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007.深夜のバニーさん(ケンタウロス)
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ピピピと着信音が鳴った。真夜中の二時に。
眠っているときでもつけている腕時計型の通信機に電話をかけてくるのは、悪の組織の関係者だけだ。
やだ、もう、なに? だれ? イワトビ様といい気持ちで眠っていたのに!
寝ぼけて同じ左腕につけている変身用のブレスレットのバンド部分を押したため、通話できなかったみたい。目を開けて通信機の応答ボタンをタップし、不機嫌な声で応答する。
「何? 誰?」
『こちらスネーク。寝ているところ悪いな』
「そう思うなら寝かせてよぉ、ふあ」
『ケンタウロスのケンが捕まった』
「……誰に?」
スネークからの端的な情報に、一瞬で頭が覚醒する。
ケンは非番だったはずだ。非番の日は一日中トレーニングルームにいるはずなんだけど、今日は違ったみたいだ。正義の味方に捕まったのか、一般人なのか、警察なのかで対応は変わってくる。
『警察だ』
「……マジか」
『カブキ町でやらかして真宿(しんじゅく)警察署に移ったらしい。あちらさんはジャスミンバニーに引き取ってもらいたいそうだ』
勘弁してほしい。
悪の組織が敵対しているのは、正義の味方だけではない。警察も同じだ。器物損壊罪や傷害罪で告訴状が出ていないか確認した上で敵地に赴かなければならない。何しろ、身に覚えがありまくりだ。
『まぁ、行っても大丈夫だろ。本名も生年月日も住所もバレていないんだから、あんたは逮捕されねえよ。現行犯でもないし、通常逮捕するほどの証拠もない。マスクを被っていて助かったな』
「ほんとに? 捕まらない?」
『緊急逮捕の可能性もあるが、高くはないだろ』
逮捕される可能性があるなら行きたくない。ケンには悪いけど、警察署で一晩明かしてもらうか。別に悪くないアイデアだと思うんだけどな。
『行けよ。ボスからの命令だからな、これ』
スネークからの通信が途絶える。切りやがったな、あいつ。ボスの命令……ボスの命令じゃあ、行かないわけにはいかない。ボスの命令は絶対だもの。
私は抱きしめていたペンギンマン・イワトビの特大ぬいぐるみをベッドに寝かせ、のろのろと起き上がる。あくびをしながら変身用ブレスレットを掲げて、ジャスミンバニーに変身する。長い耳のついたマスク、丸いしっぽとサイハイブーツが特徴的な、白いバニーガールになる。
ヒーローたちと同じく、ジャスミンバニーにも変身が必要だ。バニースーツを着ていないと、ヒーローたちと互角に渡り合えないし、下手すると力の強いサウザンズに殺傷されそうになってしまう。筋肉の増強や、いろんなところの保護は必要なのよ。バニースーツは保護されていないように見えるけど、防御力はめちゃくちゃ高い。悪の組織の技術部は世界最高だわ。
けれど、このまま外出するのは難しい。口だけが出ているマスクだと、警察署に着く前に私が職質される可能性が高い。かと言って夏にコートを着るのも変質者っぽい。悩ましいわよね、TPOを弁えるのは。……そもそも、弁える必要はあるのかしら。だって私、悪の組織の女幹部なんだから。
悩んだ結果、薄手のパーカーにスカートを合わせ、ウサ耳は帽子で何とか隠すことにして、私はペンギンマン・イワトビだらけの部屋を出た。
悪の組織基地は地下にある。地上と地下を行き来するには、移送ポッドやエレベーター、階段を含めいくつかのルートがあるのだけど、真宿方面だと駅に出るのが一番早い。ダンジョンや迷路に例えられるほど複雑な構造ゆえ、悪の組織の基地に通じる出入り口が準備されているのだ。意味不明な出入り口があっても、誰も疑問に思わないのが真宿の怖いところよね。
もちろん、地下でも地上でも迷いそうになるんだけど、何とか地上にたどり着き、西口から警察署へ向かう。
酔っ払いが多く地面に寝転がっている。道の隅に、酔っ払い、酔っ払い、ゲロ、酔っ払い、ゲロ……週末でもないのに酷い有様だ。小走りで酔っ払いゾーンを抜け、警察署にたどり着く。
真宿警察署は、非常に賑やかだった。深夜の三時だと思えないくらいに人が――酔っ払いがいて、制服を着た警察官が右往左往している。ご苦労なことよね。あたりを見回すけれど、ケンタウロスの姿は見えない。近くを通った警察官に話しかける。
「すみません、ケンタウロスはどこにいますか?」
「何、見学の人?」
「いえ、引き取りにきました」
「あぁ、車庫にいるよ。図体がでかいから署内に入んなくてさ」
何課のお世話になっているのかもわからないまま、警察署の外に出る。一般駐車場の奥に白黒のパトカーと白いバイクが並ぶ車庫があった。その一角に、警察官二人と、ぐったりとしたケンタウロスが地面に寝そべっている。シャツははだけ、肌は赤い。酔っ払っているの? 完全にオフモードじゃないの。
「すみませーん」
「ん? ケンタウロスは見世物じゃないよ」
「ジャスミンバニーです」
帽子を取りウサ耳を見せると、警察官は驚いて「バニーさん?」「本物?」と顔を見合わせている。仕方がない。私だって深夜三時はオフモードだ。高飛車な演技をしている場合じゃない。敬語だって使うわよ。
警察官は七瀬と八木と名乗る。二人から握手を求められたので、素直に応じておく。「ファンなんです」と警察官に目をキラキラさせて言われたら、拒絶するのもかわいそうじゃない? 捕まえる気なんてなさそうだし。
「うちのケンタウロス、何かやらかしたんですか?」
ケンは自慢の胸をピクピクさせながら眠っている。太い腕に手錠はかかっていない。逮捕されたわけではなさそうね。
「カブキ町でちょっと速度超過をしてね」
「あと車両不整備もだな」
「ケンタウロスが?」
生活安全課かと思っていたら、まさかの交通課?
「馬は軽車両になるからね。飲酒した状態で公道を走っちゃダメなんだ」
「ライトもつけないといけないし」
ケンタウロスは馬扱いになるのかしら。馬に「乗って」いるのか疑問はあるし、本人は納得しないだろうけど。
「罰則か何かあるんですか?」
「ケンタウロスは馬扱いになるけど、厳密には馬じゃないからねぇ」
「軽車両として取り締まるにも規則がないもんなぁ」
つまり、罰金も何もないみたい。厳重注意ってところらしい。
馬が公道を歩く際の注意事項の紙をもらい、帰ろうとしたら止められた。とにかくケンタウロスの目が覚めるまで、つまり酔いが醒めるまで、車庫にいるように指示される。警官もケンタウロスを持て余しているということなんでしょ。
七瀬と八木は署内へと戻っていく。あれだけの数の酔っ払いを相手にしなければならないのだ。人手が足りないだろう。
「スネーク、ケンは保護されていただけみたいよ」
『ん? あぁ、そうなのかい?』
保護されていただけなら私は必要なかったのに、とスネークに愚痴ると、通信機の向こうで一瞬の沈黙があった。そうして、次の瞬間には『マズい!』と焦る声。
『逃げろ、バニー! それは罠だ!』
罠?
その言葉を認識した瞬間に、目の前が真っ白になった。上映ホールのスポットライトよりも強い光が私に当てられている。警察署の屋上からの光か、照明車の光かはわからないけで、とにかく目が眩む。……けど、ちょっと気持ちいい。
「誰? 何?」
「警視庁組織犯罪特別対策室の上杉と申します。ジャスミンバニーさんとケンタウロスのケンさんですね?」
「あ、俺は影山です」
組織犯罪特別対策室――ヤバい、特対室だ。悪の組織の捜査をしている部署。とは言っても、今までは大した活動をしていない閑職部署だったはず。それが、何で今さら?
スポットライトの光は強く、マスク内のレンズが自動で光量を調節し始めるけれど、それでも追いつかない。足音は少ない。人数は二人だけのようね。
「上杉さんに影山さん? 特対室にそんな名前の人は今までいなかったはずだけど?」
「おや、よくご存知ですね。我々は先日異動になったばかりでして、どうしてもあなたに挨拶をしたいと思いましてねぇ」
「すみませんね、こんな深夜にご足労いただきまして。でも、こうでもしなきゃ、あなた出てきてくれないっしょ?」
理路整然とした口調が上杉、若々しい喋り方なのが影山。私の直感が告げている。こいつらは――ヒーローたちよりも厄介だ。
私はスポットライトのほうを見据えたまま、ブーツでケンの腹を蹴る。人体なのか馬体なのか、よく見えていないけど。
「……う?」
「ケン、そのままでいいから、聞いて。緊急事態よ」
「あね、さん?」
「いつでも逃げられるようにしておいて」
部下と手短に会話をしたあと、声の調子を整える。さて、深夜三時のジャスミンバニーを演じてやろうじゃないの。
「挨拶なんて言いながら、随分不躾なことをするのねぇ? スポットライトを浴びるのは好きだけど、これじゃああなたたちの顔が見えないじゃないの」
「あぁ、これは失礼を」
スポットライトが消える。暗闇の中、現れたのはスーツ姿の男性二人。彼らが特対室の刑事だ。上杉のほうは眼鏡をかけた落ち着いたオジ様。影山は茶色い髪の――あら、割とイケメン。ヒーローの中にいても違和感のないルックスだ。
「これで見られますよね?」
「ええ。枯れたオッサンじゃないことだけはわかったわ」
「オッサン、ですか。ジャスミンバニーさんは意外と若い声なんですねぇ」
「あなたたちよりは若いんじゃないかしら」
上杉は五十代、影山は二十代後半から三十代前半に見える。私のほうが確実に若い。
「失礼とは存じていますが、我々にぜひ年齢を教えていただきたく」
「女性に年齢を聞くのが失礼だとわかっているなら、聞かないほうが良いのではなくて?」
「一筋縄ではいかない相手のようですねぇ」
「同感ね」
警察署の警官や刑事は出てきていない。特対室の二人、そして私たちしか車庫の近くにいない。望遠レンズと熱源センサーで確認した限りだと、ビルや警察署の屋上に狙撃手がいるわけでもなさそうだ。
本当に挨拶だけ? 捕まえる気はない?
私はジリジリと後ずさり、ケンに近づく。動くなとは言われていないのだから、別に移動してもいいはずだ。
「あなたたちの顔は覚えたわ。もう帰ってもいいかしら?」
「それはいけません。ケンさんはまだ酩酊状態ではありませんか」
「もう少しお話ししません? 署内にコーヒーを準備しますから」
「私には話すことなんてないんだけど」
笑顔を浮かべながら、二人は近寄ってくる。刑事の笑顔ほど怖いものはない。サウザンズにも教えてある。ヒーローの必殺技と同じくらい恐ろしいものだと。
「まぁ、そうおっしゃらずに。閑散としたビーチでの町おこし、あれは素晴らしい計画でしたねぇ。あのトロリンさんを使った作戦はジャスミンバニーさんのお考えですか?」
「町おこし……?」
「それとも、若林議員からの依頼でしょうか?」
なるほど、そういうことね。刑事たちは、悪の組織と議員の癒着を捜査している。これは、かなり厄介ね。実際、政界と悪の組織はズブズブの関係だもの。どっちが悪の組織だかわからないくらいにね。
「先日の、財策大臣補佐官の逮捕にも関わっておいでですよね? シラホネさんがふれあいゴルフコンペで暴れた際、そこに財策大臣がいたことを――」
「ケン!」
「ウス!」
合図とともに、私はケンタウロスの背に乗る。シャツにしがみつくと、ケンは起き上がり、一気に視界が高くなる。酔ってはいても、ふらつきはない。酒臭いが、大丈夫そうだ。
「与太話に付き合うほど暇じゃないの、私」
「おや。挨拶だけのつもりが、とんだご無礼を」
無礼? 失礼、も何回か聞いたけど、謝っているという意識もないでしょ、あなたには。
「上杉さんは話が長いですからね。しかもねちっこい」
「影山くん、ねちっこいとはどういう意味ですか。心外だなぁ」
「では、私はこれで」
ケンが駆け出す前に、上杉が「ジャスミンバニーさん」としつこく呼びかけてくる。影山の言う通り、ねちっこそう。茶山栗栖と同じ、苦手なタイプだわ。
「まだ何か? 私に用があるなら、サイトの問い合わせフォームを通してちょうだい」
「いえ。またお会いいたしましょう」
「まぁ、遠くない未来に、ね」
悪役がめちゃくちゃ似合いそうな笑みを浮かべ、上杉と影山は私たちを見送る。「また来るわよ」は相手が刑事なので使わない。会いたくない相手には使いたくないじゃない?
「ケン、行きましょ」
ケンタウロスは南へ走り出す。基地に戻るには、ここからだと世々木公園の出入り口が一番近い。ケンの酔いはすっかり醒めているようだ。特対室の二人は追っては来ない。ケンタウロスが軽車両なのかまだ判断はできないけれど、揉め事は起こしたくないから早歩きで、法定速度は守ってもらう。タコメーターがあるわけじゃないから、大体のスピードだけど。
「……嫌な刑事ッスね」
「本当にね。二度と会いたくないわ」
すみません、とケンが頭を下げる。私は足でケンの馬体の腹を蹴る。
「誰のせいよ!」
「俺のせいです! マジすみませんでした!」
「当分、地上に出て飲むの、禁止だから!」
「ウス! あ、姐さん、お耳に入れたいことが」
「あとで聞く!」
ケンの姿を見ても、私たちが大声で怒鳴り合っていても、あたりの酔っ払いは気にしていない。夢を見たとでも思うのだろう。私たちにとっては都合がいい。
夜中の公園に進入し、闇夜の中でケンタウロスの馬体から降りる。ケンは体を小さく縮ませ、私が両手で抱えられるほどの大きさになる。サウザンズは自らの意志で大きさを伸縮させることができる。便利なものだけど、小さくなるのは窮屈に感じるらしい。ケンもぷるぷる震えている。先程までのサイズが、彼にとっては一番楽な大きさなのだ。
マスクの熱源センサーであたりに人がいないことを確認してから出入り口のほうへと向かう。「国土管理局」と書かれた太い支柱に近づき、センサーに変身用のブレスレットをかざして解錠する。ちなみに、国土管理局という組織はない。「悪の組織管理局」だとすぐ撤去されてしまうから、でっち上げてそう書いてあるみたい。
支柱の扉が開き、ケンを抱きかかえたまま中にある小さなポッドに入る。扉が閉まると、自動で動き始める。地下にめぐらされた配管の中を、プログラムにより動いていく。ちょっとした浮遊感に、ジェットコースター気分が味わえる。気送管(エアシューター)のような仕組みの、移送ポッドだ。
「で、話したいことって?」
基地までたどり着くには時間がかかる。場所によっては、ポッド乗り換えも必要になる。話をするにはうってつけの空間だ。
腕の中で震えるケンは、「俺、カブキ町で見たんです」と私を見上げる。
「誰を?」
「アップルレッドです。追いかけようと走ったら、制服に捕まって」
カブキ町でアップルレッドを見かけ、走ったために速度超過をした、と。それを警察官に見つかった、とケンは主張する。
「そりゃ、アップルレッドだか赤峰林檎だかもそのへんにいるでしょ。人間なんだから」
「でも、一緒にいたのは――」
ケンは断言する。
「――人狼のワルヴ、ッスよ?」
……ワルヴ。私は頭を抱えた。
「あんの、女好きめ!」
どいつもこいつも、私の仕事を増やすんじゃないっ!!
▼▽▼ 問題(4) ▼▽▼
「雪だるまん」がピンチになると雪を降らせにやって来る仲間は誰か。
眠っているときでもつけている腕時計型の通信機に電話をかけてくるのは、悪の組織の関係者だけだ。
やだ、もう、なに? だれ? イワトビ様といい気持ちで眠っていたのに!
寝ぼけて同じ左腕につけている変身用のブレスレットのバンド部分を押したため、通話できなかったみたい。目を開けて通信機の応答ボタンをタップし、不機嫌な声で応答する。
「何? 誰?」
『こちらスネーク。寝ているところ悪いな』
「そう思うなら寝かせてよぉ、ふあ」
『ケンタウロスのケンが捕まった』
「……誰に?」
スネークからの端的な情報に、一瞬で頭が覚醒する。
ケンは非番だったはずだ。非番の日は一日中トレーニングルームにいるはずなんだけど、今日は違ったみたいだ。正義の味方に捕まったのか、一般人なのか、警察なのかで対応は変わってくる。
『警察だ』
「……マジか」
『カブキ町でやらかして真宿(しんじゅく)警察署に移ったらしい。あちらさんはジャスミンバニーに引き取ってもらいたいそうだ』
勘弁してほしい。
悪の組織が敵対しているのは、正義の味方だけではない。警察も同じだ。器物損壊罪や傷害罪で告訴状が出ていないか確認した上で敵地に赴かなければならない。何しろ、身に覚えがありまくりだ。
『まぁ、行っても大丈夫だろ。本名も生年月日も住所もバレていないんだから、あんたは逮捕されねえよ。現行犯でもないし、通常逮捕するほどの証拠もない。マスクを被っていて助かったな』
「ほんとに? 捕まらない?」
『緊急逮捕の可能性もあるが、高くはないだろ』
逮捕される可能性があるなら行きたくない。ケンには悪いけど、警察署で一晩明かしてもらうか。別に悪くないアイデアだと思うんだけどな。
『行けよ。ボスからの命令だからな、これ』
スネークからの通信が途絶える。切りやがったな、あいつ。ボスの命令……ボスの命令じゃあ、行かないわけにはいかない。ボスの命令は絶対だもの。
私は抱きしめていたペンギンマン・イワトビの特大ぬいぐるみをベッドに寝かせ、のろのろと起き上がる。あくびをしながら変身用ブレスレットを掲げて、ジャスミンバニーに変身する。長い耳のついたマスク、丸いしっぽとサイハイブーツが特徴的な、白いバニーガールになる。
ヒーローたちと同じく、ジャスミンバニーにも変身が必要だ。バニースーツを着ていないと、ヒーローたちと互角に渡り合えないし、下手すると力の強いサウザンズに殺傷されそうになってしまう。筋肉の増強や、いろんなところの保護は必要なのよ。バニースーツは保護されていないように見えるけど、防御力はめちゃくちゃ高い。悪の組織の技術部は世界最高だわ。
けれど、このまま外出するのは難しい。口だけが出ているマスクだと、警察署に着く前に私が職質される可能性が高い。かと言って夏にコートを着るのも変質者っぽい。悩ましいわよね、TPOを弁えるのは。……そもそも、弁える必要はあるのかしら。だって私、悪の組織の女幹部なんだから。
悩んだ結果、薄手のパーカーにスカートを合わせ、ウサ耳は帽子で何とか隠すことにして、私はペンギンマン・イワトビだらけの部屋を出た。
悪の組織基地は地下にある。地上と地下を行き来するには、移送ポッドやエレベーター、階段を含めいくつかのルートがあるのだけど、真宿方面だと駅に出るのが一番早い。ダンジョンや迷路に例えられるほど複雑な構造ゆえ、悪の組織の基地に通じる出入り口が準備されているのだ。意味不明な出入り口があっても、誰も疑問に思わないのが真宿の怖いところよね。
もちろん、地下でも地上でも迷いそうになるんだけど、何とか地上にたどり着き、西口から警察署へ向かう。
酔っ払いが多く地面に寝転がっている。道の隅に、酔っ払い、酔っ払い、ゲロ、酔っ払い、ゲロ……週末でもないのに酷い有様だ。小走りで酔っ払いゾーンを抜け、警察署にたどり着く。
真宿警察署は、非常に賑やかだった。深夜の三時だと思えないくらいに人が――酔っ払いがいて、制服を着た警察官が右往左往している。ご苦労なことよね。あたりを見回すけれど、ケンタウロスの姿は見えない。近くを通った警察官に話しかける。
「すみません、ケンタウロスはどこにいますか?」
「何、見学の人?」
「いえ、引き取りにきました」
「あぁ、車庫にいるよ。図体がでかいから署内に入んなくてさ」
何課のお世話になっているのかもわからないまま、警察署の外に出る。一般駐車場の奥に白黒のパトカーと白いバイクが並ぶ車庫があった。その一角に、警察官二人と、ぐったりとしたケンタウロスが地面に寝そべっている。シャツははだけ、肌は赤い。酔っ払っているの? 完全にオフモードじゃないの。
「すみませーん」
「ん? ケンタウロスは見世物じゃないよ」
「ジャスミンバニーです」
帽子を取りウサ耳を見せると、警察官は驚いて「バニーさん?」「本物?」と顔を見合わせている。仕方がない。私だって深夜三時はオフモードだ。高飛車な演技をしている場合じゃない。敬語だって使うわよ。
警察官は七瀬と八木と名乗る。二人から握手を求められたので、素直に応じておく。「ファンなんです」と警察官に目をキラキラさせて言われたら、拒絶するのもかわいそうじゃない? 捕まえる気なんてなさそうだし。
「うちのケンタウロス、何かやらかしたんですか?」
ケンは自慢の胸をピクピクさせながら眠っている。太い腕に手錠はかかっていない。逮捕されたわけではなさそうね。
「カブキ町でちょっと速度超過をしてね」
「あと車両不整備もだな」
「ケンタウロスが?」
生活安全課かと思っていたら、まさかの交通課?
「馬は軽車両になるからね。飲酒した状態で公道を走っちゃダメなんだ」
「ライトもつけないといけないし」
ケンタウロスは馬扱いになるのかしら。馬に「乗って」いるのか疑問はあるし、本人は納得しないだろうけど。
「罰則か何かあるんですか?」
「ケンタウロスは馬扱いになるけど、厳密には馬じゃないからねぇ」
「軽車両として取り締まるにも規則がないもんなぁ」
つまり、罰金も何もないみたい。厳重注意ってところらしい。
馬が公道を歩く際の注意事項の紙をもらい、帰ろうとしたら止められた。とにかくケンタウロスの目が覚めるまで、つまり酔いが醒めるまで、車庫にいるように指示される。警官もケンタウロスを持て余しているということなんでしょ。
七瀬と八木は署内へと戻っていく。あれだけの数の酔っ払いを相手にしなければならないのだ。人手が足りないだろう。
「スネーク、ケンは保護されていただけみたいよ」
『ん? あぁ、そうなのかい?』
保護されていただけなら私は必要なかったのに、とスネークに愚痴ると、通信機の向こうで一瞬の沈黙があった。そうして、次の瞬間には『マズい!』と焦る声。
『逃げろ、バニー! それは罠だ!』
罠?
その言葉を認識した瞬間に、目の前が真っ白になった。上映ホールのスポットライトよりも強い光が私に当てられている。警察署の屋上からの光か、照明車の光かはわからないけで、とにかく目が眩む。……けど、ちょっと気持ちいい。
「誰? 何?」
「警視庁組織犯罪特別対策室の上杉と申します。ジャスミンバニーさんとケンタウロスのケンさんですね?」
「あ、俺は影山です」
組織犯罪特別対策室――ヤバい、特対室だ。悪の組織の捜査をしている部署。とは言っても、今までは大した活動をしていない閑職部署だったはず。それが、何で今さら?
スポットライトの光は強く、マスク内のレンズが自動で光量を調節し始めるけれど、それでも追いつかない。足音は少ない。人数は二人だけのようね。
「上杉さんに影山さん? 特対室にそんな名前の人は今までいなかったはずだけど?」
「おや、よくご存知ですね。我々は先日異動になったばかりでして、どうしてもあなたに挨拶をしたいと思いましてねぇ」
「すみませんね、こんな深夜にご足労いただきまして。でも、こうでもしなきゃ、あなた出てきてくれないっしょ?」
理路整然とした口調が上杉、若々しい喋り方なのが影山。私の直感が告げている。こいつらは――ヒーローたちよりも厄介だ。
私はスポットライトのほうを見据えたまま、ブーツでケンの腹を蹴る。人体なのか馬体なのか、よく見えていないけど。
「……う?」
「ケン、そのままでいいから、聞いて。緊急事態よ」
「あね、さん?」
「いつでも逃げられるようにしておいて」
部下と手短に会話をしたあと、声の調子を整える。さて、深夜三時のジャスミンバニーを演じてやろうじゃないの。
「挨拶なんて言いながら、随分不躾なことをするのねぇ? スポットライトを浴びるのは好きだけど、これじゃああなたたちの顔が見えないじゃないの」
「あぁ、これは失礼を」
スポットライトが消える。暗闇の中、現れたのはスーツ姿の男性二人。彼らが特対室の刑事だ。上杉のほうは眼鏡をかけた落ち着いたオジ様。影山は茶色い髪の――あら、割とイケメン。ヒーローの中にいても違和感のないルックスだ。
「これで見られますよね?」
「ええ。枯れたオッサンじゃないことだけはわかったわ」
「オッサン、ですか。ジャスミンバニーさんは意外と若い声なんですねぇ」
「あなたたちよりは若いんじゃないかしら」
上杉は五十代、影山は二十代後半から三十代前半に見える。私のほうが確実に若い。
「失礼とは存じていますが、我々にぜひ年齢を教えていただきたく」
「女性に年齢を聞くのが失礼だとわかっているなら、聞かないほうが良いのではなくて?」
「一筋縄ではいかない相手のようですねぇ」
「同感ね」
警察署の警官や刑事は出てきていない。特対室の二人、そして私たちしか車庫の近くにいない。望遠レンズと熱源センサーで確認した限りだと、ビルや警察署の屋上に狙撃手がいるわけでもなさそうだ。
本当に挨拶だけ? 捕まえる気はない?
私はジリジリと後ずさり、ケンに近づく。動くなとは言われていないのだから、別に移動してもいいはずだ。
「あなたたちの顔は覚えたわ。もう帰ってもいいかしら?」
「それはいけません。ケンさんはまだ酩酊状態ではありませんか」
「もう少しお話ししません? 署内にコーヒーを準備しますから」
「私には話すことなんてないんだけど」
笑顔を浮かべながら、二人は近寄ってくる。刑事の笑顔ほど怖いものはない。サウザンズにも教えてある。ヒーローの必殺技と同じくらい恐ろしいものだと。
「まぁ、そうおっしゃらずに。閑散としたビーチでの町おこし、あれは素晴らしい計画でしたねぇ。あのトロリンさんを使った作戦はジャスミンバニーさんのお考えですか?」
「町おこし……?」
「それとも、若林議員からの依頼でしょうか?」
なるほど、そういうことね。刑事たちは、悪の組織と議員の癒着を捜査している。これは、かなり厄介ね。実際、政界と悪の組織はズブズブの関係だもの。どっちが悪の組織だかわからないくらいにね。
「先日の、財策大臣補佐官の逮捕にも関わっておいでですよね? シラホネさんがふれあいゴルフコンペで暴れた際、そこに財策大臣がいたことを――」
「ケン!」
「ウス!」
合図とともに、私はケンタウロスの背に乗る。シャツにしがみつくと、ケンは起き上がり、一気に視界が高くなる。酔ってはいても、ふらつきはない。酒臭いが、大丈夫そうだ。
「与太話に付き合うほど暇じゃないの、私」
「おや。挨拶だけのつもりが、とんだご無礼を」
無礼? 失礼、も何回か聞いたけど、謝っているという意識もないでしょ、あなたには。
「上杉さんは話が長いですからね。しかもねちっこい」
「影山くん、ねちっこいとはどういう意味ですか。心外だなぁ」
「では、私はこれで」
ケンが駆け出す前に、上杉が「ジャスミンバニーさん」としつこく呼びかけてくる。影山の言う通り、ねちっこそう。茶山栗栖と同じ、苦手なタイプだわ。
「まだ何か? 私に用があるなら、サイトの問い合わせフォームを通してちょうだい」
「いえ。またお会いいたしましょう」
「まぁ、遠くない未来に、ね」
悪役がめちゃくちゃ似合いそうな笑みを浮かべ、上杉と影山は私たちを見送る。「また来るわよ」は相手が刑事なので使わない。会いたくない相手には使いたくないじゃない?
「ケン、行きましょ」
ケンタウロスは南へ走り出す。基地に戻るには、ここからだと世々木公園の出入り口が一番近い。ケンの酔いはすっかり醒めているようだ。特対室の二人は追っては来ない。ケンタウロスが軽車両なのかまだ判断はできないけれど、揉め事は起こしたくないから早歩きで、法定速度は守ってもらう。タコメーターがあるわけじゃないから、大体のスピードだけど。
「……嫌な刑事ッスね」
「本当にね。二度と会いたくないわ」
すみません、とケンが頭を下げる。私は足でケンの馬体の腹を蹴る。
「誰のせいよ!」
「俺のせいです! マジすみませんでした!」
「当分、地上に出て飲むの、禁止だから!」
「ウス! あ、姐さん、お耳に入れたいことが」
「あとで聞く!」
ケンの姿を見ても、私たちが大声で怒鳴り合っていても、あたりの酔っ払いは気にしていない。夢を見たとでも思うのだろう。私たちにとっては都合がいい。
夜中の公園に進入し、闇夜の中でケンタウロスの馬体から降りる。ケンは体を小さく縮ませ、私が両手で抱えられるほどの大きさになる。サウザンズは自らの意志で大きさを伸縮させることができる。便利なものだけど、小さくなるのは窮屈に感じるらしい。ケンもぷるぷる震えている。先程までのサイズが、彼にとっては一番楽な大きさなのだ。
マスクの熱源センサーであたりに人がいないことを確認してから出入り口のほうへと向かう。「国土管理局」と書かれた太い支柱に近づき、センサーに変身用のブレスレットをかざして解錠する。ちなみに、国土管理局という組織はない。「悪の組織管理局」だとすぐ撤去されてしまうから、でっち上げてそう書いてあるみたい。
支柱の扉が開き、ケンを抱きかかえたまま中にある小さなポッドに入る。扉が閉まると、自動で動き始める。地下にめぐらされた配管の中を、プログラムにより動いていく。ちょっとした浮遊感に、ジェットコースター気分が味わえる。気送管(エアシューター)のような仕組みの、移送ポッドだ。
「で、話したいことって?」
基地までたどり着くには時間がかかる。場所によっては、ポッド乗り換えも必要になる。話をするにはうってつけの空間だ。
腕の中で震えるケンは、「俺、カブキ町で見たんです」と私を見上げる。
「誰を?」
「アップルレッドです。追いかけようと走ったら、制服に捕まって」
カブキ町でアップルレッドを見かけ、走ったために速度超過をした、と。それを警察官に見つかった、とケンは主張する。
「そりゃ、アップルレッドだか赤峰林檎だかもそのへんにいるでしょ。人間なんだから」
「でも、一緒にいたのは――」
ケンは断言する。
「――人狼のワルヴ、ッスよ?」
……ワルヴ。私は頭を抱えた。
「あんの、女好きめ!」
どいつもこいつも、私の仕事を増やすんじゃないっ!!
▼▽▼ 問題(4) ▼▽▼
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
人形の中の人の憂鬱
ジャン・幸田
キャラ文芸
等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。
【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。
【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?
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