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最終話・恋は隠さない
しおりを挟む一年後、地元の街でも式を挙げ、リナリアは十九歳、カーネリアンが二十歳の時、二人は結婚した。
リナリアは、初めてとも言える程、街の人々に祝福され、温かい言葉をたくさんかけられた。
この時までは、街の殆どの人に嫌われていると思っていた。
だが、泣きながら、花嫁衣裳のリナリアを誉めそやすフリージアを見ていると、案外、自分は受け入れてもらえていたのではないかと、心に落ちるものがあった。
フリージアのこともそうだ。
リナリアは、先入観や偏見を持たずに、これまでのことを思い返した。彼女の行動は、実に分かりやすかったはずだ。
リナリアが嫌い抜いていた時も、一方的に絶交した時も、カーネリアンと結婚することになった今でも、フリージアは、リナリアに好意を示してきた。
しかしリナリアは、同じだけの気持ちを、一度も返したことは無い。
涙まみれのフリージアが、リナリアに祝いの言葉を告げる。
急にリナリアは、涙がこみ上げてきた。
こんなに好きでいてくれる子を、どうして嫌っていたのだろう。
リナリアは、フリージアに感謝していた。今まで見捨てずに、友人であろうとしてくれたことが、有り難かった。
彼女は一生の友人だと、今なら心から思える。
「リナリア……リナリア……綺麗だよ、うう……すごく可愛い……」
いつまでも泣いているフリージアに、カーネリアンが呆れた声をかけた。
「あのさ、いつまで泣いているの。もう式終わったんだけど」
「うう……リアン、性格変わった……? 何か冷たい……」
「これが素なんだよ。フリージアには取り繕う必要もないだろ。リナリアの親友なんだから」
カーネリアンが溜息を溢す。リナリアは何となく、フリージアの言葉を拾った。
「そういえば、“リアン”って、誰が呼び始めたの?」
リナリアがフリージアを敵視し始めたきっかけは、カーネリアンを愛称で呼んでいた事だ。
そのことをふと思い出した。
「ランスも呼んでいるけど……多分親とかじゃないか」
答えるカーネリアンも明確な答えは持たないようだ。
おそらく家族が呼んだのが最初だろう、と結論づけたカーネリアンの言葉を、フリージアがあっけらかんと「あ、それ私」と否定した。
「だって、“カーネリアン”って長いんだもの。呼びづらいから。……あの、リナリア、誤解しないでね? 深い意味は無かったの、ただそれだけの理由で、決してカーネリアンが特別だったわけじゃないのよ? もしランスが、ランスロットって名前だったら、ロットって呼ぶと思うし、ミモザが、み、み……なんだろ、ミモリアザ? とかいう名前でも。リザって呼んだと思うの!」
顔色を窺いながら必死に説明してくるフリージアを見て、リナリアは思った。
「“フリージア”だって、大して変わらないじゃない!」
そう言うと、ころころと笑い出す。真剣に言っているが、自分の名前は棚上げしている事が、可笑しかった。
声を上げて笑うリナリアに、フリージアは一瞬見蕩れて、ほっと息を吐き出す。
「リナリア、本当に、結婚おめでとう」
フリージアは、また目を潤ませて、心からの祝福を贈る。
一度乾いた涙が、またじわりと滲むのを感じながら、リナリアは微笑んだ。
「フリージア、貴女とは一生、親友でいたいわ」
式も終わり閑散としている教会に、足を踏み入れる音が響いた。
扉の内側に立った彼を除いて、中には誰も見当たらない。
彼は教会の中央まで足を進め、並んだ椅子の真ん中に腰掛けた。
目を閉じた彼の目蓋の裏に、今日の花嫁の姿が浮かんでくる。
式の最中、リナリアは歌った。
自分の声で話して、自分の声で歌った。
彼女の呪いは解けたのだ。
フリージアと親しげに話す姿も見えて、街の人々は安堵している様子だった。
夫となったカーネリアンと寄り添い、街の人々に祝福されたリナリアは、この上なく幸せそうな笑みを浮かべていた。
彼女のあんな笑顔を、ずっと見たかったのだ。
リナリアが幸せなら、彼も幸せだった。
全ての幸福を集めたような花嫁を前に、感慨無量でいた彼の側で、神仕えがそっと囁いていた。
"リナリアの加護がますます強まっている"。
それはきっと、リナリアが幸せだからだ。
しっかり閉じたはずの教会の扉が開き、風が舞い込んだ。
人が入ってくる気配がする。
扉が再び閉まると同時に、足音が近付く。彼が座る中央の椅子まで迫ってきて、音は止んだ。
「何をしているの、ランス」
自分に掛けられた声に、ランスは顔を上げた。
両手を後ろで組んだミモザが、屈むように髪を垂らしてランスを見下ろしている。
見返したまま口を開かないランスに、ミモザは問いかけた。
「落ち込んでいるの?」
ミモザから逸らした視線を、足元に向ける。
ランスは答えなかった。
「リナリアが結婚して、悲しい?」
それにはくぐもった声で、ランスは正直に答える。
「嬉しいよ。やっと幸せになれたんだから」
嘘ではなかった。
だが、それが全てでもない。
手を組んで、その上に額を乗せる。
顔を伏せ、消せない想いを抱えたまま、懺悔をした。
「でも、どうしようもないんだ……」
それきり、ランスは黙り込む。
かつてはランスも、リナリアに恋をした。
彼女の隣を夢見た。
今そこには、彼の親友が、カーネリアンが立っている。
彼らを見て思うのは、決して、喜びだけでは無い。
心のそこに、真っ直ぐ見詰められない感情が残っていた。
教会に沈黙が落ちる。
ミモザは回りこんで、ランスの隣に座った。顔を上げないランスを、横からじっと見つめて、ぽつりと呟く。
「それでもいいの」
ランスの髪にそっと手を差し入れたミモザは、そのまま少し待った。ランスは払いのけようとしない。ゆっくりと労るように、愛しさをこめて、彼の髪を撫でた。
「私も、ランスと同じだもの」
「……ミモザ」
「何?」
ランスは、何か言おうと顔を上げたが、口を開いたまま、言葉にはならなかった。
ずっと自分を見詰めていたらしい彼女と目が合う。
ミモザは透き通るような瞳で、ランスを見つめ返していた。
ミモザは綺麗だ。
ミモザの気持ちを知りながら、距離を詰めようとも、離れようともしてこなかった。
今まで、リナリアばかり見ていて、ミモザの事を、ちゃんと見てこなかったのかも知れない。
ランスが他の誰かに心奪われていても、彼女は自分を好いてくれていた。
ひたむきにランスを想うミモザは、恋する顔をしている。
今までずっと、こんな顔で見詰められていたのに、彼女の美しさに気付かなかった事が不思議だ。
目を見開いて、口をあけたまま固まるランスの顔が、徐々に赤みを帯びていく。
何も言えずに、再び顔を隠してしまったランスに、ミモザは声を弾ませ、追い討ちをかけた。
「ランスが振り向いてくれるのは、そう遠くなさそうね」
隠したランスの顔は、熱かった。
とうとう、気付いてしまったから。
失恋の痛みは、おそらく、長引かないだろう。
王都では、教会に月に一度だけ現れる、美しい歌姫が話題を呼んだ。
日の光を映す亜麻色の髪。雨上がりの空のように澄んだ青い瞳。
透き通る白い肌に、整った顔立ち。
美しい歌姫は、歌い終わると、いつも深紅の騎士に連れられて帰って行く。
最近は、亜麻色の髪に、赤い瞳をした小さな男の子も一緒にいる事が多いらしい。
「ビオラさん、僕の目はそんなに珍しいですか」
赤い瞳の男の子が、不思議そうに尋ねてくる。
その目をまじまじと見ていたビオラは、姪の子供の頬を片手で撫でて答えた。
「珍しくないわね。貴方のお父様と同じ瞳よ」
「じゃあ、なんでそんなにじっと見ているんですか」
されるがままに、頬に温もりを感じながら、子供はビオラの瞳を覗き込んでいる。
「先こされたなあ、と思ったのよ」
そう言うと、ビオラは空いている手で、自分の腹を撫でた。そこは、大きく膨らんでいる。
「キッド兄様を口説き落とすの、大変だったんだから。本当は、貴方と同じくらいには産んであげたかったわ。そうしたら、歳が近くて良かったでしょう?」
「歳が離れていたら、駄目なんですか」
「そんなことないわよ! 私の子供とも、仲良くしてあげてね」
「はい」
素直に頷く子供の頬から、頭へと手を移動して、軽く撫でる。
「でも、お母様とお父様は、まだ喧嘩しています」
子供は眉を寄せ、難しい顔を作った。
「そうねえ、本当に珍しいわよね。何が原因でリナリアは怒っているの? 謎だわ」
「手帳を返すとか、返さないとか、言っていました」
「手帳? 何かしらね。ジオ兄様なら知っているかしら?」
ビオラの上の兄は今、娘の機嫌を取るのに必死だ。
最近、隠し事が見つかったらしい。
「私も大分遅く結婚したから、ね。貴方は、恋を秘めているばかりでは駄目よ。好きなら、好きって言いなさい」
両親が喧嘩中で、行き場のない子供は、ビオラの話に耳を傾けてくる。
興味深そうに、ビオラの言葉の続きを待っていた。
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「そう? そうねえ、どこから話そうかしら……」
話の途中で、子供の父親が部屋に入って来た。
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彼は子供の側まで寄ってきて、屈むと、両腕を広げた。
子供を軽々と持ち上げて、妻と同じ色をした子供の髪に、優しく触れる。父親の目は、愛おしげに細められていた。
「リナリアの機嫌を取るのを手伝ってくれ」
抱き上げられた子供は、父親の腕に顔を埋めて、表情を隠した。隠す直前、ビオラには子供の顔が緩んだのが見える。
「しかたないなあ」
子供は、口元を綻ばせて、おどけた声で返した。
<終わり>
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