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011.「あなたが言うととても軽率に聞こえるわ」

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 崖にあった少し大きめの石を持ち帰り、泉で洗って磨き、小屋のそばに置く。花を供えるとそれらしく見える。魔女は聖女だったときと同じように鎮魂歌を歌い、勇者も祈りを捧げる。魔王とその子を弔うために。
 魔女を支えて立たせると、「ありがとう」と小さく感謝の言葉が贈られる。勇者は微笑む。内心では両手を天に掲げて「よっしゃー!」と叫びたい気分だ。
 少しは信頼されているような気がしている。勇者がここに来てからもう七日がたっているため、自然と魔女との距離も近くなっているような気がしている。もちろん、勇者の勘違いだという可能性も否めないが。

「そっか、七日かぁ……もう三ヶ月くらいたったかな?」

 果ての森と外の世界では時間の流れが違う。果ての森で一日過ごすと、向こうでは十四か十五日ほど経過している。なぜなのかはわからない。絶望の魔王が時間を歪めていたとしたら、魔王が消滅したときに時間の流れも戻っているはずなのだが、それを確かめる術はない。果ての森を出ない限りは。
 勇者は自分で作った木製ベンチに魔女を座らせ、うんうんと唸る。

「魔女様、そろそろ大丈夫そうだしなぁ。小屋も片付いたし、二人を弔ったし、いい頃合いかなぁ」
「頃合い?」
「そう。果ての森を出ようかと思って」

 魔女は目を瞬かせる。驚いている様子だ。そんな表情を自分に向けてくれることに、勇者は嬉しくなる。

「故郷に、帰るの?」
「まぁ、さすがに長期間勇者が不在だと、聖女様の負担が大きいからね。紫の国の聖女様はもうおばちゃんだから、遠くの村や町まで『瘴気の澱』を祓いに行くのは大変なんだよね。申し訳ないことしたなぁ。帰ったらめちゃくちゃ怒られるだろうな。ただの七日だといいんだけどな。生死がわからない場合でも、新たな勇者に神託は授けられるんだったかな。覚えてないや」
「そう……そうよね。あなたは勇者、なのよね」

 樺茶色の瞳が寂しそうに細められる。その瞳は、愛する魔王の墓石を見つめている。そんな魔女の横顔を眺めながら、勇者も同じように目を細める。いたずらっ子のような表情に、魔女はまだ気づいていない。

「うるさいのがいなくなってせいせいする? それとも、少しでも寂しいって思ってくれる?」

 頬に触れても嫌がられることはない。魔女が少しでも自分に好意を抱いてくれているのであれば、これほど幸せなことはない。
 魔女は勇者の手に自分の手を重ね「寂しいわね」と呟く。勇者は紫紺の瞳を見開いたあと、すぐに細めた。そうして、そっと魔女の頬に優しく口づけをする。魔女は拒まない。

「寂しいって思ってくれるんだね。ありがとう。あのときはせいせいした?」
「あのときは、どうだったかしら。でも、今は寂しいわね。魔王様もあなたもいなくなるんだから……寂しいわ」
「あ、じゃあ、また種を残していこうか? 子どもがいたら寂しくなくなるかもしれないね」

 勇者は冗談のように軽く明るく言ったつもりだったが、魔女はぼんやりと墓石を眺めながら「それもいいわね」と小さく頷いた。勇者は一瞬だけ口ごもり、髪をぐしゃぐしゃにかきむしったあと、ぐいと魔女を抱きしめた。
 細い枝のような体だ。強く抱きしめると折れてしまいそうだ。魔女の目に映らない自分に気づいてはいるが、抜け殻のような状態で子どもを望まれるのも、残酷なものだ。

「……魔女様、一緒に行こう」

 最初からそのつもりだった。絶望の魔王がいなくなったら果ての森から魔女を連れ出そうと、勇者はずっと考えていた。魔女が自分のことを愛してくれていなくてもいい。どうせ死んだ者には敵わないのだ。少しでも好意があるのなら、自分のそばにいてもらおうと、ずっと考えていた。

「一緒に森を出よう。それから、俺の奥さんになって。俺のことは愛さなくてもいい。魔王様のことも子どものことも、愛したままでいいから」
「……でも」
「二人のこと、忘れなくていいから。毎年、一緒に弔うから。ねぇ、一緒に紫の国へ行こう」

 勇者は必死だった。渾身の求婚だ。本音を言えば愛されたいものだが、それが難しいことは十分承知している。魔王を愛したことを忘れてほしいとも言えない。そんな無理を強いるものではない。
 だから、いつか自分を好きになってもらえたらいい。何年か先に、愛してもらえたらいい。どちらかが死ぬ直前でも構わない。そんなふうに、勇者は考えていた。

「勇者くん、あのね」
「たぶんね、苦労はさせると思うんだ。森の外では三ヶ月も行方不明になってるし、相手が相手だから緋の国の人にも公爵にも睨まれちゃうだろうし、退職金の減額くらいは覚悟しておかないとなぁ。でも、王都から離れた村で畑を耕すくらいならできるかな。畑つきの家を買ってね。まぁ、こう見えて体力には自信があるし、元勇者の剣道場みたいなものを開いたら少しはお金にはなると思うんだよ。少しはね」
「あの」
「だからね、何もない田舎で、質素な暮らしを強いてしまうかもしれないんだよ。まぁ、村の人はすごく喜んでくれると思うんだ。子どもたちもね。俺、本当に田舎では人気者だから。けど、そんなに頻繁に服を買うことはできないし、宝石だってそんなに買うことはできないと思う。それで良ければ、そんな生活で良ければ、俺と一緒に来て」
「いいよ」

 勇者は必死だったため、魔女が腕を彼の背に回していることに気づかなかった。魔女の樺茶色の瞳が、彼を映していることに気づかなかった。

「えっ? いいよ? いいよ、って言った? なんで?」
「なんでって……いいよ。一緒に行っても」
「え? え? 本当に? 嘘?」
「本当に」

 動揺する勇者の唇に、魔女が噛みつく。その痛みで、これが夢ではないことに気づく。

「魔王様が言ったのよ。自分の死後、勇者が迎えに来たら、一緒になりなさいって」
「あっ、そういうことね。魔王様の遺言ね! なるほどねー!」
「あなたが迎えに来なかったら死んでも良かったの。でも、来ちゃうんだもの、勇者くん。あと少しだったのに」

 魔女は深々と溜め息を吐き出す。「なんか、すみません」と勇者は思わず謝ってしまう。まだ勇者の頭の整理が追いついていない。

「仕方ないじゃない。私が生きることを望むんだもの。魔王様も、勇者くんも。本当に馬鹿なんだから」
「すみません」
「あなたが一番の大馬鹿者よ。わかってる? 何が『俺のことは愛さなくてもいい』よ。馬鹿なの? 馬鹿でしょう。私の気持ちに気づかないなんて、本当に大馬鹿者」
「ほんとすみません……え」

 むぎゅ、と魔女が勇者を抱きしめる。その体は熱い。首筋に触れる顔も、熱い。勇者は泣きたい気持ちを抑えながら、魔女を抱きしめる。

「魔女様、顔見せて」
「嫌よ」
「真っ赤だから? ねぇ、真っ赤なんでしょ? ふふふ。ねぇ、魔女様。まーじょーさーま」
「うっるさいなぁ!」

 魔女が体を離した隙をついて、勇者は彼女の頬を両手で包む。真っ赤で、熱い、初めて見る魔女の表情を確認して、そっと口づける。何度も、何度も、キスをする。

「……ずっと、こうしたかった」

 勇者はくしゃりと笑い、魔女はその胸に顔を埋める。顔は見られたくないらしい。勇者はぎゅうと魔女を抱きしめる。愛しくて仕方がない様子で、顔がだらしなくにやけている。

「魔女様、好き。めちゃくちゃ好き。愛してる。あーもう可愛い。魔女様も? 俺のこと好き? ふふ。嬉しいなぁ」
「あなたが言うととても軽率に聞こえるわ」
「いいよ。それが俺だもん。その代わり、愛情はたっぷりだよ。重いよ。もう、逃さないよ」

 赤褐色の長い髪を指でざっくりと梳きながら、勇者は魔女の肌のいたるところにキスを落としていく。魔女は身じろぎをして迷惑そうにしているが、明確に拒絶はしない。

「魔女様、結婚して」

 勇者は再度腕の中の魔女に求婚する。魔女の体は震えている。笑っているのか、泣いているのか、勇者にはわからない。

「……ええ」

 涙声の返答を聞いて、勇者は「ありがとう!」と魔女を強く強く抱きしめる。彼も、泣いているのか笑っているのかわからない表情で。


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