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006.
しおりを挟む 春の挨拶も終わり、数ヶ月の間はリーゼロッテにとっても、ベルンハルトにとっても平和な時が流れていた。
未だに二人の間には拳一つ分の空間が開くし、ベルンハルトはその仮面をリーゼロッテの前で外すことはない。
だが、リーゼロッテの部屋を訪れる回数は確実に増えているし、リーゼロッテの部屋で出されたお茶には手をつけてくれる。
ベルンハルトと出会って一年。その関係も季節の移り変わりと共に少しずつ変化してきており、まだ見ぬ夏に心を馳せる。
王都シュレンタットよりも北側に位置するロイスナーの夏は過ごしやすいと聞いた。窓から見える木々の葉が徐々に緑色を濃くしており、吹き抜ける風にも青々とした香りが混ざる。
庭を覗けば、ちょうどヘルムートが草木に水をやっていて、ヘルムートの手元から作り出される水が、初夏の太陽に照らされて小さな虹を作り出していた。
窓から覗く庭は、春に訪れたディースの城に比べ確かに小さいが、それでもそれなりの大きさだと思う。その庭を魔力石を使ったとしても、ヘルムート一人で管理し、その上であの余裕を見せるとは。
ベルンハルトやアルベルトに比べ少ないとはいえ、ヘルムートの魔力量もそれなりのものだと、簡単に推測できる。
(わたくし、やっぱりお役に立たないわ)
ベルンハルトの頑なだった態度が軟化し、アルベルトやヘルムートに親切にされればされるほど、自分にその価値があるのかと、そんな思いが駆け巡る。
自分にも何かできないかと、そんな焦りだけが心の中に溜まっていった。
「ヘルムートさん」
「奥様。今日はお早いのですね」
「うふふ。部屋からヘルムートさんがお庭にいらっしゃるのが見えて、慌てて飛び出してきちゃった」
「またそのようなことを仰る」
「あら。本当よ。ヘルムートさんが淹れてくださるお茶が楽しみなんですもの」
元執事長のヘルムートが淹れるお茶は、ベルンハルトだけではなく、先代のロイエンタール当主も好んでいたという。
当主が飲んでいたものを味わうことができるなんて、王城では考えられなかった。
「このようなもので良ければ、いくらでもお淹れしますよ。そもそも、王城で飲まれていたものの方が、茶葉も高価なものでしょう」
「うふふ。茶葉の値段ではないわ。わたくしのために淹れてくださる、それだけで味わいが変わってくるもの」
王城でリーゼロッテに出されていたものは、誰かのついでに用意されるもので、魔力のない自分にはそれも当然のことだと、当たり前に受け入れていた。
ヘルムートに初めてお茶を淹れてもらった時は、その味はもちろん、それが自分のために淹れられたものだということが、心に染みた。
「そういうものでしょうか。私の淹れるものに、そこまで仰っていただけるのは、ありがたい限りです」
ヘルムートが淹れてくれたお茶は、この季節にちょうど良く、少し冷えたものだ。その爽やかな口当たりを楽しんでいたときだった。
「今日もこんなところにいるのね。リーゼロッテ様」
リーゼロッテの背後から聞こえたのは、数ヶ月前に突然姿を消した声。
次に会ったら謝ろうと心に決めていた声の持ち主。
「レティシア様!」
「なぁに? そんなに大きな声出さないで」
「あ、あのっ、先日は、申し訳ありませんでした!」
リーゼロッテは口から謝罪の言葉を、そして立ち上がり丁寧に頭を下げ、謝罪の態度をとった。
「え? 何のこと? 私、何で謝られてるのかしら」
「あの、わたくしがレティシア様に言ってしまった……その、言葉のせいで」
「あぁ! 嫌ってこと? あんなもののために謝ったの?」
「そ、そのせいで、レティシア様が帰ってしまったのだと……」
レティシアの態度が理解できず、しどろもどろになりながら、リーゼロッテが自分の不始末を説明する。
「そんなはずがないじゃない。まさか、あんなことを気にしていたの?」
「え、えぇ。ずっと気がかりで……」
「ははっ。ごめんなさい。私も突然消えてしまったものね。気を煩わせてしまったわ」
「いえ。そんなこと、気になさらないでください」
「あの日は、どちらにせよ帰る予定だったのよ。クラウスが近くまで来たのを感じとったからね。それで姿を消したってわけ」
「そう、だったのですね」
ずっと気に病んでいたことの、呆気ない幕引きに、リーゼロッテの気は抜け、先程まで座っていた椅子に全身を預けた。
「えぇ。そうだったのよ」
レティシアもリーゼロッテが座り込むのを見て、その向かい側に据えられた椅子へと腰掛ける。
すぐさまヘルムートがリーゼロッテに用意したお茶と同様のものをレティシアに出せば、数ヶ月の時間をおいて、お茶会の形が整った。
「レ、レティシア様もどうぞ」
「あら、ありがとう」
「やっと、お茶会ができますね」
レティシアが席につき、そのお茶を手に取ったのを見て、リーゼロッテは安堵を覚えた。
「ベルンハルトは私がいつ姿を現して、いつ姿を消しても気にも止めないから。つい貴女もそうだと思いこんでいたわ」
「わたくしが、勝手に思っていただけです。酷く傷つけてしまったのだと」
リーゼロッテが面と向かって他人に文句を言ったのは、あれが初めてだった。だからこそ、どれぐらい傷つけてしまったのか、どうやって償えば良いのか、わからずに時間が経った。
レティシアが再び現れてくれたこと、ずっと気がかりだったことを笑い飛ばしてくれたこと、そのことで心の中に引っかかっていた棘が抜けていく。
未だに二人の間には拳一つ分の空間が開くし、ベルンハルトはその仮面をリーゼロッテの前で外すことはない。
だが、リーゼロッテの部屋を訪れる回数は確実に増えているし、リーゼロッテの部屋で出されたお茶には手をつけてくれる。
ベルンハルトと出会って一年。その関係も季節の移り変わりと共に少しずつ変化してきており、まだ見ぬ夏に心を馳せる。
王都シュレンタットよりも北側に位置するロイスナーの夏は過ごしやすいと聞いた。窓から見える木々の葉が徐々に緑色を濃くしており、吹き抜ける風にも青々とした香りが混ざる。
庭を覗けば、ちょうどヘルムートが草木に水をやっていて、ヘルムートの手元から作り出される水が、初夏の太陽に照らされて小さな虹を作り出していた。
窓から覗く庭は、春に訪れたディースの城に比べ確かに小さいが、それでもそれなりの大きさだと思う。その庭を魔力石を使ったとしても、ヘルムート一人で管理し、その上であの余裕を見せるとは。
ベルンハルトやアルベルトに比べ少ないとはいえ、ヘルムートの魔力量もそれなりのものだと、簡単に推測できる。
(わたくし、やっぱりお役に立たないわ)
ベルンハルトの頑なだった態度が軟化し、アルベルトやヘルムートに親切にされればされるほど、自分にその価値があるのかと、そんな思いが駆け巡る。
自分にも何かできないかと、そんな焦りだけが心の中に溜まっていった。
「ヘルムートさん」
「奥様。今日はお早いのですね」
「うふふ。部屋からヘルムートさんがお庭にいらっしゃるのが見えて、慌てて飛び出してきちゃった」
「またそのようなことを仰る」
「あら。本当よ。ヘルムートさんが淹れてくださるお茶が楽しみなんですもの」
元執事長のヘルムートが淹れるお茶は、ベルンハルトだけではなく、先代のロイエンタール当主も好んでいたという。
当主が飲んでいたものを味わうことができるなんて、王城では考えられなかった。
「このようなもので良ければ、いくらでもお淹れしますよ。そもそも、王城で飲まれていたものの方が、茶葉も高価なものでしょう」
「うふふ。茶葉の値段ではないわ。わたくしのために淹れてくださる、それだけで味わいが変わってくるもの」
王城でリーゼロッテに出されていたものは、誰かのついでに用意されるもので、魔力のない自分にはそれも当然のことだと、当たり前に受け入れていた。
ヘルムートに初めてお茶を淹れてもらった時は、その味はもちろん、それが自分のために淹れられたものだということが、心に染みた。
「そういうものでしょうか。私の淹れるものに、そこまで仰っていただけるのは、ありがたい限りです」
ヘルムートが淹れてくれたお茶は、この季節にちょうど良く、少し冷えたものだ。その爽やかな口当たりを楽しんでいたときだった。
「今日もこんなところにいるのね。リーゼロッテ様」
リーゼロッテの背後から聞こえたのは、数ヶ月前に突然姿を消した声。
次に会ったら謝ろうと心に決めていた声の持ち主。
「レティシア様!」
「なぁに? そんなに大きな声出さないで」
「あ、あのっ、先日は、申し訳ありませんでした!」
リーゼロッテは口から謝罪の言葉を、そして立ち上がり丁寧に頭を下げ、謝罪の態度をとった。
「え? 何のこと? 私、何で謝られてるのかしら」
「あの、わたくしがレティシア様に言ってしまった……その、言葉のせいで」
「あぁ! 嫌ってこと? あんなもののために謝ったの?」
「そ、そのせいで、レティシア様が帰ってしまったのだと……」
レティシアの態度が理解できず、しどろもどろになりながら、リーゼロッテが自分の不始末を説明する。
「そんなはずがないじゃない。まさか、あんなことを気にしていたの?」
「え、えぇ。ずっと気がかりで……」
「ははっ。ごめんなさい。私も突然消えてしまったものね。気を煩わせてしまったわ」
「いえ。そんなこと、気になさらないでください」
「あの日は、どちらにせよ帰る予定だったのよ。クラウスが近くまで来たのを感じとったからね。それで姿を消したってわけ」
「そう、だったのですね」
ずっと気に病んでいたことの、呆気ない幕引きに、リーゼロッテの気は抜け、先程まで座っていた椅子に全身を預けた。
「えぇ。そうだったのよ」
レティシアもリーゼロッテが座り込むのを見て、その向かい側に据えられた椅子へと腰掛ける。
すぐさまヘルムートがリーゼロッテに用意したお茶と同様のものをレティシアに出せば、数ヶ月の時間をおいて、お茶会の形が整った。
「レ、レティシア様もどうぞ」
「あら、ありがとう」
「やっと、お茶会ができますね」
レティシアが席につき、そのお茶を手に取ったのを見て、リーゼロッテは安堵を覚えた。
「ベルンハルトは私がいつ姿を現して、いつ姿を消しても気にも止めないから。つい貴女もそうだと思いこんでいたわ」
「わたくしが、勝手に思っていただけです。酷く傷つけてしまったのだと」
リーゼロッテが面と向かって他人に文句を言ったのは、あれが初めてだった。だからこそ、どれぐらい傷つけてしまったのか、どうやって償えば良いのか、わからずに時間が経った。
レティシアが再び現れてくれたこと、ずっと気がかりだったことを笑い飛ばしてくれたこと、そのことで心の中に引っかかっていた棘が抜けていく。
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