銀杖と騎士

三島 至

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【第一章】一度目のアレイル

魔術師団団長の日課

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「側近さん、そう怒らないで下さいよ……。俺を誰だと思っているんですか。千年に一度と謳われる魔術師、ヴァレル・エンフィスですよ? まあそれを抜きにしたって、俺の提案が一番現実的だと思うんですけどねえ」

 会議の間に、飄々とした口調の声が響く。
 魔術を掛けられた声は、男とも女とも、若いとも老いているとも、判断がつかない。椅子の背に体重を掛け、軋む音をさせながらそう言うのは、フードで顔の上半分を隠した魔術師、ヴァレル・エンフィスだ。

 彼は魔術師団の団長としてこの場で発言している。

「近年異常かってくらい、うじゃうじゃ増え続けている魔物に騎士だけで対抗するのは無茶なんですって。魔術師育てましょうよ。魔物に弱りきっている我が国が今隣国に攻め込まれでもしたら、魔術師無しじゃ対抗出来ませんよ? 今の魔術師塔人手不足でスカスカなんですから。ねえ? 騎士隊長さんもそう思うでしょ?」

 ヴァレルは後頭部で手を組みながら、さらに体を後ろに傾け、隣に座る男に水を向けた。
 フードで隠れたヴァレルの目線は見えないが、顔だけは隣を見るように固定している。ヴァレルは男の同意を待った。

 魔術師団団長の意見に対して、苦い顔をしながらも首肯しようとしているのが、騎士隊の隊長であるダグラス・ゲルトナーだ。齢四十を越す位の、髭を蓄えたいかつい男である。

 彼が発言する前に、王の側近が口を挟んだ。

「隣国が攻めて来る? 馬鹿げた事を言うな。ありえもしない事のために余計な金を使える訳が無い。魔物討伐も騎士隊で十分だ。そうだろう、ゲルトナー」

 王の側近である老年の男は、会議となれば、必ずヴァレルの言う事を否定している。
 彼はダグラスを味方につけようと、強い口調で同意を促した。

 卓上に体を乗り出したヴァレルが、辛うじて使っていたと言えなくも無い丁寧な言い回しを止めて、反論する。

「だっからあ、頭固いなー、魔術師を忌避するのは時代遅れなんだって! 騎士隊だって優秀だけど、魔物討伐で何人の死傷者が出ていると思ってんのさ。魔術師の協力なくして、この状況を打開する事は出来ないよ!」

「エンフィス、お前は魔術師を育成して自分の味方を増やしたいだけだろう! 国王に目をかけてもらえるのも今の内だ、いい気になるなよ」

「話が進まないなあ……じゃあもっと良い代案あるの?」

 側近は口を噤んだ。
 ヴァレルは大きく溜息を吐く。
 いつもこれだ。
 ヴァレルが団長になってからは、魔術師の扱いを改善するよう働きかけていたが、この男を始め、まだ魔術師を快く思わない者は多い。

 魔力を持たない人間にとって、魔術師は脅威なのだ。
 権力者達は、彼らに余計な力を持たれる事を恐れた。魔術師を悪いものだと決め付け、徹底的な印象操作によって、爪弾きにしていた。そのせいで、素質があっても、魔術師を志す者は多くない。
 近隣国では積極的に魔術師を登用し、国の発展に貢献している。
 他国はどんどん変化しているというのに、自国だけが取り残され、古い考えに囚われたままだ。

 側近は良案を出すでも無く、腕を組んで踏ん反り返ると、尊大な物言いで言い放つ。

「ふん、代案など……魔術師など得体の知れない者に頼らねばならぬ程、騎士隊は脆弱では無い。ゲルトナーよ、エンフィスはお前を陥れるつもりだぞ。魔術師をのさばらせては、騎士隊が瓦解しかねん」

 確かに、団長のなりからして得体が知れないと言うのは否定出来ない。だがそれ以外は全くの言いがかりである。

 ヴァレル・エンフィスは、素性不明、年齢不詳とされており、怪しい事この上無いが、魔術師としては、規格外なほど優秀だ。彼を超える魔術師はこの先千年現れないと言われている。
 国王がそれを許しているから、ヴァレルは公の場でもフードを被ったままだ。彼の正体は誰も知らない。

 ヴァレルに騎士隊を嵌めようなどという思惑は全く無い。しかし、王の側近は敵愾心剥き出しでヴァレルを睨みつけている。
 騎士だけを優遇し、魔術師を陥れようとしているのは他ならぬこの男が筆頭であった。

 魔術師に比べて、騎士に対する信頼は絶大だ。
 側近の男も、騎士という存在は国にとって安泰だと、盲目的に信じているらしい。
 騎士で成り立ってきた国だから、仕方が無いのかもしれない。だが、その騎士の質も下がりつつあった。戦争も飢饉も無く、長らく国が平和だったからか、実力が伴わなくなっているのだ。

 魔術師と違い、騎士は名誉ある職だ。騎士になりたい若者は減らないが、貴族や金のある者が名誉ある地位を買うようになり、名ばかりの騎士が増える一方である。騎士を志す市井の者たちにとっては、さらに狭き門となっていた。

 この側近との、同じようなやり取りも、もう何度目か。ヴァレルはよく覚えていない。いくら現状を伝えようとも、相手にされなかった。

 頭の固いお偉方にとって目障りな魔術師が国から滅びる寸前に、ヴァレルという逸材が現れたのだから、当然、風当たりは強い。しかし、国一番どころか、世界一の魔術師とも言えるヴァレルに、王は重きを置いていた。ある程度の勝手は許されている。
 今言い返しても聞く耳を持たれないだろうと、ヴァレルは嘆息するに留めた。

「……魔術師を派遣するにしても、情けない話だが、今騎士隊には、魔術師と連携できる者が殆どいない」

 静かになった場で、ダグラスが重々しく告げる。

 騎士達からも、魔術師は忌避すべき存在、という印象が拭えていない。もしそうでない者がいたとしても、上位者によってあからさまに批判される魔術師を庇う者は少なかった。

 隊長であるダグラスは、魔術師を差別する事は無い。だが貴族上がりの実力の伴わない部下は、そうでは無いのだ。

 もはや騎士隊もまともに統制がとれなくなってきている。この事態を異常と捉えられない上層部に対して、騎士の長であるダグラスでさえ大きな発言権は持たなかった。彼がヴァレルと同じように現状を訴えた所で、「騎士が何を弱気な事を」と言って笑い飛ばされる。

 上の人間は危機感が無いというより、考える事を放棄しているようだった。

 ダグラスの苦い心境を察して、ヴァレルも現段階での魔術師派遣は厳しいだろうと頷く。

「今はまだそうですね。でも、魔術師が育てば、魔物を倒すだけじゃなくて、騎士達の傷の回復にも貢献出来ますよ。今まで、すぐに処置すれば助かるのに、それが出来なくて見送った命が沢山あるでしょう? 騎士達にも、そう魔術師を毛嫌いしないで欲しいなあ」

 話の通じるダグラスに対しては、ヴァレルも語調を和らげる。

 そうなればいいが……と言いたげに、ダグラスは視線を落した。彼自身は、魔術師に対して偏見は無いのだから、ヴァレルの意見に反対する理由も無いはずだ。しかし彼は、何処か諦めたような面差しだ。

 少し前までは、ダグラスも騎士隊の武力を底上げしようと奮闘していた。だが悉く、貴族の地位に邪魔をされている。ダグラスはより上位の貴族出身の騎士達に侮られ、その空気が騎士隊全体に蔓延しつつあった。

 騎士隊副隊長のアレイル・クラヴィストだけは、ダグラスを上司として立て、好意的に接していたが、こうまで悪化してしまえば、もはや何をしても無駄だった。
 ダグラスが隊長を退いた時、いよいよ騎士隊はおかざりに成り下がるだろう。

 アレイル・クラヴィストが、繰り上げで隊長になってくれるならば、まだ希望はある――と、ダグラスは仄めかした事もある。しかしその考えはすぐに打ち消された。隊長の座を狙う貴族らが、今か今かと待ちかまえているのだ。現副隊長へ引き継ぐのは容易ではない状況になっていた。

 会議には、側近の他にも数十人出席しているのに、誰も発言しない時間が続く。ヴァレルの言い分に対して、ダグラスが返事をしないのを良い事に、また側近が不平を言い出した。
 結局、現状維持という結論に導かれ、席を立つ事となった。




 ※


 不快感に頭痛を覚えたヴァレルは癒しを求めて歩いていた。

 実りの無い会議を終え、人気の無い廊下で転移魔術を発動させる。向かう先はすっかり過疎化してしまった魔術師塔だ。
 魔術師塔にヴァレルを慰める物がある訳では無い。副団長に、会議の内容とこれから行く先を伝えるためだ。

 殆どが空き部屋となり、ひっそりと聳える魔術師塔へ転移する。
 待遇はともかく、魔術師の数だけは誇っていた時代の名残で、塔は巨大だ。大きさだけで言うならば、騎士塔と変わらない。

(虚しいな……)

 国への忠義は厚いヴァレルだが、己の無力さに思わず項垂れた。


 魔術師は数が少ないので、塔内の広い部屋を執務室として、全員が詰めている。
 ヴァレルは意気消沈しながら、執務室の扉を開けた。

「ただいまあ~。団長のお帰りだよ~」

「お帰りなさい」

 平淡な声の返事がかかる。

「マキアスくん~俺もう疲れたよ~」

「その様子だと、会議の結果は聞くまでも無さそうですね」

 書類の束を机の上で叩いて、角を整えながら、マキアスと呼ばれた魔術師団副団長が言う。
 まだ幼さの残る面立ち。
 短い髪は癖があり、この国では珍しく無い褐色だ。
 彼が纏う魔術師団指定ローブの襟には、杖を模した銀色の刺繍が施されている。銀の杖は、彼の階級を示していた。左側片方だけに刺繍があるのは、副団長の証である。ちなみに、団長であるヴァレルの襟には、両側に刺繍がある。

 マキアスに続いて団員達が口々に挨拶を返す。ヴァレルは部屋を見回して団員達の様子を見てから、マキアスに用件を伝えた。

「まあお察しの通り、会議はいつも通り、何の解決策も無し。現状維持。騎士隊頑張れ、で終わり。嫌になるね。まあ勿論何もしないつもりは無いけど……ゲルトナー隊長にこっそり回復薬とか渡すくらいしか出来ないかなあ。今のところ魔術師の増員は望めないね~。残念」

「そのうち滅びるんじゃないですか、魔術師」

 肩を落とすヴァレルに、マキアスは淡々と返した。
 顔にそぐわぬ冷静な口調である。彼は十九歳だが、実年齢より幼く見えた。本人は童顔である事を気にして、感情を押さえ込むような話し方をしている。

「そうならないように俺達が頑張るんだよ~。取り合えず今は癒しが欲しいから、ちょっと休憩してくるね!」

 言うが早いか、ヴァレルは右足を床に打ちつけ、魔術を発動させた。彼を中心にして、床が円状に発光する。
 風が巻き起こり、書類が何枚か飛んだ。

 眩さに目を庇った団員達が「ちょっと団長眩しいですって!」「ここで転移しないで下さいよ!!」「ああ~書類がっ」と騒ぎ出す。

「また王女様の所ですか。急ぐ気持ちも分かりますけど、周りの迷惑も考えて下さい」

 マキアスが声を張り上げると、ヴァレルが少し慌てたように、今度は左足で床を叩いた。
 魔術の発動を取り消して、団員達に謝罪する。

「あっごめん。つい」

 口元をへらりと歪めて、ヴァレルは頭を掻く仕草をした。

「もお~、いつもはちゃんとしているのに、よっぽど会議疲れたんですね!」

 女性団員がヴァレルを気遣うような事を言うと、他の団員が「いや、いつもちゃんとしているか……?」と疑問の声を上げた。
 団長の評価はそんなものである。

「じゃあ、ここ出てから、姫様に会いに行ってくるね!」

 それじゃ、と手を振って部屋を出たヴァレルの耳に、団員達の「今日も振られに行くんですね~」「団長懲りないなあ」という声が聞こえたが、知らない振りをした。




 ※


 ヴァレルが国王から許可されている行動の一つが、謁見の手続きをせずに王女へ会いに行く事である。
 転移魔術で、王宮内の中庭まで飛ぶ。王女がお茶をしている時間だ。
 ヴァレルは魔術で歪む空間の中で、王女の顔を思い浮かべる。

 緩やかに波打つ長い黒髪、少し目尻がつり上がった青い瞳。
 小さく白い肌に、やや低い鼻、控えめな唇。
 対面した時、ヴァレルより随分低い位置から冷めた目で見上げる表情。

 現国王の娘、フィリアンティスカは、ヴァレルに笑いかけない。
 何度好意を告げても、表情を動かさない王女。
 魔術師団団長、ヴァレル・エンフィスが、王女に懸想しているというのは、有名な話だ。
 彼女に告白する事が、ヴァレルの日課である。

 中庭に姿を現す前に、空間の歪みをノックした。お伺いを立てるのだ。
 コンコン、と扉を叩く音を、王女の前に届ける。相手が拒否の意を伝えてくれば、彼女への道は開かない。
 拒絶する意思は伝わってこなかったので、ヴァレルは自身を王女の側へ送った。

 景色から溶け出すように、灰色のローブ姿でヴァレルが降り立つ。
 穏やかな日差しの中、ティーカップを傾ける王女と目が合った。

「ご機嫌如何ですか、姫様」

 隠れていない顔の下半分、口を笑みに形作り、ヴァレルは王女に声をかける。
 感情を見せない固い表情の王女は、幾分声に不機嫌を滲ませた。

「ごきげんよう、魔術師団団長殿」

 懲りずにまた来たのね――そう言われている気がした。



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