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第三十一話 帰ってこれた

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突然現れた黒い翼の少年は、私達の邪魔をするように、二発、三発と続けざまに銃を撃つ。私もレミナも避けるのに必死だ。
上空に急いで飛び上がったり、急降下したり、木の陰に隠れたり……
あの銃には弾数の制限がないのだろうか? 避けても避けても、いつまでも撃ってくる。

自分が逃げるのも大事だけど、栗原さんに流れ弾が飛んでいっては困る。彼女の様子を見ると、渡り廊下の出入り口で、無表情のまま立ちすくんでいた。お願い、逃げて……

私達が飛び回っていると、不意に銃声が止んだ。嫌な予感がして下を見ると、悪魔の少年は、私達から視線を逸らし、栗原さんを見ている。彼女は足下を見つめたまま、動かない。うつむいている栗原さんに向かって、悪魔はゆっくりと銃口を向け、銃爪を引いた。

「ダメーーーーーーーーーー!!」

銃声をかき消すほどに大声で叫んだのは、レミナだった。そして両手に持っていた大きな旗を、栗原さんをかばうように振り下ろす。
その瞬間、旗から光が大きく広がって、栗原さんの前に大きな壁を作り出した。飛んできた弾丸は、光の壁にはばまれ勢いを失い、そのまま地面に転がり落ちた。

「あれ? 何? 今の……」

とまどっているレミナ。ふと神様の言葉を思い出す私。

「ねえ、武器をもらった時、レミナの『応援フラッグ』はバリヤーを張れるって、説明してなかった?」

「あー!! そういえば、そんな話、あった! すっかり忘れてた! じゃあ、あたし、バリヤーを貼りまくるから、マユちん、攻撃は任せた!」

言うなり、レミナは旗を振りながら、辺りを飛び回った。たちまち、周囲は光で満ち溢れる。悪魔は焦った様子で、銃を何発か撃ってきたけど、全部、光にからまって、ポトポト地面に落ちていく。私は敵に向かって、ハンマーを振り上げながら飛びかかった。

「覚悟しなさーーーーーーい!!」

ピコン……

悪魔はとっさに腕で頭をかばい、ピコピコハンマーは左手をかすめただけだった。そして、彼はそのまま校舎の壁に溶け込むように、入り込んで消えていく。

「ダメだ、逃げられちゃった……」

さんざん飛び回った後で、疲れ切っていたのもあって、これ以上、追いかける気力もなかった。

「マユちん、栗原さんが変だよ!」

レミナに言われて振り向くと、二人の姿が目に入る。
心ここに在らずのような、視線の定まらない栗原さんと、心配げに寄り添うレミナ。
栗原さんは昨日よりひどい状態になっている気がする。

「栗原さん!」「栗原さん!」

私とレミナは何度も栗原さんの名前を呼んだ。だけど、反応がない。そうだハンマーだ!

ピッコーーーン!!

栗原さんの背中を、手加減しつつ、しっかりたたく。栗原さんの体からモクモクと紫のモヤが抜けていく。

「よかった、栗原さん、これで大丈夫……」

途中で言葉が出なくなった。栗原さんの表情が戻ってないのだ。視線も定まってない。呪いは今、解けたよね? おかしい。もう一度、背中を叩く。でも何も出てこない。ガラス玉のようなその目には、やはり生気が戻っていなかった。

「どうして……」

レミナも焦った顔で、何度も彼女を呼ぶ。

「く、栗原さん? 栗原さん!」

「栗原さん、栗原さん、聞こえないの!? 栗原さーーーん!」

名前を呼ぶうちに、涙がにじんできた。天使になる前は、ほとんど話したこともなかった彼女。だけど、一緒に過ごす時間が増えてからは……
真面目で、努力家で、周囲に気をつかう、優しい彼女は大事な友達になっていた。それが、こんなことになるなんて。

「聞こえないの? 栗原アヤセさん!」

そのとき、一瞬だけ、彼女の表情が動いたような気がした。

「栗原さん!」

その瞬間、目に宿った光が、また消えたような……

もしかして、『栗原さん』じゃ、届かないの?

「あ……アヤセ……ちゃん? アヤセちゃん? 聞こえる? 私の声、聞こえる?」

アヤセちゃんの瞳に、わずかずつ、光が宿る。それを見ていたレミナも涙目になりながら、同じように声をかけ始めた。

「アヤセちん、アヤセちん、私だよ? レミナだよ? 分かる?」

すると、アヤセちゃんの目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ始めた。続けて、残り物のような、かすかな紫のモヤが、スッと彼女の体から抜けていく。多分、今ので呪いは完全に出ていったと思う。アヤセちゃんは大きく息を吸って、両目をこすると顔を上げる。私達二人を交互に見ると、眉を八の字にしながら、笑顔で言った。

「マユちゃん、レミナちゃん、ありがとう。私、帰ってこれた」



***



「クロウラ、ありがとう。いいデータが取れたよ」

人の良さそうな微笑みで、ピースが話しかけてきた。ここは天使達が通う小学校の体育館倉庫だ。天使との戦闘を切り上げて、俺はここに戻ってきた。さっきの攻撃で、左手に痺れのような違和感が残っている。俺が跳び箱に飛び乗り、腰掛けると、ピースは話を続けた。

「あの子達の身体的な能力差や、いざという時に、三人がそれぞれ、どんな行動を取るのか……これで傾向が分かった。上から与えられるデータだけじゃ、個性までは分からないからね」

「いや、だが、優等生のデータは取れてないだろう?」

フルート使いの天使とは戦っていないのを思い出して、ピースに問うと

「じゅうぶんだよ。一番、闇にとらわれやすいのが分かったからさ」

コイツは一番敵に回したくないタイプだな。たかが小学生を相手に、ここまで根回しするのか……
そんなことを思う。

「クロウラ、君が何を考えているのか、だいたい分かるけど、これは遊びじゃない。勝つためなら、なるべく効率よく、急所を狙っていかなくちゃね」

まるで毒気のない、優しそうな微笑みをたたえるピースの背後に、ドス黒いモヤが、うねるように湧き立ったのが見えた気がして、俺は軽く身震いした。
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