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篠宮小夜の受難(十九)

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 それにしても、プロポーズの最中に寝てしまうとは、智子先生は何とも呑気な人だ。

「水谷さん、あの」
「あぁ、たぶん、智子さんは覚えていないと思うので、自分の連絡先を残しておきます」

 水谷さんは私が示した智子先生の電話番号を登録して、電話をかける。智子先生の鞄で、スマートフォンが振動して、切れた。

「本気なんですか?」
「自分は至って真面目に本気で智子さんと結婚したいと思っています」

 智子先生の周りの皿を片付けて、カウンターに彼女を寝かせる水谷さんの目は穏やかで優しい。私を見つめるときの里見くんと同じだと思い至る。
 その智子先生を挟んで、私と水谷さんは笑い合う。うぅ、笑顔が眩しすぎます……っ!

「智子先生は……とてもいい先生です。その格好と酒癖で誤解されることが多いようですが」
「そうなんですね。まぁ、いいですよ。これから知っていくことですから」

 水谷さんは智子先生の髪の毛をするりと梳いて、頬にかかったそれをはらう。
 赤い頬をしてすぅと眠る智子先生は本当にかわいらしい。その姿を嬉しそうに見つめている水谷さんは、本当に雑誌から抜け出たみたいだ。

「しのちゃん、自分が言うのもアレだけど、その刑事さんは信用できる人だよ」

 板長が私を見て頷く。
 私にも信用しろということだ。

「話せばわかる人だからな。優秀だから、出世も早いんだろ?」
「永田さん、キャリアは皆出世が早いんですよ。自分は今からですね。智子さんのためにまだまだ稼がなければなりませんね」

 水谷さんは心底嬉しそうに智子先生の寝顔を見つめている。
 一目惚れ、なのだろうか。それで結婚まで決めてしまうのだから、不思議な人だ。
 けれど、医者や弁護士や官僚より、水谷さんのほうがずっと智子先生にはお似合いだと思う。酒乱も目の当たりにしているし、このGカップを前にして「我慢する」と言えるのだし。うん、なかなか言えないと思う。

「智子さんのお住まいは近くでしょうか?」
「誠南学園の独身寮で、ここからは近いです。一人暮らしですよ」
「それは残念。ご実家にお住まいなら早々にご両親に挨拶できると思いましたけど、またの機会になりそうです」
「……あの、明日、智子先生はお休みですよ。それ以降は、たぶん、夏休みまで忙しいです」

 智子先生、ごめんなさい!
 私、二人がうまくいけばいいと思ってしまったのです!
 あなたの情報を売ってしまう私を許してください!
 水谷さんは一瞬目を見開いて、微笑んだ。

「それは、このまま智子さんを連れて帰ってもいいということでしょうか?」
「はい。本当に智子先生を幸せにしてくださるなら」
「ならば、連れて帰ります」

 水谷さんはそれはもう嬉しそうに笑って、踊り出しそうなテンションで帰宅の準備を始める。私たちが飲食したよりも多めにお金を置いて、板長に挨拶する。
 私の分までもらえないと言っても、水谷さんは聞き入れてくれないので、ありがたくご馳走になることにする。

「では、しのさん……失礼、お名前は?」
「篠宮小夜です。しので構わないですよ」
「では、篠宮さん、智子さんをお借りしますね」

 にこやかな笑みを浮かべて、水谷さんは立ち上がる。本当に幸せそうだ。彼ならきっと、智子先生を幸せにしてくれるに違いない。美男美女でお似合いだし。
 それに、我慢もしてくれるようだから、処女は守られるだろう……たぶん。

「無事に帰してくださいね」
「かしこまりました。はい、智子さん、行きますよ」
「……ふぁい……ん」

 目を閉じた智子先生を立たせ、その肩を抱いて、水谷さんは実にスマートに去っていった。細い体なのに人と荷物を抱えても全く危なげないので、だいぶ鍛えているのだろう。
 水谷さんが帰ってから、私はようやく深いため息を吐き出す。

「あー、ビックリしたぁ」
「いやー、ビックリした」

 板長と同時に言葉が出てきて、二人で顔を見合わせたあとに笑う。

「大丈夫、ですよね?」
「大丈夫、だと思うぞ?」

 ビールをちびりと飲んで、軟骨の唐揚げをつまむ。ちょっと冷めてしまった。けど、コリコリしていて美味しい。

「一人で飲む羽目になるとは思わなかったなぁ」

 頼んだ料理を見つめて、食べきれなかったら持って帰ろうと決める。うん、明日の昼食にでもしよう。
 智子先生がちょーイケメンとうまく行きますように!
 そっちのほうが、大事なのだ。


◆◇◆◇◆


 ガンガンする。
 頭の中がグラグラする。
 飲みすぎないように気をつけていたのに、結局このザマだ。
 飲みすぎないようにしていても、二日酔いはやって来るということだ。
 あぁ、気持ち悪い。

 それにしても、さっきからうるさいなぁ。ピンポンピンポン鳴らして。
 朝っぱらから、迷惑じゃないの。私は二日酔いで動きたくありません。帰ってください。
 ……ん?

「……だれ?」

 グラグラする頭で、雲の上を歩くかのように不確かな足取りで、私はインターホンにたどり着く。
 誰だ? 智子先生か?

「……はい」
『小夜先生、俺です、里見です』

 モニターの先にいたのは、間違いなく里見くんだ。
 なんで部屋番号を知っているのとか、なんで来たのとか、うまく回らない頭で考えても無駄だ。無理だった。
 私は何も考えずにロックを解除していた。解除したあとで、スッピンで、酒臭くて、パジャマで、髪ボサボサだと気づいたけれど、遅かった。
 里見くんは、嬉しそうに部屋までやってきた。

「おはようございます。看病しに来ました」

 別に病人じゃない、と睨むけれど、里見くんには通じない。里見くんが差し入れてくれた栄養ドリンクを一気飲みする。……これはこれでありがたい。

「ドラッグストアでいろいろ買ってきました」

 ガサガサと袋を漁って、テーブルの上に、ヨーグルト、ゼリー、栄養ドリンク、パン、水などを並べてくれるので、冷蔵庫に入れなければならないものだけ回収する。

「あ、お構いなく」

 ソファに座ってキョロキョロあたりを見回して、里見くんはペットボトルのファンタを飲む。

「……帰らないのですか?」
「なんでですか? 看病しに来たので帰りませんよ」

 いや、居座るのが当然という顔をされても困る。けれど、怒る気力もない。里見くんを叩き出す気力はもっとない。

「何か欲しいものがあったら買ってきますから、遠慮なく言ってくださいね。あ、電気お借りします」
「……好きにしてください」

 里見くんは鞄からパソコンを取り出して、テーブルの上に置いた。指導案でも作るのだろう。やることがあるなら、いいか。
 水を飲んで、トイレに行ってから、リビングの隣の寝室のベッドにダイブする。あぁ、気持ちいい。さっきまでソファで寝ていたので、体がバキバキだ。ふわふわのベッドの上だとすぐに睡魔が襲ってくる。

 このとき、私は最大の失言をしたことに気づいていなかった。

 油断していたのだ。
 二日続けて里見くんから抱きしめられなかったことを内心とても喜んでいたけれど――彼の狙いは別にあったのだった。

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