きみの愛なら疑わない

秋葉なな

文字の大きさ
上 下
100 / 164
#4 二度裏切られる男

100

しおりを挟む


 賑わいと活気を取り戻しつつある街の大通りを通り過ぎ、脇道に逸れると、歩くほどに周囲が静かになっていくのを感じる。
 ぽつりぽつりと大きな屋敷が並ぶ緩やかな坂道を登ると、やがて、目的の場所が見えてくる。

 ヨウファンの屋敷は街中にあるからか洒落た塗りの壁だったが、こちらは自然の多い景観に溶け込むような石壁だ。
 以前に来た時には気づかなかったが、昔からそうだったのだろうか。
 それともヨウファンが指示して手を入れたのだろうか?

 いや……きっと昔からだ。
 近づいてみて、白羽は思う。
 壁からも表門からも、歳月を重ねた風合いを感じる。
 修繕したとしても最低限だろう。

 細やかな彫り装飾が施された大きな門は、固く閉ざされている。
 視界の端に、サンファが困惑しているような表情を浮かべているのが見えた。
「行き先を教えてくれていれば入れるようにヨウファンに頼んだのに」とでも言いたげだ。
 普段の彼女なら即座に口にしただろう。黙っているのは白羽がそう指示したためだ。

 ここへくるまでの道すがら、白羽は彼女に「なにも言わないでほしい」と頼んだのだ。
 どこへ行っても、なにがあっても、ただじっと見守っていてほしい。心配させるようなことは絶対にしないから、許可を出すまで話しかけないでいてほしい、と。
 我ながら勝手な頼みだとは思ったが、譲れなかった。
 と、サンファは少しだけ困ったような顔をしたものの、「畏まりました」と応じてくれた。「その分しっかりと目を光らせております」と、ふざけたように言いながら。

 白羽は上から下まで確かめるように門を見る。鍵というより魔術で封じられているようだ。ある種の結界。
 それならば、と静かに手を掲げ、そっと触れる。
 と、解錠される感覚があった。
 思い切って押してみると、それはゆっくりと動く。

「まあ……」

 サンファが思わず、と言ったように声をあげ、慌てて自身の口を押さえる。白羽はそんな様子に苦笑しつつ「いいよ」と目で返事をするとそのまま足を踏み入れる。

 サンファは驚いていたが、白羽はなんとなく自分なら入れるような気がしていた。
 ここは、ティエンの邸だから。

 一歩入ると心地よい風が髪を通り抜けていく。
 外の音もほとんど聞こえなくなった。静かな場所とはいえまるで別世界のようだ。

 ゆるい階を、一歩一歩上っていく。
 左右には、自然のままのように枝葉を伸ばす木々。色とりどりの野の花たち。どこからか鳥の声も聞こえてくる。
 どこか懐かしいような感覚がするものの、物珍しさの方が大きい。

 考えてみれば、ここを訪れるのはティエンに呼び出された時以来だし、あの時は何が何だかわからず案内してくれた人について行っただけだ。それに緊張もしていたから周りをゆっくり見る余裕なんかなかった。
 それに、騏驥になればそれ以前の記憶は次第に曖昧になる。
 覚えていることよりも初めて見るものの方が多く感じるのは当然なのだろう。

(でも……)

 実際に見るものや聞くものは初めてでも、肌に感じる感覚はなんとなく馴染みがあるように思える。
 雰囲気や気配——。そういった目に見えないもの・形にはならないものが、なぜか感じられるのだ。
 おそらく、この邸の主であり隅々まで造りにこだわったティエンの持つ雰囲気であり趣味なのだろう。
 そう——おそらく、彼が白羽のために設えてくれた離房に似ているのだ。

 邸自体はさほど広くないものだった。
 今白羽が身を寄せている、ヨウファンの屋敷のその離れよりもさらに小さいぐらいだ。
 だが隅々まで手入れが行き届いている。
 おそらく、主の訪れがなくなってからもヨウファンがしっかりと管理していたのだろう。
 
 加えて母屋の傍には、放牧場のような広い草地まで作られている。これは、以前にはなかった気がするものだ。実際、土もまだ新しそうだ。
 おそらく、自分が主となった際には白羽をここに住まわせようとしていたヨウファンの計らいなのだろう。
 白羽のことを思っての準備だったのだろうが、もしレイゾンを追うことがなければ、本当にここに住むことになっていたかもしれないと改めて感じ、白羽は胸がキュッと痛むような気がした。

 数歩歩いては立ち止まって眺め、見つめ、ゆっくり歩き、小さな池のある庭をぐるりと回り込み、さらに奥に足を進める。
 と——。

(ああ……)

 そこにはまさに、見覚えのある景色が広がっていた。
 神秘的にも感じられる苔庭。木々の葉陰。そっと咲く香り高い花々。磨かれた石で作られた腰掛けと卓……。
 秘密の森。

 白羽は胸の中で感嘆の息をつく。
 懐かしさに胸が熱くなる。揺さぶられる。まだこの光景が残っていたなんて。 
 涙が出そうだった。あの時はここに「彼」がいた。

 ゆっくり——ゆっくりと首を巡らせて全てを眺める。
 清浄に感じられる空気を存分に味わうように大きく息をつき、地に、木に、花に触れる。
 全身で、この場所の気配を感じたくて。
 
 ここから全てが始まった……。

(そして今……わたしは……)

 白羽は天を仰ぐ。
 木漏れ日が、心地良くも眩しい。

 白羽はしばらく目を閉じると、やがて、腰掛けに腰を下ろした。
 サンファは少し離れたところにいる。気を利かせてくれている侍女に感謝しつつ白羽は手招くと、

[ここは懐かしい場所なんだ]

 と書いて見せた。

[まだ人だった頃、ここでティエンさまと会って……お側に仕えることになって……]

 懐かしい。全部が。
 彼の側にいられた日々の全てが。
 全てが大切で、思い出深い。
 
 誰より眩しく、けれど儚かった人。
 ずっと慈しんでくれた。その最期の時まで。
 優しかったティエン。

 でも——。

[でも陛下ティエンさまは……悪い騏驥は……お好きではないよね……]

「…………し……ろはね……さま……?」

 それまでは、にこにこと白羽が書いた紙を見ていたサンファが、恐る恐ると言ったように小さな声を零す。
 白羽はそれを咎めることはしなかった。ただ、唇を噛む。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

社長から逃げろっ

鳴宮鶉子
恋愛
社長から逃げろっ

処理中です...