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貴族議会では、爵位を持つ者以外の議場入場は認められていない。よって、爵位をいずれ継承する者たちは補佐官として個室で控えていたり、補佐官同士で情報を交換、収集したりすることが多い。
ルーチェの兄セヴェーロも、補佐官としてコレモンテ伯爵を支えている。仕事ぶりは真面目だと周囲からも評価されている。
だからこそ、仕事熱心なセヴェーロはルーチェの頼み――議会の最中に花鳥歌劇団に出かけることを渋った。いくらルーチェが「フィオリーノ王子殿下の頼みなので」とお願いしても、うんうんと唸るだけで頷かない。
仕方なく、ルーチェは父伯爵に頼み込んで、「視察」という名目の兄の自由時間を勝ち取ったのだ。
「愚妹を王子妃にと望んでいただいたこと、コレモンテ伯爵家としては大変に誉れ高いお申し出でございます。しかし、兄としては少々不安がございます。何しろ、我が愚妹は男勝りゆえに女性からの支持が多く、王子妃という重責を担うに値するかどうか――」
馬車に乗り込むなり、セヴェーロはリーナに対して「本当にルーチェでいいのか」「何かの間違いではないのか」と自らの不安を尋ねる事態となった。ルーチェが困惑する中、リーナはきっぱりはっきりと言い切る。
「兄はルーチェの人となりを理解した上で、自らの妻にと望まれました。わたくしは兄の目に狂いはないと断言できます。心配は無用でございます」
セヴェーロに気づかれないように、リーナがルーチェの手を握る。リーナの――フィオの気持ちに、ルーチェはくすぐったい気分になる。とても幸せな気分だ。
セヴェーロの疑心暗鬼な発言を軽くかわしながら、馬車は平民東区へと向かう。アディはルーチェの膝の上でぐっすりと眠っている。
「なるほど、ここが花鳥歌劇団……随分と賑わっているではありませんか」
セヴェーロは正面出入口の往来を窓から眺め、「あちらは伯爵夫人、あちらは男爵家のご令嬢」と知り合いの顔を見つけていく。歌劇団が夫人や令嬢の社交場の一つであることを、彼は初めて知った様子だ。
「おや、ミレフォリア公爵家のヴィオラ嬢ではありませんか。アリーチェは……一緒ではないようですが」
先日結婚をしたルーチェの姉アリーチェの義妹、バルトロの妹の姿があったらしいのだが、ルーチェには見つけられなかった。「挨拶を」と馬車から降りようとしたセヴェーロを引き止めながら、馬車は裏口へと向かう。
そうして、屈強な警備兵の横を通り、二階の特別席へと歩く。目覚めたアディは自分の足で歩いていく。
「なるほど、こういう場所で密会できるようになっているとは……知りませんでした」
廊下を歩きながら、セヴェーロはひとしきり頷いている。隠し部屋は王族にとっては必要なものだと説くセヴェーロを、「そうだね」と適当な相槌を打ちながらルーチェが引っ張っていく。
そうして、セヴェーロを特別室へ案内し、前回二妃が座っていた大きなソファに誘導する。二妃は今日は来ていない。リーナに彼女たちの様子を聞くと、ブーブーと文句を言っていたものの「王家の呪いを解くことができるかもしれない」と伝えると渋々引き下がったらしい。
劇場は今日も満員だ。「いやぁすごい」とセヴェーロは呟きながら、葡萄酒を飲む。そして、身を乗り出しながら、「あれはラルゴーゾラ侯爵夫人。ほぅ、あちらは子爵令嬢。なるほど、あの男爵と子爵の夫人は仲がいいのか」と幕が上がるまで顔見知りの夫人や令嬢を探していた。
『王と精霊の恋物語』の幕が上がり、コルヴォの姿を見た瞬間に、セヴェーロは「ほう」と驚いた。リーナもルーチェもコルヴォが魔女の子だと考えていたために、セヴェーロに期待を寄せる。
しかし、もたらされた言葉は、期待したものではなかった。
「残念ながら、あの役者は魔女の子ではありません」
二人は目を瞬かせて顔を見合わせる。「そんな」とリーナは絶望し、「当てが外れたね」とルーチェはリーナを慰める。二人ともすぐに魔女の子が見つかるとは思っていなかったが、やはり多少の期待はあったのだ。
「……ん? んん?」
セヴェーロが妙な声を出したのは、少し時間がたってからだ。目を細め、首を捻りながら唸る。
「魔女の子によく似た人がいます」
セヴェーロも確信が持てないのだろう。何度も舞台を見つめて、「似ているんだが、髪の色が違う」と呟いている。しびれを切らしたリーナが、セヴェーロに問う。
「似ているのは、誰?」
「あぁ、ほら、今舞台の真ん中にいる――」
王と精霊が愛を語り合う場面。その中央にいるのは、コルヴォではなく――。
「オルテンシア様……?」
美しい精霊を演ずる、もう一人の看板役者なのだった。
何度見ても舞台は素晴らしいものだ、とルーチェは涙を拭う。結末も、再歌唱の内容もわかっているにもかかわらず、同じ場面でやはり涙が溢れてしまう。二妃がいたら、「あそこは前回と振り付けが違いましたね」「あの台詞は即興でしょうか」などと言い合いたい。そんな気分で、リーナを見上げる。
「セヴェーロ様、彼女はやはり魔女の子ですか?」
「はい、間違いありません。黒髪ではないものの、あの目、雰囲気……二十年前とちっとも変わっておりません。いやぁ、美しくなられましたねぇ」
リーナの興味は既にオルテンシアに向けられている。長年探し求めていた解呪の方法にたどり着けるのかもしれないのだから、興奮するのは仕方がない。
「それにしても」とセヴェーロは首を傾げる。
「アデリーナ王女殿下は舞台ではなくルーチェをずっと見ていらしたようですが、愚妹の顔など見てもつまらないでしょう」
「……ふふ、何を仰いますのやら」
「いえ、私はずっと見ておりましたよ。王女殿下が愚妹の何を面白がっているのか、私には見当もつきません」
セヴェーロの言葉に、リーナは顔と耳を真っ赤にする。図星だったのだろう。
――じゃあ、前回ももしかして、ずっと私の顔を見ていた、とか?
コルヴォがリーナをからかっていた理由を知り、ルーチェは苦笑する。舞台上の役者ではなく隣に座った女を見つめているのだから、嫌味の一つでも言いたくなるだろう。
「リーナ、見過ぎ」
「仕方がないじゃない。ルーチェが隣にいるとドキドキして観劇どころじゃないんだもの」
リーナは否定せず素直に認める。触れたいのに触れられない、といった表情でルーチェを見つめてくる。そんなリーナの我慢を知り、ルーチェは苦笑するしかない。
「おや、また来てくださったのですね」
「贔屓にしてくださってありがとうございます」
主役二人の登場に、セヴェーロは驚き、ルーチェは緊張で体を固くする。リーナだけが不服そうな表情をして二人を睨む。
「ふふ。また怖い顔をして。そんなに警戒しなくとも、取って食いやしませんよ」
「コルヴォ。はしたない言葉を使わないでちょうだい」
オルテンシアはセヴェーロの熱い視線に気づく。そして、困ったように微笑む。
「ごきげんよう。汗をかいて化粧も崩れております。そんなに見つめないでくださいませ」
「え、ああ、申し訳ございません。私はコレモンテ伯爵嫡男セヴェーロと申します。そこにいるルーチェの兄です」
「あら、お兄様でしたの。初めまして、オルテンシアと申します。以後お見知りおきを」
オルテンシアは表情一つ変えることなく、セヴェーロに微笑む。「初めましてではないのですが」と踏み込んでいくセヴェーロを、リーナとルーチェは内心で応援する。
「どこかでお会いしたことがございましたか……申し訳ございません、大変失礼いたしました。このような格好いい方を覚えていないなんて、わたくしの記憶力は衰えたのかしら」
「覚えていらっしゃらないのも無理はありません。もう二十年も前の話です。コレモンテ伯爵領の葡萄畑で赤い犬と一緒に遊んだこと、私はよく覚えております」
瞬間、オルテンシアとセヴェーロの間に割り込んだ人影がある。オルテンシアを背中で守るように、セヴェーロに対峙したのは、コルヴォだ。先程までの柔らかな雰囲気が消え、全身で警戒心を露わにしている。怒っているのかもしれない。
「……どういうことですか、王女殿下」
「どうもこうもしないわ。ただ話が聞きたいだけなの」
「何の話かは存じ上げませんが、お断りいたします」
「『目は口ほどにものを言う』だったかしら。あのときの言葉、そっくりそのままあなたにお返しするわ」
睨み合うリーナとコルヴォ。困惑する、他の三人。その膠着状態を壊したのは、もう一人の重要人物だ。
「説明をいたしましょう、王女殿下。それでよろしいですね?」
花鳥歌劇団の団長オーカが、扉のそばに立っている。やはり、オーカが魔女の子を隠すことに加担していたのだと知り、リーナとルーチェは否が応でもその先に期待してしまうのだった。
ルーチェの兄セヴェーロも、補佐官としてコレモンテ伯爵を支えている。仕事ぶりは真面目だと周囲からも評価されている。
だからこそ、仕事熱心なセヴェーロはルーチェの頼み――議会の最中に花鳥歌劇団に出かけることを渋った。いくらルーチェが「フィオリーノ王子殿下の頼みなので」とお願いしても、うんうんと唸るだけで頷かない。
仕方なく、ルーチェは父伯爵に頼み込んで、「視察」という名目の兄の自由時間を勝ち取ったのだ。
「愚妹を王子妃にと望んでいただいたこと、コレモンテ伯爵家としては大変に誉れ高いお申し出でございます。しかし、兄としては少々不安がございます。何しろ、我が愚妹は男勝りゆえに女性からの支持が多く、王子妃という重責を担うに値するかどうか――」
馬車に乗り込むなり、セヴェーロはリーナに対して「本当にルーチェでいいのか」「何かの間違いではないのか」と自らの不安を尋ねる事態となった。ルーチェが困惑する中、リーナはきっぱりはっきりと言い切る。
「兄はルーチェの人となりを理解した上で、自らの妻にと望まれました。わたくしは兄の目に狂いはないと断言できます。心配は無用でございます」
セヴェーロに気づかれないように、リーナがルーチェの手を握る。リーナの――フィオの気持ちに、ルーチェはくすぐったい気分になる。とても幸せな気分だ。
セヴェーロの疑心暗鬼な発言を軽くかわしながら、馬車は平民東区へと向かう。アディはルーチェの膝の上でぐっすりと眠っている。
「なるほど、ここが花鳥歌劇団……随分と賑わっているではありませんか」
セヴェーロは正面出入口の往来を窓から眺め、「あちらは伯爵夫人、あちらは男爵家のご令嬢」と知り合いの顔を見つけていく。歌劇団が夫人や令嬢の社交場の一つであることを、彼は初めて知った様子だ。
「おや、ミレフォリア公爵家のヴィオラ嬢ではありませんか。アリーチェは……一緒ではないようですが」
先日結婚をしたルーチェの姉アリーチェの義妹、バルトロの妹の姿があったらしいのだが、ルーチェには見つけられなかった。「挨拶を」と馬車から降りようとしたセヴェーロを引き止めながら、馬車は裏口へと向かう。
そうして、屈強な警備兵の横を通り、二階の特別席へと歩く。目覚めたアディは自分の足で歩いていく。
「なるほど、こういう場所で密会できるようになっているとは……知りませんでした」
廊下を歩きながら、セヴェーロはひとしきり頷いている。隠し部屋は王族にとっては必要なものだと説くセヴェーロを、「そうだね」と適当な相槌を打ちながらルーチェが引っ張っていく。
そうして、セヴェーロを特別室へ案内し、前回二妃が座っていた大きなソファに誘導する。二妃は今日は来ていない。リーナに彼女たちの様子を聞くと、ブーブーと文句を言っていたものの「王家の呪いを解くことができるかもしれない」と伝えると渋々引き下がったらしい。
劇場は今日も満員だ。「いやぁすごい」とセヴェーロは呟きながら、葡萄酒を飲む。そして、身を乗り出しながら、「あれはラルゴーゾラ侯爵夫人。ほぅ、あちらは子爵令嬢。なるほど、あの男爵と子爵の夫人は仲がいいのか」と幕が上がるまで顔見知りの夫人や令嬢を探していた。
『王と精霊の恋物語』の幕が上がり、コルヴォの姿を見た瞬間に、セヴェーロは「ほう」と驚いた。リーナもルーチェもコルヴォが魔女の子だと考えていたために、セヴェーロに期待を寄せる。
しかし、もたらされた言葉は、期待したものではなかった。
「残念ながら、あの役者は魔女の子ではありません」
二人は目を瞬かせて顔を見合わせる。「そんな」とリーナは絶望し、「当てが外れたね」とルーチェはリーナを慰める。二人ともすぐに魔女の子が見つかるとは思っていなかったが、やはり多少の期待はあったのだ。
「……ん? んん?」
セヴェーロが妙な声を出したのは、少し時間がたってからだ。目を細め、首を捻りながら唸る。
「魔女の子によく似た人がいます」
セヴェーロも確信が持てないのだろう。何度も舞台を見つめて、「似ているんだが、髪の色が違う」と呟いている。しびれを切らしたリーナが、セヴェーロに問う。
「似ているのは、誰?」
「あぁ、ほら、今舞台の真ん中にいる――」
王と精霊が愛を語り合う場面。その中央にいるのは、コルヴォではなく――。
「オルテンシア様……?」
美しい精霊を演ずる、もう一人の看板役者なのだった。
何度見ても舞台は素晴らしいものだ、とルーチェは涙を拭う。結末も、再歌唱の内容もわかっているにもかかわらず、同じ場面でやはり涙が溢れてしまう。二妃がいたら、「あそこは前回と振り付けが違いましたね」「あの台詞は即興でしょうか」などと言い合いたい。そんな気分で、リーナを見上げる。
「セヴェーロ様、彼女はやはり魔女の子ですか?」
「はい、間違いありません。黒髪ではないものの、あの目、雰囲気……二十年前とちっとも変わっておりません。いやぁ、美しくなられましたねぇ」
リーナの興味は既にオルテンシアに向けられている。長年探し求めていた解呪の方法にたどり着けるのかもしれないのだから、興奮するのは仕方がない。
「それにしても」とセヴェーロは首を傾げる。
「アデリーナ王女殿下は舞台ではなくルーチェをずっと見ていらしたようですが、愚妹の顔など見てもつまらないでしょう」
「……ふふ、何を仰いますのやら」
「いえ、私はずっと見ておりましたよ。王女殿下が愚妹の何を面白がっているのか、私には見当もつきません」
セヴェーロの言葉に、リーナは顔と耳を真っ赤にする。図星だったのだろう。
――じゃあ、前回ももしかして、ずっと私の顔を見ていた、とか?
コルヴォがリーナをからかっていた理由を知り、ルーチェは苦笑する。舞台上の役者ではなく隣に座った女を見つめているのだから、嫌味の一つでも言いたくなるだろう。
「リーナ、見過ぎ」
「仕方がないじゃない。ルーチェが隣にいるとドキドキして観劇どころじゃないんだもの」
リーナは否定せず素直に認める。触れたいのに触れられない、といった表情でルーチェを見つめてくる。そんなリーナの我慢を知り、ルーチェは苦笑するしかない。
「おや、また来てくださったのですね」
「贔屓にしてくださってありがとうございます」
主役二人の登場に、セヴェーロは驚き、ルーチェは緊張で体を固くする。リーナだけが不服そうな表情をして二人を睨む。
「ふふ。また怖い顔をして。そんなに警戒しなくとも、取って食いやしませんよ」
「コルヴォ。はしたない言葉を使わないでちょうだい」
オルテンシアはセヴェーロの熱い視線に気づく。そして、困ったように微笑む。
「ごきげんよう。汗をかいて化粧も崩れております。そんなに見つめないでくださいませ」
「え、ああ、申し訳ございません。私はコレモンテ伯爵嫡男セヴェーロと申します。そこにいるルーチェの兄です」
「あら、お兄様でしたの。初めまして、オルテンシアと申します。以後お見知りおきを」
オルテンシアは表情一つ変えることなく、セヴェーロに微笑む。「初めましてではないのですが」と踏み込んでいくセヴェーロを、リーナとルーチェは内心で応援する。
「どこかでお会いしたことがございましたか……申し訳ございません、大変失礼いたしました。このような格好いい方を覚えていないなんて、わたくしの記憶力は衰えたのかしら」
「覚えていらっしゃらないのも無理はありません。もう二十年も前の話です。コレモンテ伯爵領の葡萄畑で赤い犬と一緒に遊んだこと、私はよく覚えております」
瞬間、オルテンシアとセヴェーロの間に割り込んだ人影がある。オルテンシアを背中で守るように、セヴェーロに対峙したのは、コルヴォだ。先程までの柔らかな雰囲気が消え、全身で警戒心を露わにしている。怒っているのかもしれない。
「……どういうことですか、王女殿下」
「どうもこうもしないわ。ただ話が聞きたいだけなの」
「何の話かは存じ上げませんが、お断りいたします」
「『目は口ほどにものを言う』だったかしら。あのときの言葉、そっくりそのままあなたにお返しするわ」
睨み合うリーナとコルヴォ。困惑する、他の三人。その膠着状態を壊したのは、もう一人の重要人物だ。
「説明をいたしましょう、王女殿下。それでよろしいですね?」
花鳥歌劇団の団長オーカが、扉のそばに立っている。やはり、オーカが魔女の子を隠すことに加担していたのだと知り、リーナとルーチェは否が応でもその先に期待してしまうのだった。
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