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真鶴瑠衣

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アプリ 前編

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「ねえねえ、このアプリ知ってる? めちゃくちゃかっこいい人といちゃいちゃできるんだって」

最近流行りのアプリがあると、友達に聞いてインストールした。三人の中から好みの男性を選択すると、私と彼の同棲生活が始まるみたい。
そこには大きなベットが映っていて、彼がすやすやと眠っている。ちょんちょん、と指で画面をタップしてみると、彼が起きた。

『繧凪?ヲ窶ヲ蟇昴※縺』

え、これってボイスあるんだ。しかもフルボイス。声優までは見てなかったけど、これってあの人の声だよね。
寝癖のついた彼の姿は最高にかっこよくてついつい見蕩れてしまう。

『縺昴m縺昴m逹?譖ソ縺医h縺」縺九↑縲ゅ?窶ヲ窶ヲ繝懊ち繝ウ螟悶☆縺九i隕九※縺ヲ』

え、え、え。これってそういうアプリなの?
私はてっきり健全なアプリだと思っていたのに。
下からひとつずつ外れていくボタン。私の目は彼の手元に釘付けだ。
こういうのって、ギリギリのところでここからは課金してねっていうのじゃないのかな。やったことないからわからないけど。
あ、お臍綺麗。

『縺オ縺オ縲ゅ◎繧薙↑縺ォ隕九▽繧√※縲√∴縺」縺。』

くう。
フルボイスめ、たしかにこれは流行る。しかしこれ、上は見えちゃってるけどいったいどこまで。
私は慌ててアプリを中断した。これは友達に詳しく聞かねば。

「おーい。もうお昼だよ、起きてー。起きてってば」

そういえばまだ名前を決めてなかった。
設定画面から名前変更をタップして、彼の名前を考える。
友達のはたしか、讓ケくんだったよね。
かっこいい名前。私もいい感じの響きで呼びやすい名前がいいな。
長考すること数分。ようやく名前を決めた私は、早速彼の名前を呼ぶ。

「莨顔ケ、起きて」

この名前はとあるアニメのキャラクターの名前で、私がとくに推している子の名前である。

『繧薙?縲ゅ↑繧薙□縲√b縺?、懊°』
「夜じゃなくてお昼だよ」
『縺昴≧縺九?ゅ≠縺ゅ?∝錐蜑阪r閠?∴縺ヲ縺上l縺溘s縺?縺ェ縲ゅ≠繧翫′縺ィ縺』
「いつまでも名前ないと呼び方に困るからね」

歯を磨いてくると言って部屋を出る莨顔ケ。莨顔ケはきっと夜行性なのだろう。もうお昼だというのに欠伸ばかりして眠そうだった。
寝癖もしっかり付いていたはずだが、部屋に戻ってきた時には治っていた。

『縺昴≧縺?∴縺ー縺阪∩縲√#鬟ッ縺ッ繧ゅ≧鬟溘∋縺溘?縺』
「食べたよ。莨顔ケに会いたくて急いで食べた」
『縺昴≧縺九?よ掠鬟溘>縺ッ縺ゅ∪繧願コォ菴薙↓繧医¥縺ェ縺?°繧峨↑縲ゅ″縺ソ縺ィ縺ッ縺?▽縺ァ繧ゆシ壹∴繧九s縺?縲√f縺」縺上j鬟溘∋縺ヲ縺阪※縺上l』

本当に意思疎通ができている。
こういうアプリって選択肢が出てくるんじゃないのかな。
いったいどういう仕組みになっているのだろう。このアプリを作った会社は天才だ。

「あ、チャイム鳴っちゃった」
『縺ゅ≠縲ょ壕蠕後b縺後s縺ー縺」縺ヲ』




瑛麻と仲直りしなきゃ。最近はそればかり考えている。
私にできることは全部やろう。そう思ったから手紙も書いたし家にも行った。
学校のこと、苺くんが消えたこと、アプリなんて存在しないこと。時間は沢山あったから、ひとつひとつ順を追って説明した。
ひとつ季節が過ぎる度、季節の移り変わりを伝えていく。
春夏秋冬。春は桜が舞い、夏はセミが鳴き、秋は葉が色付き、冬は雪が降る。
今日は寒いね、今日は暑いね、今日は晴れたね、今日は雨だね。
いつまで経っても瑛麻の反応はない。それでも私のきもちは穏やかに流れていた。

「瑛麻、おはよう。今日も桜が綺麗だよ。私達、もうすぐ卒業するんだね」

今日も瑛麻の家の前で会話をする。私だけが一方的に話すだけだから、もしかしたら聞いてないのかもしれない。
インターフォンを押して、家の前で報連相。傍から見れば不審者なのに、今まで通報されなかったのが不思議なくらい。

「瑛麻、私ね、高校卒業したら一人暮らししようと思うの。実はこの間事務の面接受けてさ、卒業してから働くことになったんだ。あ、報告遅れてごめんね? まだ合否がわからなかったから、落ちてたら恥ずかしいじゃん。だから瑛麻にはちゃんと決まってから言おうと思って」

よくよく考えれば、瑛麻が部屋にいたら私の声は聞こえないのだ。それなのに私は個人情報をぺらぺらと聞かれてもいないのに話している。

「瑛麻は、卒業したらどうするの? 大学? 就職?」

瑛麻はあれから不登校になってしまった。進路調査の紙はポストに入れといたけど、ちゃんと提出したのだろうか。
プリント類はいつもポストに入れているんだけど、それはなくなっているので見てはいるんだと思う。

「じゃあ、そろそろ帰るね。また明日」

卒業式にはきてくれるといいな。そんな淡い期待を抱きながら立ち上がり歩きだす。

「……瑞穂」

ふと、背後から声がした。それが誰かなんて見なくてもわかる。忘れるはずもない、私の大好きな人の声。

「瑛麻!」

久しぶりに見た瑛麻は髪が以前より伸びていて、ほんの少し痩せたように思えた。

「どうしたの瑛麻?」
「あの……あたし、知らなくて……ポストにいつもプリント入ってるのは知ってたんだけど、もしかして、毎日きてくれてたの?」
「あ、うん。ごめんね? プリント入れたら帰れよって思うよね。でも気にしないで。私が話したくて話してるだけだから」

そっか、瑛麻は知らなかったんだ。まあそうだよね。毎日同じ時間にインターフォンが鳴ったからって、わざわざ毎回出ないよね。
瑛麻は多分、ポストを見にきたんだ。そしたら私が帰るところが見えたから、びっくりして声をかけた。

「……学校……行かなくてごめんなさい……本当はもう、体調はいいの。全然元気なんだけど、瑞穂とは……あんな別れ方しちゃったから……」

うん、わかるよ。気まずいよね。

「私はもう気にしてないよ。それに謝るのは私の方だから……ごめんなさい、瑛麻」

私と瑛麻は仲直りした。その日は瑛麻の家にお泊まりして、今まであったことを全部話した。毎日家の前で瑛麻に話しかけてたことを話したら、中に入ってくればよかったのにいー、と言われた。本当にその通りだと思う。
だけど、私が毎日通っていたから瑛麻に気付いてもらえたんだと思えば、私のこの行いも無駄ではなかったんだと思えた。
そして卒業式当日。
瑛麻と私は無事、高校を卒業した。




「えっ、高式大って言ったらめっちゃ頭のいい大学じゃん!」
「そおんなことないよー? 普通に授業聞いてれば誰でも合格できるよおー?」
「瑛麻、ほとんど学校行かなかったじゃん」
「ちゃんと家で勉強してたしい」

卒業式がおわったあと、初めて瑛麻が高式大学に受かっていたことを知った。
たかしきだいがく。とても頭のいい大学。瑛麻が頭がいいのは知ってたけど、まさかそこを受験してたとは。

「ねえ、どうして高式大にしたの?」
「今までとは違った新しい景色が見たいから」

瑛麻らしい答えだと思った。

「たまにはうちに泊まりにきてね。彼氏できたら紹介してね。私とも仲良くしてね~~~~っ、ううう……」
「もう、そんなの当たり前でしょおー?」

あれから伊織の声は聞こえなくなった。いつの間にかアプリがスマホ画面から消えていて、もう伊織との繋がりはなくなってしまった。
瑛麻のスマホからもアプリは消えていて、瑛麻の記憶からも消えていた。
瑛麻は忘れてしまっても私は覚えてる。樹くんのこと、苺くんのこと、そして伊織のこと。きっと一生忘れない。
瑛麻と別れたあと、久しぶりに本屋さんに寄ってみた。新刊コーナーに何か新しいのが出てないか見ていると、ふと一冊の本に目が止まる。

「そうしそうあい……続編出たんだ」

そうしそうあい。伊織が好きな本のタイトル。まさか続編が出るなんて思わなかったので驚いた。私は本を手にとると、ぱらぱらと捲ってみた。
そうしそうあいは、東雲瑛麻(しののめえま)と佐々木国永(ささきくになが)の甘酸っぱくてちょっぴりえっちなストーリーを書く官能小説家のお話だ。官能小説家はとっくに成人している男性で、名前を国永という。
自分と同じ名前の男子が瑛麻とあんなことやこんなことをする度に、自分のことのようにテンションが上がり、ちんちんも上がり、アシスタントさんに早く書いてくださいと怒られてはめそめそしながら書くという、どこかにありそうなお話。
私としては、国永とアシスタントさんが恋愛に発展してほしいんだけど、前作ではいちみりも発展せずにおわったのだ。
だけど続編が出たということは、もしかしたら……と期待してしまう。
伊織がいたら、続編が出たと教えてあげられたのに。
きっと私のことなんか見向きもせずに夢中になって読むんだろうな。

「あっ」

ふと隣で声がしたのでそちらに視線を向けると、黒髪の男性がちらりと私の方を見た。

「あっ、すいません。新刊出てると思ってびっくりしちゃって」
「……いいえ。あ、私、邪魔ですよね。すいません」
「あっ、いえ、そんな……あ、あの。お姉さんもその本、好きなんですか?」
「え?」

お姉さんもということは、この人も好きなのだろうか。

「……はい。まさか続編が出るなんて思ってなかったので、私もびっくりしてたんです」
「わ、わかります。続きが出たってことは、ついに二人はくっつくんですかね」
「二人って?」
「く、国永とアシスタントさんですよ。あれだけ一緒にいて何もないとか、おかしいじゃないですか」

やはり考えることは同じらしい。なんだか可笑しくて笑ってしまう。

「ふふっ」
「え、な、なんで笑うんですか?」
「ごめんなさい。私も同じことを考えていたのでつい」
「……お姉さん、読んだら感想、教えてくださいね。俺も感想、伝えるんで」

こういう新しい出会いって、なんだかいいなあ。
私はほっこりしたきもちで本をレジに通すと、家に帰って読みはじめた。
あの人、何歳くらいなんだろう。私よりも歳上に見えなくもないけど、顔立ちもそれなりに……まあ、伊織には劣るけど、それなりによかった。
名前くらい聞いておけばよかったかな。また会えるといいんだけど。



***



「国永、なにしてんの」
自販機の前で缶ジュースと睨めっこしていると、彼女が声をかけてきた。
「コーラとメロンソーダ、どっちを買おうか迷ってる」
「ふうん」
悩むこと数分。この間、言葉は一切交わしていない。真剣に悩んでいる。その様子を彼女が見守っている。
「そうだ、あれやればいいじゃん。ふたつ同時にボタン押すの。そしたらどっちが出てくるか分かんないじゃん」
「天才か」
俺は自販機に小銭を入れると、コーラとメロンソーダのボタンをふたつ同時に押した。出てきたのはメロンソーダだった。
「メロンソーダだ」
「良かったね、早く飲みなよ」
プルタブもとい、ステイオンタブを上げると、俺は彼女の顔をじっと見る。
「何?」
「口移しして」
とんでもないことを口走っているが、ここは学校だ。しかも朝。まわりには普通に生徒達が歩いている。しかしそんなことは関係ない。前作を見てもらえば分かるが、俺と彼女は恋愛に発展した。あんなことやそんなことなどを経験し、口移しなど朝飯前なのだ。
「ばかじゃん。皆見てるよ」
忘れている人のためにも言っておくが、俺と彼女は能面だ。表情に喜怒哀楽が浮かんでこない。
「いい。口移しして」
彼女に一歩近付く俺。しょうがないなとメロンソーダを手にとる彼女。スタンバる俺。口と口が触れ合い、入口を開けた途端に流れ込む炭酸飲料。しゅわしゅわという音。ゴクリと飲む俺。舌を捩じ込む彼女。有り難き幸せと舌を絡める俺。立ち止まる生徒。スマホをこちらに向ける生徒。写真を撮る生徒。
「ん……膝で擦らないで……」
「擦ってないよ」
「擦ってるじゃん」
「だって瑛麻の舌、きもちいい」
まわりに人がいたって構わない。俺はこんなにも彼女のことが愛おしくて、身体が彼女を求めている。
「国永のばか……」
ああそうだ、俺はばかだよ。ばかでいいさ。
俺と彼女は腰を抱き合うと、もう一度唇を重ねた。
「え……瑛麻ぁぁぁぁっ!」
「先生、煩いです」
「いや、だって聞いて、凄いよこれ、瑛麻が俺のことばかだって」
「国永は先生のことじゃないでしょう」
「え、でも俺も国永」
「先生、早くお話書いてください。私さっきからずっと待ってるんですけど」
「で、でもこれから濡れ場なんだけど、俺、心臓持たない」
「知りませんよそんなこと。勃起しながらでもいいんで早く書いてください。ファンの皆が待ってますから」
「いや、もう、既にちんちん痛くて涙でてきた……」
鶴丸国永二十九歳。職業、官能小説家。現在自宅で缶詰状態。早く濡れ場書かないと、アシスタントさん、帰っちゃう。
東雲瑛麻(しののめえま)と佐々木国永の甘酸っぱくてちょっぴりえっちなストーリー。「そうしそうあい」coming soon.
(中略)




お風呂から上がり部屋に戻ると、先生が作業机に突っ伏して眠っていた。机には書きかけの原稿。これではせっかく書いた原稿がぐしゃぐしゃになってしまう。
「また寝てる……先生、寝る時はベットで寝てくださいって言いましたよね。原稿、ぐしゃぐしゃになりますよ」
「ん……瑛麻?」
「私は瑛麻じゃありません」
「ふふ、きみは瑛麻だよ。瑛麻はきみをモデルに書いたんだ」
そうなんだ。それは初耳だった。とはいえ、瑛麻と私では外見は勿論、性格だって全然違う。似ている要素がひとつもないのに私をモデルに書いたと言われても。
 先生は私の毛先を自分の指にくるくると巻きながら、楽しそうに笑っている。
「瑛麻」
「違います」
「んん……きみの名前はなんだったか」
「ふざけないでください」
「ああ、瑞穂か」
ドキッとした。急に名前を呼ばれたから。
いつもきみとしか呼ばれないので、てっきり本当に覚えてないのかと思っていた。先生のアシスタントに就いてから早二年。初めて名前を呼ばれた。
「……覚えていたんですね、私の名前」
「自分の担当の名前を忘れるわけないだろう?」
「一度も呼んだことなかったのに、どうして急に呼ぶんですか?」
半分は嫌味だった。本当は嬉しいくせに、素直に喜べないのだから可愛くない。
「実はなあ、次回作にきみの名前を使いたいと思ってな。内容はまだ考えてないんだが、きみと瑛麻の名前を使おうと思う」
露骨に話を逸らされた。だけど私は大人だからそんなことは気にしない。それよりも気になるのは、違う作品なのにまた同じ名前を使うところだ。
「随分と瑛麻という名前に思い入れがあるんですね」
「昔、好きだった女の名前なんだ」
あまりにもさらりと言うもんだから、冗談なのか本気なのか分からなくなった。先生はよく冗談を言うから、もしかしたらこれも冗談なのかもしれない。というか、冗談であってほしい。
だっておかしい。実は話が繋がっているとかならまだ分かるけど、まったく違う話なのに同じ名前を使うなんてそのキャラクターに失礼だ。一次創作はストーリーは勿論、ひとりひとりのキャラクターの名前も自分で作っていくのだから、同じ名前にするなんて邪道。簡単に言ってしまえば手抜きじゃないか。
「冗談だと思ってるのかい?」
「……まあ……そうですね」
「冗談じゃないさ。好きだったんだ、本当に。付き合っていた。二十年くらい」
そんなに長く……ん?
「二十年って、先生二十九歳じゃないですか。話盛りすぎですよ」
「あ、ばれた?」
その後も、瑛麻は俺の妹だとか、死別したとか、親が離婚して離れ離れに住んでいるとか、どれもピンとこない話ばかりで冗談に聞こえてしまう。
いったい何が本当なのか。それとも全部嘘なのか。それすらも分からなくなるほど、先生の引き出しの中は大量のデータで埋まっていた。
先生は小説家のくせに、あまり小説は読まないという。沢山の字を読むのは苦手なんだと笑っていたが、漫画の方は好きなようで、まるで漫画喫茶のように部屋中どこを見ても漫画だらけだった。
先生の小説は、いくつもの漫画の内容から成り立っている。
とくに多いのは少女漫画で、近親相姦だの、実は血の繋がってない兄妹だの、先生と生徒の恋だの、色々と読み耽っている。
先生の処女作は、官能小説ではなかった。
恋愛シュミレーションゲームというものを知っているだろうか。いくつかある選択肢を選びながら、ヒロインと結ばれる恋愛ゲーム。先生はそれを小説にした。
九二六六字という短編だったが、とても感動したのを今でも鮮明に覚えている。あれ以来、私は先生のファンになったのだ。
処女作以降はなぜか官能小説を書くようになり、最初は私も驚いた。あの胸が高鳴る少女漫画のような話はどこに行ってしまったのだろうか。とはいえ、読んでみると下品さはなく、少女漫画となんら変わらないような気がして、結局ファンはやめられず。気付けば自ら先生のアシスタントとして名乗り出るという始末。
求人媒体に募集があったわけではない。私が勝手に先生のところに行ったのだ。頭を下げて、アシスタントになりたいです! と言った。断られると思ったが、助かると言われた。こうして通い妻ならぬ、通いアシスタントになったのである。
「先生、もうこいラテは書かないんですか?」
「うーん。別ルートもいつかは書きたいとは思うけど、なかなかいい男がいなくてな」
こいラテは先生の処女作だ。主人公は女の子。
「前作は生徒会長だったので、今度は異色のワケあり男子とかどうでしょう?」
「異色のワケあり男子かー。いったいどんなワケありなんだ?」
「彼女がいるとか」
「奪略愛かー。いいねいいね」
「昔の彼女が忘れられないとか」
「過去をいつまでも引きずっちゃう系男子かー。いいねいいね」
「他に好きな人がいるとか」
「うーん。悪くはないけど、ワケありというからにはもうひとスパイスほしいかな」
「というと?」
「彼には他に好きな人がいるけど、好きな人には振られてしまった」
「振られて心が弱ってる時に近付くんですね?」
「だけど主人公である私は天邪鬼だから素直になれない」
「戦争だ!」
「戦争という名の喧嘩。すれ違う二人」
「そうなると関係値は同級生がいいですね」
「ああ、クラスは違った方がいい。その方がすれ違うからな」
「それでいて異色」
「そうだな……同い年のくせに敬語というのはどうだろうか」
「うわ、いいですそれ。敬語キャラといえば年下にありがちですが、そこは敢えての同い年!」
「書ける、書けるぞ!」
「書けますね先生!」
こうして先生の処女作、こいラテの続編制作が決定した。




「か、書けた!」
先生が書いたお話を一番に読めるのも、アシスタントの特権だ。全五話。主人公は女の子。唯一前作と違うのは、主人公に名前があることだ。
橘若菜(たちばなわかな)。第一話で主人公が彼に名乗っている。残念ながら一度も若菜と呼ばれることはなく、最初から最後まで橘さんと呼ばれている。
「……瑛麻じゃないんですね」
「ん?」
「主人公に名前があるのも斬新ですが、てっきりどの作品にも瑛麻が出てくるんだと思ってました」
「ああ、可愛い名前だろう。三日三晩寝ずに考えた」
「嘘。夜はしっかり寝てたじゃないですか」
「フルネームは一度だけ。彼に呼ばれることのない名前。それなら名前まで考える必要はない。それでもつけたかったんだ。そうすれば読者には、今は橘さんでもいつか若菜と呼ばれる日がくるのかもしれないと、勝手に妄想する人もいる」
先生の、そういうところが好き。あ、好きっていうのは尊敬するという意味で、ちゃんと読み手のことを考えて作っているというか、一癖も二癖もある、噛めば噛むほど味が出る……スルメ。そうです先生はスルメです。
「ところで先生の名前って、某キャラと完全に一致していますよね」
「ああ、あれもペンネームだからな」
「え?」
「ああ、国永は本名だよ? 流石に苗字は違うけど」
「さ、佐々木国永さん?」
「あはは。それはそうしそうあいの俺だろー」
こうなってくると全てが嘘に思えてきた。そのうちこの家も実は俺の家じゃないんだとか言いだしそう。
「名前まで偽名を使わなくてもいいんじゃないですか?」
「小説家は自分の経歴でさえも空想の産物に過ぎないんだよ」
なんか凄くそれっぽいこと言ってるけど。
「でもそれって、なんだか淋しくないですか?」
自分まで偽る必要なんてどこにもないのに。
「淋しくなんかないさ。国永だけは本物だからな」
こいラテの続編はそうしそうあいの続編のラストに捩じ込まれることになった。先生は敢えて真ん中に捩じ込もうとしてたけど、私が阻止したのだ。
そうしそうあいには続編がある。それだけでも世の中をあっと騒がせるのに、まさかこいラテにも続編があるなんて。
「ラストはどうなるんですか?」
「地球滅亡してもらうよ」
また冗談。そう思っていたのにこれは。
「……なんていうか、あっけなかったですね」
「人生なんてそんなもんだよ」
地球滅亡は比喩表現だった。頭をレンガで叩かれたような衝撃のラスト。誰がこんな結末を予想しただろうか。いや無理だ。だって今までずっと順調だった。そんなの欠片もなかったのに。
「別れは急にやってくる。だけどある日突然地球に隕石が落ちてきて、別れも言えずに離れ離れになるよりも、相手の口から別れを告げられた方がよっぽどマシだ」
先生には、誰かが突然いなくなってしまった経験があるのだろうか。私が聞いたところで答えてくれるとは思わないけど。
そうしそうあいの続編が発売されると、衝撃のラストに言葉を失う人達が後を絶たなかった。こいラテの続編も好評で、今話題の小説にも取り上げられるほど売れていた。
「本の反響、凄いですね。私も続きが待ち遠しいです」
「あの続きはもう書かないよ」
「え、そうなんですか?」
「あの話はここでおわるから綺麗なんだ。続きを書こうものなら今度は読者に飽きられる」
先生はやっぱり凄いなあ。
「先生、私、やっぱり先生は凄いと思います」
「ありがとう。きみがいたから頑張れた」
急に感謝を伝えてくるとは思わなくて、私は自分の髪を耳にかける。
「俺ときみも、そろそろエンディングを迎えないとな」
言い方がちょっと気持ち悪いけど、これも先生の比喩表現なのだろう。エンディング。つまり、これでお別れってこと。もう続編を書かないなら、私は必要ないってこと。
先生はもう書かないのかな。暫く休載するって意味ならいいんだけど。私はこれから先も、先生の書くお話を読みたい。どんな話だっていい。エロもホラーも推理小説も、先生が書いたのなら読みたいんだ。
「きみ、アシスタントはもうやめてくれないか」
どんな関係にもいつかは別れがくるものだ。分かっていてもこれはつらい。私は零れてしまいそうな涙をグッと堪えると、無理やり笑顔を作ろうとした。
「……はい」
「それから俺のことは先生と呼ばないでくれ」
「……はい」
「それからきみは俺のことが好きなのか?」
「……はい……え?」
今、何か重要な発言を適当に答えてしまったような。
「そうか。なら俺ときみはそうしそうあいだな」

(そうしそうあい 完)
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