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気持ちの行方がわからない
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しおりを挟む予約したというレストランに着くまで窓の外を見ながらどうやって相手に嫌われようかと必死で考えていた。今着ているデート用の服ではなくてジャージに着替えておけばよかった。髪は乱れてきているからこのままでいいし、メイクも泣いたあと簡単にしか直せていないから酷い顔のはず。相手がどんな男なのか知らないけれど良く見せる必要はない。
お店に着いて席に案内されるとそこには既に1人の男性が待っていた。
「坂崎君、遅くなってすまないね」
「いいえ」
「家内と娘の実弥だ。実弥、こちらは父さんの会社の坂崎君だ」
父に紹介され坂崎と呼ばれた男性を見た。背は180センチ以上あるかもしれないほど高く、モデルもできそうなほど整った顔をしている。私よりは年上だということはわかるけれど、そんなに離れているようには感じない。
「坂崎亮です。お父様にはいつもお世話になっております」
坂崎さんは母と私に丁寧に挨拶をした。
「実弥です……」
反対に私の挨拶はどうしても素っ気無くなってしまった。坂崎さんの第一印象は悪くない。けれどこの人と関係を深める気など初めからなかった。
食事が運ばれてきてしばらくたっても、私は挨拶して以降会話に加わることはなかった。ほとんど父と坂崎さんの仕事の会話で、私も母も黙って料理を口に入れていた。
「坂崎君は今いくつになった?」
「今年で34になります」
「そうか。実弥はいくつになるんだった?」
「24」
父の質問に数字しか言葉にしないのはさすがに感じが悪いかもしれない。けれど無理に会話に混ぜようとする父の態度にはうんざりするし、娘の年くらい覚えておいてよと呆れてしまう。
「ちょうど10歳離れているな。でもまあ気にならない差だな」
年齢差を気にしない父は私の態度だって気にならないほど酔い始めたのか、豪快に笑うとワインを飲み干した。坂崎さんと交際することがもう決まっているような父の言い方が気に入らない。
坂崎さんは私にはもったいないくらい素敵な人だ。けれどお付き合いしたいとは思わない。坂崎さんはどう思っているのだろうと顔を見ると、私を見ている彼と目が合った。そうして私に向かって微笑んだのだ。整った顔で笑いかけられて思わず目を逸らしてしまった。髪がボサボサでメイクも直していない、だらしない自分が恥ずかしくなるくらい坂崎さんはかっこいい。じっと見られて顔を上げることができない。
父との話の合間にも坂崎さんから視線を感じた。彼はきっと心の中でここに来たことを後悔しているかもしれない。父に押し切られて強引に食事をさせられているだろうに、相手が私ではさぞがっかりだろう。上司の娘だから仕方なく会っているだけに違いない。
「坂崎君は優秀な男でね、社内でも期待されているんだ」
「いえ、黒井専務のお力があってこそです」
坂崎さんを褒めちぎる父に、謙遜する坂崎さん。同じような内容を何度も繰り返す二人の会話にそろそろ飽きてきた。
父の会社のことはよく知らない。父の兄である私の叔父が社長を務めていることと、次期社長には私の従兄弟が就任することが決まっていることしか知らなかった。
私を早峰フーズに就職させることができるコネがあるだけあって、父の会社もそこそこに大手だ。専務である父が目をかけるくらいなのだから、坂崎さんは本当に優秀な社員なのだろう。けれど私は坂崎さんに全く興味がない。尚も私を見る坂崎さんの視線についに耐えられなくなった。
「ちょっとお手洗いに……」
私はそう言って席を立った。
化粧室の大きな鏡の前で溜め息をついた。嫌われるために来た食事の席は驚くほどつまらない。私がいてもいなくても何一つ関係なさそうな中身のない会話。
どうせ坂崎さんに呆れられているのだ。できるだけ早く帰りたい。
シバケンは今頃どうしているだろう。通り魔事件の犯人は捕まっただろうか。明日の朝の情報番組で犯人逮捕の報道がされるといいな。彼が大事な仕事をしているのに、こんなところで意味のない時間を過ごしている自分が情けない。
会いたい。シバケンに会いたい。
もう一度溜め息をつくとメイクを直さずに化粧室を出た。
つまらない食事会をやっと終え車に乗り込んだ。発車する直前まで坂崎さんは私たちを見送った。最後に私の顔を見て、普通の女性ならうっとりするほどの笑顔を向けてくれたのが申し訳なくなった。
会社員って本当に大変だ。気を遣って作り笑顔をキープしなきゃいけないんだから。
車を運転しながら父は母までもうんざりするほど坂崎さんの話をしていた。
「今度は二人で会ってきなさい」
ずっと父の話を黙って聞いていたけれどさすがに抵抗した。
「嫌だ。あの人と会うのはこれで最後だよ。お父さんも今日だけって言ったじゃない」
「坂崎君は文句のない男じゃないか」
「好みじゃない」
「実弥!」
父の怒鳴り声にも怯んだりはしない。
「あっちだって私なんか嫌に決まってるでしょ」
「そんなことはない。坂崎君もお前のことを気に入ったそうだ」
「上司の娘を気に入らないなんて言うわけないじゃない」
「本当だ。お前が席を離れていたときに正式に交際したいと言ってきた。たとえ気を遣ったとしてもそこまでは言わないだろう。興味がなければ遠回しに断るのが普通だ」
そうかもしれない。けれど坂崎さんのような完璧な人が私に興味を持つとは思えない。
「坂崎さんとは付き合えない」
「いい加減にしなさい!」
「付き合ってる人がいるの!」
父に負けない大声で怒鳴った。
「彼氏がいるの。だから坂崎さんは無理!」
これには黙っていた母までも驚いている。
「いつの間にそんな人が……」
「どんな人なんだ?」
父は前を見ながらもバックミラーで私の顔を盗み見ていた。
「真面目な人」
「仕事は何をしているんだ?」
職業は絶対に聞いてくると思っていた。父は人柄よりも仕事や年収や学歴を重視するのだから。
「……警察官」
小さく呟いた声を父は聞き漏らさなかった。
「警察官だと? 役職は何だ? 大学はどこを卒業している?」
これも聞かれると思っていた。私の進路に口を出す父は相手の出身校や役職にだって興味を持つのだ。
「いいでしょそんなことは……」
「いいから言いなさい!」
父に一括されて私も怒りが湧いてくる。
「階級は巡査部長……」
シバケンに教えてもらった役職の名前を思い出しながら渋々答えた。
「巡査部長だと? そんな男とは別れなさい」
「はあ!?」
怒りが頂点に達した。シバケンを悪く言われて平静でいられるわけがない。家の前に車が到着したタイミングで勢いよく車から降りると一人で先に部屋に入り、2階の自室にこもった。
こんなタイミングでなくても両親にシバケンのことを言うつもりはなかった。父が良く思わないのはわかっていたことだ。シバケンをバカにされることには耐えられない。父に何と思われようと、私にとってシバケンは尊敬するべき対象なのだ。
もう絶対に父とは分かり合えない。何度も考えた家を出るという決断を本気で実行しようと決めた。父と縁を切ることすら本気だった。
◇◇◇◇◇
「目撃情報っていっても証言した人も見た目が怪しいとか、不審な動きをしてるってだけで通報したらしくて、よく確認したら自信がないようだったしね」
「そっか……残念ですね」
電話の向こうのシバケンの淡々とした声に私は暗い声で返事をした。非番のシバケンは疲れているだろうに、私と会えない日はできる限り電話をしてくれる。
通り魔事件の犯人は結局捕まらなかったらしい。曖昧な情報だったせいか捜査員も混乱し、もし本当に犯人がいたとしても上手く逃げてしまったのかもしれない。
また同じような事件が起こったら怖いと胸が締め付けられるようで苦しい。私でもこうなのだから被害に遭われた方は今ものすごく苦しんでいるのだろう。シバケンにはそんな私の様子は電話では気づかれない。
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