35 / 43
【精揉】まるで針のように心撚れて
7
しおりを挟む「約束があるから他で食べるよ」
聡次郎さんはそう言って立ち去ろうとするのに、奥様は「愛華さん以上に大事な約束があるのかしら?」と言って聡次郎さんを挑発した。
「………」
「奥様いいんです。聡次郎さんはお忙しいですから」
無言の聡次郎さんに代わって愛華さんが遠慮した。
「でも……」と愛華さんは遠慮がちに聡次郎さんを見つめた。
「しばらく龍峯を出入りする間に1回でもお食事をご一緒できたら嬉しいです……」
この言葉に私は階段から飛び出していきそうになるのを堪えた。それは聡次郎さんをどう思っているのかを思い知るには十分すぎるほどの声色だった。愛情と聡次郎さんの返事への期待。
愛華さんの美貌で甘い言葉を言われたらほとんどの男性は断らないだろう。
けれど愛華さんが本当の婚約者でも聡次郎さんは私の恋人なのだ。愛華さんと食事にいくことを許せるわけがない。
「遠慮いたします」
聡次郎さんはばっさり切り捨てた。
「何言っているの聡次郎! あなたがお昼に会社に戻ってきているのは把握しているのよ」
奥様は私と聡次郎さんが一緒にお昼を食べているのを知っているのだ。だからわざと愛華さんと食事させようとしている。
「ランチタイムはいつも先約があるので」
「そう……なのですね……」
愛華さんの表情はみるみる暗くなる。私としては聡次郎さんがはっきり断ってくれて嬉しい。
「聡次郎! 失礼なことを言わないで!」
「愛華さんもいつまでも母さんのワガママを聞いてここに来ることもないですよ。もう飾る所もないでしょう。龍峯のビルの至るところに愛華さんの活け花でいっぱいだ」
聡次郎さんは淡々と話す。一切感情がこもっていないことが私を安心させる。
龍峯のビル内は今まで以上に生花が増えていた。こんなところに必要ないと思える作業場の廊下にまでアレンジメントが置いてある。
「まだ2階のフロアとお店の中が残っています。それに、生花ですから時々はお手入れに来なければいけません」
声音から愛華さんの本気を感じた。聡次郎さんの遠回しな断りにも負けていない。親同士が決めた縁談だとしても、愛華さんは聡次郎さんに惚れている。
「見て聡次郎、愛華さんの活けた作品は素晴らしいでしょう」
奥様が指した先の活け花を見た聡次郎さんは、「そうですね。とても綺麗だと思います」と言った。その言葉に愛華さんは「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑んだ。
私のモップを持つ手が震えてきた。聡次郎さんはお世辞で愛華さんの作品を綺麗だと言ったのではない。これは本心から褒めたのだ。私は聡次郎さんにお茶を褒められたことがないのに。
茶と花では全然違う。けれど負けた気になってしまった。
「では、俺は昼に間に合うように仕事を終わらせたいのでこれで失礼します」
聡次郎さんは引き留める奥様を無視してそのまま社長室に入っていった。
残された奥様と愛華さんは呆気にとられ無言だったけれど、愛華さんが先に口を開いた。
「奥様……もしかして聡次郎さんはお付き合いしているお方がいるのでしょうか?」
「いいえ! そんな人はおりません!」
奥様は慌てて私の存在を否定した。
「けれどいつもお食事を共にする方がいるとおっしゃっていました」
「聡次郎が大変失礼を致しました。申し訳ございません。聡次郎は今冷静に判断できないだけですのよ。どうか見捨てないでください。お父様にもそのようにお伝えくださいませ」
奥様は必至だ。それほどに銀栄屋が重要なのだろう。
2人は開いたエレベーターに乗っていってしまった。ドアが閉まるまで奥様は愛華さんに謝罪していた。
私はやっと身動きがとれるようになり階段に座り込んだ。
聡次郎さんが私を大事にしてくれていることに安心した。それ以上に奥様の本気が垣間見えて恐ろしかった。
お昼休憩は聡次郎さんが来る前に仕込んでおいた野菜を炒めて、ソースと共に茹でたパスタに絡めた。聡次郎さんが部屋に入ってきたときにはお皿にパスタを盛り、お茶の準備もできていた。
「会議だったんですね」
ソファーに座る聡次郎さんに動揺を見せないように平常心を保って聞いた。私とのお昼の時間を大事にしてくれているのに暗い顔はできない。
「ああ、春に新店舗を出すんだ。その会議だよ」
「新店舗か……すごい……」
新店舗と聞いて喜びよりも不安が増してしまった。
もしも聡次郎さんが愛華さんと結婚したら龍峯の店舗を銀栄屋に増やしてもらえるかもしれないという話だった。今このタイミングで龍峯の店舗が増えるというのなら、愛華さんとの結婚の話を進めているのではないかと勘ぐってしまう。だからさっき奥様と愛華さんは応接室で話をしていたのではないかと。
「ん、やっぱうまいな」
「でしょ? これも今度カフェで提案する新メニュー候補なんだ」
「そっか、頑張れよ」
「うん」
聡次郎さんは笑顔で応援してくれるのに、私の気持ちは晴れない。
料理は褒めてくれる。それは素直に嬉しいけれど私の淹れたお茶を褒めてくれることはない。愛華さんのアレンジメントは褒めるのに。
「聡次郎さん、お店では龍清軒を冷たくして出してるんだけど、今日は少し淹れ方を変えてみたの。どう?」
聡次郎さんにグラスに注いだ冷茶を寄せた。いつもは単純に濃いめの龍清軒に氷を入れて冷やすだけだった。けれど今日は玉露のようにぬるめのお湯に数分抽出させた。
「うん……まあまあ」
「それだけ?」
「店で出してもいいんじゃない?」
「うん……社員さんに相談して試飲してもらうね……」
ほら、やっぱり私のお茶は美味しいとは言ってくれない。愛華さんの活けた花は綺麗だと言ったのに、私の欲しい言葉は聡次郎さんの頭の中にはないかのようだ。
私がここを退職する前に聡次郎さんにお茶が美味しいと言わせることは無理なのだろうか。
素っ気なくパスタを頬張る私を見て聡次郎さんは何故か満足そうに笑う。
「ここに完全に越してくる?」
「え?」
「アパート引き払ってここで一緒に住もう」
突然のことに驚いたけれど目頭が熱くなる。聡次郎さんと共に生活できたら嬉しいに決まっている。けれどそうできない事情がある。
「嬉しいけど……だめです……」
「なんで?」
「奥様が反対してる……」
聡次郎さんから『一緒に住もう』と言われたことは嬉しい。今では聡次郎さんと住む龍峯の部屋の方が服や日用品が多く置いてある。これからの生活を想像しては顔がにやけそうだ。
けれど奥様は全力で私の存在を龍峯から遠ざけたいと思っている。ここに住むのなら家族全員に祝福してもらいたい。
「退職が近づいてから愛華さんをここに呼ぶなんて、奥様の望み通りだね……」
私が退職すれば聡次郎さんの望まない相手との結婚もやめてくれると言ったのに、愛華さんと無理矢理くっつけようとする。聡次郎さんのお母さんを悪く言いたくはない。けれど数々の仕打ちには精神的に限界が近い。
「母さんが強引でごめん。梨香との婚約を白紙にしたら、俺の望まない相手と結婚をしないっていうのを逆手に取ってるんだ。俺が愛華さんを好きになるように仕向けてる」
そういうことか。無理矢理愛華さんを近づけるのは策略で、私が龍峯を退職したあと聡次郎さんが愛華さんを好きになって、結婚したい相手に愛華さんを選べば何も問題ないということ。
「あんなこと言わなきゃよかった……」
今更後悔しても遅いのだけれど。
「だからこっちも逆手に取る」
「どういうこと?」
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主-
さとう涼
恋愛
恋愛を封印し、花屋の店主として一心不乱に仕事に打ち込んでいた咲都。そんなある日、ひとりの男性(社長)が花を買いにくる──。出会いは偶然。だけど咲都を気に入った彼はなにかにつけて咲都と接点を持とうとしてくる。
「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」
「でも……」
「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」
「はい?」
「とりあえず一年契約でどう?」
穏やかでやさしそうな雰囲気なのに意外に策士。最初は身分差にとまどっていた咲都だが、気づいたらすっかり彼のペースに巻き込まれていた。
☆第14回恋愛小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございました。
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
契約書は婚姻届
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」
突然、降って湧いた結婚の話。
しかも、父親の工場と引き替えに。
「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」
突きつけられる契約書という名の婚姻届。
父親の工場を救えるのは自分ひとり。
「わかりました。
あなたと結婚します」
はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!?
若園朋香、26歳
ごくごく普通の、町工場の社長の娘
×
押部尚一郎、36歳
日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司
さらに
自分もグループ会社のひとつの社長
さらに
ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡
そして
極度の溺愛体質??
******
表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる