落ちる恋あれば拾う恋だってある

秋葉なな

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あなたと恋が終わるまで

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「じゃあまたね夏帆ちゃん。横山さんと別れたら俺んとこ来なよ」

「別れませんから!」

椎名さんは台車を押してエレベーターの方へ向かって歩いていった。
本当にあの人は冗談ばっかり……。

私はすぐ横のトイレへ足を向けた。壁を曲がるとすぐ化粧台がある。
どれだけ酷い顔をしているんだろう……。

トイレの壁を曲がった瞬間息が詰まった。鏡の前には女性が一人立っていた。誰もいないと勝手に思っていたから驚いたけれど、女性は私が来ることが分かっていたのか初めからこちらを見ていた。
名前は分からない。けれど顔は知っている。営業推進部の人だ。宇佐見さんと一緒に私を見て笑う内の一人だから。

女性は私の顔を見ると無言で横を抜けてトイレから出ていった。
もしかして、今の椎名さんとの話を聞かれてたのかな? いつから? トイレに入ったとこは見ていない。だったら私たちが非常階段から出てきてからの全部を聞かれたの?
どうしよう……変な風に受け取らないでくれるといいんだけど……。

結局その日は修一さんから折り返しの電話は来なくて、忙しい人だから、と無理矢理納得しようとしたけど修一さんに対してわだかまりができた。





『今日来る?』

数日私から連絡するのを控えていたら修一さんの方から連絡してきた。
ほら、私の電話を無視しているのに都合よく呼び出すんだから。

『行けたら行きます』

そっけない返事かもしれないけれど今の私には精一杯。修一さんに会いたいけど、ほんの少し怒っている。

『夏帆に会いたい』

そんなことを言われたら単純な私はその言葉に揺れてしまう。そういうことなら私も修一さんと話をしよう。

『分かりました』

『今日はパスタ系が食べたい』

要望メッセージに対して返信はしなかった。



私が作れるパスタのレパートリーは少ない。修一さんに食べさせる自信のあるものはなかったから、たらこスパゲッティーなら失敗しないだろうと思った。

修一さんの家に行ったらやっぱり部屋には段ボールがあって、食器はいつから洗われていないのか分からないほど汚れがこびりついたままシンクに置かれ、洗濯カゴには衣類が山積みになっている。
うんざりしてしまう。
やっぱり私を呼んだのってこのため……?
シンクの食器を片付けないと料理もできないし、テーブルだって物が置かれたままで食事もできない。

「ただいま」

「おかえりなさい。修一さん、今夜は外食にしませんか?」

修一さんがリビングに顔を出すと、私はすかさず外食を提案した。

「え? どうして?」

「最近外で食事してないし、たまにはいいかなって」

「そう……僕は夏帆のご飯が食べたいんだけど……」

修一さんは外に行くことに乗り気ではないようだ。でも今夜の私は修一さんの望む彼女にはなれそうにない。
一応スーパーに寄って買い物はしてきた。作るには作れるのだけれど……。

「分かりました。私、今夜はご飯を食べたら帰りますね」

「そうなの?」

「今週は締め日がありましたし疲れちゃって」

「そっか……分かった。先にお風呂入っちゃっていい?」

「どうぞ」

修一さんは脱衣場に行ってしまった。
私が疲れていると言っても外食にはしないで、労う言葉もない。
本当に私に会いたいと思ってるの? ただ家事をしてほしいだけなんじゃないの?
修一さんを疑うことばかり頭に浮かぶ。

「うん、やっぱうまいね」

たらこを絡めて簡単に味付けしただけでも修一さんは美味しそうに食べてくれる。いつもならおいしいと言ってくれたら嬉しいと思えるはずだけど、今の私には響かない。

「ごちそうさまでした」

修一さんと私の食器をシンクに置いた。迷ったけれどスポンジを取って洗い始めた。
これを洗ったら帰ろう。食器は私も使ったから洗うけど、洗濯も掃除も私がやる必要はない。

「じゃあ私は帰ります」

「本当に帰るんだ?」

カーディガンを羽織る私に修一さんは声をかける。

「泊まっていかないの?」

「ごめんなさい、疲れちゃって」

「残念、夏帆の朝ごはん食べたかったのに」

また? 私が作るの?

不満や我慢や疑問がついに抑えられなくなった。

「私って修一さんの何ですか? 家政婦?」

「え?」

「私はご飯を作って掃除して洗濯する便利な女ですか?」

「違うよ夏帆」

「家政婦じゃないならセフレですか?」

「は? ちょっとどうしたの?」

修一さんは慌てている。普段見られない様子の修一さんが見れて面白いところだけど、今の私は笑わない。

「都合のいいときに呼び出して家事をやらせて、私が疲れてても気遣ってくれないんですか?」

「そんなことないよ。ごめんね、夏帆も大変だよね」

私をそっと抱き締めた。その行動はいつもの優しい修一さんだ。

「修一さん、私のこと好きですか? 私は修一さんの何ですか?」

「大事な彼女だよ」

耳元で囁かれた言葉に、興奮した私は少しだけ冷静さを取り戻す。

「それは確認しなきゃいけないこと?」

「私、不安なんです。修一さんとの関係やこれからのことが」

「何も心配いらないよ」

「なら、会社の噂を否定してくれますか?」

「……それは気にしなくていい」

即答せず、「うん」とも言ってくれないことに戸惑った。
修一さんは噂があることを知っていたみたいだ。なのに広まることも止めようとしない。

「どうして?」

「そんな噂すぐに消える」

「嫌なんです! 我慢できない! 私は……」

辛いんです!

涙が出てきて言葉に詰まった。修一さんは私の頭を撫でた。

「夏帆、くだらない噂は放っておけばいい。気にしたら疲れるだけだよ」

「噂を否定してくれようとしないんですね……」

修一さんは私を励ましているようでこの件から逃げている。そう思ってしまう言い方だ。

「夏帆はただの腰掛でしょ? やめるなら何言われたっていいじゃない」

「え?」

「早峰は結婚したらやめるんでしょ? 契約だし」

「いや、そんなつもりは……」

耳を疑う。今は契約社員でもいつか正社員になるつもりで頑張っていた。それを腰掛と思われているとは心外だった。

「もしさ、僕と結婚したら夏帆は家庭に入ってくれる?」

目を見開く。突然結婚という言葉を出されて戸惑う。

「えっと……修一さんはそう望むんですか?」

「うん。僕は奥さんには専業主婦になってもらいたいって思ってる。夏帆はそうじゃないの?」

「私……仕事を続けるつもりでした……」

契約でも会社に就職できたのだ。色んな思いがあって就活していた。辞めたいとは思わない。

「そう……。僕は夏帆には家庭に入ってもらいたいけど」

「ごめんさない……それはもう少し考えさせてください……」

「夏帆は僕と別れたいの?」

「違う! ……そうじゃない!」

「だって正社員の僕だけで充分生活していけるよ?」

理解できない言葉に顔を上げて修一さんの顔を見た。

「私……仕事するの好きなので……」

「雑用係が?」

体がピクリと震える。
他の社員に言われるのならまだ我慢できる。でもよりによって恋人に雑用だと言われるとは思っていなかった。今までそう思っていたということか……。

「私……修一さんといるのが辛い……」

この人と付き合ってなかったら悩むこともなかった。悲しい思いもしなかった。卑屈な自分を見つめることもなかった。

『君には笑っていてほしいんだ』

なぜか椎名さんの優しい顔が浮かんだ。

『夏帆ちゃんの不満も悩みも受け止めてくれるから』

ボロボロな私の傍にいてくれたのは、不満も悩みも受け止めてくれたのは、恋人ではなく椎名さんの方だった。

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