銀杖と騎士

三島 至

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【第一章】一度目のアレイル

騎士隊副隊長の日常

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 騎士隊副隊長、アレイル・クラヴィストを前にして、部下の騎士は剣を構える前から緊張した面持ちを見せていた。
 既に十人以上の兵が打ち負かされ、そこらで息を上げている。倒された者達と、アレイルが一対一で打ち合う様子の一部始終を見ていた部下は、敗者の山を見て怯んでいた。
 合図があり、いつでも攻撃可能になった後でも、部下からはまるで気迫を感じない。
 アレイルは少し待ってやったのだが、部下はじりじりと靴の底を地面に擦りつけるばかりで、一向に打ってこなかった。勝とうという気概より、今度は自分がやられる、という気持ちの方が大きいようだ。
 これでは実践で使えないだろう――諦めにも似た悔しさを感じながら、アレイルは容赦なく部下を叩きのめした。
 さして抵抗を感じぬまま、彼を敗者に加えると、また次の挑戦者が前にやってくる。だが顔つきは先程の者と変わらなかった。
 目に見えた結果に、訓練中だというのに溜息を吐きたくなる。
 驕っている訳でも、侮っている訳でも無い。
 アレイルが強すぎるからというよりは、彼らが弱過ぎるのだ。
 もっと骨のある奴は居ないのか。
 難なく倒し、さらに次が来る。そして次もあっさり負かして、アレイルの不機嫌も募っていく。それを感じ取ってか、最後に打ち合った騎士は若干涙目だった。
 訓練場にいたほぼ全員と戦い、苦戦せずに全勝したアレイルは、苛立ちまみれに舌打ちした。自然と眉間に皺が寄るが、騎士らしからぬ己の態度を省みて、慌てて表情を消し、咳払いをした。

「相変わらず、強いな」

 声が聞こえて、眉間の皺をしっかり伸ばしてから振り返ると、騎士隊の隊長であるダグラスがすぐ近くまで来ていた。

「ゲルトナー隊長」

「今日は少し荒れてないか? 珍しく不機嫌そうだ」

 ダグラスは普段と違うアレイルの態度を指摘すると苦笑した。
 今来たばかりでは無いらしく、訓練の様子を見ていたと告げる。

「やたらと上品なアレイルが舌打ちとは、余程腹に据えかねているらしい」

 見られたくない所まで見られていたようで、アレイルは決まりが悪くなった。
 黙って顔を伏せていると、ダグラスがアレイルの肩に軽く手を置いた。
 数回とんとん、と叩いて手を引く。
 程ほどにしてやれよ、と言いたいのだろう。
 親子ほど年が離れているからか、ダグラスは時々こうして、子供にするようにアレイルと接する事がある。それは大抵、ダグラスに対して「下級貴族の分際で、隊長の座にいつまでも居る身の程知らず」と見くびった発言をした貴族相手に、アレイルが熱くなって言葉を荒げた時だ。「俺の事は良いから」と言うように宥められる事が多い。

「気をつけます」

 アレイルは短く返した。

「気持ちは分かるがな……」

 ダグラスは訓練場を見渡した。アレイルに負けた騎士や兵士達がそこら中で伸びている。アレイルが堪えた溜息を、ダグラスは我慢せずに吐き出した。

「情けない有様だ……」

 アレイルは確かに強い。
 だが他の騎士の実力不足は否めない。
 訓練は毎日行われているのに、中々騎士達の腕が上達しないのは、やはり意識の低さも大いに影響しているだろう。
 平和慣れした騎士達は、あまり訓練に身が入らないらしい。
 実践経験の無い若い騎士や、平民を騎士隊から追い出して実力も無いのに居座る年嵩の騎士。
 そのどれもが、優遇されて騎士となった貴族である。
 騎士隊の実力が伴わなくなってきている――だが何もしてこなかった訳では無い。
 こうしてまともに訓練をしているだけ、まだましになった方なのだ。

「まあ、アレイルのおかげで前よりはましか。お前は慕われているから、やりやすくて助かる」

 口に出してはいなかったはずだが、ダグラスはアレイルが思った事を呟いていた。同じ事を考えていたようだ。
 しかし「慕われている」という部分は、取り入ろうとしているの間違いでは無いかとアレイルは思ったが、わざわざ訂正はしなかった。

「そういえば、王女殿下と婚約したんだよな。おめでとう」

 ダグラスはいかつい顔を笑いに歪めて、力強くアレイルの肩を叩いた。

「家柄は釣り合うんだろうが、相手が王女となると色々と大変だろう。頑張れよ」

 彼も例に漏れず、アレイルとフィリアンティスカの婚約を政略的なものだと思っている、という事は感じ取れた。
 一応祝いの言葉を掛けているが、その心中は複雑だろう。
 ダグラスの笑顔がどこかぎこちない理由には何となく見当がつく。

「……隊長は、ヴァレル・エンフィスの事を気の毒に思っているのですか」

 ダグラスとヴァレルの仲は、親しいという程では無いが概ね良好だ。ヴァレルの想い人は広く知れ渡っており、当然ダグラスも知る所なので、アレイルの婚約に思うところがあるのでは無いかと推察する。

「いや……まあ……確かに、なあ」

 ずばり切り込まれて、ダグラスの歯切れが悪くなった。

「別にヴァレル・エンフィスと仲が良かった訳じゃ無いが……多分悪い奴じゃ無いからな……。数年ずっと王女の所に通いつめていたって話だから、結構ショックなんじゃないかと、思わなくも無い」

 頬を指でかきながらダグラスが目を逸らす。
 嘘を吐けない質の人だ。

「最近はヴァレル・エンフィスも、王女の所に全く現れないらしいし……王女もアレイルが相手なら、文句を言う所か大満足だろうが、やっぱり少し気になるよな。ひたむきに慕ってくるヴァレルに、少しも気持ちは揺れなかったのかねえ」

 アレイルが思っているより、大分ダグラスはヴァレルの肩を持っているらしい。
 ヴァレルとアレイルは同一人物なので、本人的には全く問題は無いのだが、ダグラスは知る由も無い。

「……陛下から然るべき相手を宛がわれると、殿下も理解していたのでしょう。私とはあくまで政略結婚だと、誰もが思っているはずです。勿論、ヴァレル・エンフィスも」

 そしてフィリアンティスカも。
 そう心の中で付け足す。
 他人事のように、「ヴァレルも一応弁えているのだ」と匂わせた。

「だがなー……政略なら、なおさらじゃないか? 恋愛結婚なら、付け入る隙は無い、って俺は思うけどな。流石に正体不明じゃ結婚は無理だろうが、王女の婚約話が出た時点で、ヴァレルも正体を明かして結婚相手に名乗り出るくらいはするんじゃ無いかと思ったんだが」

「彼を買いかぶり過ぎでは? 正体を隠しているくらいですから、本来殿下にまみえる事すら出来ないような身分の人物なのかもしれませんよ」

 実際はばっちり釣り合うのだが、アレイルは正体を明かすつもりが無いので、口から出任せで否定をしておく。

「お前は何というか……王女と結婚するってのに、落ち着いているなあ」

 ダグラスはやや呆れたような眼差をアレイルに返した。

「そうでもありませんよ」

 婚約者という立場を得て、多少の余裕を感じているのは確かだが、内心あまり落ち着いてはいない。
 素顔を晒してフィリアンティスカと会うのは、思った以上に緊張するのだ。
 この後の予定を頭に思い浮かべる。
 アレイルとしてきちんと対面するのは、子供の時以来かも知れない。

「今日、この後殿下と会う予定です」

「お、おお……」

「殿下の前に立つのに汗だくでは頂けないので、そろそろ訓練場から抜けようと思います」

 手緩い試合で大して汗はかいていないが、砂埃は気になる。

「ああ、こっちの事は気にするな。王女殿下の機嫌を取って来い」

 ダグラスは追い出す仕草で軽く手を振った。
 一礼して、その場を去ろうと体の向きを変えたアレイルだが、足首に何か温かいものが触れて、立ち止まった。
 纏まりつくような感触に、目線を足元に下ろす。
 アレイルの行く手を阻んだのは、小さく茶色い物体だった。

「……猫ですね」

 まだ真後ろにダグラスが居るので、彼に向けたつもりで言ったのだが、足元の小さな生き物から、みゃー、という返事が聞こえた。

「あー、猫だな。最近ここらに住み着いてるんだ」

「そうなのですか」

 アレイルは全身茶色一色の猫の前にしゃがみ込むと、そっと手を翳した。
 逃げる様子が無いので、あまり力を入れないようにしながら、両手で猫を持ち上げる。

「小さい……子猫ですね」

「元々騎士隊でそいつの母猫の面倒を見ていたんだよ。そんで母猫が居なくなる前に、子猫を銜えて置いていったんだ。多分母猫は死んだんじゃねえかな」

「……全く知りませんでした」

「アレイルは結構塔に篭っていたからなー」

 塔に篭っていると思われていた時間、アレイルは魔術師塔と騎士塔を行ったり来たりしていたのである。

「死期を悟って子猫を託していくくらいだから、あの母猫もここを気に入ってたんだと思う……何だ……ずっと子猫と見詰め合って。お前猫好きなのか?」

「…………嫌いではありません」

 優しく持っているが、子猫が手から逃げ出す素振りは無い。
 茶猫が愛想良く、みゃー、みゃー、と鳴いている。
 その愛くるしさに、子猫を嫌いな人間などいるのだろうか、とアレイルは一瞬考えた。

「へえ、意外だな……。アレイルが猫と戯れる姿を見たら、世の女性たちは黄色い悲鳴を上げるだろうな」

 ダグラスは冗談めかして言い、耳寄りな猫の情報を教えてくれた。

「その猫な、王宮の中庭がお気に入りみたいで、よくそこにいるぞ。母猫と違って騎士塔の方へはそんなに寄り付かないみたいだ。だから今日は珍しい」

 茶猫が頻出する場所は、王宮の中庭……心にしかと書き付けて、アレイルは子猫を地面に下ろすと、茶色い小さな背中を撫でた。





 汗を流して清潔な騎士服に着替えたアレイルは、転移魔術を使わずに徒歩で王宮へ向かっていた。
 規格外に広い王宮内に、王女や王子達の住まいもある。

 王女と会うための手続きを済ませて、一人王宮の廊下を進んでいると、フィリアンティスカが住まう区画に差し掛かった所で、一人の女性とすれ違いそうになった。
 通り過ぎる寸前で、立ち止まったその女性に声を掛けられたため、アレイルも歩みを止める。

 若い女性の、それなりに珍しい銀髪に目を留めて、以前見掛けたフィリアンティスカの侍女だと気付いた。
 今日は侍女服を着ていないので、非番だろうか、と考える。
 ヴァレルがフィリアンティスカを訪ねて行った時には、まるで関心が無さそうにしていた彼女だが、今は頬を赤らめ、熱の篭った眼差しでアレイルを見上げていた。

「アレイル様、これからフィリアンティスカ王女の所へ行かれるのですか?」

 近い距離で馴れ馴れしく話しかけてくる侍女。しかし、ヴァレルはさておき、アレイルは彼女と面識は無いはずである。

「ええ、そうです……失礼ですが、貴女は?」

 知らない体で聞き返す。
 最初に、貴女の事は知りません、と態度で示しておいた方が良いような気がした。
 彼女に興味も無いので、適当に言って去っても良かったのだが、王女の元へ通うからには、この先も侍女に会う事はあるだろう。もしこの銀髪の侍女に再び会った時、同じ距離感で来られたら困るのだ。

 銀髪の侍女は目を瞬いて、少しの驚きと落胆を見せた。
 この手の令嬢には覚えがある。
 銀髪の彼女は恐らく、自分の容姿に自信を持っているのだろう。何せ珍しい白銀の髪。さぞ美しいと誉めそやされているに違いない。
 下位の貴族令嬢の場合、アレイルの身分に引け目を感じてか、あまり他の騎士達に対するようには言い寄って来ない。
 遠目からでも感じるもどかしいような熱い視線の意味は、アレイルも理解していた。
 だがたまに、自分の事を知っていて当然、という顔をして寄ってくる令嬢もいる。
 彼女達は総じて、自信家である事が多い。
 クラヴィスト家より家格が高い貴族というと難しいが、他の貴族との横繋がりで強みを持っている、貴族や資産家の息女であったり、美貌で名の知れた令嬢であったりする。
 目の前にいる銀髪の侍女は後者なのだろうが、アレイルはフィリアンティスカ以外眼中に無いため、彼女を見ても何とも思わない。誰其が評判の美女だとか、赤の他人の色恋沙汰とかといった噂は、耳を素通りする。必要であれば覚えるが、直接関わりの無い女性の名前など知っているはずも無かった。

 銀髪の侍女は下級貴族の家名と、自身の名を告げ、優雅に微笑んだ。
 一種のステータスであるはずの、王女の侍女をしている、という事には触れなかったので、妙だと思い、探りを入れる。

「王女殿下の部屋の方から来たという事は、貴女は侍女なのでは?」

 彼女が侍女である事はヴァレルの時に見て知っているが、一応疑問を投げ掛けた。
 すると彼女は分かりやすく目を泳がせる。

「ええと……確かに私は王女の侍女をしておりました……ですが本日任を解かれたのです。あの、これは恐らくですが――」

 今度は上目遣いでしっかりとアレイルと目を合わせた彼女は、すぐに物憂げな表情になり、目を伏せた。
 どうやって誤魔化そうかと考えて、嘘を固めた後の顔だ――演技だなと、アレイルは瞬時に理解する。

「フィリアンティスカ王女は、アレイル様と婚約した事で、私を側に置きたく無くなったのだと思います……夫になる方の側に、自分以外の女性が居るのは気分が良くないでしょうから……」

 それは無いな、とアレイルは内心思った。
 フィリアンティスカが、アレイルの移り気を心配するとは到底思えない。
 彼女はアレイルに好意的な関心を向けて居ないのだから、そもそも嫉妬する事も無いはずだ。もし本当に、他の女性に目移りされるのが嫌で、銀髪の侍女を遠ざけたのだとしたら、どんなに嬉しいだろう。フィリアンティスカの独占欲の対象がアレイルであったなら、舞い上がってしまって、手順を踏まずに彼女を抱きしめてしまいそうだ。
 あり得ない空想に、自分で傷を抉って落ち込んだ。

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