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第四十一話 水晶に眠る過去
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小高く迫り上がった山の頂点で、私は、空に向かって問い掛けた。
「エルデさん、聞こえますか? 今、この水晶が、アロイス様が、見えますか?」
「見えるわ……だけど、厄介なことになっているわね……
アロイスさんを覆っているものは、マーモアの力が内包された水晶よ。中にいる者の時間を止める力があるわ。多分、彼はまだ生きている。外側を壊せば、助かると思う。
だけど、私は……治癒したり、誰かの意識に深く潜ることはできても、物を壊す力はないの。あなたも、闇の力を使っていたら、分かるでしょう?」
「ええ、それは分かります。だったら、どうしたら彼を助けられますか?」
「そうね、彼の深層意識に潜っていって、内側から起こすしかないわ。彼自身の意思で水晶を壊してもらうしか……」
彼の心の奥に潜る……
それでは、エルデさんの時と同じように、彼の過去や、本当に思っていることを、覗き見ることになってしまう。
自分がアロイス様にどう思われているのかも、全て知ることになるのだ……正直、怖い。
でもやらなければ、彼は時間を止められたまま、永遠に止まった時間の中で生きることになる。
そんなの、絶対に嫌だ。彼がどうあろうと、この世界に生きて欲しい。
深く、息を吸う。大きな水晶を両腕で抱えて、その中心に意識を集中する。
アロイス様の、魂の在処を確認する。
冷たい結晶の向こう側に息づくものを感じ、そちらに向かって、おのれの心を運んだ。
そよ風の中、森に程近い、彼の私邸が見えてきた。
右側の研究所ではなく、左側にあるプライベートエリアへと進む。
階段を登り、私がこれまで入ったことのなかった、彼の私室へと歩いていくと、誰かがいる気配を感じた。
ノックはせず、そっとドアの隙間を開けて、中を見る。
……彼がいた。
まるで、大きな鳥籠のような、鉄格子の付いた檻の中心に、彼はいた。
目を伏せ、全てを諦めているような表情で、座っている。
それが、とても悲しげな佇まいで、心臓をギュッと掴まれたような気分になる。
そして、外から、鉄格子を握り締め、中にいるアロイス様を見つめる少女がいた。
薄茶色の腰まである髪に、褐色の瞳の……あれは、私だ。
何か話しかけているけれど、檻の中の彼は、頑なに私を見ない。返事もしない。
距離が縮まりかけると、スッと再び距離を置かれてしまう、いつもの私達を思い出して、切ない。
視界の端で、人影が動いた。
この部屋に、もう一人、誰かがいる。
気配の方に視線を送ると、そこには艶のある黒髪を結い上げた、大人びた美しさの女性が座っていた。
私の知らない人だ。
彼は、声を掛けるユリエルには目もくれないが、彼女のことは、たまに気にしているのが分かる。
そういうこと、だったんだ……
どちらかというと童顔の私。うん……そうか、うん……
ううん、そんなの、今はどうでもいい。これまで、どれだけ彼に助けてもらったと思っているの?
水晶に閉じ込められた、彼の時間を動かさなければ。あの人が誰を見ていてもいい。
私はドアを開けて、部屋に入った。
いきなり私が二人に増えて、アロイス様は驚いているようだ。
私は無言で鉄格子を握り、彼の目を見据えた。
戸惑っている彼の心の奥底に、足を踏み入れる。
……そこは、今まで見たことのない世界だった。
なにより、文化様式が古い。建物が、煉瓦作りではなく、土壁のようだ。一体、どれくらい前なの……?
土の壁に刻まれた紋様は、エストリール風に見える気がする。
しばらく歩いていくと、神殿のような建物があった。
その入り口の左右を護っている騎士がいる。
そのうちの、左に立っている騎士は……アロイス様だ。顔が違う、けれど間違いない。同じ魂だ。
その人は、焦茶色の短い髪に、菫色の瞳。目尻がやや下がった、落ち着きのある、優しそうな顔立ちをしている。
彼の元に、位の高そうな、別の騎士がやって来た。上司らしい。
「おい、お前、来月から聖女様の護衛に任命されたぞ。よかったな、大出世だ」
嬉しそうに微笑む彼。
気付けば、私は神殿の中にいた。
聖堂の中央には大きな石像が鎮座している。髪を後ろで三つ編みに纏めている、女神の像。
あれは、女神・マーモア……ここはマーモアの神殿だ。
石像の前には、祭壇があり、その前に後ろ姿の女性がいる。
あれは、さっき見た、黒髪の女の人。
彼女を護るように、祭壇の斜め下に立つ護衛騎士。
それが、前世でのアロイス様だった。
任務に忠実で、聖女とは付かず離れずの距離を保ち、しかし、心は常に彼女の方を向いている。
聖女の方は、とくに彼に何らかの感情を抱いているようには見えない。彼の一方的な恋だった。
それでも彼女の側にいられれば、それでいい。幸せだ。
しかし、そんな日々は、長くは続かなかった。
ある日、突然、彼女は捕えられてしまったのだ。偽者の聖女として。
「エルデさん、聞こえますか? 今、この水晶が、アロイス様が、見えますか?」
「見えるわ……だけど、厄介なことになっているわね……
アロイスさんを覆っているものは、マーモアの力が内包された水晶よ。中にいる者の時間を止める力があるわ。多分、彼はまだ生きている。外側を壊せば、助かると思う。
だけど、私は……治癒したり、誰かの意識に深く潜ることはできても、物を壊す力はないの。あなたも、闇の力を使っていたら、分かるでしょう?」
「ええ、それは分かります。だったら、どうしたら彼を助けられますか?」
「そうね、彼の深層意識に潜っていって、内側から起こすしかないわ。彼自身の意思で水晶を壊してもらうしか……」
彼の心の奥に潜る……
それでは、エルデさんの時と同じように、彼の過去や、本当に思っていることを、覗き見ることになってしまう。
自分がアロイス様にどう思われているのかも、全て知ることになるのだ……正直、怖い。
でもやらなければ、彼は時間を止められたまま、永遠に止まった時間の中で生きることになる。
そんなの、絶対に嫌だ。彼がどうあろうと、この世界に生きて欲しい。
深く、息を吸う。大きな水晶を両腕で抱えて、その中心に意識を集中する。
アロイス様の、魂の在処を確認する。
冷たい結晶の向こう側に息づくものを感じ、そちらに向かって、おのれの心を運んだ。
そよ風の中、森に程近い、彼の私邸が見えてきた。
右側の研究所ではなく、左側にあるプライベートエリアへと進む。
階段を登り、私がこれまで入ったことのなかった、彼の私室へと歩いていくと、誰かがいる気配を感じた。
ノックはせず、そっとドアの隙間を開けて、中を見る。
……彼がいた。
まるで、大きな鳥籠のような、鉄格子の付いた檻の中心に、彼はいた。
目を伏せ、全てを諦めているような表情で、座っている。
それが、とても悲しげな佇まいで、心臓をギュッと掴まれたような気分になる。
そして、外から、鉄格子を握り締め、中にいるアロイス様を見つめる少女がいた。
薄茶色の腰まである髪に、褐色の瞳の……あれは、私だ。
何か話しかけているけれど、檻の中の彼は、頑なに私を見ない。返事もしない。
距離が縮まりかけると、スッと再び距離を置かれてしまう、いつもの私達を思い出して、切ない。
視界の端で、人影が動いた。
この部屋に、もう一人、誰かがいる。
気配の方に視線を送ると、そこには艶のある黒髪を結い上げた、大人びた美しさの女性が座っていた。
私の知らない人だ。
彼は、声を掛けるユリエルには目もくれないが、彼女のことは、たまに気にしているのが分かる。
そういうこと、だったんだ……
どちらかというと童顔の私。うん……そうか、うん……
ううん、そんなの、今はどうでもいい。これまで、どれだけ彼に助けてもらったと思っているの?
水晶に閉じ込められた、彼の時間を動かさなければ。あの人が誰を見ていてもいい。
私はドアを開けて、部屋に入った。
いきなり私が二人に増えて、アロイス様は驚いているようだ。
私は無言で鉄格子を握り、彼の目を見据えた。
戸惑っている彼の心の奥底に、足を踏み入れる。
……そこは、今まで見たことのない世界だった。
なにより、文化様式が古い。建物が、煉瓦作りではなく、土壁のようだ。一体、どれくらい前なの……?
土の壁に刻まれた紋様は、エストリール風に見える気がする。
しばらく歩いていくと、神殿のような建物があった。
その入り口の左右を護っている騎士がいる。
そのうちの、左に立っている騎士は……アロイス様だ。顔が違う、けれど間違いない。同じ魂だ。
その人は、焦茶色の短い髪に、菫色の瞳。目尻がやや下がった、落ち着きのある、優しそうな顔立ちをしている。
彼の元に、位の高そうな、別の騎士がやって来た。上司らしい。
「おい、お前、来月から聖女様の護衛に任命されたぞ。よかったな、大出世だ」
嬉しそうに微笑む彼。
気付けば、私は神殿の中にいた。
聖堂の中央には大きな石像が鎮座している。髪を後ろで三つ編みに纏めている、女神の像。
あれは、女神・マーモア……ここはマーモアの神殿だ。
石像の前には、祭壇があり、その前に後ろ姿の女性がいる。
あれは、さっき見た、黒髪の女の人。
彼女を護るように、祭壇の斜め下に立つ護衛騎士。
それが、前世でのアロイス様だった。
任務に忠実で、聖女とは付かず離れずの距離を保ち、しかし、心は常に彼女の方を向いている。
聖女の方は、とくに彼に何らかの感情を抱いているようには見えない。彼の一方的な恋だった。
それでも彼女の側にいられれば、それでいい。幸せだ。
しかし、そんな日々は、長くは続かなかった。
ある日、突然、彼女は捕えられてしまったのだ。偽者の聖女として。
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