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013.

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 翌朝、ルーチェは息苦しくて目が覚めた。胸がやたらと苦しいのだ。「うぅ」と唸りながら胸のあたりに手をやると、ふわりと柔らかく暖かなものに触れる。

「えっ? ひゃ……アディ!?」
「ナァ」

 ルーチェの胸の上にどっかりと乗っかっていたのは、金色の毛並みが美しい猫。どうやらルーチェを起こしに来たようだ。

「おはよう、アディ」

 窓を開けると、ふわりと風が入り込んでくる。晴天だ。奥に広がる庭では、既に庭師が働いている。草を取り、苗を間引き、水をやる。その様子をぼんやり眺め、ルーチェは溜め息をつく。

「ナァ?」
「あぁ、ごめん、アディ。ちょっと考え事をしていたんだ」

 やはり結婚には裏があったと知って、昨夜は少し取り乱してしまった。しかし、王侯貴族間でよくある愛のない結婚とは異なり、フィオからは嫌われていないようにも聞こえた。

 ――だとしたら、真実の愛とやらで呪いを解いても、離縁されずにすむんじゃないか? だって、「真実の愛」なのだから。

 呪いが解けたら関係が終わるというわけではないかもしれない、と希望が湧いてくる。おとぎ話でも、真実の愛で結ばれた登場人物は、末永く幸せに暮らすのだ。フィオが真実の愛を手放す薄情な人間ではないことは、ルーチェもよく知っている。

 問題は、呪いが解けなかった場合だ。つまり、二人の間には真実の愛がなかったとして、失望したフィオから離縁を申し渡される可能性のほうが高い。そちらのほうが悲惨だ。ルーチェは、フィオが嫌いではないのだから。

「真実の愛って、何だろうね」
「ニャ?」
「アディに聞いてもわからないかぁ。私にもわからない。どうすれば真実の愛を理解することができるんだろう」
「ナァーア」
「あ、はい、朝食だね」

 アディの後ろに付き従いながら、ルーチェは寝室を出て支度室へとやってくる。すると、既にエミリーが今日着るための衣服を並べている。

「おはようございます、ルーチェ様。今日はどのお召し物になさいますか? 昨日、ドレスと一緒に針子さんたちが届けてくださいました。すごく素敵ですよねぇ!」

 今までは兄のお下がりを少し直したり、男物として売られている既製品を着ていたため、ルーチェはあまりぴったりの服を着たことがない。目の前に広がるのは、針子たちが一生懸命デザインして縫った渾身の、ルーチェ専用の「作品」だ。
 エミリーが一番に持ってきたのは、男性の間で流行っているタイトな形状のシャツだ。ボタンを留めようとしたところ、割と胸が苦しいことに気づく。王宮の針子が胸囲を計測し損ねることはないだろう。想像以上に生地がぴったりすぎたのだ。

「うーん、ちょっと窮屈だなぁ」
「動きづらそうですね。ルーチェ様は胸があるほうですから」
「ニャアアァ」

 アディが不機嫌そうに鳴く。早く決めろと催促をしているようだ。エミリーが「アディも手伝ってくださいな」と戯れに言うと、アディはソファに乗り、それぞれブラウスとズボンの上で鳴いた。

「白藍のブラウスに黒茶色のズボン。素敵な組み合わせだわ、アディ!」

 エミリーから褒められて、アディは得意げに「ニャァ」と鳴く。どうやらエミリーは動物から好かれる性質を持ち合わせているようだ。
 着替えると、どちらも大変しっくり体に馴染む。いい布を使い、いい仕立てを行なう針子たちが揃っているのだろう。昨日のドレスも着心地が大変良かった。さすがは王宮である。

「おはよう、ルーチェ」
「リーナ、おはよう」

 階下の食堂へ向かうと、既にリーナが着席して香茶を飲んでいる。アディは定位置へ向かうと、すぐに食べ始める。

「アディは自由でいいわねぇ」
「本当に。そういえば、アディはいつから飼っているのかな?」
「いつ? いつだったかしら。結構前からいるわね」
「じゃあ、おばあちゃんなのかな? もう少し元気でいるんだよ、アディ」

 わかっているのか、いないのか、アディはナァと鳴くだけだ。
 焼きたての柔らかいパンにあんずジャムを乗せて食べると、程よい甘さと酸味が口いっぱいに広がる。野菜とベーコンのスープは優しくまろやかな味。食用の花びらが乗ったサラダは、ドレッシングを変えて食べてもよし、パンに乗せて食べてもよし、という変わり種。もちろん、とても美味しい。

 食堂から居室へ移動し、二人はソファに座って香茶を飲む。アディは既に眠っている。

「今日はどこへ行く? 何をする? わたくしの公務はないし、王妃殿下からはまだ茶会の招待状は届いていないから、庭を探索してもいいわね」
「ごめん、リーナ。今日は帰るよ」
「……え?」

 きょとんとしていたリーナが、次第にしょんぼりと眉尻を下げるのが大変可愛らしくて、ルーチェは微笑む。

「そんなに悲しまなくても。またすぐ会えるよ」
「そう、そうよね。ここのところ、毎日ルーチェと一緒にいたから、そばにいるのが当たり前だと思ってしまって……寂しいわね」
「ふふ。私も寂しいな」

 リーナが頬を赤く染めるのを、ルーチェは可愛いと思う。彼女が兄のために頑張っていることを、ルーチェは知っている。
 だからこそ、ルーチェは「呪い」が何なのかを、「真実の愛」とは何なのかを、知りたいと思うのだ。

「何日か、留守にするね」
「どういうこと?」
「野暮用を思い出したんだ」
「そんな……そんなに会えないの?」

 まずは呪い――魔獣の魔法だ。コレモンテ伯爵領に向かい、緋色の魔獣を探して真相を聞き出そうと思っていたルーチェだったが、「何日か」の留守で絶望の表情を作るリーナが不憫すぎて切なくなってくる。だから、往復で十日ほどかかる伯爵領には戻らず、緋色の魔獣――『魔境』を詳しく知っている人物に会いに行こうとしている。

「大丈夫、近くだからすぐに会えるよ。心配しないで」
「でも」

 リーナの菜の花色の髪を撫で、ルーチェは微笑む。昨夜、手のひらが好きだとリーナは言っていた。膝の上、とも。しかし、この一ヶ月の間に膝枕などをしたことなどはない。膝に乗ってくるのはアディだけだ。聞き間違いだったのだろう。

「拗ねないで、オレンジの妖精さん」

 ルーチェはそっとリーナを抱きしめ、その柔らかな頬にキスをする。真っ赤になったリーナからは、相変わらず柑橘のいい匂いがする。その匂いが、ルーチェも今では安心できるものになっている。

「また、来るから」

 リーナの耳元で囁くと、どこかで誰かがトレイを取り落として、何かが割れる音が響いた。相変わらず二人の戯れは目の毒らしい。
 リーナは寂しそうに「きっとよ」と呟いて、ルーチェをぎゅうと抱きしめるのだった。


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