【R18】君がため(真面目な教師と一途な教育実習生)

千咲

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篠宮小夜の受難(四十四)

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 金曜日、教育実習最終日。
 朝、全校集会が開かれ、教育実習生たちの別れの挨拶と今後の抱負などが語られる。少し長く時間を取っているため、今日はすべての授業が五分短縮授業となる。
 私が教育実習を終えるときは、演壇の前に立った瞬間に「しのちゃん戻ってきて!」と、クラスの生徒たちが叫んでくれて、そんなサプライズに驚きつつも、皆慕ってくれていたんだなぁと涙が浮かんだものだ。

 講堂に生徒たちを誘導、着座させて、空いている席に座る。少し離れた前方の席に、佐久間先生。彼も「最後に指導した教育実習生」がいなくなるのを、とても寂しく思っているようで、今日はため息ばかりついている。

 講堂はステージと客席が分かれており、全校集会、講演会や音楽発表会、文化祭での演劇や演奏などで使われる。入学式や卒業式も講堂で行われるので、客席は生徒と保護者が入れるだけの広さがある。
 ただ、ステージはそれほど広くないし、音響や防音、照明などには予算が割けなかったようで、プロの演奏家を呼ぶには適さない、そんな場所だ。

 ステージには、演壇を中央に椅子が左右に三脚ずつ並べられ、向かって左から一二三年生の順番で教育実習生たちが座っている。皆、緊張した面持ちだ。
 話したいことをまとめた紙に目を走らせている実習生もいれば、客席の生徒の様子を見ている実習生もいる。
 右から三番目に座った宗介は、薄暗い客席から私を見つけ出したようで――ニコニコとこちらに視線を向けている。
 それを、二年四組の生徒たちは「私たちを見ている」と受け取ったらしく、「里見せんせー!」と何人かが示し合わせて叫んだので、宗介が手を振って応じる。
 そして、「稲垣せんせー!」「千葉せんせー!」と他の実習生たちの名前も次々に呼ばれ始め、ステージ上の実習生たちは、声のしたほうへ手を振る、という応酬が続く。「長尾ちゃん、ありがとう!」と呼ばれた長尾さんは、既に号泣している。

 それが、実習生たちへの、生徒たちからのプレゼント。「あなたを慕っていましたよ」という合図。三週間の疲れが吹き飛ぶ瞬間だ。
 その瞬間に、教採を受けないと豪語していた実習生が一転「教師になりたい」と言い始める――それくらいの心境の変化が訪れるのだ。

「それでは、全校集会を始めます」

 司会は梓。
 学園長代理だから、他の先生方に任せてしまえばいいのに、梓はそうしない。教員への授業や校務以外の負担は極力減らしたい、というのが彼女の考えで、雑務は梓がよく引き受けている。
 もちろん、学園長になってしまえば、そういう雑務ばかりを行うことはできないので、事務員さんを雇って業務を少しずつ覚えさせているようだ。

 梓の司会によって、一年生の実習生から順番に挨拶をしていく。長尾さんがまだ泣きじゃくっていたので、学園長代理に促されて、先に稲垣くんが挨拶のために演壇に登る。

「高一化学の指導をしていた稲垣です。教師になりたいと思い始めたのは、中学生の頃からでした」

 稲垣くんは穏やかな声で話す。
 警察官のお父さんに小さい頃から「お前も警察官になれ」と言われ続け、その反発心で教師を目指したこと。大学への進学は、本来なら許可されていなかったこと。進学する大学も勝手に決められていたこと。

「けれど、塾にいた一人の先生が、自分の苦手だった教科の点数を上げてくれて、さらに親を説得して、自分に、行きたい大学へ進ませてくれたんです。自分はその先生に、とても感謝をしています。だからこそ、自分はさらに教師になりたいと強く思うようになりました」

 懐かしい話。稲垣くんの昔話を、私は頷きながら聞いている。
 もちろん、その「塾の先生」が私であることは間違いないみたいだけれど、親に逆らってまで自分の道を進みたいと願ったのは、稲垣くん自身だ。私は、ただ、その背中を押しただけ。

「……しかし、教育実習中に、教師以外の道もあるのではないか、と考えることがありました」

 一年生から悲鳴が上がる。
 え、あ、そうなの? 私も理解が追いつかない。
 もしかして、私の後押しは迷惑だった? ちょっと冷や汗が流れる。

「幸い、自分が学んでいる学問は、化学教師以外の道にも通じています。それは、将来の選択肢を増やすように、と大学選びに協力してくれた塾の先生の言葉が間違っていなかったということです」

 あ、良かった……そういう話、ね。
 選択肢は多いほうがいい。化学の教師になりたいなら、教育学部だけではなく、免許を取得できる学部へも目を向けるべきだよ、と教えたのは私。
 国立大学の理学部に合格したと報告しに来てくれた稲垣くんの笑顔は、忘れられない。

「今、何でこんな勉強をしているのか、不思議に思う人もいるかもしれません。勉強なんて将来の役に立たないと思っている人もいるでしょう。けれど、勉強したことはすべて、君たちの将来の選択肢を増やすことに繋がっているんです」

 あぁ、いい別れの挨拶だ。
 一年生の心にはきっと届くだろう。もちろん、二年生や三年生にも。受験勉強に限らず、何かにつまづいたときに思い出してほしい言葉だ。

 稲垣くん、きっといい先生になれるのに。
 教育実習中に、何か心変わりをするような、大きな出来事があったのだろう。けれど、稲垣くんの前にあるのは教師の道だけではない。それに気づけたなら、きっと大丈夫だ。

「意味がなさそうなことでも、絶対に意味があります。今のうちに選択肢を増やしておいて、岐路に立ったときに、いくつかある道の中から、ベストな選択をしてください。自分からは以上です」

 そして、稲垣くんが大石先生と教職員への感謝の言葉を述べたあと、演壇上でペコリと頭を下げる。
 その一瞬の間のあと、大きな拍手が沸き起こる。
 本当に、いい別れの言葉。
 もう自分の道に迷わないのなら、自分で自分の道を決めることができるなら、大丈夫。私たち教師ができることは、ない。

 なんだか、卒業式のような気持ちだ。ずっと見守っていた生徒たちが巣立っていくような、そんな気持ち。
 寂しい、なぁ。
 胸の中にぽっかり穴が開いてしまった気がして、とても寂しい。

 でも、稲垣くん、頑張れ。
 そして、お疲れ様でした。


◆◇◆◇◆


 次は長尾さんが嗚咽を堪えながら話をする。途中「長尾ちゃん、頑張って!」と声をかけられて、ようやく笑うことができた彼女は、「絶対に教師になります!」と宣言して挨拶を終えた。
 千葉さんは淡々と別れの挨拶をする。彼女は教師になるとは宣言しなかったし、心を揺さぶるような言葉もなかったけれど、慕われてはいたのだろう、最後に頭を下げたときに「千葉せんせー!」と呼ばれ、ハンカチで目尻を拭ってから着座した。

「それでは、里見宗介先生、お願いします」
「はい」

 その瞬間に、近くに座っていた二年四組全員が立ち上がり、「里見先生、ありがとうございました!」と頭を下げた。佐久間先生も知らなかったのか、驚いている。もちろん私も。
 宗介は少し驚いたあと、「こちらこそありがとう。着席してください」と四組の子たちを座らせる。

「里見宗介です、二年生の数学を教えてきました。稲垣先生が言っていた通り、正直に言うと、数学は生きていく上ではあまり意味のないものです。算数ができればたいてい生きていけます」

 生徒たちは笑う。佐久間先生――も、笑っている。一年三年の数学教師も苦笑いをしている。とりあえず、怒られはしないようだ。よくある数学ジョークなのだろうか。

「でも、人生において、数学が必要な人もいます。例えば、自分のように数学の教師になろうとしている人にとっては絶対に必要なものです。しかし、自分は数学が大好きだというわけではありません」

 あ、へえ、そうなんだ。それは知らなかった。

「自分は教師という仕事に興味を持っていただけで、教科にはあまりこだわりがありませんでした。だから教育学部へと進学しましたが、稲垣先生のように選択肢が多い大学へ進学することも一つの道です」

 まぁ、さすがに「篠宮小夜先生を手に入れるために教師を目指しました」なんて言ったら、今後の教師生活に支障が出るし、せっかく得られた生徒の信頼もガタ落ちだもんなぁ。
 稲垣くんのことを引き合いに出しながら話すのは、いいと思う。あれはいいスピーチだったから。

「大学生になってから、別の道のやりたいことを見つけることもあります。そういう友達は、途中で受験をし直したり、編入をしたりして、自分の道へと進んでいます。今の君たちには遠回りに見えるかもしれませんが、遠回りをすることは、別に悪いことではありません」

 宗介は外堀を埋めることに心血を注いで、ひたすら遠回りをしてきた人だ。まぁ、だからこそ、私は逃げ出せないくらいに、彼の術中のハマってしまっていたわけだけれど。
 結果がすべてだとは言わないし、努力は必ず実るとも言えないけれど、少なくとも、宗介は、それを実現させようとしている。並々ならぬ忍耐力と執着心で。

「だから、君たちが道を間違えてしまったと思っても、それは必要な回り道だったということです。悪いことではないので、またその場所から新しい道を進んでください」

 宗介は佐久間先生へのお礼を述べ、二年生に向けて迷惑をかけたことを詫び、教員職員全員への感謝の言葉を口にした。
 そして。

「最後になりましたが――篠宮小夜先生」
「っ!?」

 全校生徒、教職員の視線が私に集まる。
 いやいやいやいや、まさか、まさかね? 佐久間先生と同じように、感謝の言葉が。言葉を。

「篠宮小夜先生、ご起立ください」
「……はい」

 うわぁ、やらかした! 最後にやらかした! やらかしやがった!
 宗介の声に、私はその場に立つ。いたたまれない。好奇に満ちた視線が痛い。とてもいたたまれない。

 なん、なんで、生徒会の子が当然のようにマイクを私に差し出してくるの?
 なんで、そんなもの用意してあるの?
 なんで、佐久間先生も、梓も、満面の笑みなのっ!?
 私、ハメられた!?

「篠宮小夜先生。三週間、ありがとうございました。あなたがいなければ、俺が教師を志すことはありませんでした。それこそ、別の道を歩いていて、この場にはいなかったと思います。俺が今ここにいるのは、あなたのおかげです。本当に、ありがとうございました」

 壇上で頭を下げる宗介を見ていると、色んな感情が押し寄せてくる。寂しい。愛しい。恥ずかしい。嬉しい。……つらい。

「俺は学園を卒業するときに、あなたに告白をして、フラれました」

 生徒たちが「きゃー!」「わぁ!」と黄色い悲鳴を上げる。講堂内がざわめきに満たされる。
 それを「静かに」と宗介が制して――その瞬間に、私の周りが光に包まれる。スポットライトか何かが当たっているのだと気づいたときには、もう遅い。これは、逃げ出せない。
 本当に……外堀を、完璧に埋めたわね、宗介。

「もう一度、言いますよ」

 強すぎることはないライトは、私の視界から周りの人を消して、同じように壇上でライトを浴びる宗介だけを浮かび上がらせる。
 宗介は、私を見つめて微笑んでいる。
 こんな演出、聞いたことがない。頭がクラクラしそう。いや、もうクラクラしている。

 あぁ、本当に、もう……馬鹿なんだから。

「俺はあなたのことが好きです」

 歓声があがる。
 けれど、それも聞こえない。ただ、宗介の声だけが頭の中に響く。

「篠宮小夜先生、俺と結婚を前提にお付き合いをしてください。お願いします」

 私はマイクがオンになっていることを確認する。

「お願いいたします」

 宗介は、本当に、大馬鹿者だ。
 悔しいけれど、その思惑に――乗ってあげようじゃないの。

「里見宗介先生」

 騒がしかった講堂が一気に静かになる。梓が生徒たちのざわめきを止めなかったことからも、この茶番が仕組まれているものであることは明白だ。

「……大学を卒業して、無事に教師になれたら、ようやく私と対等です」

 宗介の口角が上がる。
 選択肢は間違えていなかったようだ。

「あと十ヶ月後に里見先生がまだ同じ想いなら――」

 馬鹿だな。
 公開告白なんてしなくても、宗介のことを生徒たちが忘れるわけがないのに。三週間で、宗介はだいぶ慕われているのに。
 私が、宗介を拒否するわけがないのに。

「――また、同じように口説いてください」

 私、ちゃんと笑えているだろうか。
 ちゃんと演じられただろうか。
 宗介と視線が交じる。彼は、これ以上ない、満面の笑顔で私を見つめている。

「三回目で篠宮先生を口説き落とします」
「……待っています」

 歓声があがり、拍手が沸き起こり、講堂が揺れた、ように感じた。
 祝福なのか、励ましなのか、生徒たちのそれぞれの声はわからないけれど。とにかく、やたらと盛り上がってしまったことだけは確かだ。大騒ぎだ。

「ありがとうございました」と宗介が壇上から降りても、ざわめきは収まらず、司会の梓がようやく「静かに!」と叫んで事態は収束する。

 そして、私は、生徒会の子にマイクを返しながら、この空気のあとに挨拶をしなければならない残り二人の実習生に、あとで謝らなければならないなぁと思うのだった。
 本当に、ごめんなさい。
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