落ちる恋あれば拾う恋だってある

秋葉なな

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あなたと恋に落ちるまで

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ふらふらと駅まで歩いた。

電車の時間、調べなきゃ……。

そうしてカバンの中のスマートフォンを探すと、手帳に挟んでいたカードが飛び出した。それは椎名さんが初めて早峰に来たときにもらった名刺だった。

声が聞きたい。優しく私を気遣ってくれる声が。

スマートフォンで名刺の番号に電話をした。
社用携帯にかけても今の時間出てくれる可能性は低いと分かっていた。それでも椎名さんの番号はこれしか分からない。
数秒の呼び出し音が数分にも感じられた。

とにかく声が聞きたい。今は意地悪な言葉だっていい。私の名前を呼んで。

「はい、椎名です」

「………」

ああ、やっと聞けた……。

「もしもし?」

「っ……」

「もしもーし」

「うっ……あっ……」

涙が出た。椎名さんの声を聞いたら安心してしまった。

「……夏帆ちゃん?」

「うぅ……」

「夏帆ちゃんでしょ?」

「しい、なさっ……」

嗚咽で言葉にならなかった。涙を止めようとしても呼吸が落ち着かない。

「……どうした?」

「はぁ……っ」

これでは会話にならない。私は深呼吸するのに必死になる。

「夏帆ちゃん今どこ?」

「っえ、駅っ……」

「迎えに行く。俺が行くまで待てる?」

「はい……」

「そこから動かないで」

「はい……」

「じゃあ後でね」

電話が切れると駅の目の前のベンチに座り膝に置いたカバンに顔を埋めた。
こんな時に声が聞きたいと願って、私のもとに来てくれるのは恋人ではない椎名さんなんだ。





「夏帆ちゃん!」

「あ……」

顔を上げると焦った顔の椎名さんが立っている。来てくれた嬉しさで涙が出る。この人は私が辛い時、私のために来てくれる人なんだ。

「大丈夫? 何があったの?」

「あの……」

何をどう言ったらいいのだろう。椎名さんを呼んだのは私なのに言葉が出ない。

「ボタン……掛け違えてるよ?」

椎名さんの目線を追って自分の胸元を見るとブラウスのボタンを掛け違えている。

「これでここまで来たの? よっぽど動揺したんだね」

椎名さんは笑いながらしゃがんで私と目線を合わせる。

「夏帆ちゃん……これ何?」

「え?」

椎名さんはブラウスのボタンを外すと鎖骨が見えるよう大きく広げた。

「ちょっと!」

下着まで見えてしまいそうで、こんなところで恥ずかしくて怒ってもそれ以上に椎名さんは怖い顔をする。

「これどうしたの?」

言われて胸を見ると赤いあざがいくつも鎖骨から胸にかけて目立つ。

「なにこれ……あ」

先ほど修一さんに強く吸われた。それを思い出して慌ててブラウスで隠す。
そんな私に椎名さんは動揺したようだ。

「その手首も」

「手首?」

自分の両手首を見ると赤くなっている。修一さんの手で押さえつけられていたのと、カーペットで擦れたのだろう。

「ねえ、なんで夏帆ちゃんこんな姿で泣いてるの?」

「それは……」

「普通さ、キスマークつけられる状況ってボロボロに泣くものじゃないよね?」

「………」

「それ、夏帆ちゃんが望んだこと?」

再び涙を流しながら首を振った。

「そうか……」

椎名さんはぎゅうっと私を抱きしめる。

「椎名さん?」

駅前の人通りが多い時間なのに椎名さんは構わず私に触れる。そうしてゆっくり体を離すとブラウスのボタンを留めて私を立たせ、手をつないで歩きだす。

「どこっ……どこに行くんですか?」

私の質問には答えず椎名さんはタクシー乗り場まで私を連れていく。
先頭に停まっていたタクシーに私を押し込むと椎名さんも隣に座る。運転手に行き先を告げるとまた私の手を握る。今度は指を絡ませてきた。

「椎名さん、どこに行くんですか?」

「俺んち」

「え?」

「そんな姿見せられて平静じゃいらんないよ。取り敢えず二人きりになれるとこ行きたい」

「でも、椎名さんの家じゃなくても……」

「ホテルとどっちがいい?」

静かにそう言われ私は黙るしかなくなってしまった。



アパートの前に着くと椎名さんが料金を払い、手を引かれて部屋に招き入れられた。
椎名さんの部屋は広くはないけれどキレイに片付けられていた。

靴を脱ぐなり椎名さんは私の体の隅々をチェックする。

「他は無事?」

「はい……」

落ち着くと痛いと自覚できるところは手首と背中と胸だけだ。
私はリビングに座らされるとお礼を言った。

「あの、ありがとうございます」

「何が?」

「急に来ていただいて……」

深い事情を聞かずに駅まで迎えに来てくれた。今も強引に連れてこられたけれど椎名さんは私を落ち着かせようと人目のないここを選んだ。

「心配だったし」

「お仕事終わりで疲れてるのに……」

「いいよ。気にしないで」

椎名さんの穏やかな顔に救われる。

「そういえば今日は社用車じゃないんですね」

車で駅まで来てくれると思っていたのにタクシーでここまで来た。

「ああ、さっき飯食ってたから。酒飲んでたから車運転できなくて」

「すみません。邪魔しちゃって」

「大丈夫。あいつとはいつでも会えるから今日じゃなくてもいいんだ」

「誰かと食事ですか?」

「ああ、会社の奴と」

悪いことをしてしまった。椎名さんには一時の感情で迷惑ばかりかけている。

「気にしなくていいって。泣きながら電話してくる女の子をほっとけないでしょ」

「はい……すみません……」

「それよりどうした? 夏帆ちゃんのキスマーク、横山さんに付けられたんでしょ?」

「はい……」

「なんでそんなに辛そうなの?」

「………」

答えない私を椎名さんはそっと体を寄せる。

「無理矢理付けられたの?」

私は迷ってからこくりと頷いた。

「そっか……」

椎名さんは私の体を抱きしめた。

「もう大丈夫だよ」

優しい言葉に止まったと思った涙が頬を伝う。

「別れました……」

小さく呟いた。それを聞いた椎名さんは私の頭を撫でた。

「頑張ったね……」

椎名さんの胸に顔を寄せる。不思議とこの人の腕の中は落ち着く。

「私って、昔からうまくいかないんです」

家庭のこと、退学したこと、会社での人間関係、恋愛……。
今までの人生でうまくいってると感じたのは短い時間だけだった。
気づいたら私は椎名さんに全てを話していた。
早峰フーズに入社するまでの経緯、会社での辛い出来事、宇佐見さんのこと、修一さんとのこと。
一気に話をしても、椎名さんは口を挟むことなくじっと聞いていてくれた。

「それがもう、全部どうでもよくなって……」

魔法かというくらい椎名さんに会ったら気持ちが楽になる。この人がどんなに大きな存在か思い知ってしまった。

「もう……自分に笑えてきちゃって……仕事も何もかもどうにでもなれって……」

「どうでもいいなんて言うなよ」

「え?」

「夏帆ちゃんがずっと耐えて頑張ってきたことをバカにされたままでいいの?」

「………」

「会社辞めたい?」

「迷っています……」

会社で修一さんに会うのも怖い。別れて噂になるのも嫌だ。宇佐見さんにどんな嫌みを言われるか不安だ。

「早峰に就職が決まった時、すごく嬉しそうな顔で君は笑ってた」

椎名さんの瞳が私の瞳を捉えた。

「俺の背中を押してくれた夏帆ちゃんには投げやりになってほしくない。慎重に考えて」

「でも……」

頑張れるだろうか……。もう精神的に限界が近いのに。

「俺さ、前の仕事を考えなしに辞めちゃって、やりたいこともなくて自分が情けなくてさ」

そういえば3年前の椎名さんはどこか不安そうな目をしていた。それが私と同じだと思ったことを思い出した。
今思えばそれは意外だった。椎名さんは何でも自信満々にこなしているのかと思っていた。

「でも夏帆ちゃんが新しい発見があるかもって言ったから。悩んでないでとにかく動けって、そういうことを言いたかったんでしょ?」

そこまで覚えていてくれてるとは思わなかった。言った私自身忘れていたのに。

「あの時君がいたから今の俺があるんだよ。だからよく考えて。人間関係で悩むのは仕方がないよ。だったら尚更、人生の選択を間違わないように」

「はい……」

「なんて、横山さんと別れてくれて嬉しいと思う俺が言うのもおかしいけど」

椎名さんは苦笑いだ。

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