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あなたと恋が終わるまで
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彼の声が聞きたくなってポケットからスマートフォンを出して電話をかけた。何十秒とコールしても修一さんが出ることはなかった。彼はとても忙しい人だ。
頼りたいときに恋人の声が聞けないことがこんなにも辛い。
「っ……うっ……」
風が吹き抜け、乱れた髪が涙で濡れた頬に張り付いた。
もう嫌だ。私はただ静かに仕事をしたいだけ。人間関係が円満じゃなくてもいい。波風立たなければそれでいい。夢を諦めて生活のために仕方なく就職した。だからもう私には今の仕事と、家族と、修一さんだけ。これ以上乱さないで。ただ穏やかに、落ち着いた生活をしたいだけなのに……。
非常階段の扉が開いた。思わず振り返った私は出てきた人物を見て更に涙が溢れる。
「こんなとこでサボるなんて早峰の社員は本当に暇なんだな」
どうして……ここに来るの?
「俺も休憩するわ」
彼は横を抜け階段の下から二段目に座ると、上目使いで目の前に立つ私を見上げた。
前回気持ちのいい別れ方ではなかった。なのにこの人はどうしていつも私に絡むのか。
手の甲で涙をぬぐった。
「俺に会えて泣くほど嬉しい?」
「違います! 嬉しくないし!」
「そう言われると傷つくなー」
椎名さんは少しも傷ついた様子は見られない。
「何で泣いてるの?」
「椎名さんには関係ありません」
「あるよ。好きな女が泣いてたらほっとけないでしょ」
この人はまたそうやって冗談を言う。
「私、修一さんと付き合ってるって言いましたよね」
「でも俺は諦めてないし。それとも、君を好きでいることもだめなの?」
「それは……」
本当に私のことが好きなの? 椎名さんほどの人が?
「すみません……何て言っていいか分かりません……」
「そう……」
椎名さんの表情と声からは怒っているのか悲しんでいるのかの判断がつかない。
「俺なら夏帆ちゃんが辛い時そばにいてあげるのに」
修一さんの声が聞けなかった私に、そんな言葉は心をえぐる。
乾いたはずの涙が再び頬を伝った。
噂は数日前から広まっていた。修一さんだって少しは否定してくれていたらこんなにも広まらなかったかもしれない。噂の通り実は修一さんは私に迷惑してるのかな、なんて思えてきてしまった。
「っ……ふぇっ……」
椎名さんの前でも涙は止まらない。嗚咽を堪えるのが精一杯。
もう無理。会社にいるのが辛い。
数年前に容姿を中傷されて変われた時とは違う。大事な人の傍にいることを否定されて笑われた。私だけじゃなく修一さんも悪く言われている。申し訳なさに潰される。
泣いている時間が数分にも数時間にも感じられた。
「落ち着いた?」
椎名さんは階段に座ったまま私が泣き止むのを静かに待っていてくれた。
「すみません……変なところをお見せして……」
「別に。泣き顔も可愛かったよ」
「だから、冗談はやめてください」
「もういいよ。勝手に冗談だと思ってて」
椎名さんは少し不機嫌そうな顔をした。
「でも、椎名さんの言う通りかもしれません」
「何が?」
「私、何も深く考えなかった。私と付き合って修一さんがどんな目で見られるのか」
「そんなこと向こうだって考えてないよ。夏帆ちゃんが好きなんだから。人にどう思われるかを気にして付き合わないでしょ」
「修一さんのことが少し重いんです。そう思っちゃう自分が嫌で……」
「重いの?」
仕事もできて信頼されててかっこいい。私とは正反対で眩しい。
「修一さんは素敵な人で、なのに私と付き合ってくれて。私にはもったいなくて、感謝しなきゃいけないのに修一さんといることがプレッシャーなんです……」
家に来てと言われるのと同時に、あれが食べたいこれが食べたい、行く度に当たり前のように洗濯カゴが山盛りになっている。
「向こうは私を呼ぶのに、私が求めたときには電話に出てもくれない」
自分に都合のいいときだけ、なんて思っちゃって。
「今は仕事中なんだよ? 電車の中だから出られないのかも」
「折り返しもしてくれない!」
「でも夏帆ちゃんを大事にしてくれるんでしょ?」
「分かりません……椎名さんの言う通り、私利用されてるのかな……」
「そんなこと言うなよ。夏帆ちゃんが幸せじゃないのは、振られた俺としては辛いな」
「………」
椎名さんは悲しそうな顔をした。
心の隅に初めて罪悪感が生まれた。
「夏帆ちゃん、前にも言ったけど、気を遣わなくていい。頑張らなくてもいいんだよ」
椎名さんは手を伸ばして前に立つ私の手を取った。その行動に驚く余裕なんてなかった。それほど自然で不快感がない。
「嫌なら嫌って言った方がいい。横山さんは夏帆ちゃんの嫌がることなんてしないんでしょ?」
「………」
私の手が椎名さんの手に包まれた。温かい感触に気持ちが落ち着いてきた。
「君には笑っていてほしいんだ」
そう言った優しい笑顔に心が揺れた。私を見上げる目だけは真剣だ。
「横山さんとちゃんと話すんだ。夏帆ちゃんの不満も悩みも受け止めてくれるから」
「はい……」
心が軽くなった。椎名さんと話して初めて前向きになれた。
いつもは意地悪なことを言うのに、今日の椎名さんは私に優しい。
「君の幸せを願ってるよ」
「っ……」
顔が赤くなる。冗談でも優しい言葉に照れてしまう。椎名さんのこういうとこ、女の子は弱いんだ。合コンの夜だって私が困っているときに助けてくれた。
「ありがとうございます……今日の椎名さんは優しい」
「今日のって……いつも優しいし」
私は笑った。椎名さんの前で笑顔になれた。
「今からキスしちゃうかもよ?」
意地悪な笑みを浮かべて私の手を軽く引っ張った。倉庫で無理矢理キスされそうになったことを思い出した。それでも、今の椎名さんはそんなことはしないって分かる。
「それも冗談ですね」
「あら、本気なのに」
私はまた笑う。今の椎名さんには何の不安も感じない。
嫌な言葉を吐くのは、この人が不器用で思ったことをすぐ口に出してしまう一面があるからなのかもしれない。
椎名さんはゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ行こうか。お互いサボってるとまずいでしょ」
二人で非常階段の扉を開けて中に戻った。
「あの、椎名さん……手が……」
私の手は椎名さんに握られたままだ。
「あ、放さなきゃだめ?」
「当たり前です! こんなとこ見られたら誤解されます……」
誰かに見られてまた変な噂がたったらと思うと……。この状況を修一さんにまで知られたくない。
「残念」
椎名さんは渋々私の手を解放した。
「さて、仕事に戻るか。夏帆ちゃんサインちょうだい」
急に真面目になった椎名さんは、非常階段の扉の前に置いた台車から納品書とペンを取り私に渡した。
「はい。ご苦労様です」
サインをすると椎名さんに返した。
「夏帆ちゃん顔直してから戻った方がいいよ。メイクがひどく崩れてる」
「え? うそ……」
思わず顔を触った。確かにさっき泣いたせいで目が腫れている気がするし、下瞼を触ると落ちたマスカラが指についた。きっと今ものすごく酷い顔なんだろう……。
「夏帆ちゃん化粧するなんて女子力上がったよね。前はいつもすっぴんだったのに」
「過去を気にしてるんです! 言わないでください!」
にやにやと笑う椎名さんに怒りが湧く。
でも椎名さんが私のすっぴん時代を知っているということは、そのころ会ったことがあるの?
「椎名さん、前に会ったのってやっぱり私が早峰に入社する前ですか?」
「さあ、どうでしょう」
とぼけてはいても椎名さんと会ったのは多分数年前だ。地味な頃の私を知っていて、それでも好きになってくれたってこと? だったら尚更ありえない。
当の本人は私をにやにやしながら見ている。
もういいや、椎名さんのことを思い出さなくても。この人はろくにヒントもくれないし、思い出したところで今更椎名さんの印象が変わるとも思えない。
頼りたいときに恋人の声が聞けないことがこんなにも辛い。
「っ……うっ……」
風が吹き抜け、乱れた髪が涙で濡れた頬に張り付いた。
もう嫌だ。私はただ静かに仕事をしたいだけ。人間関係が円満じゃなくてもいい。波風立たなければそれでいい。夢を諦めて生活のために仕方なく就職した。だからもう私には今の仕事と、家族と、修一さんだけ。これ以上乱さないで。ただ穏やかに、落ち着いた生活をしたいだけなのに……。
非常階段の扉が開いた。思わず振り返った私は出てきた人物を見て更に涙が溢れる。
「こんなとこでサボるなんて早峰の社員は本当に暇なんだな」
どうして……ここに来るの?
「俺も休憩するわ」
彼は横を抜け階段の下から二段目に座ると、上目使いで目の前に立つ私を見上げた。
前回気持ちのいい別れ方ではなかった。なのにこの人はどうしていつも私に絡むのか。
手の甲で涙をぬぐった。
「俺に会えて泣くほど嬉しい?」
「違います! 嬉しくないし!」
「そう言われると傷つくなー」
椎名さんは少しも傷ついた様子は見られない。
「何で泣いてるの?」
「椎名さんには関係ありません」
「あるよ。好きな女が泣いてたらほっとけないでしょ」
この人はまたそうやって冗談を言う。
「私、修一さんと付き合ってるって言いましたよね」
「でも俺は諦めてないし。それとも、君を好きでいることもだめなの?」
「それは……」
本当に私のことが好きなの? 椎名さんほどの人が?
「すみません……何て言っていいか分かりません……」
「そう……」
椎名さんの表情と声からは怒っているのか悲しんでいるのかの判断がつかない。
「俺なら夏帆ちゃんが辛い時そばにいてあげるのに」
修一さんの声が聞けなかった私に、そんな言葉は心をえぐる。
乾いたはずの涙が再び頬を伝った。
噂は数日前から広まっていた。修一さんだって少しは否定してくれていたらこんなにも広まらなかったかもしれない。噂の通り実は修一さんは私に迷惑してるのかな、なんて思えてきてしまった。
「っ……ふぇっ……」
椎名さんの前でも涙は止まらない。嗚咽を堪えるのが精一杯。
もう無理。会社にいるのが辛い。
数年前に容姿を中傷されて変われた時とは違う。大事な人の傍にいることを否定されて笑われた。私だけじゃなく修一さんも悪く言われている。申し訳なさに潰される。
泣いている時間が数分にも数時間にも感じられた。
「落ち着いた?」
椎名さんは階段に座ったまま私が泣き止むのを静かに待っていてくれた。
「すみません……変なところをお見せして……」
「別に。泣き顔も可愛かったよ」
「だから、冗談はやめてください」
「もういいよ。勝手に冗談だと思ってて」
椎名さんは少し不機嫌そうな顔をした。
「でも、椎名さんの言う通りかもしれません」
「何が?」
「私、何も深く考えなかった。私と付き合って修一さんがどんな目で見られるのか」
「そんなこと向こうだって考えてないよ。夏帆ちゃんが好きなんだから。人にどう思われるかを気にして付き合わないでしょ」
「修一さんのことが少し重いんです。そう思っちゃう自分が嫌で……」
「重いの?」
仕事もできて信頼されててかっこいい。私とは正反対で眩しい。
「修一さんは素敵な人で、なのに私と付き合ってくれて。私にはもったいなくて、感謝しなきゃいけないのに修一さんといることがプレッシャーなんです……」
家に来てと言われるのと同時に、あれが食べたいこれが食べたい、行く度に当たり前のように洗濯カゴが山盛りになっている。
「向こうは私を呼ぶのに、私が求めたときには電話に出てもくれない」
自分に都合のいいときだけ、なんて思っちゃって。
「今は仕事中なんだよ? 電車の中だから出られないのかも」
「折り返しもしてくれない!」
「でも夏帆ちゃんを大事にしてくれるんでしょ?」
「分かりません……椎名さんの言う通り、私利用されてるのかな……」
「そんなこと言うなよ。夏帆ちゃんが幸せじゃないのは、振られた俺としては辛いな」
「………」
椎名さんは悲しそうな顔をした。
心の隅に初めて罪悪感が生まれた。
「夏帆ちゃん、前にも言ったけど、気を遣わなくていい。頑張らなくてもいいんだよ」
椎名さんは手を伸ばして前に立つ私の手を取った。その行動に驚く余裕なんてなかった。それほど自然で不快感がない。
「嫌なら嫌って言った方がいい。横山さんは夏帆ちゃんの嫌がることなんてしないんでしょ?」
「………」
私の手が椎名さんの手に包まれた。温かい感触に気持ちが落ち着いてきた。
「君には笑っていてほしいんだ」
そう言った優しい笑顔に心が揺れた。私を見上げる目だけは真剣だ。
「横山さんとちゃんと話すんだ。夏帆ちゃんの不満も悩みも受け止めてくれるから」
「はい……」
心が軽くなった。椎名さんと話して初めて前向きになれた。
いつもは意地悪なことを言うのに、今日の椎名さんは私に優しい。
「君の幸せを願ってるよ」
「っ……」
顔が赤くなる。冗談でも優しい言葉に照れてしまう。椎名さんのこういうとこ、女の子は弱いんだ。合コンの夜だって私が困っているときに助けてくれた。
「ありがとうございます……今日の椎名さんは優しい」
「今日のって……いつも優しいし」
私は笑った。椎名さんの前で笑顔になれた。
「今からキスしちゃうかもよ?」
意地悪な笑みを浮かべて私の手を軽く引っ張った。倉庫で無理矢理キスされそうになったことを思い出した。それでも、今の椎名さんはそんなことはしないって分かる。
「それも冗談ですね」
「あら、本気なのに」
私はまた笑う。今の椎名さんには何の不安も感じない。
嫌な言葉を吐くのは、この人が不器用で思ったことをすぐ口に出してしまう一面があるからなのかもしれない。
椎名さんはゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ行こうか。お互いサボってるとまずいでしょ」
二人で非常階段の扉を開けて中に戻った。
「あの、椎名さん……手が……」
私の手は椎名さんに握られたままだ。
「あ、放さなきゃだめ?」
「当たり前です! こんなとこ見られたら誤解されます……」
誰かに見られてまた変な噂がたったらと思うと……。この状況を修一さんにまで知られたくない。
「残念」
椎名さんは渋々私の手を解放した。
「さて、仕事に戻るか。夏帆ちゃんサインちょうだい」
急に真面目になった椎名さんは、非常階段の扉の前に置いた台車から納品書とペンを取り私に渡した。
「はい。ご苦労様です」
サインをすると椎名さんに返した。
「夏帆ちゃん顔直してから戻った方がいいよ。メイクがひどく崩れてる」
「え? うそ……」
思わず顔を触った。確かにさっき泣いたせいで目が腫れている気がするし、下瞼を触ると落ちたマスカラが指についた。きっと今ものすごく酷い顔なんだろう……。
「夏帆ちゃん化粧するなんて女子力上がったよね。前はいつもすっぴんだったのに」
「過去を気にしてるんです! 言わないでください!」
にやにやと笑う椎名さんに怒りが湧く。
でも椎名さんが私のすっぴん時代を知っているということは、そのころ会ったことがあるの?
「椎名さん、前に会ったのってやっぱり私が早峰に入社する前ですか?」
「さあ、どうでしょう」
とぼけてはいても椎名さんと会ったのは多分数年前だ。地味な頃の私を知っていて、それでも好きになってくれたってこと? だったら尚更ありえない。
当の本人は私をにやにやしながら見ている。
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