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001.「何だって聞かれても。通りすがりの勇者だよ」

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「サリタ様、今日も美味しい焼き菓子をありがとうございました。子どもたちも大変喜んでおりました」
「いいえ、趣味のようなものですから、お気になさらず」

 教会の老教師に頭を下げられ、サリタは謙遜しながら笑顔を浮かべる。菓子を作るのはサリタの趣味だ。歌いながらだと作りすぎてしまうため、教会にお裾分けをしているのだが、サリタには別の下心もある。

「帰りはお気をつけくださいませ。南の森で『瘴気の澱』が発生したとエドガルド様から報告がありました」
「まぁ、エドガルド副神官長から? 久しぶりにお会いできるかしら」
「前、副神官長ですよ。明日こちらに来てくださる予定でしたが、森を迂回して来られるので到着が遅れますね。勇者様が祓ってくださるまで、近づかぬように」
「……勇者」

 サリタは浮かべた笑顔を引つらせる。老いた教師はそれに気づかない。

「ええ。祓っていただけるよう、エドガルド様と領主様を通じて本部に連絡を入れておきました。じきに勇者様が来てくださいます。そういえば、サリタ様は勇者様と顔見知りでしたね」
「……私はもう聖女を引退した身。勇者とは関わり合いたくありません。ゴヨ老教師、私がここにいることを、彼には絶対に教えないでくださいませ」
「え? あ、はい、サリタ様がそう仰るのであれば」

「お願いいたしますね」と老教師ゴヨの手をさり気なく握る。さり気なく、撫でる。聖騎士をしていたと言う手はゴツゴツとしていて、大変サリタ好みだ。皺があっても力強さを感じる。許されるものならば、ずっと触っていたいものだ。
 しかし、ゆっくりはしていられない。勇者が来るのだ。焼き菓子を入れていたカゴを持ち、ゴヨに別れの挨拶をして、サリタは家路を急ぐ。既に日が傾き始めている。

 サリタは去年の春、結婚するために二十六歳で聖女を引退した。身寄りのない高齢の夫が半年で亡くなってしまったため、平和と安息を求めて住まいを転々としている。この村には三度目の転居でやってきた。
 しかし、何度転居しても、どこへ向かっても、なぜか必ず見つかってしまうのだ。一番、会いたくない人に。

「もう引っ越しなんてしたくないのに」

 カゴを握りしめ、サリタは呟く。
 高齢の夫が遺してくれた邸は、安住の地にはならなかった。招いてもいないのに、会いたくない人が頻繁にやって来るからだ。サリタは泣く泣く邸を出て、逃げるような生活している。

「サリタ様……どうか、お恵みを」

 引退した聖女が受け取ることができる手当は、教会への寄付や、その日食べるものにも困っている物乞いたちに渡っていくなどして、サリタの手元にはほとんど残らない。ぼろ切れをまとった物乞いに幾ばくかの硬貨を渡し、「西の教会へ行ってゴヨ老教師を訪ねなさい」と先程までいた教会への道順を教え、サリタは立ち去る。
 ゴヨなら彼に食事と新しい服を与え、風呂にも入れてくれるだろう。仕事があれば、手配もしてくれるだろう。優しく、穏やかな、大変好ましい教師だ。年上好きのサリタにはとても魅力的な老教師である。

「サリタ様っ」

 切羽詰まったような声が聞こえ、サリタは素直に振り向く。慌てた様子の青年が、こちらに向かって来ている。

「どうかなさいましたか?」
「お、俺の連れが、木材の下敷きにっ」
「まぁ、それは大変!」
「どうか、手を貸してください! こちらです!」

 青年に促されるまま、サリタは彼を追いかける。人手が必要なのだろう、非力な自分でも役に立てることがあるかもしれない、と考えながら。



 木材置き場にたどり着いたときには、もうすっかりあたりは暗くなっていた。カンテラに火を灯し、妙に静かな木材置き場を二人で歩く。

「こっちです、こっち」

 青年はサリタにしか声をかけていないのか、木材を動かすような音は聞こえない。助けを求める声も聞こえない。木材に足を取られないように気をつけながら、サリタは青年のあとを追う。

「あ、いた!」
「大丈夫ですか!?」

 青年を追い抜き、足から血を流して倒れている男に駆け寄る。カンテラで確認をしたが、男は木材の下敷きにはなっていない。木はいつの間に取り除いたのだろう、と疑問に思いながら男の足元にしゃがんで、サリタはようやく気づく。あたりに漂うのは、血の匂いではないと。

「……トマト、ソース? きゃあ!」

 背後から青年に羽交い締めにされ、サリタは悲鳴を上げる。それを合図に、地面に倒れていた男も起き上がる。下卑た笑みを浮かべて。

「あ、あなた、怪我は?」
「こんな状況になっても俺の怪我の心配ッスか」
「ハハハ。聖女様ってのは、引退しても死ぬまで聖女様なんスね」

 青年に地面に引き倒され、男がサリタの足を押さえる。揺れるカンテラが、二人の蛮行を浮かび上がらせる。サリタは恐怖で声も出せない。体も硬直してしまっている。

「聖女を引退って、つまり、男を受け入れたってことッスよね?」
「サリタ様、満たされない俺たちに、あなたの体を恵んでくださいよぉ」

 初潮を迎え、処女を失うまでが聖女の在任期間だ。サリタも結婚を機に聖女を引退した。十五年、王都の聖女宮で国と民の無事を祈っていた。その民の中に彼らが含まれているのだと思うと、悲しくなる。

「やめて! 離してっ!」

 ようやく声が出せるようになったのだが、男たちは器用に何かの布をサリタの口に突っ込んだ。その手際の良さに、彼らはこれが初めてではないのだろうと想像する。被害に遭った娘がいるかもしれない。

「よし、やるか」

 どちらの声だったのか、サリタにはわからない。ボタンが引きちぎられ、肌が冷たい夜風にさらされる。羞恥に悲鳴を上げても、くぐもった雑音にしかならない。

「おとなしくしていてくださいよ、怪我をさせたくないんで」
「そそ。痛いのはイヤっしょ?」

 むに、と胸を掴まれた冷たい感触にサリタの血の気が引く。太腿を這う指に、サリタは再度悲鳴を上げる。
 瞬間だった。
 上半身が、いきなり軽くなったのは。

「ぎゃあ!」

 青年が横に吹っ飛び、角材にぶつかる。ひどい音を立てて木材が青年目がけて落ちてくる。皮肉なことに、木材の下敷きになってしまったようだ。

「ダメじゃないの、人の女に手を出しちゃあ」

 暗くて青年を蹴飛ばした人物の顔を見ることはできないが、声だけでサリタはそれが誰なのかを知り青ざめる。一番、会いたくない人だ。一番、会ってはいけない人だ。サリタの髪と同じ、銀色の服を目にした瞬間に確信する。

「な、なん」
「やだなぁ、俺の顔わかんない? この村に立ち寄るのも初めてじゃないんだけど、まだ活躍が足りないのかぁ。もう七年もこの仕事やってるのにな」
「何だ、お前は!」

 仲間をやられたことが気に食わなかったのか、トマトソースの男はサリタには目もくれず、現れた男に殴りかかっていく。

「何だって聞かれても。通りすがりの勇者だよ」

 彼の強さを知っているサリタは、胸元を隠し、さっさと逃走する。彼らがどうなろうと、関係ない。男たちが酷い目に遭おうが、勇者が返り討ちに遭おうが、どちらでもいい。

「早く、逃げなきゃ……!」

 サリタの頭の中にあるのは、早く荷物をまとめてこの村を出る。ただそれだけなのだ。


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