三百年地縛霊だった伯爵夫人、今世でも虐げられてブチ切れる

村雨 霖

文字の大きさ
上 下
23 / 60

第二十三話 滝壺に向かって

しおりを挟む
私は川に沿った下り坂を、転がり落ちそうな勢いで、必死に走る。
しばらく進んでいくと、男女の言い争う声が聞こえてきた。

「お願いですから、やめて下さい! 滝の付近は危ないです! 水だってまだ冷たいですし!」

「俺にかまうな。この程度の水温なら、どうということはない」

そう言いながら、アールが上着を脱いでいるのが見えた。アニーの説得に、まるで耳を貸さないようだ。

「待ってーーーーーー!」

声を張り上げながら、私は沿道から草むらを越えて、川岸まで下りて行く。
しかし、その間にアールは上半身裸になって靴を脱ぎ、川に飛び込んでしまった。
彼はそのままクロールで滝に向かって行く。

「ああ……もう……なんて無茶を……!」

川面を覗き込みながら、私はしばらく息を整えるのに必死だった。

「マリーゼ様! すみません!」

「いいのよ。私が行くわ」

タン!と右足を踏み込んで、そのまま身体から抜ける。
幽体離脱した私には、水中だろうが圧が強かろうが、まるで関係がない。
岸からフワリと飛び上がると、流れる水面にスッと溶け込むように入っていった。

(アール……どこ?)

下の方からアールの存在を感じる。

(滝の裏の洞窟を、探しに来たんじゃなかったの……?)

下に潜っていくと、先に潜水していったアールが、滝の下に落ちている大きな流木を目指しているのが分かった。
その木の枝に何かが引っ掛かっているのが見える。

……………………!!!!

それはハンター先生の遺体だった。
この人が川に落ちてから、もう三ヶ月が経つ。水圧だけじゃない、流木に引っかかっていたからこそ、遺体が上がらなかったのだろう。冷たい水に晒されていたからか、ひどい腐敗は免れていたけれど、それでも水死体然とした、惨い姿だった。
生前の元気な彼を知っているだけに、余計にショックが広がる。声も出せない。

その亡骸に、アールの手が延ばされた。水圧に耐えながら、必死で流木の枝からハンター先生の身体を解き放とうとする。
しかし叶わず、彼は息継ぎをしに、水面へと上がっていった。

(アール……)

私は流木のどこが引っかかっているのか、つぶさに見る。この現実を目に映すのは辛い。けれど、目を逸らすわけにもいかない。

よく見ると、流木の枝がズボンのベルトに通っていて、枝の先が川底の水草の塊に引っかかっている。私は枝を折り、絡まった水草を切った。先生の身体が朽ちた大木から自由になる。

そして川の勢いに流されてしまわないように遺体の腕を掴んで、光が差し込む水面を見上げると……
そこには、息継ぎをして戻ってきたアールが、驚愕の表情で私を見下ろしていた。

時が止まったかのように思えた、数秒。
しかし、アールがそのまま川底に降りてきて、私に向かって上を指差すジェスチャーをする。
『一緒に遺体を運ベ』という意味に受け取って、私達は両側から亡骸の腕を抱えて、水面へと上がっていった。

アールが水から顔を出したのを確かめて、声を掛ける。

「今、先生……スレイターさんの身体を引き上げるから……」

私はポルターガイストで草むらに生えている草の花と葉を刈り取って、河岸の小さな空き地に敷き詰めた。
亡骸を川からそっと持ち上げると、草花の上に横たわらせる。
その後、アニーに支えられて座っている自分の身体へと、ゆっくり戻った。

水から上がってきたアールが、表情の抜けた顔でこちらに歩いてきた。
草花のベッドに寝かされた先生と私を何度も交互に見て、その場に座り込む。

「あんた……一体、何者なんだ?」

「……死んでいた頃の記憶がある者よ」

「生きた人間なんだな?」

「ええ……」

アールの前で力を使ってしまった。
本当は、霊以外の相手に、私の力の事を教えたくはなかった。
普通の人に知られたら、おそらく私は化け物扱いされるだろうから。

霊として過ごした三百年。
ただ館に留まっていただけの私を『退治』しようと、腕自慢の強者どもがこぞってやって来た。
その度に追い払っていたけれど。
あの頃の迫害の記憶が、染み付いて消えないのだ。

私は首を垂れて黙り込んだ。
また忌み嫌われ、恐れられる日が始まるのだろうか。
そう覚悟した、その時。



「……感謝する」

「え……?」

「おかげで兄の亡骸を実家に連れて帰れそうだ」

「……」

「霊への聞き込みで、ここに兄の身体があるのがわかったが、この街の奴らときたら、役人も自警団も
『浮かぶのを待て』と言うだけで、ボートすら貸さない。
……とにかく助かった」

「あの、私の力のことは……」

「俺が相手にするのは、悪魔と死人だけだ。生きた人間のことなど、知ったことじゃない。
まあ、あんたには世話になったしな。まあいいさ、俺は明日にも兄を連れて、ここを発つ」

「ま、待って!」

この場を離れようと立ち上がったアールを、私は慌てて引き留めた。

「あなたのお兄様の魂は、まだこの近くにいるの。お願い、今すぐ会って話を聞いてあげて!」

聞くなり驚きと戸惑いの表情を浮かべたアールは、しかし即答した。

「分かった……案内してくれ、兄貴のところに」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

公爵令嬢の私に騎士も誰も敵わないのですか?

海野幻創
ファンタジー
公爵令嬢であるエマ・ヴァロワは、最高の結婚をするために幼いころから努力を続けてきた。 そんなエマの婚約者となったのは、多くの人から尊敬を集め、立派な方だと口々に評される名門貴族の跡取り息子、コンティ公爵だった。 夢が叶いそうだと期待に胸を膨らませ、結婚準備をしていたのだが── 「おそろしい女……」 助けてあげたのにも関わらず、お礼をして抱きしめてくれるどころか、コンティ公爵は化け物を見るような目つきで逃げ去っていった。 なんて男! 最高の結婚相手だなんて間違いだったわ! 自国でも隣国でも結婚相手に恵まれず、結婚相手を探すだけの社交界から離れたくなった私は、遠い北の地に住む母の元へ行くことに決めた。 遠い2000キロの旅路を執事のシュヴァリエと共に行く。 仕える者に対する態度がなっていない最低の執事だけど、必死になって私を守るし、どうやらとても強いらしい── しかし、シュヴァリエは私の方がもっと強いのだという。まさかとは思ったが、それには理由があったのだ。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約破棄された竜好き令嬢は黒竜様に溺愛される。残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ

水無瀬
ファンタジー
竜が好きで、三度のご飯より竜研究に没頭していた侯爵令嬢の私は、婚約者の王太子から婚約破棄を突きつけられる。 それだけでなく、この国をずっと守護してきた黒竜様を捨てると言うの。 黒竜様のことをずっと研究してきた私も、見せしめとして処刑されてしまうらしいです。 叶うなら、死ぬ前に一度でいいから黒竜様に会ってみたかったな。 ですが、私は知らなかった。 黒竜様はずっと私のそばで、私を見守ってくれていたのだ。 残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ?

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】婚約破棄したら『悪役令嬢』から『事故物件令嬢』になりました

Mimi
ファンタジー
私エヴァンジェリンには、幼い頃に決められた婚約者がいる。 男女間の愛はなかったけれど、幼馴染みとしての情はあったのに。 卒業パーティーの2日前。 私を呼び出した婚約者の隣には 彼の『真実の愛のお相手』がいて、 私は彼からパートナーにはならない、と宣言された。 彼は私にサプライズをあげる、なんて言うけれど、それはきっと私を悪役令嬢にした婚約破棄ね。 わかりました! いつまでも夢を見たい貴方に、昨今流行りのざまぁを かまして見せましょう! そして……その結果。 何故、私が事故物件に認定されてしまうの! ※本人の恋愛的心情があまり無いので、恋愛ではなくファンタジーカテにしております。 チートな能力などは出現しません。 他サイトにて公開中 どうぞよろしくお願い致します!

処理中です...