【R18】君がため(真面目な教師と一途な教育実習生)

千咲

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篠宮小夜の受難(十一)

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「おはよう、篠宮先生」

 背後から聞こえてきたハイヒールの音に、気づかないフリをしていたわけではないけれど。
 同じ独身寮に住んでいるのだし、始業時間も同じなのだから、朝に顔を合わせることもある。今日は雨だから、自転車で登校しなかったのだ。小雨でも私は徒歩で登校するようにしている。
 振り向くと、Gカップが揺れていた。ほんと、朝からありがとうございます、木下先生。今日はブルーのブラウスのボタンが二つほど留まっていませんよ。カーキのブラ、透けて見えていますよ。スカートも短くていい感じです。

「おはようございます、木下先生……お疲れですか?」
「昨日の合コン、駄目だったのよ。うちに帰ってヤケ酒したら二日酔い。今日は授業が少なくてよかったわ」

 え。木下先生のエロ度をもってしてもお持ち帰りされない合コンて、どれだけ周りのレベル高いんですか。
 そんな合コン、出られる気がしない。きっと私じゃ引き立て役にもなれない。
 私の心の声を知らずに、木下先生はため息を吐き出す。お酒臭くはないけれど、目の下がいつもよりくすんで見える。太陽光がないせいではないだろう。

「相手の方の職業は?」
「医者と弁護士と経産省」
「レベルたかっ!」

 思わず本音が漏れる。傘を持っていない左手で口を塞ぐが、二日酔いの木下先生は気にしていないようだ。
 木下先生は淡いパステルブルーのドットの傘をクルリと回す。
 今気づいたのだけれど、意外とネイルは控えめだ。短い爪に白と薄いピンクのフレンチネイル。実はかわいい系が好きなのだろうか。服装はこんなに激しめなのに。何だかアンバランスだ。

「こっちはキャビンアテンダントと地方局の女子アナと教師よ……惨敗だったわ。女子アナがぜんぶ持ってっちゃった」
「ああ……目に浮かぶようです」
「今年で二十九よ、私。早く結婚したいわ。篠宮先生はお付き合いしている人とは結婚するの?」

 礼二のことだ。彼氏がいる、ということはご存知だったみたいだ。
 それにしても、ついこの間別れたばかりなのに、彼のことを全く思い出すことがない。それくらい、濃い時間が与えられている気がする。
 別れたと言ったら、仲間ができたと木下先生は喜ぶだろうか。独身女同士で傷を舐め合ったら、婚期は遠ざかるばかりになりそうだ。

「実は別れてしまって」
「え、なんで?」
「もう五回目の浮気だったので、潮時かな、と」
「浮気、五回も? 酷い……誠実な人じゃなかったのは、残念ね。篠宮先生はよく耐えたわ。頑張ったじゃないの。次は報われるといいわね」

 ……あれ? なんか、想像していたのとは違う反応だ。
 木下先生と恋愛について話したことはなかったけれど、いや、そもそもそんなに話したことがなかったけれど、こんなに穏やかに話す人だったのか。ちょっと驚いている。
 木下先生は今年度は高一の数学を教えているのだけれど、前年度までは中等部にいて、なかなか話す機会がなかったのだ。中高一貫校ならではの、教師のすれ違いというやつだ。

「でも、ほんと、次に早く切り替えていかないと、二十九まであっという間よ。私みたいになる前に、早く結婚しちゃいなさいよ」
「……木下先生」
「うん?」

 間近にGカップが見える。医者も弁護士も官僚も、きっと、この大きなおっぱいしか見ていなかったんだろうな。そして、女子アナという肩書きに全員が釣られてしまった。
 彼女がそういう馬鹿な男の手に落ちなくて本当に良かった。そう思う。

「今度、一緒に飲みませんか?」
「え?」
「私、先生ともっとお話ししてみたいです」

 本当に、心から、あなたのことを知りたい。そう、思ってしまった。
 木下先生は一瞬立ち止まって、頬を真っ赤にさせて――笑った。

「智子でいいわよ、しの先生」

 世の中の男は、何でこんなに、女を見る目がないのだろう。湿った風が吹き、緩いカールが傘の中でふわりと揺れて、木下智子先生は微笑む。
 いや、かわいいでしょ、彼女。
 私の中の違う扉が開きかけて、若干動揺するくらい、かわいかったのだ。


◆◇◆◇◆


「先生」

 ホームルームのあと、クラスの生徒から声をかけられる。心配そうな表情で私を見つめる、百人一首部の生徒がいた。

「内藤さん、ごめんなさい、心配をかけたみたいで」
「先生は、大丈夫?」
「大丈夫ですよ。私は大人ですから、ね」

 なおも心配そうな視線を向けてくる生徒に、私は微笑ましい気持ちになる。
 淫乱だと言われた教師を心配する生徒がいるなんて、可愛らしい以外の言葉が見つからない。慕ってくれるのは、本当にありがたい。

「里見先生は、打ち解けていました?」
「打ち解けてはいたけど、先生のことばかり聞いていたよ。部長は迷惑そうにしていたけど……一番喋ってた」

 部長っ! いらないことまで喋ってないでしょうね!?
 若干の不安が残るけれど、内藤さんも友達から呼ばれて移動教室の準備をしに教室へ戻っていってしまう。

「篠宮先生。職員室行きましょう」
「……部員の皆と何を話したんですか?」
「気になりますか?」
「私のことなら、特に」

 B棟からA棟に向かいながら、隣を歩く里見くんを睨む。彼は私を見下ろして、フッと小さく笑う。
 ……なんか、ムカつく。

「篠宮先生はたまに準備室で寝ている、とか」
「……」
「篠宮先生はキュウリが苦手だ、とか」
「……」
「背が低いのを気にするくせに、履いているのはスニーカーばかりだ、とか」
「……」
「運動音痴だ、とか、色々ですよ」

 今学期中に抜き打ちで試験を実施しようと思う。ささやかな復讐だ。覚えていろよ、部員たち!

「慕われているんですね。羨ましい」
「……里見先生も慕われているじゃないですか」

 少なくとも、二年四組からは不満の声は聞こえない。今のところ、皆、里見くんに興味津々だ。

「俺は、珍しいだけですよ、教育実習生なんて。生徒はすぐ忘れます」
「そうですか?」
「はい」

 渡り廊下。すれ違う生徒たちに挨拶をしながら、私は笑った。

「でも、里見くんは教育実習生だった私のこと、覚えていてくれましたよね?」
「それは……小夜先生だから」
「嬉しかったんですよ、里見くんが、覚えてくれていて」

 里見くんは、受験で国語の点数を上げたいからと、国語準備室によく来ていた。そのとき、「教育実習で来ていた先生ですよね?」と、担当学年でもないのに覚えてくれていたのだ。
 嬉しかったなぁ。
 里見くんは廊下の真ん中で立ち止まって、口元を押さえている。

「どうか、しましたか?」
「あー……かわいすぎるから、今ここで小夜先生を抱きしめたいな、と」

 私は無視をして職員室へと戻る。
 背後から、「待ってくださいよ!」という声が追いかけてくる。
 昨日、梓が言っていたお見合いの話、智子先生に話せないか聞いてみないとなぁ。
 色ボケの誰かさんの話を聞く暇など、今はないのだ。

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