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第二十一話 ラッシュ・スレイター
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樹木の植えられた川縁に沿って、一時間ほど歩いていくと、急に下り坂の傾斜が強まった。足元に気を付けながらゆっくり降りていくと、水音が大きくなる。左に視線をやると、木陰から高さ十メートル程度の滝が姿を現した。
「これが例の滝ね……」
川の主がたむろしているという滝。今、私が立っている地点から、滝壺あたりまでは、約十メートル程度。この距離なら、身体をここに残して、あそこまで飛んでいけそうだ。
「アニー、あなたは私の身体を見張っていてくれる? 私が先に様子を見て来るわ」
「マリーゼ様、お一人で大丈夫ですか?」
「魂は大丈夫だけど、身体は心配だから、アニーに任せたいの」
「分かりました、くれぐれもお気を付けて……」
川の主がどんな性格なのか分からない。もしも、攻撃的な性格だったら、大人しくてあまり力のないアニーを近付けたくない。私自身は、まず大抵の相手には負ける気がしないけれど。
私は呼吸を止め、トン、と片足で足踏みをする。魂が、ふわりと身体を抜け、浮かび上がった。霊体になった私は、そのまま滝壺に向かって飛んでいく。
大量の水が重力に任せて落ちる水の壁の向こうに、魂の気配がある。……それも、一つじゃない、二つ?
私は思い切って、水のカーテンに突っ込んでいった。
滝壺の裏側には洞窟があった。横穴がずっと奥まで続いているようだ。
入り口付近には水が溜まっているけれど、少し進むと岩肌が剥き出しになり、少し苔が生えている。
目を凝らすと、少し奥に人影が二つ見えた。
「誰か……いますか?」
「いるよ~。こっちに来な」
ちょっととぼけたような老人の声が聞こえる。思ったより穏便に話ができそうで安心した。
私は地面に降りると、歩きながらゆっくりと二人の気配に近づく。
そこは、小さな部屋のように空間が広がっていた。いくつかある岩が、ちょうど椅子くらいの高さになっていて座れそうだ。天井に小さな穴が空き、ぼんやりと光が差し込んでいて、互いの顔が見える。
一人は七十代も後半かと思われる男性で、人間の霊を超越した『何か』に片足を突っ込んでいそうな、独特の風貌だった。服装もこちらでは見かけない、東方の人々のような姿だ。
「こんな所に、三ヶ月で二人も客が来るなんて、まあ珍しいこった」
そう言って老人が隣に視線を移す。そこにいたもう一人は……
「先生!?」
そこにいたのは、紛れもなく、ライナス・ハンターその人だった。まさか、こんなに早く見つかるなんて。
「おや、あんたら、知り合いかい?」
主も驚いて、私と先生の顔を交互に見る。でも私を見た先生の顔は、瞬時に曇った。
「……スレア夫人! まさか、あなたも亡くなってしまったのですか?
申し訳ありません! 助けると申し出たのは私なのに……」
「いえ、先生、私は生きてます。今はこんな状態ですけど、ちゃんと生きた身体があります。
あれから私は夫と離婚が成立して、今はフランメル準子爵として独立しました」
「そうか、よかった……」
先生の表情から憂いが消えていく。
私はあれから何か起こったのか、つぶさに先生に話した。シェアリアがやった事や、裁判の事。そして、アールの事。
しかし、先生が助けたジョンが、元々は先生を殺すために後を付けていたのは、迷った末に言わないでおいた。言ったら、先生の心に影を落としそうな気がしたからだ。
黙って話を聞いていたハンター先生は、寂しそうな顔になる。
「なるほど……何というか、私の手には余る事件があったんですね。それでも、あなたが生き残ってよかった。
ただ、私個人としては、大勢の診療途中の患者を残してしまったのが、残念でたまらない。私の亡骸は滝壺の底に沈んでいます。水圧で浮かび上がれません。できれば、もっと長生きして、世の中の病人や怪我人のために仕事をしたかった……
それに、アールにも謝らなければ。弟もこの街に来ているんですよね?
会わせてもらえるとありがたいのですが……
ライナス・ハンターとしてではなく、ラッシュ・スレイターとして、弟には謝らなければなりません」
「そうですね……
一緒に来た訳ではないので、居場所は分かりませんが、探して連れてきます」
「だったら、こっちに抜け道があるから使うといいよ。普通の人間じゃ、滝を越えては来られないからねえ。川沿いの道には赤い三十センチくらいの石がある場所があって、抜け道はそこに繋がっているよ。ワシもしばしば、そこから表に出て、街を眺めに行くんじゃ」
川の主が指す方向には、人一人が通れる程度の細い洞窟が続いている。
でも、今は自分の身体から離れられるギリギリの場所まで来ていたから、詳しい場所は後で確認することにした。
「それじゃ、また来ます」
私は滝に戻らず、そのまま天井を抜けて、地表に戻る。そのまま三階建ての建物くらいの高さまで宙に浮かび、さっきいた洞窟と、滝と、赤い石の場所の位置を確認した。
アニーのところへ戻らなくちゃ……
先生と会えたのは嬉しい。見つかって良かった。
だけど……できればお互い生きて会いたかった。
状況を考えて、諦めてはいたけれど、それでも……
さっきはなるべく笑顔を作っていた。先生を困らせたくなかったから。
でも、一人になったら……先生がもうこの世の者ではなくなったという現実が実感となって、打ち寄せる波のように押し寄せてくる。
「先生……先生……!」
涙も、しゃくり上げる声も止まらない。私はゆっくり地上に降りながら、両手で顔を覆った。
「これが例の滝ね……」
川の主がたむろしているという滝。今、私が立っている地点から、滝壺あたりまでは、約十メートル程度。この距離なら、身体をここに残して、あそこまで飛んでいけそうだ。
「アニー、あなたは私の身体を見張っていてくれる? 私が先に様子を見て来るわ」
「マリーゼ様、お一人で大丈夫ですか?」
「魂は大丈夫だけど、身体は心配だから、アニーに任せたいの」
「分かりました、くれぐれもお気を付けて……」
川の主がどんな性格なのか分からない。もしも、攻撃的な性格だったら、大人しくてあまり力のないアニーを近付けたくない。私自身は、まず大抵の相手には負ける気がしないけれど。
私は呼吸を止め、トン、と片足で足踏みをする。魂が、ふわりと身体を抜け、浮かび上がった。霊体になった私は、そのまま滝壺に向かって飛んでいく。
大量の水が重力に任せて落ちる水の壁の向こうに、魂の気配がある。……それも、一つじゃない、二つ?
私は思い切って、水のカーテンに突っ込んでいった。
滝壺の裏側には洞窟があった。横穴がずっと奥まで続いているようだ。
入り口付近には水が溜まっているけれど、少し進むと岩肌が剥き出しになり、少し苔が生えている。
目を凝らすと、少し奥に人影が二つ見えた。
「誰か……いますか?」
「いるよ~。こっちに来な」
ちょっととぼけたような老人の声が聞こえる。思ったより穏便に話ができそうで安心した。
私は地面に降りると、歩きながらゆっくりと二人の気配に近づく。
そこは、小さな部屋のように空間が広がっていた。いくつかある岩が、ちょうど椅子くらいの高さになっていて座れそうだ。天井に小さな穴が空き、ぼんやりと光が差し込んでいて、互いの顔が見える。
一人は七十代も後半かと思われる男性で、人間の霊を超越した『何か』に片足を突っ込んでいそうな、独特の風貌だった。服装もこちらでは見かけない、東方の人々のような姿だ。
「こんな所に、三ヶ月で二人も客が来るなんて、まあ珍しいこった」
そう言って老人が隣に視線を移す。そこにいたもう一人は……
「先生!?」
そこにいたのは、紛れもなく、ライナス・ハンターその人だった。まさか、こんなに早く見つかるなんて。
「おや、あんたら、知り合いかい?」
主も驚いて、私と先生の顔を交互に見る。でも私を見た先生の顔は、瞬時に曇った。
「……スレア夫人! まさか、あなたも亡くなってしまったのですか?
申し訳ありません! 助けると申し出たのは私なのに……」
「いえ、先生、私は生きてます。今はこんな状態ですけど、ちゃんと生きた身体があります。
あれから私は夫と離婚が成立して、今はフランメル準子爵として独立しました」
「そうか、よかった……」
先生の表情から憂いが消えていく。
私はあれから何か起こったのか、つぶさに先生に話した。シェアリアがやった事や、裁判の事。そして、アールの事。
しかし、先生が助けたジョンが、元々は先生を殺すために後を付けていたのは、迷った末に言わないでおいた。言ったら、先生の心に影を落としそうな気がしたからだ。
黙って話を聞いていたハンター先生は、寂しそうな顔になる。
「なるほど……何というか、私の手には余る事件があったんですね。それでも、あなたが生き残ってよかった。
ただ、私個人としては、大勢の診療途中の患者を残してしまったのが、残念でたまらない。私の亡骸は滝壺の底に沈んでいます。水圧で浮かび上がれません。できれば、もっと長生きして、世の中の病人や怪我人のために仕事をしたかった……
それに、アールにも謝らなければ。弟もこの街に来ているんですよね?
会わせてもらえるとありがたいのですが……
ライナス・ハンターとしてではなく、ラッシュ・スレイターとして、弟には謝らなければなりません」
「そうですね……
一緒に来た訳ではないので、居場所は分かりませんが、探して連れてきます」
「だったら、こっちに抜け道があるから使うといいよ。普通の人間じゃ、滝を越えては来られないからねえ。川沿いの道には赤い三十センチくらいの石がある場所があって、抜け道はそこに繋がっているよ。ワシもしばしば、そこから表に出て、街を眺めに行くんじゃ」
川の主が指す方向には、人一人が通れる程度の細い洞窟が続いている。
でも、今は自分の身体から離れられるギリギリの場所まで来ていたから、詳しい場所は後で確認することにした。
「それじゃ、また来ます」
私は滝に戻らず、そのまま天井を抜けて、地表に戻る。そのまま三階建ての建物くらいの高さまで宙に浮かび、さっきいた洞窟と、滝と、赤い石の場所の位置を確認した。
アニーのところへ戻らなくちゃ……
先生と会えたのは嬉しい。見つかって良かった。
だけど……できればお互い生きて会いたかった。
状況を考えて、諦めてはいたけれど、それでも……
さっきはなるべく笑顔を作っていた。先生を困らせたくなかったから。
でも、一人になったら……先生がもうこの世の者ではなくなったという現実が実感となって、打ち寄せる波のように押し寄せてくる。
「先生……先生……!」
涙も、しゃくり上げる声も止まらない。私はゆっくり地上に降りながら、両手で顔を覆った。
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