アフタヌーンの秘薬

秋葉なな

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【乾燥】熱い風に吹かれ

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「奥様?」

「差し上げますので受け取ってください」

「え!?」

「その代わり、二度と聡次郎に近づかないと約束してください」

怒りで手が震えてきた。
聡次郎さんが以前奥様にお金を使って無理矢理恋人と別れさせられたと言っていた。今私が置かれている状況と同じだ。目の前の老齢の女性はお金をもらう代わりに聡次郎さんと別れろと言っている。

「いりません」

私ははっきり答えた。

「お金なんて結構です。生活に困っていないので」

「いいえ。これは今まで龍峯に尽くしてくれたお礼です」

「ならば尚更受け取れません。お世話になっているのは私の方です」

「それも今日限りですから」

「お給料は規定通り振り込んでくだされば結構です」

表情を一切変えない奥様に負けないよう私も平静を装った。

「本店に勤めていただくのも今この瞬間を最後で結構です」

震える手を誤魔化すことはもうできなかった。

「帰れ……ということですか?」

「………お受け取りください」

奥様はわざとらしい笑顔で私の前に封筒を押し出した。

「受け取れません!」

大きい声が出てしまう。奥様の前では感情的になった方が負けなのに。

「これからのこと、いろいろと準備もあるでしょう。今すぐお帰りください」

「午前の営業はどうするのですか?」

他のパートさんが来るまでまだ2時間近くある。

「花山さんにお願いします。あなたはもうこの店のことは何も考えなくていいのです」

私は目を瞑り深呼吸した。
落ち着いて。奥様相手に感情的になったらだめ。

「わかりました。本日はこれで失礼します。そしてお金も結構です」

私は封筒の中身を見ずに指で弾いた。封筒はテーブルの上を滑り、奥様の前で綺麗に止まった。立ち上がり奥様に一礼すると廊下に出てそのまま裏口を出た。
お金を差し出されてドキドキした。まだ心臓が高鳴っている。今夜聡次郎さんと結婚の報告をする前に私に身を引かせようとしたのだろうけど、お金を受け取らなかったことで聡次郎さんと別れるつもりはないのだということをわかってもらえただろうか。
この事を聡次郎さんに伝えるべきだろうか。只でさえうまくいっていない親子関係を、私のせいで修復できなくしてしまっていいのだろうか。

感極まって思わず外に出たけれど私の行くところはこのビルの上しかない。取り敢えず聡次郎さんの部屋に戻ろう。聡次郎さん外出してるんだろうな、と上を見上げると「三宅さん?」と声をかけられ振り向いた。

「あ……」

そこには愛華さんが立っていた。

「どうかされました?」

「いや……あの、ちょっと息抜きに……」

「そうですか」

不思議そうな顔をする愛華さんに私は恥ずかしいやら気まずいやらで下を向いた。

「申し訳ありません。今更私がここに現れて……」

愛華さんまで下を向くから私まで思わず「すみません」と謝ってしまった。

「あの、愛華さんは出勤ですか?」

花山さんはもう龍峯に来ないと言っていたけれど、やっぱりここで働きたいのだろうか。

「いえ、制服を返しに来ました」

確かに愛華さんは紙袋を持っている。やはり辞めてしまうのだ。私のせいだという気がして言葉が出ない。

「三宅さん、ありがとうございました」

「私は何も……」

「どうかお幸せに」

その言葉が嫌みでもなく本心からの言葉だと思えたから、私は真っ直ぐに愛華さんの目を見て「ありがとうございます」と言えた。

「これから私、自分で働いてみることにしました」

「それは、ここではないところでですか?」

「はい。コンペで知り合った方のご紹介でフラワーアレンジメントを納品させていただくことになりました。長期的なご契約を頂けたので、やってみようと思います」

愛華さんはとても嬉しそうだ。

「頑張ってください」

「ありがとうございます。では、会社に制服を返してきます。失礼いたします」

私も頭を下げた。
愛華さんの表情は晴々としている。円満に婚約を解消したと聡次郎さんは言っていた。今も私を恨むようなことは一言もなかった。本当に素敵な女性だった。愛華さんがビルの中に入って見えなくなっても、私はもう一度頭を下げた。










結婚の報告をしようと龍峯家の皆さんに夜8時に時間をとってもらった。
龍峯の社員が全員帰ったことを確認すると応接室に奥様と慶一郎さんと麻衣さん、月島さんと聡次郎さんと私が集まった。
今日の麻衣さんはつわりの症状が軽いのかいつもより顔色がいい。
ソファーに座る慶一郎さんと麻衣さんはついにこのときが来たのかとニコニコしているけれど、私は心を落ち着かせるためにじっと立っていたし、座った奥様は仏頂面だ。

「それで、式はいつにするか決めたのか?」

慶一郎さんの言葉に、なんと切り出そうか迷っていた聡次郎さんと私は余計に困ってしまう。

「春にはやろうかと思ってる」

聡次郎さんの言葉に私もうなずいた。

「和装? 洋装? 海外もいいわよね」

麻衣さんが盛り上がったけれど、眉間にしわが寄る奥様の顔を見て黙ってしまった。

「母さん、俺と梨香は結婚する。どんなに邪魔されようとこの決意は変わらない」

聡次郎さんの言った言葉が聞こえたはずなのに奥様は顔色一つ変えない。

「許してくれなくてもいい。俺は梨香とこの先の人生を一緒に歩んでいくと決めた」

聡次郎さんの力強い言葉に私は未来が幸せに満ち溢れると確信を持っている。
今朝奥様にお金を渡されそうになったことを聡次郎さんには言っていない。言わないと決めた。私は受け取らなかったのだから言っても意味がない。
帰れと業務の途中で追い出されたのも黙っていた。今龍峯を辞めても聡次郎さんのそばにいられるなら仕事はなんだっていい。まだ私にはカフェの仕事がある。

「結婚したとして、あなたたちはこのビルにずっと住むつもりなの?」

黙っていた奥様はついに口を開いた。

「まだ決めていない。でも梨香が居心地が悪いと感じるなら違う部屋を探すつもりでいる」

それは言外に生活に干渉するなと奥様に言っているかのようにとれた。

「本気なのね聡次郎は」

「本気だよ」

聡次郎さんと奥様は睨み合った。その様子を慶一郎さんと月島さんは無表情で見守り、麻衣さんと私は不安な顔で2人を交互に見た。

「梨香さんにお店に関わらないでほしいとお願いしたのに、聡次郎はこの先ずっと梨香さんにいてもらうつもり?」

「そんなことを言ったのか!?」

聡次郎さんは驚いて私の顔を見た。他の3人も私を見ている。奥様の方からその話を切り出したから、私は正直にそう言われたのは間違いないと答えた。

「聡次郎さんと結婚できるなら、もう仕事にはこだわりません。本当は龍峯の仕事が好きなので働いていたいですが」

この言葉に奥様はじっと私を見つめた。

「母さんは梨香のお茶を飲んだことがないから、梨香を手放すバカな選択しかできないんだ」

「聡次郎、言いすぎだ」

月島さんが聡次郎さんを嗜めた。

「母さんにバカと言うな」

慶一郎さんも聡次郎さんの子供のような発言に呆れた。2人から責められても聡次郎さんの怒りは治まらない。

「梨香は初めてここに来た頃クソ不味いお茶しか淹れられなかったのに、社員にも負けないくらい勉強して今では龍峯のどのお茶も上手く淹れるんだ」

初めて聡次郎さんがお茶を褒めてくれて驚いた。いつも私が淹れたお茶を「まあまあ」としか言ってくれないのに。

「それはバイトにしとくのはもったいない、龍峯に必要な人材だな」

慶一郎さんもそう言ってくれて天にも昇るような気持ちだ。仕事を評価されることはとても嬉しい。

「まったく……」

奥様は溜め息をついた。

「うまく取り入ったようね」

この言葉に聡次郎さんは更に怒りを募らせたけれど、私は聡次郎さんの手を軽く握り「大丈夫」と囁いた。こんなにも認めてもらえて、嬉しくて今なら奥様のどんな嫌みも受け流せる。

「龍峯で働かせていただいた半年は、楽しくてとてもいい経験でした。ありがとうございました」

奥様に頭を下げた。心からの感謝を向ける。奥様が私に意地悪するつもりで龍峯で働くように言ったとしても、私はお茶を学べたことに感謝している。

「あなたは聡次郎にそっくりで、負けず嫌いで自分勝手ね」

奥様は表情を変えず静かに言葉を発した。

「他の従業員からあなたの評価は聞いています。聡次郎とお付き合いしていると知られてからも、その評判は落ちることはないようです」

淡々と語る奥様から目が離せない。
社員さんから評価されていることは光栄だ。けれど私に出ていけと言った口から聞く内容ではない。

「認めなければいけないようですね」

「どういうこと?」

穏やかな口調になった奥様に聡次郎さんは不思議そうに問いかけた。

「梨香さんは手切れ金も受け取らなかったのよ」

この瞬間聡次郎さんの怒りが頂点に達したことを悟った。

「梨香に金を渡したのか?」

「違うの! 受け取ってない!」

私は誤解されないよう慌てて否定したけれど、聡次郎さんは「そういうことじゃない」と口を挟むなと言うように手を私の前に上げた。

「俺の色恋沙汰まで金で操ろうとするところは昔から変わらないのな」

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