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少年は嫌われている。唯一無二の兄にも、可愛い可愛い弟にも。両親には何もしないと言われ見放されている。しかし、実際は何もしないのではない、何もできないのだ。
少年は帝国ルキアニアの第二王子であり、名をミリムと言う。しかし、その名を呼ぶ者は専属教師だけだ。
唯一無二の兄、第一王子のアルエルと可愛い弟の第三王子、ロキルイドには自発的に動かないことを馬鹿にされ、尚動かない態度に苛ついたのか、ある時から『人形』と呼ばれるようになった。両親である国王と王妃は、公務でそもそも会う機会が少なく、会えたとしても見放されてるため、声をかけてくることはない。城を、王族を守る王国騎士団は名前ではなく役職、地位で呼んでくるために名前を呼ばれることは一生ないに等しい。
だが、この名前を呼ばれないこともミリムの魔術を悪化させていた。第二王子専属教師が使う魔術は対象の意識がない場合のみ発動する特殊なモノだった。しかし、その魔術を極めた者は死霊術師として死者の魂が抜けた身体を意のままに操り、一昔前に自国、他国共に危険だと判断され、禁忌魔術となっていた。だが、専属教師の適正は死霊術の初歩。極めれば一国を潰せる程の力になり得るものだった。
しかし、専属教師の魔力の総量が高くなく、死者を何千、何万と操るほどの器量もなかった。そこで考えたのが、遠くない未来に王となる得る子を自分の意のままに動く人形にしてしまおうと...。
本当は、第一王子の専属教師になり確実な計画にしたかったが、上手くいかず第二王子の専属教師となってしまった。そこで計画を変更したのだ。第一王子を人形にするならば、意志を、感情を持たせたうえで自分の言う事を聞く人形にする予定だったのだ。しかし、第二王子を人形にする事になってしまい、順当に行くと、自分の人形にする第二王子は王にはなれない。そう考えた専属教師は第二王子を完璧に自分の意のままに動く人形にしてしまおうと考えた。
いつか、第一王子が戴冠するときに第二王子を操り、第一王子を殺害して謀反を起こし王になろうと考えたのだ。実に浅はかで、無謀な考えだが、専属教師は実行したのだ。
5歳になったばかりの第二王子、ミリムに独自で調合した薬物を、毎日の勉強の休憩時間に出される紅茶に混ぜて飲ませた。その薬物は思考を混濁させる毒草と安眠効果のあるハーブから睡眠、気を失わせる効果だけを高濃度で抽出し、混ぜたものだった。薬物を飲んだミリムは午後の勉強の際に、気を失い専属教師によって洗脳魔法を施されていった。
毎日毎日、少しずつ、周りが気が付かないように少しずつ。日に日に、気力を無くしていき、感情は面に出なくなり、表情は動くことがなくなり、自分から声を発することがなくなった。
そして、ミリムの周りはこの変化に気付かなかった。否、気付いてはいたが、国王と皇后は勉強の甲斐あって、王族としての自覚を持ったと勘違いをし、弟のロキルイドとは一緒に遊んでくれなくなった事により溝ができ、ミリムに嫌われたと思い近付かなくなった。兄のアルエルは、王族としての自覚を持ったと言われるミリムに今まで努力して築いた地位を奪われると思い、憤りを感じ、ミリムを居ないものと扱い、時には嫌味や暴言を吐いた。
そのまま年月は経過し、第一王子アルエルは21歳になり次期国王としての地位を確立し、ミリムは18歳となった。弟のロキルイドは、15歳になり未だにミリムに嫌われていると思い込んでいる。しかし、思春期のロキルイドは距離を取るのではなく、逆に暴言を吐いて、何もし返さない、言い返さないミリムをいい事に虐め倒している。
今日もロキルイドは、人気のない場所にミリムを連れて来ては服で見えないところを数発殴ってはその場に放置していた。
「...ほんとに、何も言わないね。流石、人形だね。」
そう言いながら、最後の一発に力を込めてミリムの腹に入れ、立ち去って行った。ミリムは暫くそこを動けなかった。腹の痛みが引き、命令通りに専属教師の待つ自室に戻ろうとしたときだった。
背後から布に染み込んだ薬品を嗅がされ、意識を落としてしまったのだ。ミリムを襲ったのは、盗賊だった。盗賊たちは、この国の第三王子であるロキルイドが虐めていて王城に入れる、つまり下級貴族かそれ以上の貴族の息子だと勘違いをしたのだ。薬品を嗅がされて意識のないミリムを盗賊たちはいとも簡単に担ぎ上げて、人通りの少ない裏門から脱出し待機していた仲間の幌馬車にミリムを放り投げて行商の馬車を装い出発した。
盗賊たちの計画は順調に進み、城門でさえ難無く通過してしまった。あとは国外に出て奴隷商に奴隷として売るもよし、男娼として娼館に売っても高値がつくだろう。既に日は暮れ始めていて、空をもう濃紺になりかけている。そんな中、専属教師が部屋に戻ってこない自分の人形が王城にすらいない事に気付いたのだ。流石に、自分の魔術だけではどうにもならないと悟り、国王に報告しやっと王国騎士団が動き出したのだ。城門の騎士たちにより行商の馬車は大方城門を越え、国境に向かったという報告を受け、王国騎士団第一大隊は馬を走らせ、国境に向かったのだ。
行商を装う盗賊たちは国境付近につき、しばしの休憩についていた。ミリムは幌馬車から降ろされていたが腕を後ろで縛られて猿轡をされている。そんなことなどをしなくともミリムは怖がることはしないし、泣くこともない。逃げることだってしないだろう。そこに日は暮れたのにこちらに向かってくる蹄の音が響いた。盗賊たちは急いで幌馬車にミリムを乗せ国境を越え――――――
―――――――越えかけたときだった。
「そこの馬車、止まれ。」
声をかけられ馬車はゆっくり止まり、ミリムの乗る後ろの荷台部分は、国境を越えていなかった。
「国内で少し事件が起きてな、見かける馬車全てに声をかけてるんだが、荷台を確認しても?」
「...どうぞ。」
「有難う。」
騎士の一人が荷台を覗いたとき、中から盗賊たちが飛び出し騎士たちと応戦し始めた。御者席にいた盗賊の一人は、無理矢理馬車を動かし、国境を越えてしまったのだ。
――――そう、越えてしまった。
越えた瞬間にバキンッバキンッとガラスが割れるような音が荷台から響いた。しかし、それはミリムにかけられていた魔術が解除された音だった。第一大隊の騎士たちはその音が魔術が強制解除された音だと知っていた為、先に盗賊たちを制圧した。
第一大隊の隊長であり、王国騎士団団長であるアニムスが荷台を確認するとミリムが横たわっており、少しずつ魔術が解けているのか、淡い光が粉々になりながら溢れ出ていた。アニムスがミリムを抱えて荷台を降りると、魔術が一気に解け洗脳魔術による意識の混濁が解消され、認識阻害魔術も解除され、顕になった足首の青がかった金属でできた枷が鈍く輝き、その場にいる騎士全員が息を呑んだ。しばらく呆然としていたが、枷から伸びる同じ金属でできている鎖がカチャリとなったことにより、全員が大慌てで動き始めた。
縛り上げた盗賊たちを幌馬車の荷台に詰め込む者、王城にいる騎士に魔術で連絡する者、馬たちの準備をする者、そしてミリムを介抱する者とそれぞれ動き始めた。
「...第二王子殿下、わかりますか?」
腕の拘束を解かれたが、アニムスに抱えられたまま動かないミリム。その瞳は虚ろで何も写してはいなかった。アニムスはミリムのかけられていた魔術の欠片を読み取り、洗脳魔術だということと、その術者が専属教師だということに気付き、連絡している騎士に声をかけた。
「...第二王子専属教師拘束させろ。」
「え、何故ですか...。」
「第二王子殿下にかけられた魔術はそいつのものだ。」
「...っ、分かりました。報告します。」
「ああ、頼んだ。それが終わったら王城に戻るぞ。」
「はい!」
戻る準備が整い、いざ戻ろうとしたがミリムをどうすればいいのか分からず、ミリム本人に聞いても答えないので、仕方なくアニムスの馬に共に乗り、王城へと戻った。
王城に戻ると、医療班が待機していたがアニムスはそれを断り、自分のローブに包んだミリムをミリムの自室に運んだ。ミリムはベッドに寝かせても動くことなく、只々されるがままだった。侍女たちが世話をして来いと言われたのか、部屋に入って来たが、すぐに追い出し入れ替わりで第一大隊の騎士たちが入って来た。
「団長、盗賊は第三大隊に任せてきました。」
「ご苦労。」
「それから、第五大隊の医療班のルイスを連れてきました。」
「有難う。...ルイス、第二王子殿下を見ても声を上げるなよ。」
「?...はい。」
そう言って、ローブをどけてルイスに見せると、ルイスは顔が歪ませ絶句してしまった。ミリムは服が乱れ、胸元や腹部が顕になっており、そこを彩るのは沢山の痣。そして足首の重々しい枷が余計に痛々しく見せる。
「...これは、どういう。」
「...阻害魔術がかけられていたようだ。国境を越えたときに、魔術が解除されこの状態になった。」
「...うそ、だろ?...枷にかけられた認識阻害魔術の経過年数、13年って。...うそ、5歳から?」
「...おそらくな。んで、その魔力は専属教師のものだ。」
「...つまり、専属教師をつけられてすぐこの状態ということか?」
「...ああ。なんで、気付かなかったんだろうな。」「...っ取り敢えず、胸と腹の痣は回復魔術で治せる。この枷は、....最悪だ。」
「どうした。」
「ミスリルでできている。魔術が効かない。」
「...外せないか。確か魔法なら外せるんだろ?」
「ああ、暫くはこのままだな。魔法を使える者は多くない。...この国にはいないのが悔しいな。」
「取り敢えず、報告してくる。」と言ってミリムの痣を治し国王陛下に報告しに行った。専属教師は既に拘束されており、地下牢に入れられていた。ルイスは国王と皇后のいる談話室に通され、そこには第一王子のアルエルと第三王子のロキルイドもいた。ルイスは気にせず報告し始めた。
「...報告致します。第二王子殿下、ミリム様は無事お戻りになりました。」
「良くやった。」
「は、有難うございます。...しかし、第二王子殿下は一度国境を越えられ国外に出たようです。そのせい、おかげで長年かけられていた魔術が解除されたようです。」
「...何?...長年、魔術を?」
「はい、術者は。...第二王子殿下の専属教師です。既に地下牢で拘束されています。」
「...は?...どういうことだ。」
「...まだ確実に調査したわけではないので確証はないですが、...いえ、これは御自身の目で確認された方がよろしいかと、思います。」
「...分かった。報告ご苦労。下がって良い。」
「...は、失礼します。」
ルイスは談話室を退室し、再びミリムの部屋に戻った。暫くしてから、談話室から王族全員が出てきて、ミリムの部屋に向かった。ミリムの部屋の前では、指示を出していないのにも関わらず第一大隊の騎士が護衛を務めていた。国王並びに王族全員が来たというのに、室内に確認を取ってから扉を開けた。だが、中に入りミリムを見たらその警戒の仕方も頷けた。
「...ミリム?」
皇后が声をかけても反応はない。目は開いているのに何処も見ていない。皇后が手を握っても反応せず、そして嫌でも目に入る足首の枷が全てを物語っていた。魔術帝国の王族である国王も、皇后も王子二人も魔術に長けており、ミリムの枷を見るだけで、誰の魔力で、どんな魔術なのかが分かってしまった。そしてミリム自身から溢れ出る魔術の残骸、そちらの方が恐ろしかった。
「...洗脳魔術。」
「...なんてことなのっ。そんなっ。」
国王と皇后は、何もしないと見放してしまった事を今になって後悔した。これでは、何もできないではないか、と。自発的に行動する事でさえ難しかったではないか。何故、自分達はこの忌々しい魔術に気付かなかったのだ。たかが、認識阻害魔術如きで自分の愛しい息子の変化に気付かないだけではなく、見放してしまったではないか、と。静かに涙を流しながら「ごめんなさい、ミリム。ごめんなさい。」とミリムに懺悔する皇后。そしてその背を擦って「すまなかった。」と呟く国王。ミリムは手を握られ、謝らているが反応しない。何処か遠くを見つめ動かない。
「...父上、いえ陛下。今回の件、俺に任せてはくれませんか。」
「...ああ、いいぞ。」
「ありがとうございます。早速調査してきます。」
そう言って、部屋を出ていったアルエル。国王は皇后を支えながら、共に部屋を出てしまい残されたロキルイドは、ベッド脇の椅子に腰かけミリムに声をかけた。
「...人形。...本当に人形だったの?...ねえ、どうしてよ。...教えてよ。どうして。...兄様。」
ポロポロと涙を流し、必死に問いかける。答えは一向に返ってこない。しかし、仲が良かった弟だったからだろうか、ロキルイドの気持ちが魔術となって働いたのか分からない。だが、ミリムの手をロキルイドが自分の額に寄せたとき、ロキルイドの脳内に久しく聞いていなかったミリムの声が響いた。
『―――ごめんね。』
『―――寂しい思いを、させて、―――』
『――――僕に、気付いてくれて、―――――』
『―――ありがとう―――』
その声に更に泣き出してしまったロキルイド。兄様と手に頬を擦り寄せてそのまま眠ってしまった。部屋には何があってもいいようにルイスが待機することになり、眠ってしまったロキルイドをせめてものソファに寝かせシーツかける。
それから数日間、ミリムは正しく操り人形の糸が切れた人形状態だった。術者である専属教師は、第一王子の調査により処刑された。部屋から何冊もの記録本が出てきて、そこに書かれた内容が悲惨だった。被検体の名前はミリム。最初の記録は5歳、専属教師になった日からだった。ひとつひとつの記録を見るごとに、アルエルは自分の不甲斐なさと、専属教師に対する怒りが募っていった。証拠を集め終わり、専属教師に確認する際にアルエル本人がそれを務めたが、専属教師は悪びれることなくすべてを吐いた。その態度に余計苛立ち、最終的に死なない程度に殴る蹴るの暴行をしたのは、お咎めなしだった。
専属教師の罪状は、王族殺害未遂、禁忌魔術使用未遂、違法薬物調合及び投与、等々上げればきりがないくらいだった。
ミリムは術者が死んだ事により、動かなくなり、話さない、食べない、眠らない、という最悪の状況が続き、終いには1ヶ月という深い眠りについてしまった。その間、点滴で命を繋ぎ止め、一度目を覚ましたが再び眠りに付いてしまった。1ヶ月ほど眠るとその後2日ほど起きているが、再び眠るという事が3回ほど続いたある日。
―――それは偶然だった。
偶々、3つほど離れた王国の魔導師が和平と魔術の研究ということで帝国ルキアニアにやって来たのだ。謁見に来た魔導師イリラムに、国王は頭を下げてミリムを診てほしいと願い出た。対価として、この国にいる間の自由と安全を保証して。イリラムは二つ返事で了承し、ミリムを診ることになった。
ミリムの部屋に入り、ベッド横の椅子に座るとちょうどミリムが目を覚ましたのだ。しかし、反応はせず、いつも通りの状態だった。
「...先に枷を外した方がいいな。」
そう呟くと、バキンッと枷にヒビが入りミリムの足首から外れると、サラサラと青白い結晶になり開けられた窓から舞って出ていった。皇后はそれだけでポロポロと泣き出してしまった。イリラムは、遠くを見るミリムの瞳を片手で覆うと小さく「教えて」と呟いて目を閉じた。
―――――――――
「やあ、はじめまして。」
『―――だ、れ?』
「魔導師、イリラム。...君を治してと頼まれてね、どうだい?目を覚ます気はあるかい?」
『――――ううん、僕は、起きたく、ない。――』
「どうして?」
『―――まだ、マスターの、命令が残ってるんだ。―――』
「術者は死んだそうだけど?」
『――うん、知ってる、よ。でも、マスターが、自分が死んでも、遂行、するように、僕に、命令したんだ。』
「...最低だね。」
『――うん、僕は、―――なんの為に、生まれたのか、わからなくなっちゃったよ。』
「...因みに、なんて命令なの?」
『―――...アル兄、第一王子アルエルを、殺せと。―――』
「...殺せばいいじゃない?君が王になれるよ?」
『――僕は、僕は、何も知らない。――』
「どういうことだい?」
『――今は、こうやって、話してるけれど――僕の知識は、5歳のままなんだ。―――』
「...そう、目が覚めるとしたら起きたい?」
『――僕が、誰も、傷付けないのなら――――』
――――――――――
イリラムが目を再び開け、ミリムの瞳を手で覆ったまま、もう片方の手でミリムの心臓部にかざすとかざしたところから半透明の鎖が幾つも飛び出してきた。それを見た王族一同は息を呑んだ。
「...第一王子、アルエル。」
「...なんです。」
「この鎖は、君が切らなくてはならない。」
「...何故ですか。」
「ミリム自身が教えてくれた。術師が死んでも尚命令が働いているそうだ。君を殺せ、と。」
「...っ、あの野郎。死して尚苦しめるのか!」
「だから、君が切るんだ。術者の殺したい相手である君が切ることで、魔術的には理屈が捻じ曲げられて破壊される。」
「...それは分かりましたが、どうやって切るのですか?」
「想えばいい。君がこの鎖を切ってミリムを助けたいと想い、願えばいい。そうすれば、この鎖は切れる。」
アルエルが自分の胸に手を当て、目を閉じて祈った。冷遇してしまった弟を助けたい。今まで可愛がれなかった分めいいっぱい可愛がりたい。目を覚ましてほしい。起きてほしい。と。
そう念じるほど、ミリムの心臓部から伸びる半透明の鎖はパキパキと音を立てて崩れていった。すべて粉々になると、一つの小さな宝石のようになり再びミリムの心臓部に沈んでいった。
「...っ戻ってしまったが、大丈夫なんですか?」
「ええ、これで。...ほら。」
イリラムがミリムの瞳を覆う手を退けると、ゆっくりと此方を向くミリム。その瞬間、弾けるようにミリムの魔力が開放され、イリラムは感じ取った。しかし、家族との再会に水を指すような無粋な事はしたくなかった為、一歩下がって感動の再会を見守った。
「...ミリムっ、ごめんなさい、気付いてあげられなくて、本当にっ...。」
「...すまない、ミリム、父として不甲斐ない。」
「...ミリム、すまなかった。」
「...にい、さま。...にいさまぁ。ごめんなさ、い。う、うぇ。ひっ、」
「...。....。」
口をぱくぱくさせて何か話そうとしているが、何せおよそ13年間も声を出していないんだ。出るわけがない。しかし、イリラムには理解できた。
「...『大丈夫、気付いてくれてありがとう。』だと。」
「...なぜ、わかるのですか?」
「...水を指すつもりはなかったんだが、」
「構わない、申してくれ。」
「...魔導師は魔術師と違って、同じ魔力の波長を持つ者がいる。同じ魔力の波長を持つ者は、獣人で言うところの番だな。共にいることでお互いに安心し、魔力の波長が同じことにより、お互いの思いが分かるんだ。」
「...しかし、なぜ今なのだ?国に入った瞬間に気付きそうだが。」
「...ミリム自身が意識のない状態だったからな。それから認識阻害魔術と洗脳魔術が同時にかかってた事により、おそらく副作用で魔力を感知できないようになっていた。お前達王族でさえミリムの変化に気付かなかったのは魔力が感知できなかったのも大きかっただろう。」
我々はなんて愚かなんだ、と国王が嘆きながらその場に座り込んでしまった。イリラムが起き上がりたそうにしているミリムに気付き、異空間収納魔法で沢山のクッションを出すと、抱き起こしたミリムの背中にそれらを浮遊魔法で置いて、寄りかからせた。ミリムはありがとうの意を込めてイリラムを見つめるとしっかり伝わったようで、微笑みと共に「どういたしまして。」と返ってきた。
その後、イリラムは自国から帝国ルキアニアに移住してきた。もちろん王城でミリムの隣の部屋に。国王が認めたのだから誰も文句は言わない。
ミリムはイリラムが隣の部屋になってからゆっくりと自分で動くことに慣れていった。眠り続けたミリムの身体はガリガリに痩せ細り、足もろくに動かせないので、取り敢えず、食事ができるようにイリラムと医療班のルイスが共に1日をかけて手伝ってくれる。ゆっくりと時間をかけてでも食事をした。少しずつ少しずつ、1食、2食、3食と食べれるようになり、未だに固形物は厳しいが食べ物の美味しさを思い出したミリムは嬉しそうだ。
表情は幾らか和らいで、怒ったり拗ねたりすると眉毛が少しだけ動き、笑ったり嬉しそうにすると口角が少しだけ上がるのだ。この機微に気付いたアルエルとロキルイド、そしてイリラムは嬉しくてルキアニアの上空に雨も降っていないのに虹を3つも架けてしまった。民の間ではちょっとした珍事件となっている。
声は出せるようになったが語彙が少なく未だに拙いが、アルエルとロキルイドにとってそれはそれでかわいいと言って毎日のようにミリムの部屋に訪れる。アルエルは次期国王の為に公務があって来れない日が多いがロキルイドはほぼ毎日訪れる。しかし、イリラムも嫌ではないし、ミリムも遊べなかった弟と話ができるのが嬉しそうだった。
「兄様。」
「なぁに?」
「ごめんね。人形って呼んで。」
「ん?いいよ、僕はそのときほんとうに人形だったから。」
「...それに、ときどき、な、ぐったりして....。」
「僕は、人形だったとき、痛みは感じなかったから、もんだいない。」
「でもっ!...ごめんなさい。」
「いいよ、しんぱいしてくれてありがとう。でも、ほんとうに痛くなかったんだよ。だって、そうやってマスt「こら、その単語はダメ。」ぁう、ん。」
「ふふ、兄様。怒られちゃった。」
「おこられちゃった。」
「「ふふふ...。」」
ふたりで嬉しそうに笑い合っている。3歳差だが双子のように見えるくらい仲がいい。元々はこのくらい仲が良かったのだろう。専属教師のせいでその日常が狂ってしまったこのふたり、引いてはこの家族は実に可愛そうだと思うイリラムだった。
ミリムとイリラムは番として常に一緒にいる。外に出るときは手を繋ぎ、貴族が集まる茶会や夜会はイリラムがミリムの腰を抱いて参加した。同じベッドで眠るようになり、気分がノッていれば時々触れ合うだけのキスを、更に時々、舌を絡め合う情熱的なキスをする。しかし、性行為をすることはなかった。だがそれはお互いに了承して不満のない形だった。イリラムは魔導師として既に100年は生きたそうで、性欲は枯れてしまったと言う。そしてミリムは人形だったときに、専属教師の性処理もやらされていて、感覚はなくとも、記憶があって未だに恐れていた。ミリムのムスコはそう簡単に勃つことはなく、またイリラムも勃たない。お互いにキスだけで満足するのでこれが二人の愛の形だと思う。
いつも通りならばベッドにあがれば、イリラムからキスをする。ミリムは自分からすることはあまりなかった。しかし、今日はミリムからキスをした。それは触れるだけのキス。だが、イリラムはミリムからキスしてくれた事に喜び、ミリムの顎を持ち上げ、深い情熱的なキスを返した。舌でミリムの薄い唇をわって入ると口内を優しく怖がらせないように、かつミリムが気持ち良くなれるように犯す。
「....っ、んぅ。」
息が苦しくなったようなので、口を離せばとろけた顔で頬染めている。
「ん、かわいい。」
「...へ、ぁ。」
「気持ちよかったかい?」
「ん。...もっかい。」
「おや、今日はおねだりの日かい?」
「ん。」
「もちろん、いいとも。私は大歓迎だ。」
「...んぅ、ぁ。」
再び口を塞いであげれば、嬉しそうに口を開いてイリラムの舌を迎え入れる。これだけ情熱的なキスをしているが二人のムスコは勃つことがない。不能とバカにされようが関係ない。今日もミリムはキスで気持ち良くなり安眠でき、かわいいミリムを見て癒やされ、眠るミリムの頭を撫で、額に唇を落としてからイリラムは眠りにつくのだった。
Fin
少年は帝国ルキアニアの第二王子であり、名をミリムと言う。しかし、その名を呼ぶ者は専属教師だけだ。
唯一無二の兄、第一王子のアルエルと可愛い弟の第三王子、ロキルイドには自発的に動かないことを馬鹿にされ、尚動かない態度に苛ついたのか、ある時から『人形』と呼ばれるようになった。両親である国王と王妃は、公務でそもそも会う機会が少なく、会えたとしても見放されてるため、声をかけてくることはない。城を、王族を守る王国騎士団は名前ではなく役職、地位で呼んでくるために名前を呼ばれることは一生ないに等しい。
だが、この名前を呼ばれないこともミリムの魔術を悪化させていた。第二王子専属教師が使う魔術は対象の意識がない場合のみ発動する特殊なモノだった。しかし、その魔術を極めた者は死霊術師として死者の魂が抜けた身体を意のままに操り、一昔前に自国、他国共に危険だと判断され、禁忌魔術となっていた。だが、専属教師の適正は死霊術の初歩。極めれば一国を潰せる程の力になり得るものだった。
しかし、専属教師の魔力の総量が高くなく、死者を何千、何万と操るほどの器量もなかった。そこで考えたのが、遠くない未来に王となる得る子を自分の意のままに動く人形にしてしまおうと...。
本当は、第一王子の専属教師になり確実な計画にしたかったが、上手くいかず第二王子の専属教師となってしまった。そこで計画を変更したのだ。第一王子を人形にするならば、意志を、感情を持たせたうえで自分の言う事を聞く人形にする予定だったのだ。しかし、第二王子を人形にする事になってしまい、順当に行くと、自分の人形にする第二王子は王にはなれない。そう考えた専属教師は第二王子を完璧に自分の意のままに動く人形にしてしまおうと考えた。
いつか、第一王子が戴冠するときに第二王子を操り、第一王子を殺害して謀反を起こし王になろうと考えたのだ。実に浅はかで、無謀な考えだが、専属教師は実行したのだ。
5歳になったばかりの第二王子、ミリムに独自で調合した薬物を、毎日の勉強の休憩時間に出される紅茶に混ぜて飲ませた。その薬物は思考を混濁させる毒草と安眠効果のあるハーブから睡眠、気を失わせる効果だけを高濃度で抽出し、混ぜたものだった。薬物を飲んだミリムは午後の勉強の際に、気を失い専属教師によって洗脳魔法を施されていった。
毎日毎日、少しずつ、周りが気が付かないように少しずつ。日に日に、気力を無くしていき、感情は面に出なくなり、表情は動くことがなくなり、自分から声を発することがなくなった。
そして、ミリムの周りはこの変化に気付かなかった。否、気付いてはいたが、国王と皇后は勉強の甲斐あって、王族としての自覚を持ったと勘違いをし、弟のロキルイドとは一緒に遊んでくれなくなった事により溝ができ、ミリムに嫌われたと思い近付かなくなった。兄のアルエルは、王族としての自覚を持ったと言われるミリムに今まで努力して築いた地位を奪われると思い、憤りを感じ、ミリムを居ないものと扱い、時には嫌味や暴言を吐いた。
そのまま年月は経過し、第一王子アルエルは21歳になり次期国王としての地位を確立し、ミリムは18歳となった。弟のロキルイドは、15歳になり未だにミリムに嫌われていると思い込んでいる。しかし、思春期のロキルイドは距離を取るのではなく、逆に暴言を吐いて、何もし返さない、言い返さないミリムをいい事に虐め倒している。
今日もロキルイドは、人気のない場所にミリムを連れて来ては服で見えないところを数発殴ってはその場に放置していた。
「...ほんとに、何も言わないね。流石、人形だね。」
そう言いながら、最後の一発に力を込めてミリムの腹に入れ、立ち去って行った。ミリムは暫くそこを動けなかった。腹の痛みが引き、命令通りに専属教師の待つ自室に戻ろうとしたときだった。
背後から布に染み込んだ薬品を嗅がされ、意識を落としてしまったのだ。ミリムを襲ったのは、盗賊だった。盗賊たちは、この国の第三王子であるロキルイドが虐めていて王城に入れる、つまり下級貴族かそれ以上の貴族の息子だと勘違いをしたのだ。薬品を嗅がされて意識のないミリムを盗賊たちはいとも簡単に担ぎ上げて、人通りの少ない裏門から脱出し待機していた仲間の幌馬車にミリムを放り投げて行商の馬車を装い出発した。
盗賊たちの計画は順調に進み、城門でさえ難無く通過してしまった。あとは国外に出て奴隷商に奴隷として売るもよし、男娼として娼館に売っても高値がつくだろう。既に日は暮れ始めていて、空をもう濃紺になりかけている。そんな中、専属教師が部屋に戻ってこない自分の人形が王城にすらいない事に気付いたのだ。流石に、自分の魔術だけではどうにもならないと悟り、国王に報告しやっと王国騎士団が動き出したのだ。城門の騎士たちにより行商の馬車は大方城門を越え、国境に向かったという報告を受け、王国騎士団第一大隊は馬を走らせ、国境に向かったのだ。
行商を装う盗賊たちは国境付近につき、しばしの休憩についていた。ミリムは幌馬車から降ろされていたが腕を後ろで縛られて猿轡をされている。そんなことなどをしなくともミリムは怖がることはしないし、泣くこともない。逃げることだってしないだろう。そこに日は暮れたのにこちらに向かってくる蹄の音が響いた。盗賊たちは急いで幌馬車にミリムを乗せ国境を越え――――――
―――――――越えかけたときだった。
「そこの馬車、止まれ。」
声をかけられ馬車はゆっくり止まり、ミリムの乗る後ろの荷台部分は、国境を越えていなかった。
「国内で少し事件が起きてな、見かける馬車全てに声をかけてるんだが、荷台を確認しても?」
「...どうぞ。」
「有難う。」
騎士の一人が荷台を覗いたとき、中から盗賊たちが飛び出し騎士たちと応戦し始めた。御者席にいた盗賊の一人は、無理矢理馬車を動かし、国境を越えてしまったのだ。
――――そう、越えてしまった。
越えた瞬間にバキンッバキンッとガラスが割れるような音が荷台から響いた。しかし、それはミリムにかけられていた魔術が解除された音だった。第一大隊の騎士たちはその音が魔術が強制解除された音だと知っていた為、先に盗賊たちを制圧した。
第一大隊の隊長であり、王国騎士団団長であるアニムスが荷台を確認するとミリムが横たわっており、少しずつ魔術が解けているのか、淡い光が粉々になりながら溢れ出ていた。アニムスがミリムを抱えて荷台を降りると、魔術が一気に解け洗脳魔術による意識の混濁が解消され、認識阻害魔術も解除され、顕になった足首の青がかった金属でできた枷が鈍く輝き、その場にいる騎士全員が息を呑んだ。しばらく呆然としていたが、枷から伸びる同じ金属でできている鎖がカチャリとなったことにより、全員が大慌てで動き始めた。
縛り上げた盗賊たちを幌馬車の荷台に詰め込む者、王城にいる騎士に魔術で連絡する者、馬たちの準備をする者、そしてミリムを介抱する者とそれぞれ動き始めた。
「...第二王子殿下、わかりますか?」
腕の拘束を解かれたが、アニムスに抱えられたまま動かないミリム。その瞳は虚ろで何も写してはいなかった。アニムスはミリムのかけられていた魔術の欠片を読み取り、洗脳魔術だということと、その術者が専属教師だということに気付き、連絡している騎士に声をかけた。
「...第二王子専属教師拘束させろ。」
「え、何故ですか...。」
「第二王子殿下にかけられた魔術はそいつのものだ。」
「...っ、分かりました。報告します。」
「ああ、頼んだ。それが終わったら王城に戻るぞ。」
「はい!」
戻る準備が整い、いざ戻ろうとしたがミリムをどうすればいいのか分からず、ミリム本人に聞いても答えないので、仕方なくアニムスの馬に共に乗り、王城へと戻った。
王城に戻ると、医療班が待機していたがアニムスはそれを断り、自分のローブに包んだミリムをミリムの自室に運んだ。ミリムはベッドに寝かせても動くことなく、只々されるがままだった。侍女たちが世話をして来いと言われたのか、部屋に入って来たが、すぐに追い出し入れ替わりで第一大隊の騎士たちが入って来た。
「団長、盗賊は第三大隊に任せてきました。」
「ご苦労。」
「それから、第五大隊の医療班のルイスを連れてきました。」
「有難う。...ルイス、第二王子殿下を見ても声を上げるなよ。」
「?...はい。」
そう言って、ローブをどけてルイスに見せると、ルイスは顔が歪ませ絶句してしまった。ミリムは服が乱れ、胸元や腹部が顕になっており、そこを彩るのは沢山の痣。そして足首の重々しい枷が余計に痛々しく見せる。
「...これは、どういう。」
「...阻害魔術がかけられていたようだ。国境を越えたときに、魔術が解除されこの状態になった。」
「...うそ、だろ?...枷にかけられた認識阻害魔術の経過年数、13年って。...うそ、5歳から?」
「...おそらくな。んで、その魔力は専属教師のものだ。」
「...つまり、専属教師をつけられてすぐこの状態ということか?」
「...ああ。なんで、気付かなかったんだろうな。」「...っ取り敢えず、胸と腹の痣は回復魔術で治せる。この枷は、....最悪だ。」
「どうした。」
「ミスリルでできている。魔術が効かない。」
「...外せないか。確か魔法なら外せるんだろ?」
「ああ、暫くはこのままだな。魔法を使える者は多くない。...この国にはいないのが悔しいな。」
「取り敢えず、報告してくる。」と言ってミリムの痣を治し国王陛下に報告しに行った。専属教師は既に拘束されており、地下牢に入れられていた。ルイスは国王と皇后のいる談話室に通され、そこには第一王子のアルエルと第三王子のロキルイドもいた。ルイスは気にせず報告し始めた。
「...報告致します。第二王子殿下、ミリム様は無事お戻りになりました。」
「良くやった。」
「は、有難うございます。...しかし、第二王子殿下は一度国境を越えられ国外に出たようです。そのせい、おかげで長年かけられていた魔術が解除されたようです。」
「...何?...長年、魔術を?」
「はい、術者は。...第二王子殿下の専属教師です。既に地下牢で拘束されています。」
「...は?...どういうことだ。」
「...まだ確実に調査したわけではないので確証はないですが、...いえ、これは御自身の目で確認された方がよろしいかと、思います。」
「...分かった。報告ご苦労。下がって良い。」
「...は、失礼します。」
ルイスは談話室を退室し、再びミリムの部屋に戻った。暫くしてから、談話室から王族全員が出てきて、ミリムの部屋に向かった。ミリムの部屋の前では、指示を出していないのにも関わらず第一大隊の騎士が護衛を務めていた。国王並びに王族全員が来たというのに、室内に確認を取ってから扉を開けた。だが、中に入りミリムを見たらその警戒の仕方も頷けた。
「...ミリム?」
皇后が声をかけても反応はない。目は開いているのに何処も見ていない。皇后が手を握っても反応せず、そして嫌でも目に入る足首の枷が全てを物語っていた。魔術帝国の王族である国王も、皇后も王子二人も魔術に長けており、ミリムの枷を見るだけで、誰の魔力で、どんな魔術なのかが分かってしまった。そしてミリム自身から溢れ出る魔術の残骸、そちらの方が恐ろしかった。
「...洗脳魔術。」
「...なんてことなのっ。そんなっ。」
国王と皇后は、何もしないと見放してしまった事を今になって後悔した。これでは、何もできないではないか、と。自発的に行動する事でさえ難しかったではないか。何故、自分達はこの忌々しい魔術に気付かなかったのだ。たかが、認識阻害魔術如きで自分の愛しい息子の変化に気付かないだけではなく、見放してしまったではないか、と。静かに涙を流しながら「ごめんなさい、ミリム。ごめんなさい。」とミリムに懺悔する皇后。そしてその背を擦って「すまなかった。」と呟く国王。ミリムは手を握られ、謝らているが反応しない。何処か遠くを見つめ動かない。
「...父上、いえ陛下。今回の件、俺に任せてはくれませんか。」
「...ああ、いいぞ。」
「ありがとうございます。早速調査してきます。」
そう言って、部屋を出ていったアルエル。国王は皇后を支えながら、共に部屋を出てしまい残されたロキルイドは、ベッド脇の椅子に腰かけミリムに声をかけた。
「...人形。...本当に人形だったの?...ねえ、どうしてよ。...教えてよ。どうして。...兄様。」
ポロポロと涙を流し、必死に問いかける。答えは一向に返ってこない。しかし、仲が良かった弟だったからだろうか、ロキルイドの気持ちが魔術となって働いたのか分からない。だが、ミリムの手をロキルイドが自分の額に寄せたとき、ロキルイドの脳内に久しく聞いていなかったミリムの声が響いた。
『―――ごめんね。』
『―――寂しい思いを、させて、―――』
『――――僕に、気付いてくれて、―――――』
『―――ありがとう―――』
その声に更に泣き出してしまったロキルイド。兄様と手に頬を擦り寄せてそのまま眠ってしまった。部屋には何があってもいいようにルイスが待機することになり、眠ってしまったロキルイドをせめてものソファに寝かせシーツかける。
それから数日間、ミリムは正しく操り人形の糸が切れた人形状態だった。術者である専属教師は、第一王子の調査により処刑された。部屋から何冊もの記録本が出てきて、そこに書かれた内容が悲惨だった。被検体の名前はミリム。最初の記録は5歳、専属教師になった日からだった。ひとつひとつの記録を見るごとに、アルエルは自分の不甲斐なさと、専属教師に対する怒りが募っていった。証拠を集め終わり、専属教師に確認する際にアルエル本人がそれを務めたが、専属教師は悪びれることなくすべてを吐いた。その態度に余計苛立ち、最終的に死なない程度に殴る蹴るの暴行をしたのは、お咎めなしだった。
専属教師の罪状は、王族殺害未遂、禁忌魔術使用未遂、違法薬物調合及び投与、等々上げればきりがないくらいだった。
ミリムは術者が死んだ事により、動かなくなり、話さない、食べない、眠らない、という最悪の状況が続き、終いには1ヶ月という深い眠りについてしまった。その間、点滴で命を繋ぎ止め、一度目を覚ましたが再び眠りに付いてしまった。1ヶ月ほど眠るとその後2日ほど起きているが、再び眠るという事が3回ほど続いたある日。
―――それは偶然だった。
偶々、3つほど離れた王国の魔導師が和平と魔術の研究ということで帝国ルキアニアにやって来たのだ。謁見に来た魔導師イリラムに、国王は頭を下げてミリムを診てほしいと願い出た。対価として、この国にいる間の自由と安全を保証して。イリラムは二つ返事で了承し、ミリムを診ることになった。
ミリムの部屋に入り、ベッド横の椅子に座るとちょうどミリムが目を覚ましたのだ。しかし、反応はせず、いつも通りの状態だった。
「...先に枷を外した方がいいな。」
そう呟くと、バキンッと枷にヒビが入りミリムの足首から外れると、サラサラと青白い結晶になり開けられた窓から舞って出ていった。皇后はそれだけでポロポロと泣き出してしまった。イリラムは、遠くを見るミリムの瞳を片手で覆うと小さく「教えて」と呟いて目を閉じた。
―――――――――
「やあ、はじめまして。」
『―――だ、れ?』
「魔導師、イリラム。...君を治してと頼まれてね、どうだい?目を覚ます気はあるかい?」
『――――ううん、僕は、起きたく、ない。――』
「どうして?」
『―――まだ、マスターの、命令が残ってるんだ。―――』
「術者は死んだそうだけど?」
『――うん、知ってる、よ。でも、マスターが、自分が死んでも、遂行、するように、僕に、命令したんだ。』
「...最低だね。」
『――うん、僕は、―――なんの為に、生まれたのか、わからなくなっちゃったよ。』
「...因みに、なんて命令なの?」
『―――...アル兄、第一王子アルエルを、殺せと。―――』
「...殺せばいいじゃない?君が王になれるよ?」
『――僕は、僕は、何も知らない。――』
「どういうことだい?」
『――今は、こうやって、話してるけれど――僕の知識は、5歳のままなんだ。―――』
「...そう、目が覚めるとしたら起きたい?」
『――僕が、誰も、傷付けないのなら――――』
――――――――――
イリラムが目を再び開け、ミリムの瞳を手で覆ったまま、もう片方の手でミリムの心臓部にかざすとかざしたところから半透明の鎖が幾つも飛び出してきた。それを見た王族一同は息を呑んだ。
「...第一王子、アルエル。」
「...なんです。」
「この鎖は、君が切らなくてはならない。」
「...何故ですか。」
「ミリム自身が教えてくれた。術師が死んでも尚命令が働いているそうだ。君を殺せ、と。」
「...っ、あの野郎。死して尚苦しめるのか!」
「だから、君が切るんだ。術者の殺したい相手である君が切ることで、魔術的には理屈が捻じ曲げられて破壊される。」
「...それは分かりましたが、どうやって切るのですか?」
「想えばいい。君がこの鎖を切ってミリムを助けたいと想い、願えばいい。そうすれば、この鎖は切れる。」
アルエルが自分の胸に手を当て、目を閉じて祈った。冷遇してしまった弟を助けたい。今まで可愛がれなかった分めいいっぱい可愛がりたい。目を覚ましてほしい。起きてほしい。と。
そう念じるほど、ミリムの心臓部から伸びる半透明の鎖はパキパキと音を立てて崩れていった。すべて粉々になると、一つの小さな宝石のようになり再びミリムの心臓部に沈んでいった。
「...っ戻ってしまったが、大丈夫なんですか?」
「ええ、これで。...ほら。」
イリラムがミリムの瞳を覆う手を退けると、ゆっくりと此方を向くミリム。その瞬間、弾けるようにミリムの魔力が開放され、イリラムは感じ取った。しかし、家族との再会に水を指すような無粋な事はしたくなかった為、一歩下がって感動の再会を見守った。
「...ミリムっ、ごめんなさい、気付いてあげられなくて、本当にっ...。」
「...すまない、ミリム、父として不甲斐ない。」
「...ミリム、すまなかった。」
「...にい、さま。...にいさまぁ。ごめんなさ、い。う、うぇ。ひっ、」
「...。....。」
口をぱくぱくさせて何か話そうとしているが、何せおよそ13年間も声を出していないんだ。出るわけがない。しかし、イリラムには理解できた。
「...『大丈夫、気付いてくれてありがとう。』だと。」
「...なぜ、わかるのですか?」
「...水を指すつもりはなかったんだが、」
「構わない、申してくれ。」
「...魔導師は魔術師と違って、同じ魔力の波長を持つ者がいる。同じ魔力の波長を持つ者は、獣人で言うところの番だな。共にいることでお互いに安心し、魔力の波長が同じことにより、お互いの思いが分かるんだ。」
「...しかし、なぜ今なのだ?国に入った瞬間に気付きそうだが。」
「...ミリム自身が意識のない状態だったからな。それから認識阻害魔術と洗脳魔術が同時にかかってた事により、おそらく副作用で魔力を感知できないようになっていた。お前達王族でさえミリムの変化に気付かなかったのは魔力が感知できなかったのも大きかっただろう。」
我々はなんて愚かなんだ、と国王が嘆きながらその場に座り込んでしまった。イリラムが起き上がりたそうにしているミリムに気付き、異空間収納魔法で沢山のクッションを出すと、抱き起こしたミリムの背中にそれらを浮遊魔法で置いて、寄りかからせた。ミリムはありがとうの意を込めてイリラムを見つめるとしっかり伝わったようで、微笑みと共に「どういたしまして。」と返ってきた。
その後、イリラムは自国から帝国ルキアニアに移住してきた。もちろん王城でミリムの隣の部屋に。国王が認めたのだから誰も文句は言わない。
ミリムはイリラムが隣の部屋になってからゆっくりと自分で動くことに慣れていった。眠り続けたミリムの身体はガリガリに痩せ細り、足もろくに動かせないので、取り敢えず、食事ができるようにイリラムと医療班のルイスが共に1日をかけて手伝ってくれる。ゆっくりと時間をかけてでも食事をした。少しずつ少しずつ、1食、2食、3食と食べれるようになり、未だに固形物は厳しいが食べ物の美味しさを思い出したミリムは嬉しそうだ。
表情は幾らか和らいで、怒ったり拗ねたりすると眉毛が少しだけ動き、笑ったり嬉しそうにすると口角が少しだけ上がるのだ。この機微に気付いたアルエルとロキルイド、そしてイリラムは嬉しくてルキアニアの上空に雨も降っていないのに虹を3つも架けてしまった。民の間ではちょっとした珍事件となっている。
声は出せるようになったが語彙が少なく未だに拙いが、アルエルとロキルイドにとってそれはそれでかわいいと言って毎日のようにミリムの部屋に訪れる。アルエルは次期国王の為に公務があって来れない日が多いがロキルイドはほぼ毎日訪れる。しかし、イリラムも嫌ではないし、ミリムも遊べなかった弟と話ができるのが嬉しそうだった。
「兄様。」
「なぁに?」
「ごめんね。人形って呼んで。」
「ん?いいよ、僕はそのときほんとうに人形だったから。」
「...それに、ときどき、な、ぐったりして....。」
「僕は、人形だったとき、痛みは感じなかったから、もんだいない。」
「でもっ!...ごめんなさい。」
「いいよ、しんぱいしてくれてありがとう。でも、ほんとうに痛くなかったんだよ。だって、そうやってマスt「こら、その単語はダメ。」ぁう、ん。」
「ふふ、兄様。怒られちゃった。」
「おこられちゃった。」
「「ふふふ...。」」
ふたりで嬉しそうに笑い合っている。3歳差だが双子のように見えるくらい仲がいい。元々はこのくらい仲が良かったのだろう。専属教師のせいでその日常が狂ってしまったこのふたり、引いてはこの家族は実に可愛そうだと思うイリラムだった。
ミリムとイリラムは番として常に一緒にいる。外に出るときは手を繋ぎ、貴族が集まる茶会や夜会はイリラムがミリムの腰を抱いて参加した。同じベッドで眠るようになり、気分がノッていれば時々触れ合うだけのキスを、更に時々、舌を絡め合う情熱的なキスをする。しかし、性行為をすることはなかった。だがそれはお互いに了承して不満のない形だった。イリラムは魔導師として既に100年は生きたそうで、性欲は枯れてしまったと言う。そしてミリムは人形だったときに、専属教師の性処理もやらされていて、感覚はなくとも、記憶があって未だに恐れていた。ミリムのムスコはそう簡単に勃つことはなく、またイリラムも勃たない。お互いにキスだけで満足するのでこれが二人の愛の形だと思う。
いつも通りならばベッドにあがれば、イリラムからキスをする。ミリムは自分からすることはあまりなかった。しかし、今日はミリムからキスをした。それは触れるだけのキス。だが、イリラムはミリムからキスしてくれた事に喜び、ミリムの顎を持ち上げ、深い情熱的なキスを返した。舌でミリムの薄い唇をわって入ると口内を優しく怖がらせないように、かつミリムが気持ち良くなれるように犯す。
「....っ、んぅ。」
息が苦しくなったようなので、口を離せばとろけた顔で頬染めている。
「ん、かわいい。」
「...へ、ぁ。」
「気持ちよかったかい?」
「ん。...もっかい。」
「おや、今日はおねだりの日かい?」
「ん。」
「もちろん、いいとも。私は大歓迎だ。」
「...んぅ、ぁ。」
再び口を塞いであげれば、嬉しそうに口を開いてイリラムの舌を迎え入れる。これだけ情熱的なキスをしているが二人のムスコは勃つことがない。不能とバカにされようが関係ない。今日もミリムはキスで気持ち良くなり安眠でき、かわいいミリムを見て癒やされ、眠るミリムの頭を撫で、額に唇を落としてからイリラムは眠りにつくのだった。
Fin
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