三百年地縛霊だった伯爵夫人、今世でも虐げられてブチ切れる

村雨 霖

文字の大きさ
上 下
6 / 60

第六話 追跡

しおりを挟む
私は胸の下を押さえて倒れている自身の身体に、そっと右手を触れる。
途端にシュッと魂が身体に取り込まれた。

だが、立ち上がろうとすると、とても体が重い。思わずふらついてしまう。
いや、これが普通の『生きている』感覚なのだろう。
さっき夫を殴り飛ばした時のような腕力は到底出せそうにない。
ましてやポルターガイストを起こすなんて、もってのほかだ。

だけど今は時間がない。
私は胸の下をさすり、そっと呼吸を送りながら、厩舎に向かった。



***



月光が照らす城下町を抜け、北の吊り橋へ急ぐ。逆光で真っ黒な樹々の隙間を、縫うように走り抜ける。鞍を付ける暇もなく、スカートで裸馬に乗る私は、たまに振り落とされそうになりながら、必死に手綱を握り、馬の背にしがみついた。

どうしてもシェアリアを捕まえたい。もう間に合わないかもしれない。でも、万に一つのチャンスに賭けたかった。

この国でも有数の、危険な吊り橋。長さは二十メートルほどある。
しかしハンター先生の診療所はそれを渡った先にあり、往診中は毎日渡って来てくれたのだ。本当に感謝しかない。

左右を囲む樹木が開けて、谷川に架かる吊り橋の前までやって来た。
橋の手前に、見覚えのある鞍を付けた馬がいる。
裸馬から下りて、橋に駆け寄って、驚いた。

吊り橋を支える主なロープは手すり部分の二本と、足下部分が二本の、計四本。
そのうち左側の二本が切られているのだ。板で出来た床の部分がブランと下に向かって垂れ下がって、歩いて渡れる状態ではない。

橋の向こう側に、何かがキラリと月の光を反射した。
向こう岸にいたのは、シェアリアだった。
ジョンが言っていた通り、平民の男のような軽装をしている。
その手にはダガーナイフが握られ、今またロープが一本、切り落とされた。
一緒に橋の床板が何枚か、谷底に向かって落ちていく。

「ふう、案外固くて時間がかかったわ……
あら、ハリーの奥さんじゃない。わざわざ、こんなところまで、自分で馬に乗って来たの? 案外、お転婆だったのね」

彼女は全く悪びれる様子も見せず、クスクス笑っている。
驚愕したのは、彼女の魂だ。タコの足で知恵の輪を作ったような、禍々しいうねり方。まるで歪な化け物だ。とても人間のものとは思えない。

「シェアリア! 戻りなさい! 罪を償うのよ!」

「ええ? 何を言ってるの? こんな橋、もう渡れるわけないじゃないの。戻りたくても戻れないわ。もっとも戻る気なんか、さらさら無いけど?」

私は白くなるほど唇を嚙み締めた。そうだ、この程度の距離なら、幽体離脱すれば向こうに渡れる。シェアリアを捕まえられる!

……が、霊体が身体から抜け出せない。
なぜ…!?
今まで二回、抜けたのに。なんで?
自分で自分の身体を叩いたり、飛び跳ねたり……何をしても抜けない。
どうして……

「あらぁ? 奥さん、どうかしちゃったの? 自分で自分を叩いたりして。そんな奇行があるから、浮気されちゃったんじゃないかしら?」

そう言い放つと、彼女は踵を返した。

「それじゃ、お先に失礼するわ。もう会うこともないわね。
今度こそ、バイバイ!」

向こう岸の木陰から、馬に乗った男が現れた。どうやら仲間がいたらしい。
男がシェアリアを自分の手前に乗せると、彼らは足早に森の奥に駆けていった。

「待って!」

せっかく追いついたのに、逃げられる……そんなの嫌だ、 逃がしたくない!
私は残った橋のロープを握り締めた。何とかこれを伝って渡れないだろうか。

視線を落とすと、遥か下に渓流が見えた。落ちたら助かる気がしない。
だけど、あの人を逃がすくらいなら……

私は覚悟して、ロープに掴まると、川岸から足を離した。
思ったよりも、かなり揺れる。これは無理だ…
一メートルも進まないうちに諦めて戻ろうとするが、上手くロープの先の方を掴めない。そのうち、左手が滑り、残った右手で宙ぶらりんになった。

ダメだ! 落ちる……!
私は思わず息を止めた。

右手がロープを離れ、急流に吸い込まれるように落ちていく私。
だが水面に届く直前、身体から抜け出た幽体が、本体の右手首を咄嗟に掴んだ。

ぐったりした身体をぶら下げながら、霊の私はゆっくりと上に浮かび上がる。
そうか、息を止めればよかったんだ……幽体離脱……

悔しくてたまらない。
もっと早く気付いていたら、シェアリアを取り逃がすこともなかったのに。

改めて、橋の下の渓流を見下ろした。
もしやと思ったけれど、ハンター先生の霊はいない。
こんな場所に落ちたなんて、どれほどの痛み、苦しみだっただろう……
ますます悲しみが強まる。

私は後悔を引き摺りながら、帰途についた。
帰りは鞍がついた馬に乗ったが、裸馬の方も、大人しく付いてきた。



屋敷に戻り、疲れ切った様子の馬達を厩舎に戻す。
使用人が逃げた厩舎は、馬の前にある水も飼葉も空っぽだ。
井戸から水を汲み、餌小屋の干し草を飼い葉桶に積むと、馬は揃って喰らいついていた。

しかし、この先、どうしたら……
馬を見ながら大きく息をつく。
ジョンは他に何か知っていないだろうか。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

嫁ぎ先(予定)で虐げられている前世持ちの小国王女はやり返すことにした

基本二度寝
恋愛
小国王女のベスフェエラには前世の記憶があった。 その記憶が役立つ事はなかったけれど、考え方は王族としてはかなり柔軟であった。 身分の低い者を見下すこともしない。 母国では国民に人気のあった王女だった。 しかし、嫁ぎ先のこの国に嫁入りの準備期間としてやって来てから散々嫌がらせを受けた。 小国からやってきた王女を見下していた。 極めつけが、周辺諸国の要人を招待した夜会の日。 ベスフィエラに用意されたドレスはなかった。 いや、侍女は『そこにある』のだという。 なにもかけられていないハンガーを指差して。 ニヤニヤと笑う侍女を見て、ベスフィエラはカチンと来た。 「へぇ、あぁそう」 夜会に出席させたくない、王妃の嫌がらせだ。 今までなら大人しくしていたが、もう我慢を止めることにした。

(完結)「君を愛することはない」と言われて……

青空一夏
恋愛
ずっと憧れていた方に嫁げることになった私は、夫となった男性から「君を愛することはない」と言われてしまった。それでも、彼に尽くして温かい家庭をつくるように心がければ、きっと愛してくださるはずだろうと思っていたのよ。ところが、彼には好きな方がいて忘れることができないようだったわ。私は彼を諦めて実家に帰ったほうが良いのかしら? この物語は憧れていた男性の妻になったけれど冷たくされたお嬢様を守る戦闘侍女たちの活躍と、お嬢様の恋を描いた作品です。 主人公はお嬢様と3人の侍女かも。ヒーローの存在感増すようにがんばります! という感じで、それぞれの視点もあります。 以前書いたもののリメイク版です。多分、かなりストーリーが変わっていくと思うので、新しい作品としてお読みください。 ※カクヨム。なろうにも時差投稿します。 ※作者独自の世界です。

人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜

清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。 クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。 (過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…) そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。 移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。 また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。 「俺は君を愛する資格を得たい」 (皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?) これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完結】二度目の恋はもう諦めたくない。

たろ
恋愛
セレンは15歳の時に16歳のスティーブ・ロセスと結婚した。いわゆる政略的な結婚で、幼馴染でいつも喧嘩ばかりの二人は歩み寄りもなく一年で離縁した。 その一年間をなかったものにするため、お互い全く別のところへ移り住んだ。 スティーブはアルク国に留学してしまった。 セレンは国の文官の試験を受けて働くことになった。配属は何故か騎士団の事務員。 本人は全く気がついていないが騎士団員の間では 『可愛い子兎』と呼ばれ、何かと理由をつけては事務室にみんな足を運ぶこととなる。 そんな騎士団に入隊してきたのが、スティーブ。 お互い結婚していたことはなかったことにしようと、話すこともなく目も合わせないで過ごした。 本当はお互い好き合っているのに素直になれない二人。 そして、少しずつお互いの誤解が解けてもう一度…… 始めの数話は幼い頃の出会い。 そして結婚1年間の話。 再会と続きます。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

処理中です...