとに彼から溜め息がこぼれた。

「夏にカニはないだろ」

 あー、同じことを数分前に思いました。やっぱり鍋はないと思います。北海道土産なら、バターサンドやロイズの生チョコなんかが無難で良いと思います。

「月野さんはチョコ好きでしょう?」
「あ、はい」
「じゃあ、ロイズの生チョコ、と。空港でも買えるだろ」

 抹茶ラテを飲む。
 うん、ロイズの生チョコがいいですね。
 ……え? 誰?

「今日は湯川と会わないんですか?」

 ……は?
 見上げた先に、もう二度と会いたくないと思っていた男の顔があった。眼鏡の奥の好奇心に満ちた目。湯川先生の、同僚の、精神科医。

「み、みずもり、さん!?」
「覚えていてくれたんですね。光栄です」

 こんな無礼な人、早く忘れたいんですけど! ってか、何でここに!? 病院からは遠いんだけど!

「実家の近くなんで、ここ。あ、ちょっと、逃げないで」

 そりゃ、逃げるわ!
 荷物を引っつかみ、トレイを返却してから、早歩きで店外へ出る。水森さんが追いかけてくる気配に気づいて、私は駆け出した。

 あぁ! もう! ブレンド飲みたかった!!


◆◇◆◇◆


 ヒールのあるパンプスで全力疾走なんてするもんじゃない。ただでさえ運動不足なのだから、足を挫いたり、転んだり、パンプスのヒールが折れたり、するに決まっている。

「あなたは馬鹿なんですか?」

 頭上から降ってくる声は、呆れている。

「ヒールは折れているし、血も出ているじゃないですか。傘も忘れて行ったでしょう。立てますか?」

 足を挫いて転んでヒール折ったのは私です。泣きそうになりながら地面をバシバシ叩いているのも私です。
 ……なんで、走るの、速いのよ!?
 周りの視線も痛いけど、左足も痛い。めちゃくちゃ痛い。

「……足、挫きました」
「あなたは阿呆なんですね」

 バカでもアホでもボケでもいいです。あなたが立ち去ってくれたら、私のこの惨めな気分も幾分か晴れるのに!
 睨んで見上げたら、思いの外優しげな視線にぶつかった。思わず、瞬きをしてじっと見つめてしまう。
 なんで、そんな顔、するの。
 なんで、そんな目で、私を見るの。

「そこに靴屋があるので、行きましょう」

 水森さんがひょいと私を抱き上げ、立たせてくれる。そして、砂埃や土を払ったあと、手を差し出してくれる。
 恐る恐る手を伸ばして、腕にしがみつく。
 なんで、優しくしてくれるの。
 私はあなたのことが、大嫌いなのに。

「驚かせてすみませんでした。靴は僕が弁償しますよ」
「お金ならあるので構いません」
「甘えておけばいいのに」

 大通りに面した靴屋の靴が、想像した以上に値段が高くて――結局、水森さんのカードに頼ることになったことは、痛恨の極みだ。
 そして、好きでも何でもない男に、どうしておんぶまでされなきゃいけないのか、……まぁ、私の左足が腫れてきたせいなんだけど。とにかく、その過程が解せない。
 ほんと、荒木さんだったら良かったのに。

「どこに向かっているんですか」
「僕の実家です」

 実家が近いとか、言っていたなぁ、そういえば。こんな都会の真ん中に家があるなんて、さぞかしお金持ちなんでしょうねぇ、と首を睨みつける。
 水森さんは、たぶん、何かしらのスポーツをしていたんだろう。初めて会ったときはスーツだったからそうは見えなかったけど、薄着の今なら、適度に筋肉がついている体だとわかる。
 大変、美味しそうな体、なのだ。

「着きましたよ」

 見上げると、水森診療所、と看板が出ている。なるほど、医者は医者の子か。大きすぎない、街の診療所、だ。
 ……と、思ったら。

「こちらが家です」

 診療所の裏手には、大きなお屋敷があった。日本庭園とかが似合いそうな邸宅だ。最近、私はお金持ちに会いすぎている気がする。

「お金持ち……」
「僕は三男坊なので、僕のものにはなりませんよ、この家」

 木の門扉に、防犯カメラとセキュリティシステム会社のシールが似合わない。扉の奥には、玄関まで続く広めの石畳と、十分な緑。カーポートには、日本家屋に不似合いなツヤツヤの高級外車が並んでいる。
 うん、お金持ちだ。どこからどう見ても。

「ただいまー。義姉さん、豆買ってきましたよー」
「康太さんありがとう、助かりましたぁ……ええええっ?」

 立派な玄関の扉の向こうは、うちのキッチン以上に広い玄関。しかも、綺麗。すべてがツヤツヤピカピカしている。掃除が行き届いているのだとすぐにわかるくらいに、綺麗だ。
 奥からかわいらしい感じの女性がパタパタと出てきて、水森さんに背負われている私を見て驚いた。

「やぁだ、どうしたの? 怪我? あなたー! 救急箱ー! あ、でも、診療所使ったほうがいい?」
「義姉さん、落ち着いて」
「ねえ、お義母さーん! 康太さんが女の人連れてきたわよー!」
「はぁっ!? 康太ぁ!?」

 水森さんにそっくりな男性に、三歳くらいの女の子と、その子を抱き上げる女性、そして、小紋の和服姿の年配の女性……奥からわらわらと水森家の人々が出てきて、好奇の視線にさらされる。そんないたたまれない空気の中、水森さんが簡単に私を紹介した。

「こちら、月野さん。湯川の彼女。足捻って転んで怪我したからうちに連れてきました」
「すみません、手土産もなく……お邪魔します」

 履き慣れない高価なパンプスの上でペコリと頭を下げると、和服姿の年配の女性が「似てる」と呟いて、じぃっと私を見つめてきた。水森さんのお祖母様だろうか。白髪混じりであるのに、背はしゃんと伸び、綺麗な佇まいだと思う。
 何に似ているのか、誰に似ているのかわからないまま、とりあえず、愛想笑いを浮かべておく。
 にしても、湯川先生の名前が浸透しているということは、二人が高校からの腐れ縁だというのも頷ける。

「お祖母様、その話はまたあとで。兄貴、診療所使わせてもらうよ」
「おぅ、何使ったかだけメモっといてなー」
「なぁんだ、湯川くんの彼女さんかぁ。ごゆっくり」
「ごうっくりー」
「こちらこそ、何のおもてなしもできませんが、ゆっくりしていってくださいませ」

 水森さんのお兄様とお義姉様、そして姪御さんとお母様はすぐに奥へ戻っていったけど、お祖母様は廊下に上がる私をじぃっと見つめてくる。すべての所作を見られると、マナーの悪いところがあったかしらとドキドキしてしまう。緊張する。

「月野さん、あなた、このあとお時間はございますか?」

 空気が張り詰める。そんな気がした。

「彼女は羽田に湯川を迎えに行くので、そんなに時間はありませんよ」

 答えてくれたのは水森さんだ。嘘だけど、私も頷く。水森さんが助け舟を出してくれたのだから、喜んで乗ろう。

「でも、お茶を一杯飲むくらいの時間はあるでしょう? 二人で応接室に来て欲しいのだけど」
「お祖母様」
「お願い、康太。お話し、させてちょうだい。お願いよ」

 水森さんと目で会話をする。

『どうしますか?』
『私は大丈夫ですけど』
『では、申し訳ありませんが、しばらく祖母の話し相手になってください』

 水森さんと私は同時に頷く。お祖母様はホッとした様子で、少し笑みを浮かべた。

「ありがとう。月野さん、コーヒーでいいかしら?」

 コーヒー……誰かさんのせいで飲み損ねたから、その申し出は非常にありがたい。

「……はい、大好きです」
「ありがとう。では、お待ちしているわね」

 そう、微笑んでくれたけれど。
 先ほどのお祖母様の表情は、怒っているでもなく、呆れているでもなく、嬉しそうでもなく――泣き出してしまいそうだったのだ。
 断れるはずが、なかった。

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