ハッピーエンドをさがして ~バッドエンドを繰り返す王子と令嬢は今度こそ幸せになりたい~

千咲

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三章 ○○ハッピーエンド

032.雷鳴の中で

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 ロベール伯爵家の別荘は家族と使用人が使うことを想定しているため、邸自体も小さく、客室の数もそう多くはない。そのため、サフィールと彼の身の回りの世話をする者たちだけが邸に留まり、それ以外の者は街の宿に泊まることとなった。
 ジョゼは邸主代理として料理長やメイドたちに指示を出す。サフィールは「簡素な食事でよい。特別に丁寧な扱いは不要である」とは言っているが、伯爵家の矜持にかけて手を抜くことだけはしないようにと皆が気を引き締めている。
 そして、案の定、ロベール伯爵は土砂崩れの現場へ向かったようで、その旨を早馬に乗った使用人が伝えてきた。ジョゼは別荘での状況――第一王子は無事であること、ジョゼが責任を持ってもてなすことを手紙にしたため、父伯爵へとことづけてもらう。これで、こちらの様子を気にすることなく、父は領主として采配を振るうことができるだろう。

 外は激しい雨が降っている。時折、雷鳴が聞こえる。伯爵領ではよくある天気だ。既に土砂崩れのあった地域では雨が上がっており、明日の朝には別荘の周りも晴れるだろう。
 サフィールは「そんなに天候が変わりやすいのか」と驚きながら、黒猪のステーキを食べていた。第一王子一行は、南方にある侯爵領へ、公務のために向かっている途中だったらしい。余裕のある旅程ではあるものの、天候のことを気にかけていなかったようで、この先の気候や街道での注意などを熱心に聞いてくるのだった。

 そうして、夕飯も入浴もつつがなく終わり、皆がようやく寝静まった頃、ジョゼは一階の広い居室でしばらくぼんやりと香茶を飲んでいた。強い風が木々の葉を揺らし、窓を叩いて騒々しい。だが、ジョゼはこの賑やかさが嫌いではない。真に恐ろしいのは沈黙であることを、ジョゼはよく知っている。

「……騒がしいな」

 カンテラを持ち、居室にやってきた彼を見て、ジョゼは微笑む。

「あまりに騒々しいので眠れませんでしたか?」
「いや。雷が怖いから眠れないというわけではない」
「雷が怖いので眠れないのですね」

 ソファに座ったサフィールのために、香茶を準備する。
 サフィールは雷鳴が聞こえるたびにビクリと体を震わせていたが、ジョゼに恥ずかしいところを見せられないと強がっているのか、若干挙動不審になっている。

「どうぞ。杏ジャムを入れておきました」
「うん、ありがとう」
「少し冷えますので、毛布をお持ちいたしますね」

 サフィールのための毛布を取りに行こうとすると、ジョゼが先ほどまで使っていた毛布を取り、彼は「これでいい」と包まる。「ではわたくしの分を」と取りに行こうとすると、「ここにいてくれ」とサフィールが命令する。
 つまり、彼は、雷鳴が恐ろしいため、そばにいてもらいたいようだ。妹たちそっくりな怖がりっぷりである。
 苦笑しながら、ジョゼはサフィールの隣に座る。

「すまないな。想定外のことばかりを伯爵家の人間に強いてしまって。礼の品物は奮発するとしよう」
「お気遣いありがとうございます。そうしていただけると、家の者たちも喜びます」
「そうか。きみは何がほしい? 宝石か? 宝飾品か? 領地の一部か?」

 ジョゼは少し考えて、「帽子ですね」と答える。

「帽子?」
「はい。わたくしの髪に似合う帽子を、一つ」
「一つでいいのか?」
「手紙も添えていただければ、それで構いません」

 サフィールはじぃっとジョゼを見つめる。髪の色を確認しているのだろう。その視線が何だかくすぐったい気がして、ジョゼは苦笑する。

「そんなに見つめられると恥ずかしいのですが」
「あぁ、すまない。ごめん」

 サフィールは照れ隠しのためか、慌てて香茶を飲む。
 今回のサフィールも、前々回と同じ色の――杏色の帽子を準備してくれるだろうかとジョゼは疑問に思う。
 そもそも、同じ人生を繰り返している自分たちは、すべて同一人物だという保証もない。どの人生も、結末はそれぞれ異なる。ならば、それぞれのジョゼやそれぞれのサフィールであったかもしれないのだ。
 ただ、そのすべての記憶を有しているだけの存在に過ぎないのだ。

「……ジョゼフィーヌ嬢。きみと一緒にいると、何だかとても不思議な気持ちになる」
「懐かしい気持ちですか?」
「懐かしい……そうだな、そうかもしれない。どこか懐かしく、暖かく、何とも言えない気持ちになる」

 何十回も人生を繰り返してきたのだ。何十回も出会い、別れてきたのだ。今は記憶を有していなくても、そういう感覚にもなることだろう。

「聖母神様のもとで魂は循環すると言いますから、遠い過去、わたくしと王子殿下の間にも、どこかで何かしらの縁はあったのかもしれませんね。大変光栄なことでございます」

 サフィールは神妙な顔をしたまま、香茶のカップを眺めている。そこに答えが浮かんでいるわけでもないというのに。

「……ジョゼフィーヌ嬢」
「はい。いかがいたしましたか?」
「きみは、家族に満足しているか?」

 どういう意図の質問かがわからないままに、ジョゼは「はい」と頷く。

「伯爵も、きみに全幅の信頼を置いているようだ」
「ええ、そのように育てられましたから」
「妹たちも、きみを慕っているようだった」
「ええ、可愛らしい妹たちです」

 ――質問の意味がわからないわ。

 サフィールの考えていることがわからず、ジョゼはとりあえず無難に答える。サフィールは小さく「そうか」と呟き、香茶を飲む。その表情から、感情を読み取ることはできない。

「……俺は、いつも家族の中に何かが欠けていると思っていた。愛もある、情もある、身分も権力もあるのに、いつも、何かが足りないと思っていた」

 それは、と言おうとしてジョゼは口をつぐむ。欠けているものが何なのか、ジョゼは知っている。よく、知っている。

「家族に不満があるわけでもない。だが、満足しているわけではない。贅沢な悩みだとは理解しているんだ。でも、何かが足りない。俺は、ずっと探していたんだと思う。無意識のうちに、ずっと」

 サフィールが、ジョゼを見つめる。澄んだ青玉の瞳に、ジョゼの戸惑う顔が映る。

「……きみは、知っている? 俺の中に足りないものを、欠けているものを、知っている?」

 試すような視線だとジョゼは思う。いや、はっきりと、試されているのだ。
 記憶が戻っていなくとも、サフィールはずっと彼を探している。聖母神の気まぐれで創られた彼を、サフィールは家族の一員として認識していたのだ。家族の中にいるはずの彼を、彼の姿を、ずっと探しているのだ。
 もう、いないというのに。

「……わたくしは」

 ジョゼが意を決して口を開こうとした瞬間――激しい光と轟音が、窓をびりびりと震わせた。


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