歌声は恋を隠せない

三島 至

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過去・グラジオラス④

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 子供の頃、一目見たときからずっと好きだった。
 アザレアを手放したくない。
 たとえ、彼女が自分の事を想っていなくても。

 アザレアとの心の距離に、グラジオラスは打ちのめされていた。
 長い時間説得したが、アザレアは首を縦に振らない。
 断られるごとに、どんどん嫌われている気がする。
 アザレアは全く表情を変えず、グラジオラスが話しかけても、言葉を発してくれなくなった。
 グラジオラスは心臓がキリキリと締め付けられるような、胸の痛みに耐える。
 今まで流されていたように見えた彼女は、実は、明確な意思のもと行動していたのだろうか。
 ならば、彼女が頑ななのは、アザレアの中に、グラジオラスと共に生きる選択肢は存在しないということなのか。
 やろうと思えば、無理やり連れて行くことも出来る。
 だがそれをしてしまうと、もう心の乖離は修復不可能なまでになってしまうだろう。
 最初から嫌われていたとしても、バントアンバーの娘を無理やり娶った、かの王と同じにはなりたくなかった。
 アザレアの目が、グラジオラスを責めているように感じる。
 ああ、貴方も同じなのね、と。

「私の名前は知っているか」

 グラジオラスはアザレアに聞いた。
 一応昔会っているので、今更言う必要は無いと思っていた。
 だが宿に連れてきてから、アザレアに名前を呼ばれたことは無い。
 子供の頃、お互い名乗ったことがあったが、再会した時のアザレアの様子から、もう一度名乗ったほうが良いかと思う。
 やはり、アザレアはグラジオラスのことを覚えていないのだろう。
 そう考えるとまた、切なくなる。
 グラジオラスは、彼女を忘れたことなどない。
 アザレア・バントアンバーの事を。
 彼女からすれば、グラジオラスを好きになる理由などないだろうが、それでも、全く関心を向けられないことは酷く悲しい。
 まるで眼中にないのだと、思い知らされる。

 グラジオラスの問いに対して、アザレアの答えは、意外なものだった。

「……ジオ、様」

 小さな声は、グラジオラスに衝撃を与えた。
 レユシット、と家名を呼ぶでもなく、グラジオラス、と名前を呼ぶでもなく。
 この場で愛称を呼ぶというのはつまり、アザレアが過去の出会いを覚えているということ、他ならなかった。
 グラジオラスは困惑した。
 まるで覚えている素振りはなかった。
 嬉しいはずなのに、喜んでいいのか分からない。
 グラジオラスが聞かなければ、彼女は過去の話など持ち出さなかったように思う。
 アザレアの表情は変わらない。
 黙ったまま、暫く見詰め合った。
 彼女の無関心さが、さらに浮き彫りになっただけだ。
 過去の光景、正確には声、だが、それをグラジオラスは思い出す。
 アザレアが、暴力を振るう父親に対して、怯える様子も憤る様子も無かった事を。
 父親の事も、どうでもよかったのかもしれない。
 グラジオラスと、アザレアの父親と、バントアンバーの家名を与えた王。
 どれもアザレアにとっては、等しく無価値なのだ。
 そう思えてならなかった。

「……アザレア」

 恐らく、アザレアの心を動かすのは無理だろう。
 長い時間をかければいい?
 いつかは好きになってもらえる?
 嫌がる女性を無理やり連れ帰ったとして、家族がどう思うかは分かりきっている。
 グラジオラスは、レユシット家の次期当主なのだ。
 反対されるのは目に見えているし、別の女性と結婚させられるかもしれない。
 そうなれば、アザレアは本当に愛人だ。
 グラジオラスにとっては、唯一の人なのに。
 彼女が愛しい。
 アザレアの心が欲しい。

(君のことが好きなんだ、アザレア……)

 苦しかった。
 幸せにするとは言えない。
 誰も幸せにはなれないのだ。グラジオラスでさえ、アザレアの愛を得られなければ……。
 グラジオラスは、周りに反対されながら、アザレアを一人囲い続ける未来を想像した。
 この先ずっと、誰からも祝福されずに、最愛の人からも嫌われ続ける。
 いつか精神を病んでしまうだろうな、と思った。
 それはアザレアかもしれないし、グラジオラスかもしれない。

(私を好きになって欲しい)

 こみ上げる思いを、口に出すことは出来なかった。
 言っていれば、何か変わっていたのだろうか。
 グラジオラスが本当に、心の底から、アザレアを愛していると。
 気持ちがあれば、隣にいることを許してくれたのだろうか。

「……今夜が最後だ。だから」

 喉の奥が乾いて、声が掠れそうになる。
 最後の思い出に、なんて、まるで女性側の心境だ。
 荒れ狂う心を悟らせないように、声が震えないように。
 情けない話だが、失恋の痛みに、今にも泣き出してしまいそうだった。
 冷淡な声で、グラジオラスは告げる。

「私を拒むな」

 言葉とは裏腹に、優しい口付けを落とした。
 別れを惜しむように、感情を飲み込むように、アザレアを抱きしめる。
 彼女からの反応は無い。拒みもしない。
 横抱きにしてベッドに運び、力の無い体を押し倒す。
 アザレアの瞳は、相変わらず、何も映していないように見えた。
 それでも、愛している。

(……愛している)

「……私の名を呼んでくれ」

 アザレアの頬に手を滑らせた。
 これが本当に最後だと、自分に言い聞かせて。

「これが最後だから……アザレア……」

 それは初めて口に出した、素直に懇願する言葉だ。
 アザレアは一つ瞬きした。

「ジオ様」

「様はいらない」

 アザレアはグラジオラスの言う通りにする。

「……ジオ」

 それが合図だった。







 愛しい女性を抱きしめてまどろむ。
 明け方まで起きていて体が眠気を訴えていても、眠りたくなかった。
 深く寝入っているアザレアの顔をずっと見ていたい。
 彼女が起きたら、別れの時間だ。
 いっそ目覚めないでくれ、とまで思う。
 彼女は体が弱い。
 負担をかけないようにするのは難しいが、なるべく優しくした。
 だが、少しでも目覚めるのが遅くなればいいと、思っていたのも事実だ。
 何度もアザレアに名前を呼ばせた。
 ずっと覚えているように。
 いつか、再会する日が来れば、また呼んでもらえるように。

 それだけが、グラジオラスの希望だった。



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