32 / 49
第三十二話 この世にいない者として
しおりを挟む賑わいと活気を取り戻しつつある街の大通りを通り過ぎ、脇道に逸れると、歩くほどに周囲が静かになっていくのを感じる。
ぽつりぽつりと大きな屋敷が並ぶ緩やかな坂道を登ると、やがて、目的の場所が見えてくる。
ヨウファンの屋敷は街中にあるからか洒落た塗りの壁だったが、こちらは自然の多い景観に溶け込むような石壁だ。
以前に来た時には気づかなかったが、昔からそうだったのだろうか。
それともヨウファンが指示して手を入れたのだろうか?
いや……きっと昔からだ。
近づいてみて、白羽は思う。
壁からも表門からも、歳月を重ねた風合いを感じる。
修繕したとしても最低限だろう。
細やかな彫り装飾が施された大きな門は、固く閉ざされている。
視界の端に、サンファが困惑しているような表情を浮かべているのが見えた。
「行き先を教えてくれていれば入れるようにヨウファンに頼んだのに」とでも言いたげだ。
普段の彼女なら即座に口にしただろう。黙っているのは白羽がそう指示したためだ。
ここへくるまでの道すがら、白羽は彼女に「なにも言わないでほしい」と頼んだのだ。
どこへ行っても、なにがあっても、ただじっと見守っていてほしい。心配させるようなことは絶対にしないから、許可を出すまで話しかけないでいてほしい、と。
我ながら勝手な頼みだとは思ったが、譲れなかった。
と、サンファは少しだけ困ったような顔をしたものの、「畏まりました」と応じてくれた。「その分しっかりと目を光らせております」と、ふざけたように言いながら。
白羽は上から下まで確かめるように門を見る。鍵というより魔術で封じられているようだ。ある種の結界。
それならば、と静かに手を掲げ、そっと触れる。
と、解錠される感覚があった。
思い切って押してみると、それはゆっくりと動く。
「まあ……」
サンファが思わず、と言ったように声をあげ、慌てて自身の口を押さえる。白羽はそんな様子に苦笑しつつ「いいよ」と目で返事をするとそのまま足を踏み入れる。
サンファは驚いていたが、白羽はなんとなく自分なら入れるような気がしていた。
ここは、ティエンの邸だから。
一歩入ると心地よい風が髪を通り抜けていく。
外の音もほとんど聞こえなくなった。静かな場所とはいえまるで別世界のようだ。
ゆるい階を、一歩一歩上っていく。
左右には、自然のままのように枝葉を伸ばす木々。色とりどりの野の花たち。どこからか鳥の声も聞こえてくる。
どこか懐かしいような感覚がするものの、物珍しさの方が大きい。
考えてみれば、ここを訪れるのはティエンに呼び出された時以来だし、あの時は何が何だかわからず案内してくれた人について行っただけだ。それに緊張もしていたから周りをゆっくり見る余裕なんかなかった。
それに、騏驥になればそれ以前の記憶は次第に曖昧になる。
覚えていることよりも初めて見るものの方が多く感じるのは当然なのだろう。
(でも……)
実際に見るものや聞くものは初めてでも、肌に感じる感覚はなんとなく馴染みがあるように思える。
雰囲気や気配——。そういった目に見えないもの・形にはならないものが、なぜか感じられるのだ。
おそらく、この邸の主であり隅々まで造りにこだわったティエンの持つ雰囲気であり趣味なのだろう。
そう——おそらく、彼が白羽のために設えてくれた離房に似ているのだ。
邸自体はさほど広くないものだった。
今白羽が身を寄せている、ヨウファンの屋敷のその離れよりもさらに小さいぐらいだ。
だが隅々まで手入れが行き届いている。
おそらく、主の訪れがなくなってからもヨウファンがしっかりと管理していたのだろう。
加えて母屋の傍には、放牧場のような広い草地まで作られている。これは、以前にはなかった気がするものだ。実際、土もまだ新しそうだ。
おそらく、自分が主となった際には白羽をここに住まわせようとしていたヨウファンの計らいなのだろう。
白羽のことを思っての準備だったのだろうが、もしレイゾンを追うことがなければ、本当にここに住むことになっていたかもしれないと改めて感じ、白羽は胸がキュッと痛むような気がした。
数歩歩いては立ち止まって眺め、見つめ、ゆっくり歩き、小さな池のある庭をぐるりと回り込み、さらに奥に足を進める。
と——。
(ああ……)
そこにはまさに、見覚えのある景色が広がっていた。
神秘的にも感じられる苔庭。木々の葉陰。そっと咲く香り高い花々。磨かれた石で作られた腰掛けと卓……。
秘密の森。
白羽は胸の中で感嘆の息をつく。
懐かしさに胸が熱くなる。揺さぶられる。まだこの光景が残っていたなんて。
涙が出そうだった。あの時はここに「彼」がいた。
ゆっくり——ゆっくりと首を巡らせて全てを眺める。
清浄に感じられる空気を存分に味わうように大きく息をつき、地に、木に、花に触れる。
全身で、この場所の気配を感じたくて。
ここから全てが始まった……。
(そして今……わたしは……)
白羽は天を仰ぐ。
木漏れ日が、心地良くも眩しい。
白羽はしばらく目を閉じると、やがて、腰掛けに腰を下ろした。
サンファは少し離れたところにいる。気を利かせてくれている侍女に感謝しつつ白羽は手招くと、
[ここは懐かしい場所なんだ]
と書いて見せた。
[まだ人だった頃、ここでティエンさまと会って……お側に仕えることになって……]
懐かしい。全部が。
彼の側にいられた日々の全てが。
全てが大切で、思い出深い。
誰より眩しく、けれど儚かった人。
ずっと慈しんでくれた。その最期の時まで。
優しかったティエン。
でも——。
[でも陛下は……悪い騏驥は……お好きではないよね……]
「…………し……ろはね……さま……?」
それまでは、にこにこと白羽が書いた紙を見ていたサンファが、恐る恐ると言ったように小さな声を零す。
白羽はそれを咎めることはしなかった。ただ、唇を噛む。
0
お気に入りに追加
87
あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

なにをおっしゃいますやら
基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。
エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。
微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。
エブリシアは苦笑した。
今日までなのだから。
今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる