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第一章
04.オルガと少年の告白
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暇な時間を利用して、リュカの服に刺繍をするようになった。彼が望んだのは、白い花びらが五枚ある小さな花だ。「母の名前がジャスミーヌだったので」とリュカは寂しげに微笑んだ。
だから、私は彼の母親のことを思い浮かべながらジャスミンの花を刺繍する。「リュカがお母さんに守ってもらえるように」と願いながら、針を進める。
派手にならない程度に裾にあしらった刺繍を、リュカは大変気に入ってくれた。嬉しかったのか、次々に服を差し出してくるリュカが可愛らしくて仕方がない。弟は花の刺繍なんて好まなかった。動物や剣ばかり刺繍していたあの頃が懐かしい。
リュカとお喋りをするのは楽しい。
彼は毎日、聖教会内での失敗や噂話を面白おかしく話してくれる。塩と間違えて砂糖を使ってしまったこと、丈の長い儀式衣装を踏んづけて転んでしまったこと、別の日には他の少年の裾を踏んづけて転ばせてしまったこと、寄付金を数え間違えたこと、本部内で見かけた権力者のこと……だから、自然と私も情報通になってしまう。毎日リュカとお喋りしていたら、塔のてっぺんに閉じ込められていても、二月もたてば本部内で何が起こっているのか大体わかるようになった。
「明日から城下では星降祭りが始まりますよ」
「去年も賑やかだったけど今年も賑やかね。朝から音楽が聞こえているわ」
「貴族が楽隊を呼んでいるみたいです。楽隊が演奏を始めたら、皆すぐに踊り始めるんですよ。まだ本番ではないのに」
「へえ」
私と弟は田舎の村出身だから、王都での祭りを見たことがない。きっと、規模は田舎とは比べものにならないのだろう。
あちこちに星降草が咲き乱れるこの時期、国中で星降祭りが行なわれる。夜になると花弁がぼんやり光る星降草。星が降って花に宿ったため、そう名付けられたといわれている。
星降祭りは、その年に十五歳になり、成人を迎える子どもたちを祝う祭りだ。成人した子は星降草の花を髪や衣服につけ、歩きながら街の人々に祝ってもらう。私も弟も、何年も前に経験済みだ。
酒を飲み、歌い踊りながら、成人を祝い、夜空の星と地上の花を眺めて過ごす祭り。田舎では二日間の祭りだったけれど、王都では七日間に渡って催される。
楽しそうだとは思うけれど、塔からは出られないし、積極的に見に行きたいという気持ちもない。
実は、弟が星降祭りに参加した一月後、両親が事故で亡くなってしまったのだ。星降草が咲くこの今の時期は、毎年寂しい気持ちになる。弟の成人した姿は見せられたけれど、勇者になった姿は見せられなかった。それだけが心残りだ。
「今年は、コレット様とドミニク様が成人なさるので、特に賑やかですよ」
ベルナール第一王子の娘コレットと、セドリック第二王子の息子ドミニク。それぞれが成人を迎えるため、貴族はこぞって楽隊を準備し、盛大に祝っているようだ。
最近、セドリックが来ないのは、息子の成人の儀式の準備で忙しかったからだろう。だとすると、祭りが終わったら、また彼がやってくるということだ。また彼の相手をしなければならないということだ。想像すると、溜め息しか出ない。
「成人の儀が終われば、婚約発表があるでしょうね。王族や貴族は成人前から生涯の伴侶を選ばなければならないので大変ですね」
「そうねぇ」
「姉君様にもそういう相手がいたのですか?」
「まぁ、田舎だもの。幼い頃から、いずれはこの人と一緒になるんだろうなっていうものはあったわね」
ぎゅ、と強く手が握られる。リュカの視線に気づき、私は苦笑する。そんなに睨まなくてもいいのに。可愛い反応だ。
「祭りが終わったあと、彼は他の女の子と一緒になっちゃったの。残念ながら、それから何年も相手が見つからなくて、すっかり行き遅れちゃったわ」
「姉君様の周りにいる男に、女を見る目がなくて良かったです。そうじゃなければ、僕は姉君様に出会えませんでしたから」
私が結婚していたら、聖教会は誰を人質にするつもりだったんだろう? 両親はいないし、弟も結婚していなかったから、私が選ばれたんだろう。弟が結婚していたら、その妻が人質にされていたかもしれない。私が結婚して子どもを生んでいたら、その子が人質にされたかもしれない。そんなふうに考えてゾッとする。
私の義妹、息子や娘が人質に? そんなの、ダメだわ。家族にこんなことさせられない。結婚していなくて良かった……! 行き遅れていて、本当に良かった……!
「姉君様が結婚していなくて良かったです」
「ええ、本当に」
「姉君様もそう思ってくださいますか!?」
「もちろん!」
リュカがニコニコと微笑んでいる。何だか嬉しそうだ。リュカは何でも顔や態度に出るから、本当にわかりやすい。
「姉君様も同じ気持ちでいてくださっているなら、話は早いです」
「早い?」
「はい。結婚するためにはお互いの気持ちが一緒でないといけませんからね!」
「……結婚?」
今の私には一番縁遠い単語が聞こえた気がする。血痕なら割と近いのだけど。
「リュカ、それは無理よ」
聖教会の聖職者が許してくれるはずもない。セドリックも許してはくれないだろう。私の脱走失敗では弟への路銀の減額だけで済んでいたけれど、私が人質の意味をなさなくなるとしたら、弟にどんな制裁があるかわからない。私と同じように危害を加えられるかもしれない。それだけは絶対に避けたい。
けれど、リュカは私の手を強く握り、必死の形相で訴えかけてくる。
「姉君様はここから出たくはないのですか? 野獣のような男たちからの屈辱的な行為を、やめさせたくはないのですか? 自由に、なりたくはないのですか?」
「リュカ……」
「僕は姉君様を自由にして差し上げたい。あんな非道な行為を、終わらせたい」
どうして、そんなに私を想ってくれるの? そんな疑問は、すぐに消える。私だって鈍感ではない。リュカの気持ちに気づかないふりはできない。
「僕は姉君様を心からお慕いしています」
私の左手を恭しく掲げ、リュカは私の手の甲を彼の額へと導いた。指先に触れる、冷たい額。そっと降ろされ、次は彼の唇が指先に触れる。
「心から、愛しています」
緑色の澄んだ瞳に見つめられると、言葉に詰まる。何を言っていいのかわからない。どうすればいいのか、わからない。
「もし、総主教様から結婚のお許しが出なければ――」
美しい瞳がすっと細められ、リュカが笑む。
「僕と一緒に逃げましょう」
指先、手のひら、手の甲、それぞれに口づけを落としながら、リュカは私をじっと見つめる。私はその瞳に捕らえられたまま、逃げることができない。
「心から愛しています」
体が震える。嬉しいのか、怖いのか、わからない。だって、こんなこと、言われたことがないんだもの。どんなことを言えばいいのかなんて、わからない。
「オルガ様、愛しています」
何が正解なのか、私にはわからない。
だから、私は彼の母親のことを思い浮かべながらジャスミンの花を刺繍する。「リュカがお母さんに守ってもらえるように」と願いながら、針を進める。
派手にならない程度に裾にあしらった刺繍を、リュカは大変気に入ってくれた。嬉しかったのか、次々に服を差し出してくるリュカが可愛らしくて仕方がない。弟は花の刺繍なんて好まなかった。動物や剣ばかり刺繍していたあの頃が懐かしい。
リュカとお喋りをするのは楽しい。
彼は毎日、聖教会内での失敗や噂話を面白おかしく話してくれる。塩と間違えて砂糖を使ってしまったこと、丈の長い儀式衣装を踏んづけて転んでしまったこと、別の日には他の少年の裾を踏んづけて転ばせてしまったこと、寄付金を数え間違えたこと、本部内で見かけた権力者のこと……だから、自然と私も情報通になってしまう。毎日リュカとお喋りしていたら、塔のてっぺんに閉じ込められていても、二月もたてば本部内で何が起こっているのか大体わかるようになった。
「明日から城下では星降祭りが始まりますよ」
「去年も賑やかだったけど今年も賑やかね。朝から音楽が聞こえているわ」
「貴族が楽隊を呼んでいるみたいです。楽隊が演奏を始めたら、皆すぐに踊り始めるんですよ。まだ本番ではないのに」
「へえ」
私と弟は田舎の村出身だから、王都での祭りを見たことがない。きっと、規模は田舎とは比べものにならないのだろう。
あちこちに星降草が咲き乱れるこの時期、国中で星降祭りが行なわれる。夜になると花弁がぼんやり光る星降草。星が降って花に宿ったため、そう名付けられたといわれている。
星降祭りは、その年に十五歳になり、成人を迎える子どもたちを祝う祭りだ。成人した子は星降草の花を髪や衣服につけ、歩きながら街の人々に祝ってもらう。私も弟も、何年も前に経験済みだ。
酒を飲み、歌い踊りながら、成人を祝い、夜空の星と地上の花を眺めて過ごす祭り。田舎では二日間の祭りだったけれど、王都では七日間に渡って催される。
楽しそうだとは思うけれど、塔からは出られないし、積極的に見に行きたいという気持ちもない。
実は、弟が星降祭りに参加した一月後、両親が事故で亡くなってしまったのだ。星降草が咲くこの今の時期は、毎年寂しい気持ちになる。弟の成人した姿は見せられたけれど、勇者になった姿は見せられなかった。それだけが心残りだ。
「今年は、コレット様とドミニク様が成人なさるので、特に賑やかですよ」
ベルナール第一王子の娘コレットと、セドリック第二王子の息子ドミニク。それぞれが成人を迎えるため、貴族はこぞって楽隊を準備し、盛大に祝っているようだ。
最近、セドリックが来ないのは、息子の成人の儀式の準備で忙しかったからだろう。だとすると、祭りが終わったら、また彼がやってくるということだ。また彼の相手をしなければならないということだ。想像すると、溜め息しか出ない。
「成人の儀が終われば、婚約発表があるでしょうね。王族や貴族は成人前から生涯の伴侶を選ばなければならないので大変ですね」
「そうねぇ」
「姉君様にもそういう相手がいたのですか?」
「まぁ、田舎だもの。幼い頃から、いずれはこの人と一緒になるんだろうなっていうものはあったわね」
ぎゅ、と強く手が握られる。リュカの視線に気づき、私は苦笑する。そんなに睨まなくてもいいのに。可愛い反応だ。
「祭りが終わったあと、彼は他の女の子と一緒になっちゃったの。残念ながら、それから何年も相手が見つからなくて、すっかり行き遅れちゃったわ」
「姉君様の周りにいる男に、女を見る目がなくて良かったです。そうじゃなければ、僕は姉君様に出会えませんでしたから」
私が結婚していたら、聖教会は誰を人質にするつもりだったんだろう? 両親はいないし、弟も結婚していなかったから、私が選ばれたんだろう。弟が結婚していたら、その妻が人質にされていたかもしれない。私が結婚して子どもを生んでいたら、その子が人質にされたかもしれない。そんなふうに考えてゾッとする。
私の義妹、息子や娘が人質に? そんなの、ダメだわ。家族にこんなことさせられない。結婚していなくて良かった……! 行き遅れていて、本当に良かった……!
「姉君様が結婚していなくて良かったです」
「ええ、本当に」
「姉君様もそう思ってくださいますか!?」
「もちろん!」
リュカがニコニコと微笑んでいる。何だか嬉しそうだ。リュカは何でも顔や態度に出るから、本当にわかりやすい。
「姉君様も同じ気持ちでいてくださっているなら、話は早いです」
「早い?」
「はい。結婚するためにはお互いの気持ちが一緒でないといけませんからね!」
「……結婚?」
今の私には一番縁遠い単語が聞こえた気がする。血痕なら割と近いのだけど。
「リュカ、それは無理よ」
聖教会の聖職者が許してくれるはずもない。セドリックも許してはくれないだろう。私の脱走失敗では弟への路銀の減額だけで済んでいたけれど、私が人質の意味をなさなくなるとしたら、弟にどんな制裁があるかわからない。私と同じように危害を加えられるかもしれない。それだけは絶対に避けたい。
けれど、リュカは私の手を強く握り、必死の形相で訴えかけてくる。
「姉君様はここから出たくはないのですか? 野獣のような男たちからの屈辱的な行為を、やめさせたくはないのですか? 自由に、なりたくはないのですか?」
「リュカ……」
「僕は姉君様を自由にして差し上げたい。あんな非道な行為を、終わらせたい」
どうして、そんなに私を想ってくれるの? そんな疑問は、すぐに消える。私だって鈍感ではない。リュカの気持ちに気づかないふりはできない。
「僕は姉君様を心からお慕いしています」
私の左手を恭しく掲げ、リュカは私の手の甲を彼の額へと導いた。指先に触れる、冷たい額。そっと降ろされ、次は彼の唇が指先に触れる。
「心から、愛しています」
緑色の澄んだ瞳に見つめられると、言葉に詰まる。何を言っていいのかわからない。どうすればいいのか、わからない。
「もし、総主教様から結婚のお許しが出なければ――」
美しい瞳がすっと細められ、リュカが笑む。
「僕と一緒に逃げましょう」
指先、手のひら、手の甲、それぞれに口づけを落としながら、リュカは私をじっと見つめる。私はその瞳に捕らえられたまま、逃げることができない。
「心から愛しています」
体が震える。嬉しいのか、怖いのか、わからない。だって、こんなこと、言われたことがないんだもの。どんなことを言えばいいのかなんて、わからない。
「オルガ様、愛しています」
何が正解なのか、私にはわからない。
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