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篠宮小夜の受難(五)
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結局、教育実習日誌の記入、教材研究と指導要領の読み込み、明日の予定の確認で時間切れ。実習生は二十時以降は帰宅させないといけないので、生徒観はもう少し先になりそうだ。
私は、そのあとで小テストの採点と記録、日誌へのコメント、明日の準備、佐久間先生と打ち合わせをしてから二十一時過ぎに帰宅した。
とは言っても、誠南学園の独身寮は近くにあるので、徒歩十五分で帰宅できるのはありがたい。今日は自転車だったので、もっと速い。
里見くんから貰ったピアスは、ラウンドカットの赤色の石が輝くシンプルなデザインのものだ。ガーネットほどは深くない、けれど、よく光を反射して輝く少しピンクがかった赤い宝石。つまりは、ルビーだ。
ホワイトゴールドだという土台の細工も綺麗。高かったんだろうな、と思うと、申し訳なく思えてくる。大学生にこんな高価なものを買わせてしまった罪悪感。
そして、つけてみて、さらに驚いた。
「私、赤が似合うんだ……」
そのピアスは驚くほど私の耳に、体に馴染む。最初からそこにずっと存在していたかのように、しっくりと。
それだけで、里見くんが、私だけのために、私を想って購入したものだと、わかる。痛いほどに彼の愛情が伝わってくる。そういうプレゼントだ。
なんで、こんなことに?
それが率直な感想だ。
里見くんの気持ちは嬉しいけど、本当に、なんで?
里見くんが受験生だったときに、特別彼に目をかけていたわけではない。国語準備室では、小論文の添削指導で人が溢れることもあったから、里見くんだけが入り浸っていたわけではない。
教師に恋をして、フラれてしまっても、思い出話にできるくらいの恋に落ちることだって、大学ではできるはずだ。できたはずだ。
「……そっか、同じなんだ」
私は結局伝えなかっただけで、里見くんは伝えた。それだけの差。
ピアスをビロードの箱に戻して、お湯が沸いたと告げる浴室へ向かう。
何となく、納得できた。彼は私だ。先生に恋をしたことは、同じ。
積極的になれなかった私。積極的な里見くん。それだけの、差。
「高浜先生なら、なんて応えてくれたかな」
今は中等部にいる先生を思い出して、苦笑する。
名前だけでなく、顔すら覚えてくれていなかったんだから、きっと玉砕だっただろうな。
◆◇◆◇◆
高浜先生は、格好よかった。
それだけで、単純な高校生は恋に落ちる。
単純な高校生は、勉強を頑張り、運動も部活動も生徒会活動も、頑張った。
すべては、隣のクラスの副担任の高浜先生に顔と名前を覚えてもらうため。
そして、先生と同じように教師を目指し、教育実習中に、中等部に移ってしまった高浜先生に偶然会えたとき。
「私のこと、覚えていますか?」
思い切って聞いた私を、高浜先生は、少し歳を取った笑顔で見つめて。
「ごめん、誰だっけ?」
そうして、私の初恋はガラガラと音を立てて崩れたのだ。
大好きだった先生に覚えてもらっていなかったことは、本当に辛い。悲しい。初恋だったぶん、余計にショックだった。
けれど、生徒のことは、余程のことがない限り覚えていられないのだと、最近になって、知った。ショッピングモールで再会した教え子の名前が出てこなかったのだ。人間は忘れてしまう。そんな生き物だ。
生徒たちも、いつかきっと忘れてしまう。私の授業を、私の名前を、私の声を、私の顔を。
それは当然のことで、忘れないで欲しいと求めることはできない。寂しくて、悲しいけれど、そういうものだ。
だから、「淡い想い出」として覚えていてもらおう、と私は男子生徒たちからの告白を利用した。「ごめんね」だけだとすぐ忘れてしまう。「五年後、社会人になったら」と言うことで、彼らの気持ちを一瞬でも縛り付けた。
私は、酷い教師だ。
だから、その言葉を信じて、四年後の今日里見くんが現れたとき、驚きと同時に罪悪感を感じたのだ。
君の人生の四年も、私が縛ってしまった――。
「……美味しい」
ブルーマウンテンは好きなコーヒーだ。深い香りと繊細な味が私の心を落ち着かせてくれる。カフェインの過剰摂取を気にして、コーヒーは一日二杯までと決めているけれど、今夜は、いいよね。三杯目を飲んでも。
部屋がコーヒーの匂いで満たされていく。なんて贅沢な時間。幸せなひと時。ソファに体をあずけて、ほぅとため息をつく。
「……あれ?」
スマートフォンの通知ライトが点滅している。私がお風呂に入っている間にでも、アプリのメッセージが入ったようだ。たまに先生や生徒からの大事な用件が入ることがあるので、確認しなければならない。
見慣れない名前からのメッセージだ。開封して目を通す。
『協力者から電話番号を聞き出しました。個人情報保護について、しっかり生徒に教えたほうが良いかと思います。情報リテラシーは今後大切なものになりますので。里見宗介』
「はっ?」
いや、君が生徒に聞き出さなければいい話だよね!?
実習生から恋の橋渡しを「お願い」されて、拒む女子高生はほとんどいないだろう。実習生という立場を利用して、なんて卑怯なことを……!
まぁ、それは里見くんなら自覚しているだろうけど。
『検討します。お疲れ様でした。三週間頑張ってください』
最後に一言、付け加える。
『ピアス、ありがとうございました』
嬉しかったです、は消した。
確かに、嬉しかった。恋愛感情は抜きにしても、男性からプレゼントをもらうのは、嬉しい。
里見くんが私を忘れないでいてくれて、嬉しい。
そう、少しだけ、嬉しかったのだ。
私は、そのあとで小テストの採点と記録、日誌へのコメント、明日の準備、佐久間先生と打ち合わせをしてから二十一時過ぎに帰宅した。
とは言っても、誠南学園の独身寮は近くにあるので、徒歩十五分で帰宅できるのはありがたい。今日は自転車だったので、もっと速い。
里見くんから貰ったピアスは、ラウンドカットの赤色の石が輝くシンプルなデザインのものだ。ガーネットほどは深くない、けれど、よく光を反射して輝く少しピンクがかった赤い宝石。つまりは、ルビーだ。
ホワイトゴールドだという土台の細工も綺麗。高かったんだろうな、と思うと、申し訳なく思えてくる。大学生にこんな高価なものを買わせてしまった罪悪感。
そして、つけてみて、さらに驚いた。
「私、赤が似合うんだ……」
そのピアスは驚くほど私の耳に、体に馴染む。最初からそこにずっと存在していたかのように、しっくりと。
それだけで、里見くんが、私だけのために、私を想って購入したものだと、わかる。痛いほどに彼の愛情が伝わってくる。そういうプレゼントだ。
なんで、こんなことに?
それが率直な感想だ。
里見くんの気持ちは嬉しいけど、本当に、なんで?
里見くんが受験生だったときに、特別彼に目をかけていたわけではない。国語準備室では、小論文の添削指導で人が溢れることもあったから、里見くんだけが入り浸っていたわけではない。
教師に恋をして、フラれてしまっても、思い出話にできるくらいの恋に落ちることだって、大学ではできるはずだ。できたはずだ。
「……そっか、同じなんだ」
私は結局伝えなかっただけで、里見くんは伝えた。それだけの差。
ピアスをビロードの箱に戻して、お湯が沸いたと告げる浴室へ向かう。
何となく、納得できた。彼は私だ。先生に恋をしたことは、同じ。
積極的になれなかった私。積極的な里見くん。それだけの、差。
「高浜先生なら、なんて応えてくれたかな」
今は中等部にいる先生を思い出して、苦笑する。
名前だけでなく、顔すら覚えてくれていなかったんだから、きっと玉砕だっただろうな。
◆◇◆◇◆
高浜先生は、格好よかった。
それだけで、単純な高校生は恋に落ちる。
単純な高校生は、勉強を頑張り、運動も部活動も生徒会活動も、頑張った。
すべては、隣のクラスの副担任の高浜先生に顔と名前を覚えてもらうため。
そして、先生と同じように教師を目指し、教育実習中に、中等部に移ってしまった高浜先生に偶然会えたとき。
「私のこと、覚えていますか?」
思い切って聞いた私を、高浜先生は、少し歳を取った笑顔で見つめて。
「ごめん、誰だっけ?」
そうして、私の初恋はガラガラと音を立てて崩れたのだ。
大好きだった先生に覚えてもらっていなかったことは、本当に辛い。悲しい。初恋だったぶん、余計にショックだった。
けれど、生徒のことは、余程のことがない限り覚えていられないのだと、最近になって、知った。ショッピングモールで再会した教え子の名前が出てこなかったのだ。人間は忘れてしまう。そんな生き物だ。
生徒たちも、いつかきっと忘れてしまう。私の授業を、私の名前を、私の声を、私の顔を。
それは当然のことで、忘れないで欲しいと求めることはできない。寂しくて、悲しいけれど、そういうものだ。
だから、「淡い想い出」として覚えていてもらおう、と私は男子生徒たちからの告白を利用した。「ごめんね」だけだとすぐ忘れてしまう。「五年後、社会人になったら」と言うことで、彼らの気持ちを一瞬でも縛り付けた。
私は、酷い教師だ。
だから、その言葉を信じて、四年後の今日里見くんが現れたとき、驚きと同時に罪悪感を感じたのだ。
君の人生の四年も、私が縛ってしまった――。
「……美味しい」
ブルーマウンテンは好きなコーヒーだ。深い香りと繊細な味が私の心を落ち着かせてくれる。カフェインの過剰摂取を気にして、コーヒーは一日二杯までと決めているけれど、今夜は、いいよね。三杯目を飲んでも。
部屋がコーヒーの匂いで満たされていく。なんて贅沢な時間。幸せなひと時。ソファに体をあずけて、ほぅとため息をつく。
「……あれ?」
スマートフォンの通知ライトが点滅している。私がお風呂に入っている間にでも、アプリのメッセージが入ったようだ。たまに先生や生徒からの大事な用件が入ることがあるので、確認しなければならない。
見慣れない名前からのメッセージだ。開封して目を通す。
『協力者から電話番号を聞き出しました。個人情報保護について、しっかり生徒に教えたほうが良いかと思います。情報リテラシーは今後大切なものになりますので。里見宗介』
「はっ?」
いや、君が生徒に聞き出さなければいい話だよね!?
実習生から恋の橋渡しを「お願い」されて、拒む女子高生はほとんどいないだろう。実習生という立場を利用して、なんて卑怯なことを……!
まぁ、それは里見くんなら自覚しているだろうけど。
『検討します。お疲れ様でした。三週間頑張ってください』
最後に一言、付け加える。
『ピアス、ありがとうございました』
嬉しかったです、は消した。
確かに、嬉しかった。恋愛感情は抜きにしても、男性からプレゼントをもらうのは、嬉しい。
里見くんが私を忘れないでいてくれて、嬉しい。
そう、少しだけ、嬉しかったのだ。
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