ヒステリックラバー

秋葉なな

文字の大きさ
上 下
30 / 31
愛に包まれる女、愛を誓う男

しおりを挟む
「あの……直矢さん、私……」

「すみません!」

直矢さんは突然キスをやめると私の体を支えながら立ち上がった。

「え?」

直矢さんの一段高い位置に立たされ目線が同じになり、私の戸惑う目と直矢さんの焦った目が合わさった。

「気持ちを整理すると言ったのに、今美優のことしか考えていなかった」

直矢さんは髪を掻きむしった。

「僕はつい美優に触れてしまいたくなる……」

「直矢さん……」

直矢さんは自分に対して怒っているようだ。成り行きとはいえ私を抱き締めてしまい焦っている。

「あとは僕が運びますから戸田さんは戻ってください」

「でも……」

「もういいですから」

その声音は拒絶を含んでいた。今まで私を抱いて甘い声で名を呼んでいたのに、直矢さんはまるで別人のように何も言わず無表情でうちわを拾い始めた。
ぶつけたお尻が痛んだけれど、直矢さんのそばにしゃがんで一緒にうちわを拾った。そんな私を彼は一瞬見たけれど黙々と拾っている。

「すみません、私のせいで」

「とんでもない。手伝わせてしまったのは僕ですから」

抑揚のない声に気まずい関係にしてしまったことを後悔し始めていた。
結局最後まで2人でうちわを拾ってビルの前に止めた車に載せた。

「ありがとうございました。この後戻りは遅くなるので戸田さんは定時で帰ってくださいね」

「わかりました」

短い会話を終えると直矢さんの車が走り出したのを見届けた。

私は直矢さんが好きだ。直矢さんに愛され続けたい。
気持ちを整理してと言ったのは私だけれど、素直に直矢さんの言葉を信じればよかった。愛美さんの存在を勝手に不安に思ってるって正直に打ち明ければよかった。劣等感をさらけ出せばよかった。今それを伝えても直矢さんはこんなバカな私を許してくれるだろうか。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



遅くなってもいいから直矢さんを待っていようと決めたけれど、定時を過ぎて社員のほとんどが帰ってしまっても直矢さんは戻ってこない。もしかしたら直帰してしまうかもしれないないのに会社で待つ意味はないのではと思い始めていた。

明日から七夕祭りが始まる。直矢さんと行こうと決めていたのに、待ち合わせの話しも何もできていない。
帰ろうか迷っていると山本さんが出先から戻ってきた。

「あれ? 戸田まだいるの?」

「まあ……ちょっとだけサービス残業です」

ホワイトボードの自分の名前の下に『直行』と書いた山本さんは「ふーん」と興味なさそうに声を漏らした。

「戸田さ、俺結婚するわ」

「え? 誰とですか?」

突然の告白に間抜けな声が出てしまう。

「誰って、彼女とに決まってんだろ」

山本さんは驚く私に呆れている。だってチャラい山本さんが結婚するなんて思わなかった。

「相手は?」

「戸田も知ってるだろ、もう付き合って2年だぞ」

「ああ、カフェの……」

山本さんは会社の最寄りのカフェでバイトしていた大学生を熱心に口説いて付き合っていた。私は当時未成年だった彼女によく付き合いたいとアプローチしたなと呆れていた。2年も付き合っていたなんて山本さんにしては珍しいのに結婚なんて意外だ。

「でも彼女まだ若いですよね。確か20歳でしたっけ」

「いや、そろそろ22かな。でももうあっちは就職して落ち着いたし、そろそろいいかなって。あ、子供ができたわけじゃないから」

山本さんが彼女とのことを真面目に考えていたなんて本当に意外だ。短大生だった彼女を口説いていたときは本気だとは思えなかったのに。

「はぁ……山本さんも先に結婚しちゃうのか……」

私はイスの背もたれに寄りかかって体を後ろに反らして伸びをした。しかも彼女は22歳。そんなに若いのに私より早く結婚するなんて羨ましい。

「いや、お前らもそろそろじゃないの?」

「何言ってるんですか……全然無理ですよ」

今の直矢さんと私は結婚なんて考えられない。それどころか別れてしまうかもしれないのに。

「武藤は真面目に考えてるだろ」

「武藤さんの方が考えてないですよ」

私は自虐的に笑う。山本さんは首を傾げた。

「だって昨日指輪はどこで買ったのか聞かれたぞ」

「え?」

「婚約指輪。武藤が俺にどこで買ったのか聞いてきた。だから武藤も戸田と近々結婚を考えてるってことだと思ったんだけど」

私は驚いて山本さんを見つめた。いつものように冗談を言っているわけではなさそうだ。山本さんはいつものいたずらをする子供のような笑顔ではない。珍しく真面目な顔だ。

「それは私とじゃないかも……」

相手は結婚を考えた元カノってことは十分にあり得そうだ。

「バカかお前」

山本さんは呆れた顔で私に言い放った。

「武藤は戸田以外の女なんて眼中にねーんだよ」

山本さんの言葉に私は反論したくなった。

「山本さんが知ってるはずないです……」

2人は仕事上のライバルで性格も仕事のやり方も何もかもが違うんだから。お互いのことに興味があるはずがない。

「武藤が言ってたんだよ。戸田とは未来を見据えて付き合ってるって。俺と武藤よく飯食いに行くから」

「え? そうなんですか?」

「俺らは周りが思うほど仲悪くないから。戸田と付き合い始めてからはあんまり行かなくなったけど。でも武藤が言ってたのはホント」

知らなかった。関わりの少ない2人だと思っていたのにプライベートも話していたのか。

「だからさ、ここで待ってないで武藤のところに行けよ」

「別に待ってるわけじゃないです……」

「嘘つけ、無意味なサービス残業はやめろ」

山本さんには嘘がばれている。

「あいつまだ銀翔街通りにいるよ。今行けば会える」

「………」

直矢さんは私が会いたいと思ったときいつでも駆けつけてくれた。でも直矢さんが私を求めてくれたとき、私は直矢さんを突き放した。
本当に私は直矢さんに甘えて自分勝手に接していた。直矢さんはいつだってありのままの私を愛してくれていたのに。

「武藤も今戸田に会いたいと思ってるよ。行けって」

山本さんに後押しされて私は立ち上がった。

「山本さん、フロアの電気は全部消してってください」

「わかってるって」

「扉も忘れずに鍵かけてくださいね」

「了解」

私は「お先に失礼します」と言ってカバンを持ってオフィスを出た。






銀翔街通りは街灯とビルから漏れる明かりに照らされた七夕飾りが風に吹かれキラキラと輝いている。
七夕まつりの本番は明日だけれど立ち止まってスマートフォンで写真を撮る人が目立つ。
私は設置作業中に飾りが落ちた街灯の下で立ち止まった。スマートフォンを出して直矢さんに電話を掛けた。

「もしもし」

すぐに聞こえた声は疲れているようだ。

「お疲れ様です……」

「お疲れ様」

恋人同士のはずなのに事務的な挨拶で会話を始めるとはなんて寂しいのだろう。

「あの……私、今銀翔街通りにいます」

「え?」

直矢さんは驚いている。もうすでに帰ったと思っている私が来たのだから無理はない。私も自分の行動に驚いている。

「直矢さんは今どこですか?」

「君の前にいますよ」

その言葉に私は通りを奥まで見渡した。街灯と、揺れて光を反射する飾りと、車のライトで夜だというのに街は明るい。その中にこちらに向かって歩いてくる直矢さんの姿が見えた。

「どうしてここに来たのですか?」

「直矢さんに会いたくて」

数メートル先の直矢さんが微笑んだ。お互いの姿を確認しても電話を切らずに話し続ける。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

愛が全てじゃないけれど

深冬 芽以
恋愛
 美空《みそら》は親友の奈都《なつ》に頼み込まれて渋々参加した合コンで、恋人の慶太朗《けいたろう》が若い女の子たちと合コンしている場に出くわす。 「結婚願望ある子もない子も、まずはお付き合いからお願いしまっす!」  ハイテンションで『若くて可愛いお嫁さんが欲しい』と息巻く慶太朗。  美空はハイスペックな合コン相手に微笑む。 「結婚願望はありませんが、恋人にするなら女を若さや可愛らしさで測るような度量の小さくない男がいいです」  別れたくないと言う慶太朗。  愛想が尽きたと言う美空。  愛されて、望まれて始まった関係だったのに――。  裏切りの夜に出会った成悟は、慶太朗とはまるで違う穏やかな好意で包んでくれる。  でも、胸が苦しくなるほどの熱はない。 「お前、本気で男を愛したこと、あるか?」  かつて心を許した上司・壱榴《いちる》の言葉に気持ちが揺らぐ。  あなたがそれを言うのーー!?

君の秘密

朝陽七彩
恋愛
「フン‼」 「うるせぇ‼」 「黙れ‼」 そんなことを言って周りから恐れられている、君。 ……でも。 私は知ってしまった、君の秘密を。 **⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆* 佐伯 杏樹(さえき あんじゅ) 市野瀬大翔(いちのせ ひろと) **⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆***⋆*

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

月明かり

凛子
恋愛
月明かりかと思えば、工事現場の仮説用投光器だった。 どうしてこんなところに? 私を騙したってことですか?

処理中です...