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不快になる女、気持ちを隠さない男
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「はぁ……」
再び溜め息をついたその時、フロアの扉が勢いよく開いて武藤さんが戻ってきた。
「あれ? 忘れ物ですか?」
返事をすることなく無言で近づいてきた武藤さんは私の目の前に立った。
「どうしたんで……」
言葉を最後まで言い終わらないうちに私の体は前屈みになった武藤さんに抱き締められた。
「え? ちょっと!」
座った私の肩を包む両腕は締め付けることなく優しいけれど、抵抗しても解放してくれることはない。武藤さんの肩に私の顔はすっぽり隠れる。
「武藤さん!?」
「やっぱり無理してます」
耳元で聞こえる武藤さんの切ない声が、抵抗してもがく私の動きを止めた。
「放してください!」
私は怒鳴った。社員旅行の恐怖が思い出される。
「戸田さん、無理しています」
「無理なんて……」
していないとは言い切れなかった。私を優しく包む武藤さんになぜだか強がれない。この人が今何を思っているのか嫌でも伝わって、焦って武藤さんの胸を押した。
「やめてください!」
自然と大きな声が出てしまう。強引にキスされたことを忘れたわけじゃないのだ。それでも武藤さんは私を放そうとはしない。
「あなたが辛いと僕も辛い」
「そんなことを言われても困ります……」
武藤さんの気持ちが今は重荷でしかない。
「ほんとに……放して……」
涙が出そうだ。正広との関係が辛い今、私を好きだと言うこんな素敵な男性に抱き締められたら甘えそうになってしまう。
「今は困ってもらっていいです」
武藤さんのこの言葉に心が揺れた。それでもこの人にこのまま抱き締められ続けていたら私は自分を許せない。
「また強引にキスをするつもりですか?」
強めの言葉で武藤さんを責めた。
「あの……」
「それとも、また酔ってますか?」
この言葉に私を抱き締める力が弱まった。力で敵わないなら言葉で抵抗するしかない。武藤さんはようやく自分のしていることを焦り始めたようだ。
「そういうつもりじゃなくて……」
言い訳する武藤さんの肩を思いっきり押した。武藤さんは私から離れてよろめいた。
「私が何に悩んでようと武藤さんには関係ない!」
感情が高ぶって涙が出てきた。
「私に触れるのはいい加減にしてください!」
尚も大声を出す私を見つめる武藤さんは見慣れてしまった戸惑う表情を向ける。
「すみません。不快にさせてしまったなら謝ります。でも……」
武藤さんはイスに座る私に視線を合わせるように床に膝をついた。
「戸田さんが辛いと僕も辛いのは本当です。僕は戸田さんに笑っていてほしい。そうじゃないことが苛立たしいんです。社員旅行の日、僕が悪酔いしたのは戸田さんが辛い恋愛をしている現実が嫌になったからです」
「っ!」
こんなことを言われて、堪えきれなくなって足元に置いたカバンを引っ付かんで立ち上がった。武藤さんに「セクハラだ」と怒鳴ろうとしたけれど言葉が出てこなかった。そのまま膝をつく武藤さんの横を抜けて勢いよくフロアから飛び出した。
エレベーターのボタンを連打して開いたドアの隙間に体をねじ込むようにして中に入り、再びボタンを連打した。焦る私の気持ちには応えることなくドアはゆっくり閉まる。それでも武藤さんは追ってこなかった。
私を気にかけてくれる武藤さんが怖かった。どういうつもりで抱き締めてきたのかは知らないけれど、あんな風に触れてくるなんて気持ち悪い。弱っている私には通常よりも大きな衝撃なのだ。
社員旅行で強引にキスされたあとは正広に会いたくて仕方がなかった。けれど今は会いたいとも思わないし、正広が会ってくれることもない。どうしようもなく悲しくて経験したことのない孤独感で満たされた。
◇◇◇◇◇
正広からの連絡を待ち続けて1週間がたった。今まで連絡を取らないことが普通だったけれど、今回は何倍も長く感じた。
この1週間で私の生活は変わった。スマートフォンを常に持ち歩くようになったし、夜も眠れず仕事にも身が入らなくなってしまった。お風呂上がりに髪も乾かさずぼーっとしていたことも度々あった。こんなことは初めてだ。正広にこうまで心を乱されている自分を初めて知った。
「戸田さん……戸田さん!」
「はい!」
名を呼ばれて我に返ると横にいる武藤さんが心配そうに私の顔を見ている。
「大丈夫ですか?」
「ああ、はい……」
武藤さんにこうして意識を呼び戻されて大丈夫かと問われることはもう何度目だろう。
「顔が赤いですけど本当に大丈夫ですか?」
「そうですか? 大丈夫です……」
そうは言っても顔以外にも体中が熱を持っている気がする。正広のことは関係なく頭が重たくて眠気があることは数時間前から感じていた。
武藤さんは私の答えに納得できないという顔をしていたけれど、それ以上何も言わずに私から視線を逸らしてパソコンを向いた。
武藤さんに抱き締められてからというもの、仕事以外でちゃんと会話もできないでいる。プライベートな悩みを仕事に出しているのは反省しているけれど、武藤さんの公私混同ぶりには呆れてしまうのだ。このまま距離をおいていきたいと思っている。
「はぁ……」
私は小さく溜め息をついた。今日は特に体調が悪く自然と呼吸が荒く深くなる。
「武藤さーん、1番にお電話でーす!」
二つ後ろのデスクから武藤さんを呼ぶ声がした。
「ありがとうございます」
武藤さんはそれに返事をすると受話器をとった。
「お電話代わりました武藤です……はい……ええ……え?」
武藤さんの声音が低くなった。
「申し訳ございません……至急お送りします。はい……失礼致します」
受話器を置くと武藤さんは私に顔を向けた。
「戸田さん、工事の日程表と区画案内図を会場元にメールしましたか?」
そう言われて思い出そうとキーボードを打つ手を止めた。
「えーっと……確か一昨日送りました」
「それがいつまでたっても送られてこないと今お電話がありました」
「え? そんなはずは……」
私は慌てて送信ボックスを確認した。先週末日程表の作成がギリギリになってしまい催促されていたものを一昨日送ったはずだった。
「えっと……」
いくら探しても送信ボックスには私の送ったメールの履歴はなかった。
「戸田さん?」
「すみません……私のミスです。送っていませんでした……すみません」
私は武藤さんに体を向けて謝った。
「ふぅ……」
今度は武藤さんが溜め息をついた。
「戸田さん、集中していただかないと困ります」
珍しく低い声で叱責する武藤さんの姿に周りの社員の視線が私たちに集まりだした。整った顔を歪ませるとこんなにも迫力があるのだと知った。普段温厚な武藤さんを怒らせると体調が悪い私には何倍も怖く見える。
「今日はもう早退されてはいかがですか?」
「え?」
「体調が悪いのでしたらお帰りください」
武藤さんは冷たい声をぶつけ、蔑むような目で私を見た。それは以前避けられていたとき以上に堪えた。私にいられては邪魔だ、そう言いたいのだ。
「いいえ、大丈夫です!」
思わず大きな声で言い返した。帰れと言われて素直に帰れるわけがない。私のプライドが許さない。
「でしたら1つ1つに集中してください。日程表も遅くなった原因を思い出してください」
「………」
まだ武藤さんの担当になってからの仕事の処理ペースがつかめずに日程表の作成が遅くなってしまったのは私の責任だ。それなのに先方に送信するはずのメールも送り忘れてしまうなんて自分でも呆れてしまう。
「申し訳ありませんでした……気をつけます」
「お願いします。メールはすぐに送ってください」
そう冷たく言うと武藤さんはパソコンに向かった。私は悔しくて涙が出そうになるのを堪えて目の前の仕事に取りかかった。
私が悪い。体調管理もできずプライベートの悩みを仕事にも響かせたのだ。田中さんから私に引き継いだ途端にミスを連発では怒られて当然。将来を期待されている武藤さんには私をサポートにと会社からも言われていたのに足を引っ張ってしまった。
けれどいつもと違う武藤さんは単純に仕事でのミスを注意したというだけではないと感じてしまった。私への怒りを今回のミスに当てつけているのではと。そう思ってしまうのは武藤さんの私への好意が重たいものだと自覚しているからだった。
次の日、私はついに高熱が出て出勤することができなくなってしまった。会社に連絡をして武藤さんの社用の携帯電話にもメールを送った。『ゆっくり休んでください』と当たり障りのない返信に一層申し訳なさが増した。
私では武藤さんと仕事をするのは無理だ。この人とは一定の距離をおいておくのがよかったのだ。武藤さんの気持ちを知りたくはなかったし、異動もしたくなかった。正広とは順調に付き合い続けたかったし、将来も真剣に考えてほしかった。
何もかも私の思い通りにはならないことが苛立たしい。
再び溜め息をついたその時、フロアの扉が勢いよく開いて武藤さんが戻ってきた。
「あれ? 忘れ物ですか?」
返事をすることなく無言で近づいてきた武藤さんは私の目の前に立った。
「どうしたんで……」
言葉を最後まで言い終わらないうちに私の体は前屈みになった武藤さんに抱き締められた。
「え? ちょっと!」
座った私の肩を包む両腕は締め付けることなく優しいけれど、抵抗しても解放してくれることはない。武藤さんの肩に私の顔はすっぽり隠れる。
「武藤さん!?」
「やっぱり無理してます」
耳元で聞こえる武藤さんの切ない声が、抵抗してもがく私の動きを止めた。
「放してください!」
私は怒鳴った。社員旅行の恐怖が思い出される。
「戸田さん、無理しています」
「無理なんて……」
していないとは言い切れなかった。私を優しく包む武藤さんになぜだか強がれない。この人が今何を思っているのか嫌でも伝わって、焦って武藤さんの胸を押した。
「やめてください!」
自然と大きな声が出てしまう。強引にキスされたことを忘れたわけじゃないのだ。それでも武藤さんは私を放そうとはしない。
「あなたが辛いと僕も辛い」
「そんなことを言われても困ります……」
武藤さんの気持ちが今は重荷でしかない。
「ほんとに……放して……」
涙が出そうだ。正広との関係が辛い今、私を好きだと言うこんな素敵な男性に抱き締められたら甘えそうになってしまう。
「今は困ってもらっていいです」
武藤さんのこの言葉に心が揺れた。それでもこの人にこのまま抱き締められ続けていたら私は自分を許せない。
「また強引にキスをするつもりですか?」
強めの言葉で武藤さんを責めた。
「あの……」
「それとも、また酔ってますか?」
この言葉に私を抱き締める力が弱まった。力で敵わないなら言葉で抵抗するしかない。武藤さんはようやく自分のしていることを焦り始めたようだ。
「そういうつもりじゃなくて……」
言い訳する武藤さんの肩を思いっきり押した。武藤さんは私から離れてよろめいた。
「私が何に悩んでようと武藤さんには関係ない!」
感情が高ぶって涙が出てきた。
「私に触れるのはいい加減にしてください!」
尚も大声を出す私を見つめる武藤さんは見慣れてしまった戸惑う表情を向ける。
「すみません。不快にさせてしまったなら謝ります。でも……」
武藤さんはイスに座る私に視線を合わせるように床に膝をついた。
「戸田さんが辛いと僕も辛いのは本当です。僕は戸田さんに笑っていてほしい。そうじゃないことが苛立たしいんです。社員旅行の日、僕が悪酔いしたのは戸田さんが辛い恋愛をしている現実が嫌になったからです」
「っ!」
こんなことを言われて、堪えきれなくなって足元に置いたカバンを引っ付かんで立ち上がった。武藤さんに「セクハラだ」と怒鳴ろうとしたけれど言葉が出てこなかった。そのまま膝をつく武藤さんの横を抜けて勢いよくフロアから飛び出した。
エレベーターのボタンを連打して開いたドアの隙間に体をねじ込むようにして中に入り、再びボタンを連打した。焦る私の気持ちには応えることなくドアはゆっくり閉まる。それでも武藤さんは追ってこなかった。
私を気にかけてくれる武藤さんが怖かった。どういうつもりで抱き締めてきたのかは知らないけれど、あんな風に触れてくるなんて気持ち悪い。弱っている私には通常よりも大きな衝撃なのだ。
社員旅行で強引にキスされたあとは正広に会いたくて仕方がなかった。けれど今は会いたいとも思わないし、正広が会ってくれることもない。どうしようもなく悲しくて経験したことのない孤独感で満たされた。
◇◇◇◇◇
正広からの連絡を待ち続けて1週間がたった。今まで連絡を取らないことが普通だったけれど、今回は何倍も長く感じた。
この1週間で私の生活は変わった。スマートフォンを常に持ち歩くようになったし、夜も眠れず仕事にも身が入らなくなってしまった。お風呂上がりに髪も乾かさずぼーっとしていたことも度々あった。こんなことは初めてだ。正広にこうまで心を乱されている自分を初めて知った。
「戸田さん……戸田さん!」
「はい!」
名を呼ばれて我に返ると横にいる武藤さんが心配そうに私の顔を見ている。
「大丈夫ですか?」
「ああ、はい……」
武藤さんにこうして意識を呼び戻されて大丈夫かと問われることはもう何度目だろう。
「顔が赤いですけど本当に大丈夫ですか?」
「そうですか? 大丈夫です……」
そうは言っても顔以外にも体中が熱を持っている気がする。正広のことは関係なく頭が重たくて眠気があることは数時間前から感じていた。
武藤さんは私の答えに納得できないという顔をしていたけれど、それ以上何も言わずに私から視線を逸らしてパソコンを向いた。
武藤さんに抱き締められてからというもの、仕事以外でちゃんと会話もできないでいる。プライベートな悩みを仕事に出しているのは反省しているけれど、武藤さんの公私混同ぶりには呆れてしまうのだ。このまま距離をおいていきたいと思っている。
「はぁ……」
私は小さく溜め息をついた。今日は特に体調が悪く自然と呼吸が荒く深くなる。
「武藤さーん、1番にお電話でーす!」
二つ後ろのデスクから武藤さんを呼ぶ声がした。
「ありがとうございます」
武藤さんはそれに返事をすると受話器をとった。
「お電話代わりました武藤です……はい……ええ……え?」
武藤さんの声音が低くなった。
「申し訳ございません……至急お送りします。はい……失礼致します」
受話器を置くと武藤さんは私に顔を向けた。
「戸田さん、工事の日程表と区画案内図を会場元にメールしましたか?」
そう言われて思い出そうとキーボードを打つ手を止めた。
「えーっと……確か一昨日送りました」
「それがいつまでたっても送られてこないと今お電話がありました」
「え? そんなはずは……」
私は慌てて送信ボックスを確認した。先週末日程表の作成がギリギリになってしまい催促されていたものを一昨日送ったはずだった。
「えっと……」
いくら探しても送信ボックスには私の送ったメールの履歴はなかった。
「戸田さん?」
「すみません……私のミスです。送っていませんでした……すみません」
私は武藤さんに体を向けて謝った。
「ふぅ……」
今度は武藤さんが溜め息をついた。
「戸田さん、集中していただかないと困ります」
珍しく低い声で叱責する武藤さんの姿に周りの社員の視線が私たちに集まりだした。整った顔を歪ませるとこんなにも迫力があるのだと知った。普段温厚な武藤さんを怒らせると体調が悪い私には何倍も怖く見える。
「今日はもう早退されてはいかがですか?」
「え?」
「体調が悪いのでしたらお帰りください」
武藤さんは冷たい声をぶつけ、蔑むような目で私を見た。それは以前避けられていたとき以上に堪えた。私にいられては邪魔だ、そう言いたいのだ。
「いいえ、大丈夫です!」
思わず大きな声で言い返した。帰れと言われて素直に帰れるわけがない。私のプライドが許さない。
「でしたら1つ1つに集中してください。日程表も遅くなった原因を思い出してください」
「………」
まだ武藤さんの担当になってからの仕事の処理ペースがつかめずに日程表の作成が遅くなってしまったのは私の責任だ。それなのに先方に送信するはずのメールも送り忘れてしまうなんて自分でも呆れてしまう。
「申し訳ありませんでした……気をつけます」
「お願いします。メールはすぐに送ってください」
そう冷たく言うと武藤さんはパソコンに向かった。私は悔しくて涙が出そうになるのを堪えて目の前の仕事に取りかかった。
私が悪い。体調管理もできずプライベートの悩みを仕事にも響かせたのだ。田中さんから私に引き継いだ途端にミスを連発では怒られて当然。将来を期待されている武藤さんには私をサポートにと会社からも言われていたのに足を引っ張ってしまった。
けれどいつもと違う武藤さんは単純に仕事でのミスを注意したというだけではないと感じてしまった。私への怒りを今回のミスに当てつけているのではと。そう思ってしまうのは武藤さんの私への好意が重たいものだと自覚しているからだった。
次の日、私はついに高熱が出て出勤することができなくなってしまった。会社に連絡をして武藤さんの社用の携帯電話にもメールを送った。『ゆっくり休んでください』と当たり障りのない返信に一層申し訳なさが増した。
私では武藤さんと仕事をするのは無理だ。この人とは一定の距離をおいておくのがよかったのだ。武藤さんの気持ちを知りたくはなかったし、異動もしたくなかった。正広とは順調に付き合い続けたかったし、将来も真剣に考えてほしかった。
何もかも私の思い通りにはならないことが苛立たしい。
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