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篠宮小夜の受難(四)
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教育実習生は、授業で使う教材を研究し、生徒が課題を乗り越えられるよう、学習指導案を作成する。それに基づいて模擬授業や研究授業を行う。
佐久間先生は二年六クラスをすべて教えているのだけれど、全クラス分の指導案を作るのは難しい。それこそ里見くんが多忙で死んでしまう。里見くんは四、五組の模擬授業、四組の研究授業を行うことで決定したようだ。
ちなみに、一・二・三組は進学クラス、四・五組は難関私立進学クラス、六組は国公立進学クラスとなっており、四五六組は、特別進学――特進クラスと呼ばれる。授業見学は全クラス行うが、授業を行うのを二クラスに限定したのはいいかもしれない。四・五組は学力も同レベルだから。
……にしても。
「あんなにクマ先生がわかりやすく説明しているのに、なんであんなに理解できないんでしょうね!」
「四組は文系だから、数学が得意じゃない子が多いんですよ」
「それにしても、英語の予習ばかりしている生徒が多すぎます!」
「英語は受験に必須ですからね」
里見くんは、私の城にパソコンを持ち込んで、指導案を作成するための準備を始めた。
実習生は職員室の隣の会議室を使うようになっているのだが、里見くんは国語準備室を指導案作成の場所に決めたようだ。迷惑ではないが、気は休まらない。
とりあえず、今日はフォーマットの確認と生徒観について、だ。
生徒観……里見くんは憤っている。彼の授業態度を見たことはないけれど、きっと真面目だったのだろう。宿題を忘れたりはしなさそうだ。
「古典や現文も同じですか?」
「他の教科の予習や復習、宿題はありますよ」
「注意しないんですか?」
「前はチェックしていましたが、キリがないのでやめました。テストで点数が良ければ構わないですし、話がつまらないだけなら、話題を変えることもありますね」
「今フリーですか?」
「っふ」
マグカップを取り落としそうになる。いきなりそこで話題を変えなくてもいいのに。確かに「話題を変える」と言ったけれど。
非難する視線を里見くんに向けると、先ほどまで鬼の形相であったのに、穏やかな笑みを浮かべる彼と目が合う。これは、オンか? オフか?
「小夜先生は、今フリーですか?」
「……フリーですが、口説かれる予定はありません」
「知っていますよ。俺も三週間で口説き落とせるとは思っていません」
「え?」
じゃあ、なぜ、あんなことを生徒に言ったの? 私はあれから、授業に立つたびに、説明から始めなければならなかったというのに。
私の視線の意味を知ってか知らずか、里見くんは微笑みをたたえたまま肩をすくめる。
「小夜先生を好きな生徒への牽制と、俺に好意を持っても無駄だという生徒たちへの拒絶。それから――」
里見くんは、もしかしたら、かなりの曲者なのではないだろうか。ふつふつと疑問が湧き上がってくる。
もしかして、私、かなり、窮地に立たされているのでは?
「――協力者の募集。ちなみに、クマ先生は協力者の一人です」
「なんっ」
本当に意味がわからない。
佐久間先生、私を売ったの!? こんなに尽くしている副担を裏切ったの!?
「ありえない……」
「ありえますよ。受験のときから、クマ先生に相談に乗ってもらっていましたし、ゼミの教授を紹介してもらったのもクマ先生です。ちなみに、退職したあとのクマ先生の後釜に入れるよう、学園側にも手を尽くしてもらっています」
「……」
開いた口が塞がらない。
なんということだ。いつの間に、彼のそんな計画に佐久間先生が乗ってしまったのだろう。あの佐久間先生を篭絡するとは、里見くん、かなりの手練ではないか。
あぁ、私を二年四組の副担に指名したのも、きっと佐久間先生の策略なのだろう。ベテラン先生の退職を間近で見られて寂しいけど嬉しいな、なんて思っていた二ヵ月前の私を殴りたい。
クマめ! 謀ったな!!
「協力者も獲得できましたし、おおむね計画通りですよ。彼氏と別れてくれる日を、ずっと待っていました」
いつの間に移動したのか、里見くんの体が、顔が、目の前にある。
受験生だった頃はかわいい顔だなと思っていたけれど、今里見くんは生徒に言わせたら「カッコイイ」らしい。「イケメンなのになぜ付き合わないのか」と騒ぐ女子高生の言葉を疑うわけではないけれど、確かに、夕日に照らされて赤く染まる顔は、格好いい、のかもしれない。
「長かった……これで、あなたを堂々と口説ける。あなたが、俺を見てくれる」
里見くんが静かに右手を伸ばしてくる。びくりと体を震わせた私の頬に手を寄せ、髪をそっとよけて、その奥の耳たぶを見つめる。
彼が見つめているのは、昔買った白い安物のピアス。目立たなくてちょうどいい。礼二からもらってずっとつけていたピアスは、アクアマリンの淡い水色だった。
「小夜先生」
目を細め、里見くんは笑みを浮かべる。
「俺は小夜先生のことが好きです。俺が教師になれたら、結婚してください」
無理です、と言おうとした唇を人差し指で軽く塞がれる。優しく暖かな指先が唇に触れただけなのに、一気に熱が生まれる。唇が、頬が、熱い。
「今は無理でも、来年、答えを聞かせてください。俺、努力しますから」
「……」
「で、受け取ってもらいたいものがあるんですけど」
里見くんはジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出した。白いビロードのケースの中身は、指輪ではなく。
「……ピアス?」
「水色や白よりは、先生にはこちらのほうが絶対似合います。シンプルだし、学校につけてきても文句は言われないと思います」
「でも」
「ホワイトゴールドなので、アレルギーも大丈夫だと思います。明日からつけてきてくださいね」
里見くんは私が受け取ったのを確認して、微笑んだ。
「楽しみにしていますから」
「……ありが、とう」
喜ぶ里見くんに、私は曖昧な笑顔でしか応じられなかった。
佐久間先生は二年六クラスをすべて教えているのだけれど、全クラス分の指導案を作るのは難しい。それこそ里見くんが多忙で死んでしまう。里見くんは四、五組の模擬授業、四組の研究授業を行うことで決定したようだ。
ちなみに、一・二・三組は進学クラス、四・五組は難関私立進学クラス、六組は国公立進学クラスとなっており、四五六組は、特別進学――特進クラスと呼ばれる。授業見学は全クラス行うが、授業を行うのを二クラスに限定したのはいいかもしれない。四・五組は学力も同レベルだから。
……にしても。
「あんなにクマ先生がわかりやすく説明しているのに、なんであんなに理解できないんでしょうね!」
「四組は文系だから、数学が得意じゃない子が多いんですよ」
「それにしても、英語の予習ばかりしている生徒が多すぎます!」
「英語は受験に必須ですからね」
里見くんは、私の城にパソコンを持ち込んで、指導案を作成するための準備を始めた。
実習生は職員室の隣の会議室を使うようになっているのだが、里見くんは国語準備室を指導案作成の場所に決めたようだ。迷惑ではないが、気は休まらない。
とりあえず、今日はフォーマットの確認と生徒観について、だ。
生徒観……里見くんは憤っている。彼の授業態度を見たことはないけれど、きっと真面目だったのだろう。宿題を忘れたりはしなさそうだ。
「古典や現文も同じですか?」
「他の教科の予習や復習、宿題はありますよ」
「注意しないんですか?」
「前はチェックしていましたが、キリがないのでやめました。テストで点数が良ければ構わないですし、話がつまらないだけなら、話題を変えることもありますね」
「今フリーですか?」
「っふ」
マグカップを取り落としそうになる。いきなりそこで話題を変えなくてもいいのに。確かに「話題を変える」と言ったけれど。
非難する視線を里見くんに向けると、先ほどまで鬼の形相であったのに、穏やかな笑みを浮かべる彼と目が合う。これは、オンか? オフか?
「小夜先生は、今フリーですか?」
「……フリーですが、口説かれる予定はありません」
「知っていますよ。俺も三週間で口説き落とせるとは思っていません」
「え?」
じゃあ、なぜ、あんなことを生徒に言ったの? 私はあれから、授業に立つたびに、説明から始めなければならなかったというのに。
私の視線の意味を知ってか知らずか、里見くんは微笑みをたたえたまま肩をすくめる。
「小夜先生を好きな生徒への牽制と、俺に好意を持っても無駄だという生徒たちへの拒絶。それから――」
里見くんは、もしかしたら、かなりの曲者なのではないだろうか。ふつふつと疑問が湧き上がってくる。
もしかして、私、かなり、窮地に立たされているのでは?
「――協力者の募集。ちなみに、クマ先生は協力者の一人です」
「なんっ」
本当に意味がわからない。
佐久間先生、私を売ったの!? こんなに尽くしている副担を裏切ったの!?
「ありえない……」
「ありえますよ。受験のときから、クマ先生に相談に乗ってもらっていましたし、ゼミの教授を紹介してもらったのもクマ先生です。ちなみに、退職したあとのクマ先生の後釜に入れるよう、学園側にも手を尽くしてもらっています」
「……」
開いた口が塞がらない。
なんということだ。いつの間に、彼のそんな計画に佐久間先生が乗ってしまったのだろう。あの佐久間先生を篭絡するとは、里見くん、かなりの手練ではないか。
あぁ、私を二年四組の副担に指名したのも、きっと佐久間先生の策略なのだろう。ベテラン先生の退職を間近で見られて寂しいけど嬉しいな、なんて思っていた二ヵ月前の私を殴りたい。
クマめ! 謀ったな!!
「協力者も獲得できましたし、おおむね計画通りですよ。彼氏と別れてくれる日を、ずっと待っていました」
いつの間に移動したのか、里見くんの体が、顔が、目の前にある。
受験生だった頃はかわいい顔だなと思っていたけれど、今里見くんは生徒に言わせたら「カッコイイ」らしい。「イケメンなのになぜ付き合わないのか」と騒ぐ女子高生の言葉を疑うわけではないけれど、確かに、夕日に照らされて赤く染まる顔は、格好いい、のかもしれない。
「長かった……これで、あなたを堂々と口説ける。あなたが、俺を見てくれる」
里見くんが静かに右手を伸ばしてくる。びくりと体を震わせた私の頬に手を寄せ、髪をそっとよけて、その奥の耳たぶを見つめる。
彼が見つめているのは、昔買った白い安物のピアス。目立たなくてちょうどいい。礼二からもらってずっとつけていたピアスは、アクアマリンの淡い水色だった。
「小夜先生」
目を細め、里見くんは笑みを浮かべる。
「俺は小夜先生のことが好きです。俺が教師になれたら、結婚してください」
無理です、と言おうとした唇を人差し指で軽く塞がれる。優しく暖かな指先が唇に触れただけなのに、一気に熱が生まれる。唇が、頬が、熱い。
「今は無理でも、来年、答えを聞かせてください。俺、努力しますから」
「……」
「で、受け取ってもらいたいものがあるんですけど」
里見くんはジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出した。白いビロードのケースの中身は、指輪ではなく。
「……ピアス?」
「水色や白よりは、先生にはこちらのほうが絶対似合います。シンプルだし、学校につけてきても文句は言われないと思います」
「でも」
「ホワイトゴールドなので、アレルギーも大丈夫だと思います。明日からつけてきてくださいね」
里見くんは私が受け取ったのを確認して、微笑んだ。
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