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あたらしい日々、あたらしい道
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春の朝の澄んだ空気が、静かな部屋に満ちている。
「おはよう」
さゆが目を覚ますと、隣で眠っていたはずのタキは、もう支度を始めていた。さゆは時計を見る。七時過ぎ。
「早いね」
「パートさん達が来る前に、今日の段取りを決めないといけないからね」
タキは明らかにげっそりとしていて、足取りもフラフラだ。朝食も摂っていない。
「タキ、ご飯は?」
「時間ないから良いや。薬は飲んでるから大丈夫」
タキは急いで着替えると、さゆを見ずに足早にドアへ向かい、「行ってきます」と言い残して出ていった。
二千二十年、四月。新しい年度が、新しい暮らしが始まっていた。
都会の喧騒とタキの匂いの中で、さゆは毛布に包まって身を起こす。目覚めたルークが鳴くので、抱き上げるとさゆにスリスリする。もう、ずっと、ここ半月位、こんな毎日だ。タキは学校が休校になった影響で、工場の受注が爆発的に増え、週七日で働く事も多いそうだ。たまの休みの日はひたすら寝ている。顔色も白く、とても具合が悪そうだ。
(タキ、ずっとそのペースでは働けないんじゃないの?)
二人の会話はほとんどない。今のタキには、前と違う張り詰めた何かがあった。
(何か、思ってたのと違うなあ)
初めての同棲で、どこかドラマみたいな甘い毎日を期待していたのだけれど。実際は、ひたすら生活に追われているだけの日々だ。さゆは自転車で片道一時間のマスク工場で、運よく派遣の仕事を見つけ、週三日ほどはそこで働けていた。他の時間は、家事やネット古書店、そしてライターの業務に当てている。ルークがいるので、タキのアパートには絵の具ではなく、野分から貰った色鉛筆だけを持って来ていた。
ミャアミャアと話すルークを撫でると、膝の上で丸まった。
「ふふ。私も二度寝しちゃおうかな」
今日は派遣の仕事はない。後でネット古書店の発送をしなきゃな、と残してある店のSNSを開く。在宅している人が多い為か、かつての常連達から頻繁にメッセージを貰えるのが有難かった。注文も毎日数冊は入る。目ぼしい本はタキの本棚の横に、ルークが触れない様に大きな箱を幾つか買って保管している。
流れてゆくメッセージを読みながら、ふわふわのルークを撫でる。
(私たち、どうなってしまうんだろうな)
とふと、不安がまた、胸を掠めた。
店は、三月末で無事に閉じられた。後は、撤去工事の立会いぐらいだ。なんだかんだで本は徐々に売れ、最後の週はほとんど商品も無くなり、古本屋というよりも、さゆの絵画制作を見たり、絵を買ったりしてお布施をする店になっていた。
『朝霧さん、有名な実業家のお陰もあって、現代アートが今人気なの、御存知ですよね?ユーチューブでライブペイントとか、フリマアプリで作品販売とか、朝霧さんならきっと上手く行きますよ。大変な時ですが、僕は朝霧さんに、画家として生き残って欲しいです』
SNSでのその書き込みを見て、店の様子を試しにスマホでライブ中継したら、意外と評判が良かった。ネットやキャッシュレス決済は、こんな時本当に有難い。どこからでも、小額でも支援をして貰える。
閉店を決めてから一ヶ月は、本当に絶望と不安に苛まれたけれど、少しづつ、少しづつ、新しい道が見えようとしていた。
それでも。
「朝霧さん、色々落ち着いたら、また立川に来てよ。ウチの商店街も、もうシャッター商店街寸前だから、きっと物件も空いてるよ。安く借りられるよう、自分からもお願いするから」
最後に理事長にそう言われ、静かに明かりの消えた店に佇んだ時、さゆはなんとも言えない寂寞とした想いに囚われた。
(ああ、私、もう、明日から古本屋じゃないんだな)
肩をすぼめて帰宅し、タキにLINEしたいなとスマホを握ったけれど、その前にツイッターで最後の挨拶をしようと、月並みな文面で感謝の言葉を投稿した。
そのままツイッターを閉じようとした、ら。
『朝霧さん、これで終わりじゃないよね』
この頃感染防止の為に、外出を控えているという常連の高齢の男性から、リプが届いていた。
『宅配でも古本屋を続けて貰える事、本好きの1人として嬉しく思います。また買わせて下さい。昔おまけで付けてくれた自筆の太陽の絵のしおり、今も大切に使っています。また良かったら付けて下さい。そしたら沢山買うよ(笑)。
またいつの日か、生きて会いましょう。どうかお元気で』
その閉店の投稿には数百の「いいね」を貰い、リプは次の日も一日中続いた。さゆは作業の合間を縫って、返信を打ち続けた。全部宝物にしておきたいメッセージだった。
そして思ったのだ。
(ああ、私)
いつか、また。
自分の古本屋をやりたい、と。
「おはよう」
さゆが目を覚ますと、隣で眠っていたはずのタキは、もう支度を始めていた。さゆは時計を見る。七時過ぎ。
「早いね」
「パートさん達が来る前に、今日の段取りを決めないといけないからね」
タキは明らかにげっそりとしていて、足取りもフラフラだ。朝食も摂っていない。
「タキ、ご飯は?」
「時間ないから良いや。薬は飲んでるから大丈夫」
タキは急いで着替えると、さゆを見ずに足早にドアへ向かい、「行ってきます」と言い残して出ていった。
二千二十年、四月。新しい年度が、新しい暮らしが始まっていた。
都会の喧騒とタキの匂いの中で、さゆは毛布に包まって身を起こす。目覚めたルークが鳴くので、抱き上げるとさゆにスリスリする。もう、ずっと、ここ半月位、こんな毎日だ。タキは学校が休校になった影響で、工場の受注が爆発的に増え、週七日で働く事も多いそうだ。たまの休みの日はひたすら寝ている。顔色も白く、とても具合が悪そうだ。
(タキ、ずっとそのペースでは働けないんじゃないの?)
二人の会話はほとんどない。今のタキには、前と違う張り詰めた何かがあった。
(何か、思ってたのと違うなあ)
初めての同棲で、どこかドラマみたいな甘い毎日を期待していたのだけれど。実際は、ひたすら生活に追われているだけの日々だ。さゆは自転車で片道一時間のマスク工場で、運よく派遣の仕事を見つけ、週三日ほどはそこで働けていた。他の時間は、家事やネット古書店、そしてライターの業務に当てている。ルークがいるので、タキのアパートには絵の具ではなく、野分から貰った色鉛筆だけを持って来ていた。
ミャアミャアと話すルークを撫でると、膝の上で丸まった。
「ふふ。私も二度寝しちゃおうかな」
今日は派遣の仕事はない。後でネット古書店の発送をしなきゃな、と残してある店のSNSを開く。在宅している人が多い為か、かつての常連達から頻繁にメッセージを貰えるのが有難かった。注文も毎日数冊は入る。目ぼしい本はタキの本棚の横に、ルークが触れない様に大きな箱を幾つか買って保管している。
流れてゆくメッセージを読みながら、ふわふわのルークを撫でる。
(私たち、どうなってしまうんだろうな)
とふと、不安がまた、胸を掠めた。
店は、三月末で無事に閉じられた。後は、撤去工事の立会いぐらいだ。なんだかんだで本は徐々に売れ、最後の週はほとんど商品も無くなり、古本屋というよりも、さゆの絵画制作を見たり、絵を買ったりしてお布施をする店になっていた。
『朝霧さん、有名な実業家のお陰もあって、現代アートが今人気なの、御存知ですよね?ユーチューブでライブペイントとか、フリマアプリで作品販売とか、朝霧さんならきっと上手く行きますよ。大変な時ですが、僕は朝霧さんに、画家として生き残って欲しいです』
SNSでのその書き込みを見て、店の様子を試しにスマホでライブ中継したら、意外と評判が良かった。ネットやキャッシュレス決済は、こんな時本当に有難い。どこからでも、小額でも支援をして貰える。
閉店を決めてから一ヶ月は、本当に絶望と不安に苛まれたけれど、少しづつ、少しづつ、新しい道が見えようとしていた。
それでも。
「朝霧さん、色々落ち着いたら、また立川に来てよ。ウチの商店街も、もうシャッター商店街寸前だから、きっと物件も空いてるよ。安く借りられるよう、自分からもお願いするから」
最後に理事長にそう言われ、静かに明かりの消えた店に佇んだ時、さゆはなんとも言えない寂寞とした想いに囚われた。
(ああ、私、もう、明日から古本屋じゃないんだな)
肩をすぼめて帰宅し、タキにLINEしたいなとスマホを握ったけれど、その前にツイッターで最後の挨拶をしようと、月並みな文面で感謝の言葉を投稿した。
そのままツイッターを閉じようとした、ら。
『朝霧さん、これで終わりじゃないよね』
この頃感染防止の為に、外出を控えているという常連の高齢の男性から、リプが届いていた。
『宅配でも古本屋を続けて貰える事、本好きの1人として嬉しく思います。また買わせて下さい。昔おまけで付けてくれた自筆の太陽の絵のしおり、今も大切に使っています。また良かったら付けて下さい。そしたら沢山買うよ(笑)。
またいつの日か、生きて会いましょう。どうかお元気で』
その閉店の投稿には数百の「いいね」を貰い、リプは次の日も一日中続いた。さゆは作業の合間を縫って、返信を打ち続けた。全部宝物にしておきたいメッセージだった。
そして思ったのだ。
(ああ、私)
いつか、また。
自分の古本屋をやりたい、と。
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