【R18完結】男装令嬢と呪われた王子の不健全な婚約

千咲

文字の大きさ
上 下
16 / 49

016.

しおりを挟む
「ルーチェ様、アデリーナ王女殿下がお見舞いにいらっしゃっております」
「……ごめん、まだ熱が」
「そうお伝えしておきますね」

 ルーチェの寝室からエミリーが出ていく。リーナには申し訳ないと思いながらも、ルーチェは寝台ベッドから起き上がることができずに伏せったままだ。国立調査団から帰ってきてから、熱が下がらないのだ。
 幸い、流行病のようなものではなかったが、環境の変化に体が疲れてしまったのだろうと医者は言っていた。ヴァレリオと久々に鍛錬を行なったのも理由の一つではあるだろう。体の節々が痛く熱を持っている。
 とにかく、安静にしなければならない。念のためにリーナの面会も断っている。当然、星の別邸にも行くことができていない。

「はぁ……」

 溜め息をついて、ルーチェはごろりと転がる。
 自分の弱さに、ルーチェが一番驚いている。結婚がご破算になるかもしれないと想像したら、熱が出た。ある種の拒絶反応なのかもしれないとルーチェは思っている。

 ――私、フィオとの結婚に夢を見ていたんだなぁ。

 リーナにフィオのことを「好きだ」と言わされてから、自覚した感情だ。その感情に振り回されるとは思ってもみなかった。
 しんと静まった部屋でぼんやりと天井を眺めながら、フィオは毎日こんなふうに過ごしているのだろうか、と考える。何とも孤独な時間だ。やはり、日中もフィオと過ごす日を作ってみてもいいかもしれないとルーチェは思う。

「結婚したら、の話だな……できないかもしれないもんな」

 ロゼッタから、訂正の書状がジラルドに届いているだろう。王家に必要なのは真実の愛ではない。呪いを解くのに真実の愛は必要ないのだ。
 それを知ったら、フィオが婚約の解消を申し入れると思っていたのだが、その知らせはまだ伯爵家には届いていない。回復するまで伏せられている可能性はあるものの、連日リーナが見舞いに来てくれて、ルーチェの体調の回復を祈って、帰っていく。リーナはフィオとの結婚を諦めていないのだ。

 ――星の別邸には、もう行けないかもしれない。

 星の別邸は、ルーチェにとって居心地のいい、可愛いもので溢れている最高の場所なのだ。結婚したらあの邸で楽しく過ごしたかった、とルーチェは嘆きながら眠りに落ちた。



 目を開けると、窓の外が茜色に染まっている。夕刻だ。三つ時の時鐘が聞こえないほどの深い眠りだった。ルーチェは額に手をやろうとして、それに気づく。右手がしっかりと、誰かの手に握られていることに。
 椅子に座り、寝台に突っ伏しているのは、茜色に染まった――。

「リーナ?」

 何もかもが夕日の色に染まっているリーナは、夕刻になると起きられなくなる。誰かを呼んで、連れ帰ってもらわなければならない。ジータは一緒に来ているだろうか。ルーチェがジータを呼びに行こうとリーナの手を離そうとした途端、右手がぎゅうと握られた。

「……行かないで、ルーチェ」
「リーナ? でも、あなたを別邸まで送ってもらわないと」
「いいの。今夜はここで眠るわ。もう伯爵にもエミリーにも伝えてあるから」

 ゆっくりと顔を上げたリーナは、悲しげだ。なのに、強がって微笑んでいる、そんな印象を受ける。

「……エミリーから聞いたわ。何もかも。ごめんなさいね、あなたを騙すつもりはなかったの」

 王家の人々が嘘をつかなければならないほどの不利益な魔法があるのだと、ルーチェも理解している。ルーチェにはその魔法を解くことができないということも。

「フィオの婚約解消を、伝えに来てくれたのかな?」
「そんなまさか。どうして? フィオは絶対にルーチェとの結婚を取りやめたりしないわ」
「ロゼッタからの書状に書いてあっただろう? 真実の愛では呪いは解けないんだよ。だから、私たちが婚約する意味なんて」

 リーナがいきなり、むぎゅとルーチェの頬を両手で挟む。唇が突き出すような変な顔になる。リーナは肩を震わせて、「当たり前じゃないの!」と笑う。

「ひぇ?」
「わたくしたちの呪いは、真実の愛なんかで解けるわけがないの。おとぎ話なんかより、もっとずっと厄介なものなのよ」

 やはり、王家は呪われているのだ。しかし、ルーチェはリーナの言葉に違和感を持つ。「わたくしたちの呪い」ということは、つまり、「リーナも呪われている」ということに他ならない。フィオだけでなくリーナにも不利益な魔法がかけられているのだ。

「その厄介な呪いをあなたに打ち明ける勇気が、わたくしにはなかったの。ごめんなさい。だって、あなたに嫌われたくなかったんだもの」

 あの夜、勇気がないと言っていたのは、フィオのほうだ。リーナは打ち明ける気満々だったはずだ。ルーチェは混乱し始める。

「ほうひへ?」
「どうして、って、ルーチェのことが好きだからよ。あなたに嫌われたくなかったの」

 リーナからの唐突な告白に、ルーチェの頭の中は真っ白になる。

「でも、嫌われたくないというのはわたくしの我儘ね。嘘をついて生きていくより、真実を打ち明けてあなたの信頼を得ることのほうが、大事なんだと気づいたの。これ以上、わたくしの我儘でルーチェを振り回すのは、あなたを傷つけるのは、あってはならないこと」
「リ」
「だから、真実を話すわ。でもどうか、わたくしを嫌いにならないで。どんな罰でも受けるから、わたくしを許してもらいたいの」

 リーナの瞳に涙が浮かぶ。覚悟も、哀願も、リーナの本心なのだろう。絶世の美女にそんなふうに縋られたら、ぐらぐらと気持ちが揺らぐものだ。

「まずは、真実の愛で呪いが解けるのか、試してみましょうか?」
「はへふ?」

 試すって何を、と問おうとした瞬間には、眼前にリーナの顔がある。頬に添えられている両手はしっかりとルーチェを捕らえている。
 真実の愛を試すということは、つまり――。

「リー……」

 リーナの柔らかな唇が、ルーチェのものに重なる。温かいのか熱いのか、熱があるルーチェにはわからない。優しい柑橘の匂いに、今日は酔ってしまいそうだ。

「ね? 呪いなんて解けないでしょう?」

 戸惑うルーチェを、リーナが見下ろす。ルーチェの体が熱い。熱が上がりそうな気配がしている。何しろ、リーナの言っていることが一つも理解できないのだ。

「ほら、日が沈むわ。よく見ていて」
「……え?」
「わたくしから目を離さないで、ルーチェ。僕の葡萄の妖精さん」

 ――わたくし? 僕?

 窓から茜色が消え、帳が下りる。その瞬間のリーナの姿を、ルーチェは一生忘れることはないだろう。まるで夢を見ているかのような、時間だ。
 リーナの胸の膨らみが消え、腕や腹がきしむような音を立てる。どこかでビリという、服の破れる音がする。

「え」

 柔らかく丸い女性の体が、ごつくて硬い男性の体へと転じていく。喉仏がぽこりと生まれる。

「リ、」

 夜が訪れた瞬間、そこにいたのは、リーナではない。フィオリーノだ。リーナの服を着て、リーナの髪型をして、フィオが溜め息を零す。

「あー、あー、うん。声も元通り」
「フィ、えっ? フィオ、王子? リーナは? リーナはどこ?」

 ルーチェは困惑したまま婚約者の姿を見上げる。フィオは着ていたワンピースの裾をくるくると揺らし、「たぶん背中が破けたわね。これ、気に入っていたのに」と嘆く。フィオの声で、リーナの喋り方。ルーチェの頭の中はぐしゃぐしゃだ。

「さて、改めまして、ルーチェ。今はフィオ。さっきまではリーナ。これ、全部僕なんだ」
「え」
「信じられないかもしれないけれど、これが呪い。王家が秘密にしている、国王の恥。僕がルーチェに内緒にしていたこと。……嫌いになった? 気持ち悪い?」
「ど、う、して」

 呆然とするルーチェを見下ろし、フィオは微笑む。その笑顔の中にリーナの面影を見つけて、ルーチェはさらに混乱する。

「話せば長くなるんだけど、まぁ、夜は長いんだから構わないよね。ゆっくり話そうか」

 熱に浮かされた頭で、ルーチェは思う。あぁ、これは夢なのだと。熱が下がればこんな変な夢は見ないだろうと。
 ルーチェは静かに目を閉じ、夢の中でさらに夢を見るように努めるのだった。


しおりを挟む
script?guid=on
感想募集中。更新中は励みになりますし、完結後は次回作への糧になります。
感想 18

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

処理中です...