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真鶴瑠衣

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初めての喧嘩

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瑛麻のもうひとつのスマホ画面には、見覚えのあるアプリのアイコンがあった。
起動するとそこにいたのは青い髪をした時雨くんだ。

『あ、おはようございます。瑛麻さん』
「おはよう苺」

苺と呼ばれた時雨くんの表情に変化はない。

『これだよこれが苺!』
『あの、瑛麻さん。失礼ですが、知らない方に私を見せるのはよろしくないのでは』
「いいの。この子はあたしの友達の瑞穂。紫苑(しおん)のキャラ使ってる」

紫苑は多分、伊織のこと。
瑛麻はスマホを二台持っていた。だから時雨くんのことを知っている。
あれ、でもそれって。

「い、樹くん。これって浮気じゃ」

樹くんは時雨くん。ううん。苺くんの存在を知っている。
同時に二人とそういう関係にあるなんてわかったら、樹くんは瑛麻を許せないんじゃないのかな。

『うんそおだね。でもまあいいんじゃない? 瑛麻は寂しがりやで欲張りだから。オレ、瑛麻みたいな子きらいじゃないし』
「苺くんはどう思ってるの?」
『私はまあ、浮気だと思いますけど。瑛麻さんがそうしたいと言うのなら別に』

つまり浮気の寛大さは樹くん、苺くん、伊織の順になるのだろう。
伊織が一番、嫉妬深い。

「そういえば苺、瑞穂が苺のアレが見たいって言ってたよ?」
「ちょ、ちょっと瑛麻!」
『私のアレ……ですか。流石にここではちょっと見せられないですね』
「こ、ここじゃなくても見せなくていいから!」
『やだーん。瑞穂ってばオレのじゃ足りないのぉ? えっちー』
『え、瑞穂さん、樹のを見たんですか? 私だって見たことないのに』
『オレのを野郎に見せるわけないでしょー。女の子だけだよ♡』
「ああもう煩い。苺、またあとでね」
『はい。ではいってらっしゃい』

家に帰ると私はアプリを起動した。
伊織は起きていたようで、今日も本を読んでいる。
タイトルはわざわざ拡大しなくてもわかるのでもうしない。

「ただいま、伊織」
『おかえり瑞穂』
「最近、起きるの早くなったよね。前はこの時間でも眠そうにしてたのに」
『流石に何日もこんな時間に起こされたらな』

そういえば、と伊織は言葉を紡ぐ。

『この本のヒロインの名前がな、瑞穂の友達と同じなんだ』
「瑛麻?」
『そう、瑛麻。だから想像しやすいよな』

何が? とは聞いていいのだろうか。
なんとなく。なんとなくだけど、聞くのはやめておこうと思った。
静まり返る画面。伊織は本を読むのに集中しているようだった。
そんなに夢中になるほど面白い内容なのかな。
私がいるのに放っておけるほど。

「伊織」
『うん?』
「こっち見て」
『どうした』
「さっきから本ばっかり見てる」

そこまで言うと察したのか、伊織は私に笑ってみせる。

『ああ、ごめん。気になるよな。俺が読み聞かせてやろうな』

訂正。全然察してくれてなかった。
読み聞かせとはつまり、声に出して私に聞かせてくれるということだろう。
私は別に本の内容が気になるわけではない。
伊織が私に構ってくれないから、寂しいのだ。
樹くんだったらきっと気付いてくれた。そもそも私が起動した瞬間、本など床に投げ捨てて全力で私の相手をしてくれただろう。

『うぁ……まっず』
『うん。それ、美味しくないよね』
『美味しくないなら飲ませんなよ』
『表情が変わらないから気付かなかった。不味いなら不味そうな顔しろよ』
『……とかいう俺も眉間に皺が寄ったのは一瞬で、すぐに元通りになっている』
『俺と彼女は能面だ。表情に喜怒哀楽が浮かんでこない』
『少女漫画だと片方が能面で片方が感情豊か。そして感情豊かな方に能面が次第に心惹かれていく……というのが王道だろう』
『だが俺達はそうじゃない。どちらも能面なのだから、恋愛に発展する要素がないと言えるだろう』
『あ』
『何』
『今日、相思相愛の新刊発売日だった』
『ああ。好きだよね、そういうの』
『うん好き。少女漫画超好き』
「ねえ」
『うん?』
「もしかして、最初から読んでる?」
『いや、途中から』

読み聞かせをするなら普通は最初からじゃないのだろうか。途中から話されてもわからない。
伊織はどこまでも抜けている。

「……もう読まなくていいよ」
『そうか?』

なんだろう。わざとなのかな、この鈍感さ。
妙にいらいらする。
別に伊織は私を怒らせようとしてしていることじゃないのに、これが伊織の自然体なんだって、わかっているのにいらいらする。
うっかり八つ当たりしないように口をきゅっと結ぶ。
流石に伊織も本を読むのをやめるだろう。そう思っていた。
そう思っていたのに。

「……どうして?」
『うん?』
「どうして本を読むの?」

伊織は私がどうしてこんなふうに言うのか、まるでわかっていない様子だった。

「私がいるのにどうして? もう読まなくていいって言ったのに、どうして?」
『ご、ごめん。声に出さなくていいって意味かと思ったから』
「声に出さなければ本を読んでいいなんて誰が言ったの? 本なんてあとでいくらでも読めるじゃん。私がいる時は私を見てよ」

声がつい、荒くなってしまう。それでは私が伊織に怒っているみたいだ。
別に怒っているわけじゃない。ただ寂しかっただけなのに。

「……樹くんなら、こんなことしないのに」

言わなくていいことまで言ってしまった。
私の阿呆。

『なんで樹の話が出てくんの?』
「え」
『ただ構ってほしいだけなら、樹に構ってもらえばいいじゃん』
「だ、だけど瑛麻が、一度相手を選んだら変更できないって言うから」
『変更、したかったのか?』
「え」

しまったと思った時にはもう遅かった。
ただでさえ私が樹くんの話をした時点で、伊織の癇に障ったのだ。
これでは私が伊織を選んだことを後悔しているみたいじゃないか。
違うのに、違うのに。
早く誤解を解かないと。

「ち、違うよ伊織。私はそういうことが言いたかったわけじゃないの。ただちょっと、寂しかっただけ。伊織は何も悪くないよ」

並べた。言葉を。浮気がばれた女のように。
それだけ私は必死だった。

『うん、わかった。とりあえず今日はもう電源切りなよ』

伊織は笑顔だった。
だけど発する言葉は拒絶そのもので、遠まわしにもうくんなと言われているみたいだった。

「ご、ごめんね伊織。また明日」

アプリを落とすと、私の手は震えていた。
伊織に嫌われたかもしれない。
その事実だけが頭の中を駆け巡る。
私はなんてことをしてしまったのだろう。どこが悪かったのかを客観的に見て、考えて、修正しないと。
私は机の引き出しを雑に漁ると、レポート用紙とボールペンを取りだした。
そこにつらつらとさっきの事実を書き殴っていく。
私は昔から頭の中を整理したい時に、こうやってメモをするのが癖になっていた。

「ただいま、伊織」
「おかえり瑞穂」
「最近、起きるの早くなったよね。前はこの時間でも眠そうにしてたのに」
「流石に何日もこんな時間に起こされたらな」
「そういえばこの本のヒロインの名前がな、瑞穂の友達と同じなんだ」
「瑛麻?」
「そう、瑛麻。だから想像しやすいよな」
「伊織」
「うん?」
「こっち見て」
「どうした」
「さっきから本ばっかり見てる」
「ああ、ごめん。気になるよな。俺が読み聞かせてやろうな」
「うぁ……まっず」
「うん。それ、美味しくないよね」
「美味しくないなら飲ませんなよ」
「表情が変わらないから気付かなかった。不味いなら不味そうな顔しろよ」
「……とかいう俺も眉間に皺が寄ったのは一瞬で、すぐに元通りになっている」
「俺と彼女は能面だ。表情に喜怒哀楽が浮かんでこない」
「少女漫画だと片方が能面で片方が感情豊か。そして感情豊かな方に能面が次第に心惹かれていく……というのが王道だろう」
「だが俺達はそうじゃない。どちらも能面なのだから、恋愛に発展する要素がないと言えるだろう」
「あ」
「何」
「今日、相思相愛の新刊発売日だった」
「ああ。好きだよね、そういうの」
「うん好き。少女漫画超好き」
「ねえ」
「うん?」
「もしかして、最初から読んでる?」
「いや、途中から」
「……もう読まなくていいよ」
「そうか?」
「……どうして?」
「うん?」
「どうして本を読むの?」
「私がいるのにどうして? もう読まなくていいって言ったのに、どうして?」
「ご、ごめん。声に出さなくていいって意味かと思ったから」
「声に出さなければ本を読んでいいなんて誰が言ったの? 本なんてあとでいくらでも読めるじゃん。私がいる時は私を見てよ」
「……樹くんなら、こんなことしないのに」
「なんで樹の話が出てくんの?」
「え」
「ただ構ってほしいだけなら、樹に構ってもらえばいいじゃん」
「だ、だけど瑛麻が、一度相手を選んだら変更できないって言うから」
「変更、したかったのか?」
「え」
「ち、違うよ伊織。私はそういうことが言いたかったわけじゃないの。ただちょっと、寂しかっただけ。伊織は何も悪くないよ」
「うん、わかった。とりあえず今日はもう電源切りなよ」
「ご、ごめんね伊織。また明日」

全文を一語一句書き殴って、私は客観的に考えた。
いったいどこがいけなかった?
私がどうして本を読むのか聞いた時は、伊織はごめんと言っている。
だからきっとこの時はまだ、怒っていなかったはず。
私が樹くんの話をした時は、ちょっとむっとしていたかもしれない。
もしかして嫉妬していたのかな。
そうだ、きっと嫉妬したんだ。
私が本ばかりで伊織が構ってくれなくて寂しかったのと同じように、伊織は私が他の男の話なんてするから嫉妬したんだよ。
あれ、でも、変更したかったのかってことにも引っかかってるみたい。
だけど私、伊織は何も悪くないって言ってるし、伊織もわかったって言ってる。
だからこれは気にしなくても大丈夫だよね?
きっと私が樹くんの話をしなければ、伊織は怒らなかったよね?
良かった解決した。これで明日からまた元通りになれる。
今日はきっと、本を読みたい日だったんだ。
それなのに私が邪魔をしたからよくなかった。
日を改めてまた起動すればきっと、伊織も私を見てくれる。
私はそう信じて疑わなかった。
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