Happy nation

文月

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三章 高遠 桜子

17.努力とか、惰性とか愛情とかの結晶。

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「カツラギ。フミカ‥会えるのを楽しみにしている」
 サカマキの優しい声。
 微笑んだ‥サカマキのいつもより穏やかで、寂し気な表情。

 それ以降の視覚記憶はない。
 否、サカマキとの通信は途切れたものの、私はまだ考えることは出来ている。外も、気配だけだけど感じることは出来る。何も見えない。光も感じない。音‥声は辛うじて聞こえる。だけど、それも時間の問題だろう。もう数時間もしたら、何も考えられず眠ってしまうのだろう。
 そうしてその間に、ゼロの魔法によって、私の記憶は私の意思に反して消されていくのだろう。
 その手始めが、意識だ。
 その内、胎児になったら耳ができて、また音を拾えるようになるだろうが、その時その音を情報と認識できる頭脳というか‥意識はもう無いだろう。
 外からの音を情報ではなく、ただの音としか認識できない。
 音を言葉ではなく、「何となく暖かい」とか「何となく嬉しい」としか「感じられなくなる」。考えるではなく、だ。理解するではなく、だ! 。
 そんな自分を想像すると、どんなことよりも今は恐ろしく思えた。
 それは、果たして「自分」‥カツラギという人間なのだろうか。
 私という趣味嗜好を持ちうる「使い古し」の魂を‥サカマキにはリスクを冒して、桜子には、この上ない迷惑をかけて「産み直す意味」ってあるんだろうか?
 そんな疑問と恐れ。
 だけど、私にとってはそれより何よりも‥(自分勝手だということは百も承知だが)自分が自分でなくなるであろうことが‥怖い。
 これからのことを、考えると‥怖い。
 新しい自分? 「何か新しいこと」が始まる時っていうのは、‥私みたいな頭の固くて慎重で臆病な人間にはいつも、希望ではなく「恐れ」しかないんですよ。


 私たちの魂は、ただの情報になって、この錠剤に書き込まれている。
 DNAの遺伝子情報とそれは変わらない感じですかね? 
 この錠剤は、桜子のお腹に入ると、身体の仕組みに従い、卵子に変わるらしい。勿論、サカマキの超絶凄い魔法によってのみ可能になった「とんでもない」仕組みだ。あいつは、道徳倫理観念がない分、発想も柔軟(で誤魔化していいのかどうかはわからない)だ。そして、サカマキによって桜子の中にコピーされた私たちのこれまでの記憶(※Happy nation時の記憶)やなんかは、へその緒を通して胎児となった私たちに伝えられる。
 錠剤の中には記憶もはいっている(というか、錠剤の中には私たちの総てが入っている)。だけど、いつ受精するか分からない。
 排卵されない様な措置は取っている。そこら辺は問題はない。だけど、長い間子宮内に居たら、子宮が太古からもつ謎の魔法によって、子宮の中にいる私の魂は総てを忘れさせられるだろう。正真正銘、自然の「ゼロの魔法」だ。転生によって生まれ変わる魂を新たに産まれる魂として初期化するのだ。
 これからの新しい命を生きるために、初期化するのだ。
 私は、魔法バカじゃない。
 普通に‥怖い。
 未知の魔法を体感する貴重な経験! なんて、思えない。サカマキなら思うのかもしれないけど、私は断じてそんな風には思えない。
 怖いだけだ。
 何よりも大事な「知識」がクリアにされたらと思うと、気が気じゃない。
 そんなことを色々考えている友人の心を慮るわけもない(! )冷血・冷静・優秀な大魔法使い様は、私たちの魂を錠剤に変えて、大事に半紙のような柔らかい紙に包みこんだ。
 錠剤に入る前、ちらりとフミカを見たら、フミカは眠たそうに欠伸をしていた。

 フミカは何を考え、どんな気持ちだったんだろうか。
 そんなことを思った。 


 サカマキが桜子に二錠の錠剤を渡す。
 桜子と正樹が結婚した時以降、サカマキは急ピッチでこの錠剤を作ることに没頭した。
 こればっかりは実体がなかったら出来ないから、毎日人気のない場所で人気のない時間を見計らって作業を続けた。
 今回人気のない場所としてサカマキに選ばれたのは、町はずれの廃病院だった。深夜の「散歩」の時に見つけて、目を付けてたんだって。ちょっと(! ←ちょっとどころではなかった、ボロボロだった)古いけど、雨風が防げるしちょっと(! ←以下同文)片付ければ、スペースもあるし好条件だったらしい。時々、道具を渡してくれる半分透けてる助手も出て来てくれたりして、とても都合が良かったという話をサカマキから聞いた時は、桜子は顔を青くしていた。‥勿論、サカマキは気にしてもいなかったよ?
 ‥あの噂、ガチだったんだ~。
 桜子は泣きそうな顔で苦笑いしていた。
 町はずれの廃病院には出るらしい。よくある噂だ。
 だって、定番だもの~、が、実は、だ。
 どうやら、今回はそれはガチだったらしく、更に、サカマキが作業をする際に灯した光魔法が、カーテン越しに見えて‥その目撃情報で、廃病院は皆の噂的にも「やっぱり‥」になったらしい。光魔法は、電気と違ってふんわりほわほわしてるからね。ちょうど、ボロいカーテン越しだったら火の玉っぽく見えただろう。
 だけど、野次馬根性で近づこうと思っても、サカマキの結界に阻まれて近づけないっていうね。‥今はもう結界を解いたから、行こうと思えば行けるだろう。行って、「本物」の手厚いお出迎えにあえばいい。「彼ら」、寂しがってたっぽいからね。
 (まあ、それはどうでもいい)
 ‥そんなこんなで、苦労してつくった錠剤だ。
 努力とか、技術とか魔法とかの結晶だ。
 そして、この10年余の総結晶。
 桜子にとっては、感謝もあるが、時に煩わしく、時に羞恥と戦った10余年。
 サカマキにとって、努力と努力と‥桜子ごめんねな10余年。
 二人(実は4にんなんだけどね)で二人三脚で過ごした、思い出深い10余年。
 それも詰まっていると思ったら、感慨深い。
 
 今、サカマキは、ここに来て初めて桜子の前で実体のある人型となって、桜子に錠剤を渡している。
 ‥故郷であるHappy nationとは空気が違うし、重力が違うから「五分がせいぜいだな。渡すのには流石にこのキーホルダーのままっていうわけにもいかないからな」って言っていたサカマキは、調子が悪いのだろう‥ちょっと青い顔をしている。
 キーホルダーはここでのサカマキの本体だ。
 本体をキーホルダーに擬態させて、魂だけで桜子を「操っていた」(←言い方は悪いが)のだ。因みに、夜、図書館に行く際には、こっちに来た時の様に鳩の姿で移動していた。
 実体で、この世界で動くのは初めてじゃない。だけど、人型を取るのは初めてだ。体力も鳩より使うし、(サカマキの本当の身体は鳥型の聖獣だから、似ている鳥型の方が楽なんだろう)それに、気も使う。‥なんていっても、この世界にはいない人間だ。それに、誰かに見られでもしたら、要らない誤解をされても困る。
 桜子の夫である正樹に浮気相手との密会と疑われるのが最も困る。‥桜子や正樹にこれ以上迷惑をかけたくない。だから、サカマキはいまこの世界での女の恰好をしている。
 サカマキは、女顔だし体格が華奢だから、女の恰好をすれば、絶対に男には見えない。
 桜子が知らない人間と会っていた。
 誰か桜子の知り合いがそれを目撃したとしても、女と会っているのと男と会っているのは、全然違う。
 だけど、それよりなにより、サカマキは「こっちの人間とは」全然違う。

 初めてサカマキの実体を見た桜子は軽い感動を覚えた。
 目の前に立つサカマキは、まるで重力があるのかも疑う様な、天女か天神かというような儚く、美しい容姿をしている。何となく、いい香りがしてきそうな気もするし、‥実際にもなんだかいい匂いがする。
 しっとりとしたキメの細かい柔らかそうな肌。艶やかなアッシュブラウンの髪。引き茶色の澄んだ瞳は少し吊り上がって涼やかで、切れ長。一見冷たく見えそうなその瞳は、だけど、どこか暖かで微かに微笑んでいるように見えた。
 10余年見て来たんだ。表情の変化位分かる。(正確には5年ちょいか)
 綺麗‥。
 ちょっと、見惚れて言葉を失ってしまったのも、だけど無理ないだろう。

「一つは、カツラギ」
 カツラギは、青っぽい錠剤。
「もう一つは、フミカ」
 フミカは薄桃色の錠剤。
 サカマキが半紙を広げて錠剤を指さし、桜子に見せると半紙に戻す。
 桜子が、神妙な顔でその「怪しげな錠剤」の入った半紙を受け取る。
 ごくり、と唾を飲む。
 さっきの2つがその二人の名前なんだろう。
 10余年前から頼まれている、サカマキの大事な友人の名前。そして、近い将来自分の子供になる子たちの「元の」名前だ。
 ‥カツラギって、苗字かな? って思ったのは、内緒だ。男女って言ってた。だから、まあ普通に考えたらフミカが女だろうから、カツラギが男なんだろう。
 ‥これが命の元。
 と考えたら、‥あまりの重い責任感に腰が引けそうになる。
「‥飲むね」
「ああ。一錠ずつ。‥体に受け入れられたら、「そういう感覚がある」と思う」
 サカマキの言葉に桜子が頷く。
「まず一錠」
 サカマキの‥青い錠剤。

 喉を通ると、ほんわり身体が温かくなった気がした。
 桜子のお腹をぼんやり眺めていたサカマキが、ふわりとお腹が光ったのを見て満足そうに頷いた。
 ‥勿論、桜子には何も見えなかったのだったが。
 が、次の瞬間。サカマキは
「え‥! 」
 と目を見開き、‥固まった。
「核が‥防御態勢に入った‥」
 ‥まだ、フミカの核を入れていないのに。
 カツラギだけで、‥この核以外どの核も受け付けないという体制をとってしまった。
 あとは、この核に接触できるのは、精子だけだ。
「フミカが‥」

「‥核が‥フミカの核だけ‥桜子の身体に移植出来ない‥! 」
 サカマキの悲壮な声が、カツラギの耳に聞こえて来た最後の言葉だった。
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