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005.
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星の別邸の南側に、庭を眺められる東屋がある。そこで茶会が催されるようだ。左足が不自由なエミリーのために、東屋のそばに椅子まで準備してくれているため、ルーチェはリーナに感謝する。
若草色のクロスが張られたテーブルに、深い緑色のクッションを置いた椅子。既に菓子の甘い匂いが漂っている。アディは早々に椅子の一つに座り、眠り始める。この東屋では、アディがこうしてよく眠っているらしい。
執事のディーノが桃のパイを切り分け、香茶を淹れ、給仕する。メイドたちは厨房から菓子を運んだり、水を運んだりして働いている。
「あれから心変わりはしていない? 伯爵から反対されたかしら?」
「まさか。両親も兄弟も大喜びでしたよ。私も結婚できるとは思っていなかったもので驚いておりますけど、心変わりはしておりません」
「そう。それなら良かった……すごく、良かったわ」
リーナは抱いたクッションに顔を埋める。どうやら断られると思っていた様子だ。王家からの要望を断る貴族などいないというのに、とルーチェは苦笑する。
「それで……フィオリーノ王子殿下は、何と仰せでしたか?」
「ええ。ぜひルーチェと結婚したいと」
「まだ会ってもいないのに? それとも、この東屋はフィオリーノ王子殿下の部屋からよく見えるのでしょうか?」
「兄はわたくしの審美眼を信じているの。わたくしが選んだ人なら間違いないと言ってくれたわ。ねぇ、ルーチェ。そんな意地悪言わないで」
むぅと膨れているリーナが可愛らしく、ルーチェは「申し訳ございません、意地悪でしたね」と謝る。機嫌を損ねたわけではないのか、リーナはほっとしたような表情で微笑む。
「料理長の桃のパイ、絶品なのよ。どうぞ召し上がれ」
「では、遠慮なく」
生地にも桃のジャムが使われているのか、とても甘い。合わせる香茶は甘くないため、ペロリと食べてしまう。太らないように気をつけなければ、とルーチェは思う。
貴族の夫人や子女が開催する茶会には、ルーチェもよく出席している。しかし、ドレスを着ていったことはない。そういう役回りではないことを知っている。
甘い菓子が好きでも、「ルッカ様にケーキやタルトは似合わない」と言われて、甘くないビスケットなどが準備されることが多い。香茶にジャムを入れたり、ホイップで飾ったりするのも、見たことがあるだけだ。羨ましく思っても、大抵、苦い珈風茶やブランデー入りの香茶が目の前に置かれるだけなのだ。
ゆえに、ルーチェは茶会で出された菓子はあまり食べたことがないのだが、リーナの前ではそんな気を使うことはないため、昨日と同様にパクパクと口に運ぶ。ルーチェにとってはたまらなく幸せな時間だ。
「コレモンテ伯爵領はどんなところ? 国王陛下は二十年ほど前に長いこと滞在していたらしいのだけれど」
「そうですね。葡萄の産地であるため、葡萄水や葡萄酒がよく流通しております。本日も手土産としてお持ちいたしましたので、折を見てお飲みいただければ幸いです」
「葡萄酒は兄も好きよ。わたくしは葡萄水をいただくわね。『魔境』の者たちも葡萄が好きなのかしら?」
「『魔境』に棲む者たちは人間の食べ物を好みませんが、人と交わって生まれた獣人や魔人は農作物を好むようです。南東のラルゴーゾラ侯爵領と協力して、彼らの住みよい環境を整えているところです」
一瞬だけ、アディが耳を激しくピクピクと動かすが、目を閉じたまま起きる様子はない。何かの単語に反応したのだろう。
対して、リーナは昨日に引き続き『魔境』の話に興味津々の様子だ。
「魔の者は悪戯をしたり、勝手に魔法をかけたりしないの? 領民を呪ったり、なんて」
「そういう者もたまにおりますが、少数です。大半は『魔境』から出て散歩をしているだけですね。観光旅行のようなものなのかもしれません」
魔の者たちは、八国大陸の中央の『魔境』と呼ばれる土地に棲む。魔の者の餌となるものが豊富にあるからだ。人間と魔の者の食べるものが異なるゆえに、両者の棲み分けはできている、とされている。
実際には、『魔境』外であるのに人間の住む場所にやって来る魔の者もいる。しかし、魔の者たちが人間に危害を加えることはほとんどない。魔の者たちは人間との争いを望まない。共存しているのだ。
「……そう。たまに、いるのね。ルーチェは魔の者に会ったことはあるの?」
「いいえ。でも、緋色の魔獣に乗ってみたいと思ったことはありますね」
「緋色の魔獣! 確か、狼に似ていて、黒髪の魔女の恋人だという噂の! よく現れるの?」
「黒髪の魔女を伴って、年に何度か散歩をしているようです」
リーナの目が輝いている。そこまで『魔境』に興味があるとは知らなかった。『魔境』を研究している知人を紹介すると喜ばれるかもしれない、とも思う。
「議会が終わり、領地へ戻ったら、邸に招待いたしましょう」
「まあ! 楽しみ! そんなに素敵な場所なら、陛下のように長期間滞在したいものだわ」
リーナが本当に嬉しそうに笑うので、ルーチェもつられて笑う。そんな、和やかな茶会だ。
日差しは暖かく、風も心地いい。色とりどりの花が咲き乱れ、庭師が手入れをしているのがちらほらと見える。
「リーナ王女殿下はずっと星の別邸に住んでいらっしゃるのですか?」
「ええ。物心ついたときからずっと三人一緒に暮らしているの」
リーナの言葉をルーチェは不思議に思う。子どもたちは皆、花と蔦の宮殿で暮らしてきたものだと思っていたが、違うらしい。
「仕方ないのよ。あっちの宮殿は手狭だったもの」
「しかし、ジラルド王子殿下は国王陛下と王妃殿下のご子息ですから、朱の宮殿に住むほうが自然のような気がするのですが」
「そうね。でも、王妃殿下は動物が好きではないから」
「ジラルド王子殿下も動物を飼っていらっしゃるのですか?」
「ええ、犬を」
ルーチェはあたりを見回すが、犬はどこにもいない。鳴き声も聞こえない。邸の中にいるのかもしれないと思うと楽しみになる。ルーチェは猫も犬も大好きなのだ。
「結婚したら、ルーチェはこの邸に移り住むのよ。ジラルドは花と蔦の宮殿に引っ越して、星の別邸にはわたくしと、兄とルーチェが住むようになるわ」
「三人で暮らすのですか?」
「わたくしが邪魔だと言うのならジラルドと一緒に出ていくわよ? でも、あなたの日中の話し相手も必要だし、王子妃になったらわたくしと公務へ出かけなければならないんだもの。あ、このことは国王陛下も了承してくださっていることだから」
なるほど、とルーチェは頷く。闘病中のフィオリーノとは、日中顔を合わせることがない。寝ているフィオリーノの邪魔をするわけにもいかない。「看病は必要がない」とリーナは言っていた。邸の中で一人になるより、リーナがそばにいてくれたほうがいいのかもしれない。
「それは大変心強いお言葉。三人で暮らせるのなら、きっと楽しいでしょうね」
「ええ、絶対に楽しいわ」
独身のリーナに与えられている公務は、視察、茶会やパーティへの出席が多いらしい。王太子夫妻や他の王子王女夫妻には政治に関わるような案件が任されているという。
「気負わなくていいから楽よ」とリーナは笑うが、王族代表として出席する公務には大変な負担がかかるはずだ。心身の疲労を少しでも肩代わりできるのなら、喜んで手伝いたいものだ。
「……フィオリーノ王子殿下は、どのような方ですか?」
「病弱なこと以外は普通の男と変わりないわよ。双子ではないのにわたくしと顔がそっくりなの。見たら驚くかもしれないわ」
へぇ、とルーチェは呟く。リーナにそっくりなら、かなりの美形に違いない。
「夕食はお二人でどうぞ。わたくしとジラルドは邪魔しないわ」
「それは残念です。一緒ではないのですか?」
「ええ。わたくし、日が落ちるとすぐ眠くなって、一度眠ったら朝まで起きないんですもの。兄と正反対で、眠り姫って呼ばれているのよ。だから、ルーチェを茶会に招待したの。夕食だと参加できないんだもの」
吸血鬼王子に眠り姫。そんな邸に加わるかもしれないのは、男装の夫人。おかしな組み合わせだ。
「もし、兄と婚約したら、結婚式までわたくしと一緒に過ごしましょうね。兄の代わりが務まるか不安ではあるけれど」
「それは素敵ですね。一緒に歌劇を鑑賞したり、散歩をしたり……楽しみにしております」
「わたくしも、楽しみよ」
リーナは優しげな目をして微笑む。
「すごく、楽しみ」
リーナの呟きは、香茶のおかわりを貰うルーチェには届いていなかった。
若草色のクロスが張られたテーブルに、深い緑色のクッションを置いた椅子。既に菓子の甘い匂いが漂っている。アディは早々に椅子の一つに座り、眠り始める。この東屋では、アディがこうしてよく眠っているらしい。
執事のディーノが桃のパイを切り分け、香茶を淹れ、給仕する。メイドたちは厨房から菓子を運んだり、水を運んだりして働いている。
「あれから心変わりはしていない? 伯爵から反対されたかしら?」
「まさか。両親も兄弟も大喜びでしたよ。私も結婚できるとは思っていなかったもので驚いておりますけど、心変わりはしておりません」
「そう。それなら良かった……すごく、良かったわ」
リーナは抱いたクッションに顔を埋める。どうやら断られると思っていた様子だ。王家からの要望を断る貴族などいないというのに、とルーチェは苦笑する。
「それで……フィオリーノ王子殿下は、何と仰せでしたか?」
「ええ。ぜひルーチェと結婚したいと」
「まだ会ってもいないのに? それとも、この東屋はフィオリーノ王子殿下の部屋からよく見えるのでしょうか?」
「兄はわたくしの審美眼を信じているの。わたくしが選んだ人なら間違いないと言ってくれたわ。ねぇ、ルーチェ。そんな意地悪言わないで」
むぅと膨れているリーナが可愛らしく、ルーチェは「申し訳ございません、意地悪でしたね」と謝る。機嫌を損ねたわけではないのか、リーナはほっとしたような表情で微笑む。
「料理長の桃のパイ、絶品なのよ。どうぞ召し上がれ」
「では、遠慮なく」
生地にも桃のジャムが使われているのか、とても甘い。合わせる香茶は甘くないため、ペロリと食べてしまう。太らないように気をつけなければ、とルーチェは思う。
貴族の夫人や子女が開催する茶会には、ルーチェもよく出席している。しかし、ドレスを着ていったことはない。そういう役回りではないことを知っている。
甘い菓子が好きでも、「ルッカ様にケーキやタルトは似合わない」と言われて、甘くないビスケットなどが準備されることが多い。香茶にジャムを入れたり、ホイップで飾ったりするのも、見たことがあるだけだ。羨ましく思っても、大抵、苦い珈風茶やブランデー入りの香茶が目の前に置かれるだけなのだ。
ゆえに、ルーチェは茶会で出された菓子はあまり食べたことがないのだが、リーナの前ではそんな気を使うことはないため、昨日と同様にパクパクと口に運ぶ。ルーチェにとってはたまらなく幸せな時間だ。
「コレモンテ伯爵領はどんなところ? 国王陛下は二十年ほど前に長いこと滞在していたらしいのだけれど」
「そうですね。葡萄の産地であるため、葡萄水や葡萄酒がよく流通しております。本日も手土産としてお持ちいたしましたので、折を見てお飲みいただければ幸いです」
「葡萄酒は兄も好きよ。わたくしは葡萄水をいただくわね。『魔境』の者たちも葡萄が好きなのかしら?」
「『魔境』に棲む者たちは人間の食べ物を好みませんが、人と交わって生まれた獣人や魔人は農作物を好むようです。南東のラルゴーゾラ侯爵領と協力して、彼らの住みよい環境を整えているところです」
一瞬だけ、アディが耳を激しくピクピクと動かすが、目を閉じたまま起きる様子はない。何かの単語に反応したのだろう。
対して、リーナは昨日に引き続き『魔境』の話に興味津々の様子だ。
「魔の者は悪戯をしたり、勝手に魔法をかけたりしないの? 領民を呪ったり、なんて」
「そういう者もたまにおりますが、少数です。大半は『魔境』から出て散歩をしているだけですね。観光旅行のようなものなのかもしれません」
魔の者たちは、八国大陸の中央の『魔境』と呼ばれる土地に棲む。魔の者の餌となるものが豊富にあるからだ。人間と魔の者の食べるものが異なるゆえに、両者の棲み分けはできている、とされている。
実際には、『魔境』外であるのに人間の住む場所にやって来る魔の者もいる。しかし、魔の者たちが人間に危害を加えることはほとんどない。魔の者たちは人間との争いを望まない。共存しているのだ。
「……そう。たまに、いるのね。ルーチェは魔の者に会ったことはあるの?」
「いいえ。でも、緋色の魔獣に乗ってみたいと思ったことはありますね」
「緋色の魔獣! 確か、狼に似ていて、黒髪の魔女の恋人だという噂の! よく現れるの?」
「黒髪の魔女を伴って、年に何度か散歩をしているようです」
リーナの目が輝いている。そこまで『魔境』に興味があるとは知らなかった。『魔境』を研究している知人を紹介すると喜ばれるかもしれない、とも思う。
「議会が終わり、領地へ戻ったら、邸に招待いたしましょう」
「まあ! 楽しみ! そんなに素敵な場所なら、陛下のように長期間滞在したいものだわ」
リーナが本当に嬉しそうに笑うので、ルーチェもつられて笑う。そんな、和やかな茶会だ。
日差しは暖かく、風も心地いい。色とりどりの花が咲き乱れ、庭師が手入れをしているのがちらほらと見える。
「リーナ王女殿下はずっと星の別邸に住んでいらっしゃるのですか?」
「ええ。物心ついたときからずっと三人一緒に暮らしているの」
リーナの言葉をルーチェは不思議に思う。子どもたちは皆、花と蔦の宮殿で暮らしてきたものだと思っていたが、違うらしい。
「仕方ないのよ。あっちの宮殿は手狭だったもの」
「しかし、ジラルド王子殿下は国王陛下と王妃殿下のご子息ですから、朱の宮殿に住むほうが自然のような気がするのですが」
「そうね。でも、王妃殿下は動物が好きではないから」
「ジラルド王子殿下も動物を飼っていらっしゃるのですか?」
「ええ、犬を」
ルーチェはあたりを見回すが、犬はどこにもいない。鳴き声も聞こえない。邸の中にいるのかもしれないと思うと楽しみになる。ルーチェは猫も犬も大好きなのだ。
「結婚したら、ルーチェはこの邸に移り住むのよ。ジラルドは花と蔦の宮殿に引っ越して、星の別邸にはわたくしと、兄とルーチェが住むようになるわ」
「三人で暮らすのですか?」
「わたくしが邪魔だと言うのならジラルドと一緒に出ていくわよ? でも、あなたの日中の話し相手も必要だし、王子妃になったらわたくしと公務へ出かけなければならないんだもの。あ、このことは国王陛下も了承してくださっていることだから」
なるほど、とルーチェは頷く。闘病中のフィオリーノとは、日中顔を合わせることがない。寝ているフィオリーノの邪魔をするわけにもいかない。「看病は必要がない」とリーナは言っていた。邸の中で一人になるより、リーナがそばにいてくれたほうがいいのかもしれない。
「それは大変心強いお言葉。三人で暮らせるのなら、きっと楽しいでしょうね」
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「気負わなくていいから楽よ」とリーナは笑うが、王族代表として出席する公務には大変な負担がかかるはずだ。心身の疲労を少しでも肩代わりできるのなら、喜んで手伝いたいものだ。
「……フィオリーノ王子殿下は、どのような方ですか?」
「病弱なこと以外は普通の男と変わりないわよ。双子ではないのにわたくしと顔がそっくりなの。見たら驚くかもしれないわ」
へぇ、とルーチェは呟く。リーナにそっくりなら、かなりの美形に違いない。
「夕食はお二人でどうぞ。わたくしとジラルドは邪魔しないわ」
「それは残念です。一緒ではないのですか?」
「ええ。わたくし、日が落ちるとすぐ眠くなって、一度眠ったら朝まで起きないんですもの。兄と正反対で、眠り姫って呼ばれているのよ。だから、ルーチェを茶会に招待したの。夕食だと参加できないんだもの」
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「もし、兄と婚約したら、結婚式までわたくしと一緒に過ごしましょうね。兄の代わりが務まるか不安ではあるけれど」
「それは素敵ですね。一緒に歌劇を鑑賞したり、散歩をしたり……楽しみにしております」
「わたくしも、楽しみよ」
リーナは優しげな目をして微笑む。
「すごく、楽しみ」
リーナの呟きは、香茶のおかわりを貰うルーチェには届いていなかった。
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