銀杖と騎士

三島 至

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【第一章】一度目のアレイル

魔術師団団長と王女

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 ヴァレル・エンフィスは王国の魔術師団トップであり、団長である。

 魔術師の制服とも言える、ゆったりとした灰色のローブ姿で、フードを目深に被り、常に顔を半分以上隠している。
 千年に一度の逸材と言われるほど、特出した実力を持っており、彼にその道で敵う者は、王国中はおろか、世界中を探しても見つからない。

 ヴァレルは年齢不詳だ。背の高さから、恐らく男性だと思われているが、本人は明言していない。魔術を使って、声の印象が残らないようにしている。

 彼はひょうきんな語り口だ。部下と話すときでも、重役が集まる会議でもそれが変わる事はない。

 魔術師団団長という役職だけではなく、国に多大な貢献をしている彼は、軽薄とも取れる話し方を許容されるだけの地位にあった。

 もう一つ、ヴァレルに関して有名なのが、彼の想い人についてだ。
 ヴァレルは数年に渡り、ある人に毎日告白している。
 現国王の娘で、十八歳になったばかりの王女フィリアンティスカである。

 一日も欠かす事無く、日中彼女の元に現れては、愛を囁いて帰っていく。求婚するわけでも、交際を申し込む訳でもない。ただ、好意を伝えて去るだけだ。

 本人は隠すどころか、人目につくところで堂々と告げるので、ヴァレルが王女に懸想しているというのは、国民の共通認識となっている。

 ちなみに、フィリアンティスカの反応は芳しくない。

 もう会いに来るなと突っ撥ねる事は無いが、愛の告白は聞き流し、始終冷めている。律儀に、自分にはヴァレルに対する好意が無い、と彼に伝える事もある。だが、毎日振られ続けても、ヴァレルは告白を止めない。

 ここまでは、誰もが知っている事実だ。
 ヴァレルについて、詳細に、広く知られているように思われるが、その素性は、一切公表されていない。

 ヴァレルに関して苦言を呈する王の側近達は、王がヴァレルの行動を許容すると明言しているので、あまりあげつらう事も出来ない。実際、ヴァレルは王女のため、ひいては国のためと言ってよく働くので、彼が何者であれ、取り立てて問題になる事は無かった。



 中庭でお茶を楽しむフィリアンティスカの傍らには、侍女が一人立っている。この国では珍しい、白銀の髪の若い女性である。
 この間までと違う人だな、とヴァレルは思った。
 侍女の視線は、ヴァレルに興味が無さそうに逸らされた。

「侍女さんも、こんにちは」

 ヴァレルは侍女にも一応挨拶するが、彼女は無言でお辞儀だけを返した。存在を消すように一歩後退し、侍女はヴァレルとフィリアンティスカから距離をとる。

 ヴァレルは再びフィリアンティスカに向き直ると、自分の胸に手をあてた。そっけなく役職名で呼んでくれた好きな人に、いつも決まって言う願いを告げる。

「団長殿なんて。ヴァレル、と呼んで下さると嬉しいです」

「毎日飽きずによく来るわね」

 フィリアンティスカはヴァレルの要望をあっさりと流した。

「愛ですよ、姫様! 不機嫌そうなお顔も素敵です! そんなに強い瞳で見つめられては、何者でも姫様の美しさの前に跪くでしょう……あ、跪きますね!」

 その場に膝をついたヴァレルは、フィリアンティスカを見上げながら、役者のように情感たっぷりで言葉を続けた。

「いつ見ても、その神秘的な青に吸い込まれてしまいそうです……! いっそ吸い込まれたい! ああ、月並みな表現しか出来ない自分が呪わしい!」

 対するフィリアンティスカは、優雅にティーカップを口元に運ぶと、喉を一度潤した。
 無言の彼女に、ヴァレルがさらに上乗せする。

「今日も好きです、姫様」

 ティーカップをゆっくりと皿に置くフィリアンティスカの表情は、冷めたままだ。

「そう何度も来られても、団長殿を好きにはならないわよ」

「そう言って下さる声も可愛らしい……」

 条件反射のようにヴァレルが返すと、思わずといった仕草で、フィリアンティスカが嫌そうな顔をした。

「悪いけれど、これからも会いに来るのなら、本当に問題になるのではないかしら」

 遠回しにもう来るな、と言われたようで、ヴァレルは少々驚いた。今まで告白を受け流すか、自分には好意が無いと示すだけで、ヴァレルが訪ねる事を拒否する事は無かったからだ。彼女がこういう事を言うのは珍しい。

「私、婚約するのよ」

 それが不本意な事であるように、フィリアンティスカの声は重い。
 ともすると、ヴァレルの告白よりも厄介と言いたげな雰囲気である。
 彼女は婚約に前向きでは無いという気持ちが感じられた。

 嬉しそうには見えないフィリアンティスカを前に、ヴァレルの心は揺れた。

「それは、それは……もう決まった事なのですか? それとも候補だけですか?」

 動揺する内心を抑えて、ヴァレルはなるべく冷静に尋ねる。

 もし本決まりでは無いのなら――と、ヴァレルの中に強い願望が浮んだ。顔を晒した時の、自分の立場を考える。

 ――今のフィリアンティスカの様子なら、好機なのではないか。自分が立候補出来ないだろうか。家柄としては、無理な話では無いはずだ。

 王女と結婚できるなどと、思っていた訳では無いが、いざ彼女の婚約話をされると、焦りを隠しきれなかった。

 フィリアンティスカは溜息を堪えたような憂い顔で、話を続けた。

「国王の指示よ。候補は一人だけ、もう決まったようなものね……まだ相手に正式な話はしていないらしいわ。だから、他言無用よ。まあ、よほどの理由が無い限り、断らないでしょうけれど……」

 それはそうだ。ヴァレルの胸に絶望感が過ぎる。王家と縁続きとなれるのだから、よほどの理由がなければ。

 普段フィリアンティスカは、相槌を打ちはするが、あまり多くを話さない。ヴァレルも仕事の合間に来ているので、長くは留まらないが、その短い時間、彼が一方的に話すのが常だ。

 フィリアンティスカがこんなに話すのは、本当に珍しい。

 ヴァレルと会話をするのは、これきり最後にするつもりなのかも知れない。そう思い、さらに焦った。

「その、姫様の夫となる幸運な方は、誰なのですか?」

 正式発表前で、しかも王女に惚れ込む男に、教えて貰えるかは分からなかったが、ヴァレルは聞かずにはいられない。

「もう一度言うけど、まだ決定では無いわよ」

 ヴァレルの不安を感じとったのか、王女は念を押した。
 ほぼ決定事項だと言っておきながら、再度否定するような事を言うフィリアンティスカは、やはりこの婚約を望んでいないのだろう。

「あの美貌と剣の強さで知らない人は居ない、騎士隊副隊長、アレイル・クラヴィストよ」

(ふむ、騎士隊副隊長。アレイル……え?)

「え?」

「クラヴィスト家長男、二十三歳。入隊後わずか数年で副隊長にまで上り詰め、隊長、部下からの信頼も厚い。女性も、男性でも惑わされそうな見た目なのに、浮いた噂は全く聞かない。無口でクール、ストイックな姿勢が評判。おまけに、希少で美しい、人気の高い金髪。容姿、家柄、実力、全て完璧な男性よ。国王も、随分副隊長がお気に入りみたいで、これ以上ない相手だと言っていたわ」

 行儀作法を徹底している王女が、指を組み、両肘をテーブルに乗せた。行儀悪く、項垂れるような格好になる。
 顔が隠れて、表情が見えない。

「本当、これ以上無いわね。勝ち目ある?」

 それはヴァレル・エンフィスに向けた言葉なのか、それとも、フィリアンティスカ自身に向けた言葉なのか。
 恐らく彼女の心情的には、後者だろうとヴァレルは思った。

「相手が断らなければ、決まりね。国王への忠誠も厚いと聞くから、きっと、断らないでしょう。彼を押しのけて名乗り出るのは、そうとう厳しいわよ」

 ヴァレルがアレイル・クラヴィストに代わって、王女の婚約者になるのは無理だと、彼女は言いたいらしい。
 ただでさえ肩身の狭い魔術師だ。身分ある騎士の名前が挙がっているのに、覆される事は無いだろう。

「姫様……一つ確認しておきたいのですが……姫様は、その、副隊長の事は……」

 ――嫌いなんですか。
 とは、続けられず、中途半端に言葉を切った。言いたい事は分かるはずだと、ヴァレルは顔を上げない王女を見つめる。

 フィリアンティスカはゆるりと頭を動かし、ヴァレルに視線を寄越したが、それだけだった。
 返事は無かった。




 ※


 仕事に戻らないといけない時間になった。
 フィリアンティスカと侍女に挨拶をして、転移魔術を発動させる。

 一瞬で魔術師塔の廊下に戻ったヴァレルは、立ったまま暫しぼんやりとしていた。
 移動したのは、執務室の扉の前である。
 フードに手をかけ、深く被り直した。

「あれ、団長お帰りなさーい。早かったですね! 今日は追い返されちゃいました?」

 雑然とした室内と、魔術師達の騒がしい声は先程と変わらない。いつも気の抜ける口調で入ってくるヴァレルが無言だったため、彼にかかる声が少し遅れた。
 ヴァレルの存在に気が付いた魔術師の少女が、閉めた扉の前に佇むヴァレルに駆け寄る。

「団長? どうしたんですか、ショックで喋れないような振られ方だったんですか?」

「振られるのはいつもの事でしょ、団長なんかあったんすか」

「あ、団長お帰りなさい」

 団長に対して友好的な魔術師達が、押し黙ったヴァレルを見て心配そうな顔をする。

「今日俺、仕事にならないかも……」

 ヴァレルが魔術越しでも分かる、沈んだ声を発したので、団員達はますます騒ぎ出した。

「ま、マキアス副団長、団長が変です!」

 執務室の奥にある資料部屋へ一人が走っていき、マキアスの名を呼んだ。

「何ですか、団長が変なのは今に始まった事じゃないでしょう……」

 面倒そうな顔をしながら、マキアスが資料部屋から出てくる。
 肩を落としたヴァレルが団員数名に囲まれているのを見て、マキアスは寄せていた眉を驚きに上げた。
 団員達に比べると幾らか長身で、姿勢だけは良いヴァレルが、背中を曲げているため、マキアスにも団長が落ち込んでいるのが見て取れる。

「ほらほら、皆仕事に戻って下さい。団長が腑抜けているからって手を止めたら駄目です」

 マキアスは魔術師の固まりに寄っていきながら、ヴァレルの周りの団員に、手振りで散るよう促す。
 副団長の指示で、団員達が各々の持ち場に戻った。

 ヴァレルはとぼとぼと歩き、団長用の机の前に置かれた椅子に腰掛けた。

「で、どうしたんですか、団長」

 言い方は冷たいが、マキアスも団員達と同じ落ち着かない様子でヴァレルの横に立った。

「マキアス君、俺失恋しちゃったかも……詳しくは言えないんだけど……」

 数年越しで同じ人に振られ続けている男が、今日に限って弱気である。

「何寝ぼけてんですか、毎日失恋しているじゃないですか」

 何を今更、とマキアスは呆れ顔を作った。

「いやうんそうなんだけど、そうじゃなくて……」

 常に無い歯切れの悪さで否定する。

「マキアス君。探りを入れずに聞いて欲しいんだけど、女の人って、結婚するなら、愛する人と、愛してくれる人、どっちが幸せかな?」

 王女に想いを伝えるだけで、求婚する訳では無いヴァレルから結婚の単語が出た事で、マキアスはまた意外そうに瞬きをした。

「はあ……男なんでよく分かりませんけど。まあ女性の場合は後者だってよく聞きますよね」

 またこの人は何を言い出すのだと、怪訝そうにしながらも、マキアスは律儀に答えを返す。

「じゃあ、物凄く愛してくれるけど、その相手の事が嫌いな場合は?」

 続けて問いかけるヴァレルに、マキアスは特に熟考した様子も無くさらりと告げた。

「不幸ですね」

 特殊な事情でもない限り。と付け加える。

「やっぱり……」

 マキアスの断定に、ヴァレルは勢い良く机に頭を打ち付けた。
 結構痛そうな音がする。
 案の定、ヴァレルは顔の下に両手を滑りこませ、額をさすった。

「答えられなければいいですけど、嫌いな人と結婚するんですか?」

 上司の奇行には言及せずに、部下が質問の真意を尋ねる。

「そのうち分かるよ……」

 くぐもった声で曖昧に濁す。
 ヴァレルの深い溜息で、机が白く曇った。




 相手が断らない限り、婚約が決定するのであれば、もう決まりだ。
 王女は知らないが、ヴァレルは知っている。
 アレイル・クラヴィストは、フィリアンティスカに焦がれてやまない男なのだから。




 ※


 騎士隊副隊長のもとに、王女との縁談が届いた。
 国王から直々に呼び出された彼は、凍った表情を変えずに結婚を受入れる。
 側近達の目には、彼が国王の命令を粛々と受諾しただけのように見えただろう。誰もがこの婚約を政略的なものだと思っている。
 副隊長は忠義に厚い。国王に言われれば、彼は喜んで命を差し出す。副隊長が野心を抱えていると思う者は居なかった。
 婚約が公表され人々の耳に入っても、概ね反応は同じだ。
 当のフィリアンティスカも、アレイルが心から王女を望んでいる事など、微塵も気が付かなかった。



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