【R18】君がため(真面目な教師と一途な教育実習生)

千咲

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篠宮小夜の受難(十五)

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「誰からですか? 稲垣じゃないでしょう。高村礼二ですか?」

 自転車から降りて歩き始めてすぐ、里見くんが尋ねてきた。机の上に振動していたスマートフォンを放ったらかしで仕事をしていたのだから、気になるのは仕方がないけど。
 なぜ、礼二の名前を、里見くんが?
 驚き、見上げると、里見くんは優しげな笑みを私に向ける。先ほどまでの意地悪な笑顔ではない。

「小夜先生のことなら、何でも知っていますよ。元カレの高村礼二のことも」
「な、んで?」
「邪魔だから」

 端的な答えだ。
 邪魔、だから、知っている。
 その意味がいまいち理解できないのは、びっくりしすぎているからだろうか。

「小夜先生を手に入れるために邪魔だったんですよね。今は稲垣が邪魔ですけど」
「……」
「でも、まだ俺の邪魔をするみたいですね、彼。高村礼二に連絡し直しました?」
「い、いえ」
「それが正解です。大塚塾で何かあったみたいですよ。稲垣が慌てて出て行ったみたいなので」

 私は混乱している。
 教育実習期間中はバイトをしてはいけない。そもそもバイトをする暇がない。けれど、実習中の稲垣くんがバイト先へ行かなければならないほどの何かがあった、ということだろう。
 大塚塾にいる元カレから私に連絡があったのは、その関係かもしれないと、里見くんは考えたのだろう。

「……礼二が何を?」
「さあ。詳しくは知りませんが、今は塾生と付き合っているみたいなので、想像はしやすいですね」

 想像してみる。
 親御さんから多少のクレームがあったくらいでは、実習中のバイトの子が呼ばれることはない。成績が上がらない、カリキュラムが合わない、くらいなら職員が対応するはずだ。
 しかし、なるほど、恋愛がらみなら、大変なことになるはずだ。

「親御さんにバレたとか、職員にバレたとか?」
「妊娠させたとか」

 里見くんの言葉に、心の奥が冷える。
 礼二は確かに、きちんと避妊をするタイプではない。快楽を優先させる人だ。
 さらに、やはり塾生に手を出していたとは、大馬鹿だ。高校生と避妊もせずに……とは思いたくないけど、彼ならやりかねない。私は彼を信用していない。
 けれど、「大丈夫だから」と大人の男に甘い言葉で囁かれて、拒みきれずに受け入れてしまう子がいたら、大変だ。大変なことになる。

「……まさか」
「幸い、付き合っている子は誠南の生徒ではありませんけど」
「なんで、知っているんですか?」
「相手のことは徹底的に調べ上げたいので。だから、昔、言ったじゃないですか。『先生は男を見る目がない』と。相手のことを知らないと、そんなこと言えませんよ」

 私、今、ちょっとだけ、里見くんを怖いと思ってしまった。
 彼はいつから、徹底的にいろいろ調べていたのだろう。礼二のことも調べるくらいだから、私のこともきっと……いや、考えないほうがいいのかもしれない。

「まぁ、直接本人に聞けばよいのではありませんか? たぶん、楽しい話は聞けないと思いますが」
「……」
「ほら、ちょうど、いるみたいですし」
「え?」

 里見くんが独身寮の前を見つめている。駐車駐輪スペースの前あたりに人影が見える。植え込みの前に座り込んでいるようだ。

「礼二……?」

 こちらに気づいて顔を上げたその顔は、私の元カレその人だ。
 なんで?
 礼二、仕事は?
 なんで、ここにいるの?
 私を見つけた礼二は、立ち上がって駆け寄ってくる。いつものスーツ姿ではなく、普段着で。

「小夜っ!」

 す、と私の前に立つ里見くん。礼二との間に割り込む形で、自然に立ちふさがる。私は里見くんの半分の背中越しに礼二と何日かぶりに再会する。
 礼二は頭を掻きむしったのか、髪型がだいぶ崩れている。ねじったり逆立てたりしてワックスが手放せなかった男が、髪型に無頓着になっている姿を見て、私は嫌な予感しかしない。

「小夜! 誰、この男? 稲垣の次はこの男か? いや、まぁ、この際誰でもいいや」

 教育実習生の里見くん、と紹介する暇もなく、礼二は私のほうへ寄ってくる。手にはスマートフォンしか握られていない。刃物や武器になるようなものはない。
 けれど、目だけがギラギラと輝いていて、何だか異様だ。気持ちが悪い。
 これは、誰? 本当に礼二なの?
 先日までの彼と様子が全く違う。女にフラれたからといって、ここまで変わるものだろうか? そんなに、彼の中で私の価値が高かったとは思えないのだけど。

「小夜はまだ俺のことが好きだよな? 俺は小夜が好きだ。だから、小夜、お願いだ!」

 礼二の困った顔より里見くんの背中が視界の大半を占める中、スマートフォンを両手で挟み込んで祈るようにして、礼二は懇願してきた。
 復縁の申し込みなら絶対に断ろう、そう思っていたのに、礼二はやはり予想の斜め上をひた走る人だった。

「十二万、いや、十万貸してくれ!」

 膝を地面につき、土下座を始める礼二を見下ろして、私は、心の底から、彼を軽蔑した。
 同時に、涙が溢れそうになる。情けなくて。こんな男に恋をしていた私が、本当に情けなくて、涙が出る。

 あなたと過ごした六年間は、本っっ当に無駄、でした。
 時間を返してくれ、とは言わないからせめて、お願いだから、私に関わらないでください――。

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